4.8.23 - 望み
独りで、フラフラと尖塔に戻った。
リノンと叔父の会談は、夕食を兼ねて行われるらしい。
オレは邪魔だろうし、頼まれても、そんな場所にいたくない。
尖塔に戻ると、フィオンとセレンが、夕食の準備を整えていた。
よく分からない肉とキノコ。
野菜の入ったシチューとパン。
それとリンゴの切り身。
いい匂いだが、口をつけるのは、やめた。
ここで毒を喰って、リノンの最後の大博打に水を差してもつまらない。
オレは数分だけエレメント・ノードに戻り、リュウジからバナナを貰って、それを食べた。
夕食の少しあと。
アルクが尖塔に訪れた。
人払いをしてほしいというので、2階に上がり、書斎の扉を閉めて、寝室で話を聞いた。
まず女王リノンと、叔父との密約。
これは成立したらしい。
リノンの要求は、ふたつ。
次期女王を、ローウェンナとすること。
英雄バイスタンダーを、モルウェナの後見人とすること。
叔父からの要求は、ひとつだけ。
第14代女王リノンの退位。
執行は明日。
この密約にある、双方の思惑。
リノンは、モルウェナを保護し、モルウェナは将来の道を自分で選択する猶予を得る。
叔父の孫娘が女王となり、次代の実権が叔父の系譜に移る。
なぜリノンが、ローウェンナを指名したのか?
それは、リノンが描いた最後の詰めと保険だ。
明日の退位まで、リノンは、なにも失ってはいけない。
モルウェナもセレンも。
そして、継承権1位のローウェンナも。
どれかひとつでも欠けたら、リノンの詰めは破綻する。
叔父にはまだ、別の勝ち筋が存在していた。
それはセレンの死。
セレンが、今夜死んだら?
叔父は、密約など気にせずに、モルウェナのウルス行きが確定する。
次期女王も、ローウェンナに確定。
叔父は、自分の孫娘をひとり失うだけ。
暗殺は無論だが、自殺も看過できない。
セレンは、叔父や父に完璧に洗脳されている。
国のため、姉のためだと言われたら、セレンは自ら命を絶つ可能性もあると、アルクは言った。
「ですから、私も、今夜は、こちらの警備に参加します」
アルクも、ここに留まり、セレンを守る。
セレンは今夜、2階の寝室で寝ることになった。
そこが、もっとも安全だ。
アルクは1階のロビーを見張る。
フィオンは、2階の書斎。
ヴェータは1階の扉の前。
そして、オレは2階のバルコニーで見張る。
交代はない。
夜が明けるまで、居眠りは禁止だ。
だが、まだ叔父には手が残っていた。
ローウェンナが、今夜死んだら?
密約は反故となるが、モルウェナはウルス皇国へ嫁ぎ、継承権2位のセレンが女王になる。
だからリノンは、爆弾を仕掛けた。
この密約に保険を賭けた。
――この密約が履行されなかったとき。
ローウェンナが女王にならなかったら。
オレがモルウェナの後見人になれなかったら。
リノンは、聖犯事実を、自ら白日の下に晒す。
そうなったら、リノンは殺されるだろう。
だが、晒すのはなにも、リノンである必要はない。
アルクでもいい。側近の誰かでいい。
事実が公になれば、聖女王国は崩壊。
叔父が実権を握る聖女法そのものが瓦解する。
すべてが消え失せる。
まぁでも、そのときモルウェナは、
初めて、最初で、最後、大声で。
自分の母親を、ママと呼べるかもしれない。
それも悪くない。
だが、オレにとっては最悪だ。
モルウェナを連れて国外に逃亡することになる。
でも、それはない。ありえない。
叔父にとっても、意味がない。
だから、この密約は守られるだろう。
残された課題は、セレンの保護。
しかし、それも問題ない。
アルクの初動が早かった。
尖塔にアルクが現れてから、誰の立ち入りも許可されなかった。
セレンに面会したいという騎士や使用人が、何人か訪問したが、全員追い返した。
セレンに届けられる果物も、ワインも、すべて退けた。
これで、毒も届かないし、叔父からセレンへのメッセージが届くこともない。
セレンはまだ、なにも知らない。
あとの不安は、ひとつだけ。
オレは、バルコニーに出た。
セレンが眠る寝室のすぐ真横。
「ソウジさん、セレン様に誘惑されても、絶対に手を出してはいけませんよ?」
ふざけんなよ。
アルクは知ってて言っている。
分かってて、オレをバルコニーに配置した。
この問題に最も無関心なオレ。
面倒ごとを最も嫌うオレ。
つまりオレは、安全な他人。
バルコニーを警護できるのは、オレしかいない。
だからオレはバルコニーに出た。
夜が明けて女王の退位式まで、オレはここを見張る。
バルコニーから、真っ暗な練兵場を見下ろした。
誰もいない。
松明を持った不寝番が、ちらほらと見回りをしているだけ。
暇だから、サンダーソニアの手入れを始めた。
鞘のゴミを落として、内側に油を垂らす。
表面の革を、獣脂で磨く。
「ソウジさま……」
扉の向こう側。
寝室から、セレンの声。
蚊の鳴くような声だが、夜はよく通る。
無視しようと思ったが、まぁいいだろう。
扉を開けて出て来られるのがいちばん困る。
「どうした。早く寝ろ」
「……わたくしは、ウルス皇国へ嫁ぐのでしょうか」
そうだよな。コイツも馬鹿じゃない。
この国で最高の教育を受けた聖女だ。
なにも知らなくても、異常な扱いで、察している。
「おまえはどうしたいんだ。セレン」
「わたくしの人生は、お姉さまが女王になってから考えればよいと思っていました。
なのに、わたくしは、お姉さまを差し置いて、先に行ってしまうような気がしています。
ソウジさま。
わたくしはどうしたらよいのでしょうか?」
知るかよ……
オレが知りたいよ。
オレが何をしたいのか。
こんなとこで、なにしてるんだオレは。
だから逆に教えてくれ。
「セレン、おまえにとって、一番大切なのは何だ」
「お姉さま……
お姉さまは、いつもわたくしを守ってくださいます。
優しくて、美しくて、温かくて。
そしておそらく今も……
お姉さまは、わたくしを守ってくださっています」
「おまえは、女王になりたくないのか?」
「女王になるのは、聖女の務め。そこに、是非はありません。でも……」
「うん?」
「お姉さまも、以前、同じことを仰いました。セレンは、女王になりたいの? なりたくないの? ……と」
「なんて答えたんだ?」
「お姉さまが嫌なら、わたくしが成りますと……」
「聖女に、是非は、ないのにか……」
「…………」
「ソウジさま」
「うん?」
「ソウジさまの、大切なものは……なんですか?」
オレの大切なもの……
「……たぶん、おまえの姉と同じかな」
「わたくしのお姉さまと?」
「オレにも妹がいるからさ。
妹が望むなら、鬼にも、悪魔にもなれる。
幽霊にだってなれるよ。
たぶん、おまえの姉も同じなんだろうな」
「そんなの……嫌です。私はそんなこと、お姉さまに望みません。お姉さまが悪魔になるなら、わたくしが代わりに、悪魔になります」
「ッフフ、そうだな。
オレの妹も、そんなこと望んじゃいない。
最近、ようやく、それが分かり始めてきた」
「え?」
「そんなの、誰も望んじゃいない。オレも、セレンも、姉も、妹も」
「では……どうすれば?」
「さぁな。オレにも分かんないよ。
まぁでも……最近教えてもらったことがあってな。
確かなことを、ひとつだけ」
「それは?」
「生きること。命を繋ぐこと。
それが、未来の希望を繋ぐ、唯一の条件」
「まぁ……素敵な言葉……」
「おまえの望みはなんだ? セレン?」
「お姉さまに、生き続けてほしいです。わたくしよりも長く……」
……おにいちゃんは、わたしより……
また、あの言葉。
夜空から降ってきた幻聴。
そうか。
オレも、いま知った。
いま、気がついた。
「セレン……
望んでいることは、同じ。
みんな、同じなんだ……
オレも、セレンも、姉も、妹も。
ただ生きること。
それだけでいい。
それが、全員の望みを繋ぐ、唯一の条件。
なんだ、意外と簡単そうだな?」
「はい……簡単そうですね」
扉の向こうから聞こえる。
セレンの、クスクスと笑う声。




