4.8.21
その日の夕方。
雨はあがり、水たまりが夕陽を跳ね返している。
夕食の準備は、フィオンとセレンに任せた。
ちなみに、セレンは皿を準備するだけ。
聖女に調理スキルは不要らしい。
問題ない。オレと同じだ。
オレは、リノンの呼び出しを受けた。
今度はヴェータと共に別邸へと向かった。
夕陽に照らされるだけの、薄暗い執務室。
朝と同じく、アルクとリノンがいた。
ヴェータは部屋から出て行き、執務室の扉を固く閉めた。
使者の要求は、セレンやヴェータが予想した通りだ。
婚約者として、聖女を迎え入れたいというもの。
断わる選択肢は、この国にはないらしい。
問題は、誰を差し出すか。
ひとまずアルクの話を聞く。
「まず、継承権1位の聖女ローウェンナ様。これは、王国の権威にかけて、拒否しなくてはなりません」
ローウェンナという名は、初めて聞いたが、叔父の長女。
つまり、セレンの姉。
王位継承権1位で、18歳の聖女。
「よって、ご婚姻の候補は、
継承順位2位の14歳、セレン様。
継承順位4位の10歳、モルウェナ様。
年齢的にも、このおふたかた、いずれかに絞られます」
モルウェナが婚約かよ。
まぁこの世界じゃ、そういうものなんだろう。
オレが口出すものではない。
オレのお嫁さんになりたい。
そう言っていたモルウェナの笑顔がチラつく。
なんだか少し……モヤっとする。
リノンの表情は暗かった。
見たことのない、悲しそうな顔。
その表情の奥に、どんな苦悩があるのか。
オレじゃ知る由もない。
リノンが、言葉を絞りだした。
「嫌よ……モルウェナを外国に売るなんて、絶対に嫌」
「なら、行くのはセレンか」
「ムリよ。叔父様は絶対に反対するわ。
叔父様は……モルウェナを勧める。
それで継承権争いも、叔父様の勝ち。
でもね……
それで、モルウェナが暗殺される心配もなくなる。
あとは私が退位するだけ。
せめて、あの子が、ウルス皇国で幸せになってくれるといいけど」
「リノン、ひとつ教えてくれ」
「なに? 迷子の救世主さん?」
「おまえは、モルウェナの未来を、どう考えているんだ?
本当にモルウェナを王女にしたいのか?」
「なにが言いたいのよ」
代理の母親が、どんなに優しくても、どれだけ愛を注いでも、その子の本当の母親にはなれない。
だから未希は、ずっと他人の家で暮らし、他人の家で育った。
でも、モルウェナは違う。
いつも、近くに母親がいて、母親に守られていた。
いびつながらも、母親の愛情を注がれて育ったんだ。
「モルウェナは知っている。
実の母親が名乗らなくたって、ぜんぶ知っていた。
傍にいるだけで最初から。
自分の母親が誰なのか」
いままで何度「ママ」という言葉を口にできたのか。
爆弾に火を点ける、奈落への合言葉。
「なぁ、リノン。気付いてるか?
モルウェナは、このウソ塗れの巣窟で、おまえが守ってきた真実の結晶だよな?
おまえの代わりに泣いて、おまえの代わりに笑って。
おまえが誤魔化して、捨ててきた全てを、モルウェナが拾い集め、育てなおして、おまえの前で、毎朝、笑顔の花を咲かせているんだよな?
おまえは、その花を、本当にむしり取るのか?
それでいいのか?」
リノンが、背中を向けた。
肩を震わせ、鼻をすする音。荒い呼吸の音が聞こえる。
アルクはなにも言わない。
うつむいたまま。
モルウェナが王女になったところで、座るのは茨の王座。
そこに座るモルウェナは、女王の聖犯そのもの。
奈落の闇に囲まれた、ウソ塗れの椅子。
そこに、爆弾を抱えて座らせるようなものだ。
リノンは、本当にそれを望むのか?
「アルク。教えてくれ。オレもモルウェナを助けたい」
「は、はい……なにを」
「モルウェナが女王になるメリットはなんだ?」
「……リノン陛下の系譜。
つまりお父上の系譜が、第1継承権を保持します。
陛下のご兄弟のご息女、ご嫡孫が、今後も女王に君臨し、その系譜が国政の実権を握っていくことになります」
なるほど……
呆れる。
聖女王国。女王法。
それはつまり、娘を女王にした父親が国の実験を握るということ。
父親が、娘を神聖な名で飾り、権力争いに捧げる国。
女王とは、その父親が得る、勝利のトロフィー。
ヴィルゴ王国とは、娘の未来を封印することで得られる国。
最悪だ。馬鹿げてる。
頭がおかしくなる。
そんなものに、なぜ固執するのか。
この国の王族は、それが普通なのか。
庶民のオレには、まったく分からねぇ。
「ねぇ……ソウジ」
耳を疑った。
リノンが初めて、オレの名を呼んだ。
「あなたも思うわよね?
馬鹿げてるわよね。この国。
なんだか、頭がおかしくなるわ」
見ると、両目から大粒の涙を流しているリノン。
「あなたにやってほしいことがあるんだけど。いい?」
リノンが、笑っている。
涙を流しながら。
肩の震えは止まっている。
最後のゴミを捨ててきたような顔。
なにもかも捨てて、どこかへ駆け出してしまいそうな顔。
不気味に感じない、リノンの母親の笑顔。
「もしかしたら、報酬は払えないかもしれないけどね」
「なんだよ。言ってみろ、女王様」




