4.8.14
夕方までは、普通にパンの売り子を売り続けた。
中には、子供を連れた親子の外国人もいた。
ルシアは、ニコニコと笑顔を振りまき、その親子にパンを与えた。
代金は取らない。
親にカードを渡したのかどうかは、見ていない。
結局、まともにカネを払って買ったのは、ほとんど日本人。
シミットを持ち帰った外国人は、ルシアのお眼鏡に叶った数人だけ。
そもそも、売上なんて、最初からどうでもよかった。
居酒屋のシャッターが上がり、店員が怪訝な目でオレ達を眺めている。
辺りが暗くなり始めると、うるさい外国人が増えていった。
唾を飛ばして、なにか言っている。
オレには言葉が分からない。
字幕が欲しい。
面倒だから、1個くれてやる。
片手で親指を立てて、笑顔で立ち去ってくれた。
ルシアのところからも、外国人の怒鳴り声。
そろそろ潮時だな。
もう、パン自体がいくらも残ってない。
というか、何時間も前から、カネを払ってパンを買うヤツも現れない。
オレはトラックの幌を下ろした。
それから、ルシアの方へと近づく。
ルシアは、3人の外国人に詰め寄られていた。
何をいってるのか分からないが、もしかしたら絡まれているのだろうか。
「ルシア。そろそろ引き揚げよう」
「ソウジぃ……」
ルシアが涙目になっている。
やっぱり、絡まれてるのか。
「はやく助けろ」
「いいから、クルマに戻れ」
ルシアがクルマの方へと駆け始める。
男の独りが、ルシアの肩に手を伸ばした。
オレはそれを掴んで捻りあげた。
「うるるぅああぁあぁぁッ」
手首を捻られた男が、水族館のペンギンのような鳴き声をあげた。
次の瞬間、オレの横顔に誰かの手のひら。
そのまま、強い勢いで突き飛ばされた。
あ、わりぃ……
いや、オレのせいじゃないと思うが。
突き飛ばされた勢いで、掴んでいた男の手首の関節を外してしまった。
手首の関節を外された男が、そのままうずくまる。
悲鳴と一緒に、言葉のようなものを喚いているが、なにを言っているか分からない。
残りのふたりも、ものすごい剣幕で、まくしたてている。
言っていることが、さっぱり分からない。
でも、このままじゃ済まされないということだけは分かる。
左にいた男の拳が、オレの顔面に伸びた。
外側に躱す。
男の伸びた腕を掴んで引っ張りながら、足を引っ掛けると、そのまま前のめりに転倒した。
残った男が、右こぶしを振りかざしながら、駆け寄ってくる。
後ろに飛んで、その拳を躱す。
また足を引っ掛けようと、右脚を出した。
靴のつま先が、コンと男のスネに当たった。
男は、悶絶しながら倒れ込み、そのまま地面を転げまわった。
あぁ……ごめん……
そういやオレ、安全靴履いてるんだった。
つま先に鉄板が入っている。
そりゃ、軽く当たっただけでも痛いよな。
辺りに、異様な喧噪が湧きだした。
同じ国籍の人間なのだろうか。
見渡すと、あちこちの外国人が、オレを見て指差して、喚いている。
もしかして、これは、まずい?
「ソウジ!」
ルシアが呼んでいる。
すでに、軽トラックの助手席に座っていた。
そうだな。逃げよう。
これは、明らかにマズい。
オレはトラックに向かって走った。
外国人も駆け寄ってくる。
ポケットに入っていた硬貨を宙にばら撒く。
千円札も、何枚か宙に舞っていた。
今日の売上。釣銭も込みだ。
そこら中からコインが地面に落ちる音。
その音で、大部分の外国人の足が止まった。
運転席のドアを開け、カギを差し込みエンジンを掛ける。
1発で掛かった。
サイドブレーキを叩き下ろす。
それからクラッチを踏み込み、ギアを1速に入れる。
アクセルを踏み込む。
そのまま一気に加速。
荷台を蹴とばす音が何度か聞こえたが、最初の交差点を抜ける頃にはエンジンの音しか聞こえなくなった。
バックミラーには、夕方のネオンが反射しているだけ。
「ふぅ。これじゃ、明日は中止かな」
「ソウジって……」
「なんだよ」
「普段は、動くマネキンみたいだけど、やるときはやるのね」
どっかで、聞いたことのあるようなセリフが混じっている。
「スカウトはうまくいったのか」
「えーっとね、渡せたカードは7枚。10枚には届いてないわね」
とりあえず荒川沿いの駐車場へ向かう。
「ルシア、雇用主にメッセージは送れるか」
「送れるわよ。今日の報告していい?」
「ああ、たのむよ」
駐車場に到着する頃には、すっかり夜だった。
クルマから降りると、スマホが震えている。
ルシアもバッグからスマホを取り出している。
雇用主からのメッセージ。
『明日は中止だ。ごくろうさん』
ふぅ……仕事が終わった。
今日も疲れた。
本当に疲れた。
「お仕事おわりだって。もう4人連絡来たみたい」
「そうか。すごいな」
「ねぇ、ソウジ。ご飯食べて帰らない?」
「なんでだよ……もういいだろ。荷台に残ったパンでも喰えよ」
「イヤよそんなの。っていうか、ひとりで食べろっていうの? ヒドくない?」
「じゃあダレか友達さそえよ。おまえなら沢山いるだろぅ」
「……いないわよ、そんなの」
そんな顔してもだめだ。
それも、ルシアの手札のひとつだろう。
もうオレは、騙されない。
「ソウジ。あなた、まさか忘れてないわよね? 私にお寿司屋さん教えるって言ったわよね?」
ああ、言った記憶あるな……
現実世界の記憶だ。圧縮されてるわけでもない。
いつのことだかは忘れたが、言ったことは思い出した。
「もう、何日も前なんだけど? ずっと待ってるんだけど?」
寿司屋か。
そういや、リュウジに聞いたな。
どこだっけ。
たしか日本橋。人形町。
でも、バカ高い店だったらどうしよう。
「割り勘でもいいか」
「なによそれ、知らないわよそんな単語」
「何か国語も喋れるルシアが、知らないわけないだろうが」
そもそも。
ルシアは、オレよりも高いギャラを貰っている可能性がある。
うん?
何してんだ。
ルシアが手を上げている。
タクシーが止まり、後部座席のドアが開く。
カッチカッチと、ハザードが点灯していた。
ルシアがそれに、乗り込もうとしている。
「いくわよ、ソウジ。お寿司屋さんはどこ?」




