4.8.13 - ルシアとパン屋
「パン屋さんに、寄り道するからね」
「パン屋? どこの?」
「ちょっとまって」
ルシアがスマホを出して、画面を操作している。
このクルマ、ブレーキの効きが悪すぎる。
エンジンブレーキのほうが、まだ停まる。
「ここよ」
次の信号で停まる。
ギアを1速に入れて、エンジンブレーキだけで慎重に速度を落とす。
最後の最後で、ブレーキを踏む。
「どこだ」
「ここ」
ルシアのスマホに、現在地と行き先の地図。
だいたい頭に入れた。
「おまえ、道案内できるか」
「ウィ。任せなさい。12歳まで、ダディーのナビはいつも私だったわ」
クルマを走らせる。
しばらく走ると、ルシアは右だと言ったが、オレは直進した。
「もういい。道案内は不要だ」
オレの記憶だけのほうがまだマシだ。
パン屋には、数分で到着。
店に入ると、案内文や商品名は全て日本語。日本のパン屋。
しかし、奥でパンを焼いている男は外国人だった。
ヒゲが濃く、アジアとヨーロッパが混じったような顔つき。
ルシアが、その職人と英語で会話を始める。
話が終わると、職人の男が、リング状のパンを大量に乗せたトレーを運んできた。
「ソウジ、荷台に運んで」
ドーナツのような円形のパン。
いい匂いだ。
焼きたての香ばしいパンの匂い。すり潰したようなゴマの香り。
表面は、白ゴマのような粒で覆われている。
「このパンを売るのか」
「そ。知ってる? このパン?」
「ドーナツか?」
「これはね、シミットっていうパンよ。食べてみる?」
ルシアが、ひとつ拾って、半分にちぎる。
片方を自分の口へ。もう片方をオレに向けた。
外はカリカリ、中はモチモチ。
べたつくような感じではなく、食パンを捻ったようなモチモチ感。
焙煎したゴマのカリっとした風味が広がり、ブドウを潰したような蜜の味が唾液に染みていく。
青み、苦味、甘みが、ちょうどよくミックスされている。
飽きのこない、すっきりとした味わいのあるリングパンだった。
いまのでひとつ減ったが、そのシミットがトレーに30個。
トレー2つで、計59個のシミット。
それを、軽トラの荷台へと運ぶ。
幌をあげると、荷台には、大きなショーケースがふたつ。
保温機能のついた、ドーナツ屋のショーケースだ。
奥のバッテリーに繋がれている。
それと、ザルが1個と、その下に無地のコンビニ袋。
ザルの中には、硬貨の束。
百円玉と五百円玉。それと千円札の束。
ルシアとふたりで、ショーケースの中に、シミットを並べていく。
並べ終わると、ルシアにスイッチを入れてこいと言われたので、荷台に上がってスイッチを入れた。
荷台の中が、コタツの中みたいな色に変わった。
ルシアは温度を「弱」に設定した。
「じゃあ、行きましょうか」
「どこへ?」
「きまってるでしょ。売り場よ」
軽トラックを発進させる。
パン屋を離れ、売り場へと向かう。
向かいながら、ルシアから仕事の説明を受けた。
「ソウジは、あのパンを1個200円で販売してね」
「それだけか。おまえは何をするんだ」
「私はスカウト。あなた、なにも聞いてないの?」
「スカウト?」
「そうよ。目標は10人。働いてくれそうな外国人がいたら、連絡先のカードを渡す」
ルシアがバッグの中から、名刺のようなカードを出した。
連絡先の電話番号。メールアドレス。
それと短い英文。オレは英語が読めない。
「ソウジは、パンの販売員と私のボディガード」
「ボディガード?」
「求める人物像は3つ。
多少は英語が読めること。
おカネに困っていること。
家族を大事にしていること。
それと、私の勘」
なるほど。
たしかルシアは、社会心理学の天才……だったっけ。
「タダで寄こせって言ってくるヒトはダメ。
脅してくるヒトもダメ。
私を口説いてくる馬鹿がいたら、すぐに助けてねソウジ。
それと、普通におカネ払って買う人もダメ」
「買うのもダメ? じゃあなんで、パンを売る必要があるんだ」
「それはね、売り始めたら分かるわよ」
目的の場所は、駅から少し離れた場所の裏通り。
ガラガラのコインパーキングの横。
人通りは少ない。
シャッターが下ろされた居酒屋が立ち並んでいて、昼なのに酒臭い。
そこに軽トラックを停めた。
クルマを降りて荷台へ。
すでに、ゴマパンの匂いが、トラックの周りに漏れ出していた。
幌を上げると、その匂いが、ぶわっと溢れだす。
美味そうなゴマパンの匂い。
よく見ると、荷台の奥にエプロンまで2つ用意されていた。
色は赤と緑。
ルシアは赤。オレは緑。
オレはまだ、理解しきれていないが、まぁいい。
とにかく、今日は、オレはパン屋の店員。
シミットとかいう1個200円のパンを売る。
しばらくの間、客は誰も来なかった。
辺りに撒き散らしている匂いはいい。
香ばしいゴマパンの匂い。
通行人が、匂いに釣られて視線を向けるが、殆どが値段を見ただけで素通りしていく。
なにせ、1個200円。
見た目よりも高いと思う。
こんな得体の知れない、突然現れたキッチンカー。
売り子は悪人ヅラの男と、未成年のフランス人女性。
怪しすぎる。仮にオレが通りかかっても買わないし、見向きもしないだろう。
それでも、昼に近くなるにつれて、客足が増えた。
不思議なことに、客の9割は、似たような顔の外国人。
アジアとヨーロッパの中間の顔。
言葉は全く分からないが、同じ国籍だろうというのは、なんとなく分かる。
なぜだと不思議に思ったが、その答えも、ルシアが教えてくれた。
「シミットはね、トルコ人なら誰でも知ってる、ソウルフードなのよ」
なるほど。
シミットは、売るためのパンじゃない。
特定の労働者を集めるための撒き餌。
釣られて寄ってきた労働者を、ルシアのプロファイリングでふるいにかける。
そして、使えそうな人材だけを釣りあげる。
看板も、掛け声も不要。
シミットの匂いだけで、広範囲に存在を知らせることができる。
オレ達は、ここにいるだけ。
それで、特定の外国人だけが釣れる。
おまけに、集まってくる外国人は、旅行客ではない。
なんらかの事情で祖国を離れ、遠い異国で働いている者達だ。
そこに降って湧いた、故郷の匂い。
足を止めずにはいられないだろう。
外国人の客は次々と、集まってきた。
しかし、200円。
買おうとする者は、ほとんどいなかった。
タダで寄こせと言ってくる者。
目を離した隙に、持ち去ろうとする者。
だが、それで良かった。
そういうヤツは、リクルートの対象にはならない。
子供に食べさせたいから、半分でいいから売ってくれという者もいた。
ルシアは、そういう願いには応えた。
値段は最初からフェイクなのだ。
故郷の匂いを感じて、どういう行動をするのか。
人物の査定は、姿を現した瞬間から、始まっていた。
マレに買うヤツもいる。
カネに困ってない外国人。
そういう人物は、今回はターゲットではないらしい。
ルシアの得物は、遠くから眺めているヤツだった。
サイフのカネを数えて、あきらめて立ち去ろうとするヤツ。
ルシアはそういう男に声を掛ける。
そして、会話をする。
代金は受け取らずに、3個か4個のシミットを袋に入れて手渡す。
最後に、連絡先のカードを渡す。
たぶん、ソイツの今の仕事よりも、遥かに高額な就職先の案内。
その連絡先に、どんな未来が待っているのか。
それはどうでもいい。
オレの知ったことじゃない。
オレはただ、ここでパンを売るフリをするだけだ。




