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4.8.19


 寝室バルコニーの戸を開けた。

 外は小降りだが、久しぶりに雨が降っていた。


 練兵場では、雨の中でも訓練が続いている。

 泥まみれになりながら、投げ飛ばしたり、投げ飛ばされたり。


 眺めていると、練兵場の横を小走りで進む女性が3人。

 ヴェータとフィオン。それと聖女のセレン。


 3人が、この尖塔に辿り着く。

 見えなくなると階段を昇る足音。


 オレは寝室から書斎に戻る。

 事務机に寄りかかり、3人が姿を現すのを待った。


 ヴェータとフィオンが先に姿を見せ、その奥にセレン。


 最年長のヴェータが口を開いた。

「おはようございます。使用人3名、着任しました。よろしくお願いします」


「ああ……そうだな」


 分からないものはしょうがない。

 分かるヤツに聞こう。


「セレン」

「はい。バイスタンダー様」


「オレはなにをすればいい」

「はい?」


「使用人と言われても、使い道も、使い方もオレには分からない。オレがなにをすれば、おまえは怒られずに済むんだ?」


「は……はぁ」


 ぽかんとした顔。

 セレンもずいぶんと、表情の薄い娘だ。

 女王と比べたら、まだ少しはマシだが、女王予備軍になると、こういう顔になっていくのだろうか。

 終身刑だと言い渡される前の、女囚のような顔だ。


「あの……バイスタンダー様のお役にたてることでございましたら、どのようなご指示でもかまいません。なんなりとご命令ください」


 色仕掛け。

 オレを籠絡する目的で送り込まれたらしき王族の姫。

 まだ14歳で、娼婦のような役目を押しつけられた聖女様。

 しかもそれを押しつけたのは、実の親。


 ……虫唾が走る。


「おまえの望みはそれだけか? 聖女としての望みはなんだ?」

「聖女……でございますか」


 蚊の鳴くような声だが、震えはない。


 オーケストラの第1バイオリンのような言葉の旋律。

 表情に歪みはないが、頬に少しの赤み。

 セレンはまだ途中なんだろう。

 夢も、希望も、正気が保てるだけを残しながら、ゴミみたいに捨てられていく途中。

 ロクでもない。壊れてる。



「わたくしの成すべきことは、この国の安寧に、我が身を捧げること。それが、わたくしの望みの全てです」


 ああそうかよ。

 オレには全く興味がないし、知ったことでもない。

 セレンの言葉が本心なのかどうか。

 それもどうでもいい。


 モルウェナの望みは、個人の笑顔。純粋だ。

 セレンの望みは、国と国民の笑顔。これも純粋なんだろう。


 違うのは、その純度の根元。

 育つ過程で与えられてきた想いと、言葉が違っただけ。



「ソウジ様」

 フィオンが口を挟んだ。

 見習いのくせに、いいタイミングだ。


「お話のところ申し訳ありません。リノン陛下がお呼びです。ご案内いたしますので、ご同行ください」


「分かったよ」

 こんな変な空間より、マネキン女王のほうがまだマシだ。


「ヴェータ」

「はい」

「ここでのルールと、オレからの頼み事を、セレンに教えてやれ。屋敷のときと同じだ。覚えてるか?」

「はい。もちろんです」

「なら、あとは頼む」

「はい。いってらっしゃい、ソウジさん」

「いってらっしゃいませ。バイスタンダー様」



 フィオンとふたりで階段を降りる。

 外は雨。

 練兵場の横を駆け抜ける。

 向かった先は、王城ではなく、リノンの別邸だった。


 入り口の衛兵に止められることもなく、別邸の中へ。

 ロビーで水滴を落とし、リノンの執務室へ。


 執務室にはアルクもいた。

 モルウェナの姿はない。


 ふたりの表情が暗い。

 借金の取り立てを追い返した後みたいな顔。

 めずらしいな。


「どうした。また誰か親戚でも死んだのか?」


 フィオンは執務室から出た。

 扉が閉まると、リノンが口を動かした。

「モルウェナが、わたくしを……」


 ああ、さっきのアレか。


 そんなこと、あってはならない。

 純潔であり続けなければならない聖女。

 その純潔の頂点に君臨するのが女王リノン。


 そのリノンに隠し子の娘?

 それが継承権4位?


 おまけに、その子が、女王派が推す、次期女王候補。


 なにもかもが間違っている。

 天真爛漫なモルウェナ。

 その花畑の柵の外にあるのは、ウソで作られた足場と奈落。

 踏み外せば、リノンは、モルウェナもろとも奈落の底に落ちる。


「モルウェナは、最初から知っていたのか?」

「モルウェナ様は、弟君のご息女。母君もすでにお亡くなりに」


「オレに隠してもしょうがないだろう。

 オレを信用する必要はないが、オレになにかしてほしくてここに呼んだんだよな?

 オレにやってほしいことはなんだ?

 モルウェナを連れて、この国から逃げればいいか?

 それとも、誰かを殺して、オレだけ逃げればいいのか?」



(……お待ちください、いまはだれもお通しできません)


 扉の外からフィオンの声。

 にわかに騒がしい。なにかあったのか。


 アルクが扉に歩み寄る。

 自分が通れるだけの隙間を開けて、部屋から出た。

 扉の向こうから、ボソボソと話し声。


 アルクはすぐに扉を開けて、執務室に戻った。


「陛下。ウルス皇国の使者がいらしたようです」


 マネキンのリノンが、目を閉じながら天井を見上げた。

 それから、ふぅと、息を吐く。

 ため息じゃないよな。深呼吸だ。

 しばらく考え込んで、そのまま口を開いた。


「分かりました。広間に案内して。この話の続きはまたあとで」


 それから目を開き、今度はオレを見た。

「バイスタンダー。あなたは隠れていて。見られたくないわ」


 そうだな。

 それは大賛成だ。



「分かったよ。女王リノン」




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