4.8.15 - ルシアとめし
タクシーに乗る。
行き先は、日本橋人形町。
スマホを出して、店を検索する。
えーと……
三七喜寿司だ。
創業100年? すごいな。
値段は、回転ずしとはだいぶ違うが、ビックリするほどでもないようだ。
「お寿司屋さんいくのソウジ?」
「そうだよ。知り合いに教えてもらった店だ」
「ふーん。女の人?」
「酒臭いオッサンだよ」
「そっか。楽しみ」
まぁオレも、少しだけ興味がある。
ニフィル・ロードで知り合ったヤクザ。
リュウジから教えてもらった店。
「あのう……」
運転手の声。
「高速乗ってもいいですか?」
そういや……
さっきから、ぜんぜん進んでいない。
「なんでもいいから、速いルートでたのむよ」
「分かりました」
板橋から首都高に乗った。
そこからはあっという間。乗ってたのはたぶん20分くらい。
都内は、地下鉄も難解だが、首都高は完全に迷路だ。
どこをどう降りたのかも分からないが、気がついたら交差点を過ぎた地下鉄の入り口の前。
運転手にどこで降ろすかと問われ、ここでいいと告げて降りた。
スマホを取り出して、現在地を確認しながら、寿司屋を目指す。
ルシアも後ろからついてくる。
歩いて数分。
店の趣は、江戸時代の旅館のようだった。
大きな建物ではない。
近代的なビルに囲まれた、時代錯誤な和風の家。
古く黒ずんだ一枚板に、『三七喜寿司』と書かれている。
ガラガラと引き戸を開けて店に入る。
寿司屋独特の、生魚と酢飯の匂い。
「いらっしゃい」と、威勢のいい掛け声。
視界に映ったのは、十数席のカウンター。
その向こう側で、数人の職人が、白い割烹着姿できびきびと動き回っていた。
ルシアも後から、店に足を踏み入れる。
「モン レーヴ……セ、レアリゼ……パピ」
掠れるような声で何か喋った。
「うん? なんか言ったか?」
「う~うん、なんでもない。メルシィ、ソウジ」
「うん?」
少し時間が早いのだろうか。
カウンターの客は、まだ疎らだった。
ご予約はと聞かれ、ないと答える。
店員はカウンター席を勧めたが、奥のテーブル席にしてくれと頼んだ。
ルシアは、日本語を喋れない。
念のため、ルシアに聞いておく。
「食べたい寿司はあるか?」
「う~んと、ツナ? あとサーモン」
注文を取りにきた女性に告げた。
「2万円以内で2人前を頼めるか。
マグロとサーモンを入れてほしい。あとは任せる」
「はい。お飲み物は?」
「……とりあえず、お茶でいい」
「かしこまりました」
店員が下がっていった。
視線を戻すと、ルシアがオレを見ている。
また、オレの観察が始まったか。
「今度はなんだ? なにが知りたい?」
「今度はね、知ってほしいの」
「うん?」
「故郷にもね、近所にお寿司屋さんがあってね」
「フランスにか?」
「そう。珍しいよね。地方の田舎の町なんだけどね」
ルシアがオレから視線を逸らし、天井を見上げた。
焦点は天井ではなく、その途中。
「小さいころ、おじいちゃんに何度か連れてってもらったんだ。
おじいちゃんも、お寿司が大好きでね。でも、すっごい高いんだって。だから、食べに行けるのは年に数回」
お茶と、最初の小鉢が運ばれてくる。
たぶんイカの沖漬け。
箸の扱いには、だいぶ慣れたようで、どうにか摘まんで、イカの沖漬けを口に運んだ。
よかった。
こんな大層な寿司屋で、フォークをくれなんて言いたくなかった。
「どうだ?」
「トロ……ボン」
「それは、トロじゃないぞ……英語か日本語で言ってくれ」
ルシアは答えず、もうひと口。
「おじいちゃんがね……約束してくれたの」
オレの話、無視かよ。
「いつか私を、日本のお寿司屋さん連れてってあげるって」
おじいちゃんが、どうなったのか。
聞くまでもないな。
「でも、私ひとりで来ちゃった」
「は? おじいちゃんは、生きてんのか?」
「なによそれ、ヒドイ。生きてるし、たぶんまだ元気よ。でも、私の家ね、そんな裕福じゃないからね。日本はすっごい遠い国」
「ルシアはどうやって、日本まで来たんだ」
「う~ん……働きながら?」
「おまえ、まだ17歳だろ」
「あら、私は18歳よ」
たいして変わらんだろ。
「でもね。ありがとう、ソウジ。私とおじいちゃんの夢が叶った」
「寿司が出てくるのはまだこれからだ。あと、言っとくが、おまえが地元で食べたカリフォルニアロールとは全く違うからな」
次は平皿に乗った、にぎり10貫
ウニの軍艦、アナゴ、なにかの貝、なにかの赤エビ。
マグロと、中トロ。それと、サーモンが2貫。
今が旬だと言って、イサキや、スズキの名前を告げて、店員が立ち去った。
どれもこれも、美味そうだ。
まずは、中トロを掴もうとしたが、手を止めた。
ルシアがアナゴを箸で摘まもうとして、シャリが崩れかけている。
「おい、ルシア」
「うん」
「日本ではな、寿司は手で喰うんだ」
「ア、ウィ!」
「最初に、中トロから行け。これだ」
オレがマグロを掴む。
軽く醤油につけて、一気に口の中へ。
とろけた……
脂がとろけた。
海の中で揉まれた青いような青緑のような。
眼の下から、脳まで溶かされそうなのマグロの旨み。
その後に吹きあがる、ワサビの風味。
中トロのまろやかな脂身を駆け抜ける、別次元のツンとしたアクセント。
うま……すぎ、る……
「どうだ、ルシア」
「トロ…………ボォン……」
ああ、そうだ。
これがトロ……中トロだ。
「パピにも、食べさせてあげたいな」
そうか。そうかもな。
「ぃよぅ、にいさん」
「うん?」
オレに声かけてんのか?
クビを捻って顔だけ向ける。
立っていたのは、ヨボヨボの爺さんだった。
お忍び演歌歌手のような、灰色の袴を羽織っている。
肌は浅黒いが、頭はハゲて、しわしわ。
左頬には、縦に走る切り傷のようなシワがある。
眉が細く、おでこが広い。
ヤクザのようにも見えるが、目つきは穏やかだ。
その後ろにも、六十代くらいの男が立っている。
どこかで見たような気もするが、分厚い眉に三白眼。
こっちは、どう見てもヤクザだ。
にしても、なんだ、この爺さん。
誰だっけ?
「どちら様で?」
爺さんが、オレの顔を眺めている。
頭のてっぺんから、耳、鼻、アゴの先まで。
それから、また、口を開いた。
「おめぇさんよぉ、もしかして、ソウジか?」
「……は?」
「ヒッヒヒ、ハハハ、ソウジだよな? そうだろ?」
喉に穴が空いたような掠れた笑い声。
そろそろ死ぬんじゃないか、このじじい。
「だれだよ爺さん」
オレのその言葉で、後ろにいた男の血相が変わった。
いまにも飛びかかってきそうだ。
「えれぇ、べっぴんさんつれてやがって。おめぇは、いつもハーレムだなぁこのヤロウ」
じじいは、まだへらへらと笑っている。
しわくちゃで笑うその顔は、夢に出てきそうなほど不気味だ。
「まぁいいや、邪魔しちゃあ野暮だぁな。まぁた、この店に来い。俺がいたら奢ってやるよ」
なに言ってんだ、このじじい。
オレの知らない親戚かなんかか?
じじいが、袴のたもとから、茶色い長財布を出した。
そこから何枚かの札を抜き取る。
「おうっ」
女性の店員を向いて、短く声を掛けた。
「あらぁ、牧田さん。もうお帰り?」
「おぉう。まぁたくるよ女将さん。あとこの兄ちゃんたちも、うちのツレでよ。一緒に払っとくよ」
はぁ?
なんなんだよ、このじじい。
「おい、爺さん、奢ってくれるのは嬉しいけど、余計なお世話だよ」
また、後ろのオッサンの三白眼が、視界の隅に突き刺さる。
「いいから。また来い、次は語ろうぜ。あばよ」
じじいが、皺だらけの右手を上げる。
その手の小指が欠けていた。
「おぃ。いくぞ」
「へい」
じじいとオッサンは、オレ達の支払いも済ませて、店を出て行った。
なんだよ……
呆気にとられたまま、視線をルシアに戻した。
ルシアは、ニコニコと、寿司を手づかみで頬張っていた。
そういや、こいつ、日本語わからないんだよな。
まぁ……いいか。
オレの知らない親戚。
そういうことにしておこう。
それと。
もう、この店に来るのはやめよう。




