4.7.11
その日の昼過ぎ。
完全に火が消えた焚火の傍で眼を覚ました。
向かいで、ティナも眠っている。
朝からバーボンとアップルワインで悪酔いして、そのまま寝てしまったのだ。
頭が痛い。
口の中が、乾いたリンゴの酸味でネバついている。
とりあえず立ち上がる。
いびきをかいているティナを放置したまま、焚火から離れた。
ふらふらとテントまで戻る。
そして、ログインデバイスを取り出し、スピカの宿に渡った。
レストランへ行き、ランチを注文する。
野菜のスープと、柔らかいパン。
ああ、癒される。
酒のダルさが、カラダから溶け出していく。
そのあとは、街の北側にある馬車乗り場を見に行った。
北門の手前で、出発時間を待っているらしき馬車が1台。
すでに何人かの乗客が荷台に座っていた。
繋がれているのは、ばん馬のような巨大な馬が2頭。
競馬場で走っているような馬と比べると、二回りくらい大きな巨体だった。
オレは、運転手に出発時刻と、王都までの到着時刻を尋ねた。
出発は間もなくのようだが、到着は夜遅くになるらしい。
それだと仕事に間に合わないかもしれない。
今日の見張り仕事も、夕方からだった。
深夜からの予定だったが、他のチームの都合でひとつくりあがっている。
切符はいつまで使えるかと尋ねたら、明日でも明後日でもかまわないようだ。
それなら明日にしよう。
オレは、前哨基地に戻った。
基地に戻ると、井戸の周りは賑やかだった。
何十人なのかもわからない数のプレイヤーがたむろしている。
人口密度が急激に上がっていた。
周辺には、こんもりと物資が積まれた台車が10台近く並んでいる。
補充部隊だ。
それが到着したのだ。
その人ごみの中をウィリアムや、その側近が忙しそうに動き回っていた。
なにをしているんだろうか。
あの連中が来たことで、この基地はどうなるのか。
オレには、なにも分からない。
まぁいい。
そのうち分かるだろう。
それより仕事だ。
陽が落ち始めた頃、ティナやリュウジと顔を合わせ、見張りの任務についた。
「それじゃあ、今夜も始めるよ。夜は飲酒禁止だからね」
このメンバーで酒を呑みながら警備についてるヤツ。
それは、おまえだけだよティナ。
見張りの任務が始まる。
暇だ。退屈だ。
どこを向いても同じような景色。
しかも夜ともなれば、どこを向いても同じ暗闇。
いっそ、目の前の暗闇から、なにか出てこないかと願いたくなるくらいだ。
でもまぁ、こういう仕事は慣れている。
オレは、松明の炎が縦に伸びる回数を数えていた。
横揺れではない。縦にフワッと炎が持ち上がる瞬間の回数だ。
動きは気まぐれで、なかなか神経を使う。
面白くもなんともないが、それしか時間を潰せるものがない。
たまに飽きて振り返る。
いくつかの焚火の周囲は宴会のような騒ぎだった。
基地の人数が百人くらい増えている。
うるさいし、笑い声も下品だ。
それでも、これだけの人数だ。
ちょっとやそっとのウィルコープスが攻め込んできても、対処に問題はないだろう。
喧噪のイライラよりも、その安心感の方が強かった。
また視線を塀の外に戻し、すぐ手前の焚火を眺めた。
「ソウジさん?」
名前を呼ばれたので振り返る。
緑と白の落ち着いたトーンのローブを着た女性が立っていた。
見た目の年齢は二十歳前後だ。
髪はブロンドで、肩より少し長いくらいのストレートヘア。
フードを被っていて分かりにくいが、顔立ちは悪くない。
しかし……見覚えは、ないな。
「だれだ?」
「ミキちゃんのお友達です。忘れてるかもだけど、近所の花屋の店員」
「ああ……」
オレは、花屋にも店員にも興味がなかった。
まったく記憶にない。
「エレーナ。よろしくね」
エレーナと名乗った女性が、丸めた右手を伸ばす。
握手か。握手だよな。
外国人にとってはあたりまえのこと。
なのかもしれないが、日本人に対するちょっとした侵略行為だと思う。
少し戸惑ったが、未希の友達だと名乗った女性。
いかにも魔法が使えますな風体。
その手を払うわけにもいかない。
オレはその柔らかい指を軽く握り返し「未希の兄のソウジだ」とエレーナに告げた。
そのまま、会話が止まった。
どうすりゃいいんだ。オレには普通の会話はできない。
未希の伝言でも持ってきたのか。それともオレから聞いたほうがいいのか。
まさか世間話をしにきたのか。
それは無理だ。帰ってくれ。
このまま無視して、監視任務を続けさせてくれ。
ああ、めんどくせぇ……
炎の揺らぎを数えていたほうが何倍も楽だ。
しばらくじっとしていたが、エレーナは腰のポーチに手を伸ばし、そこから木片を取り出した。
「はいこれ。ミキちゃんから預かってきた」
エレーナがその木片をオレに差し出す。
「これは?」
触れる前に聞く。用心深いオレのクセだ。
「ローワンの枝で作ったブローチだってさ。ミキちゃんが言うには、スターチスのお花のつもりらしいけど、カップチョコの包み紙みたいだよね」
エレーナがクスクスと笑っている。
オレはその木片を受け取った。
手のひらサイズ。失敗した不恰好なチョコレートそのものに見える。
というかこれ、ブローチと言ったか。
木片でも、ブローチは作れるのか。
「もしかして、つけられないのかしら? つけてあげようか」
エレーナが、オレがつまんでいた木片のブローチを手に取った。
すこし膝を屈めて、オレの胸元に近寄る。
エレーナは、すでにオレの左胸に固定されていたブローチに視線を止めた。
「あらぁ、すてきなパンジーね。でもこれ……」
「うん?」
「ミキちゃんが悔しがるんじゃないかしら」
エレーナは、パンジーの隣に、未希が寄越した木片のブローチを付け始めた。
オレの胸元にエレーナの頭頂部。
といっても、フードを被っているので、香ってくるのは布地の匂い。
漂うのは、酸味のある獣臭だった。
それと仄かな、青紫のハーブの香り。
道草が好きそうな、旅人の匂いだ。
エレーナがスッと離れる。
オレの左胸のブローチが、ふたつになっていた。
「明日には、あっちに戻るけど、なにか伝言ある?」
「作り直せと伝えてくれ」
「ウッフフ、分かったわ。じゃね」
エレーナが、土手を下っていく。
下り終わると、一度振り返り、軽く右手を振った。
そして、遠くへ立ち去った。
左胸に残された、未希が作ったという木片のブローチ。
リュウタの首輪と同じ、ナナカマドの枝を削ったのか。
残念ながら、花には見えない。
顔を上げる。
すぐ手前で松明の炎が揺らいでいる。
ただの炎の揺らぎの先に、未希の顔に見えてくる気がした。
なんだか、気が抜けてしまった。
さっきまでは、暇すぎて、なにか出てこいとすら思っていた。
今はもう、なにも出てこないでくれと、願っていた。




