4.5.17
井戸を離れ、オレ達は焚火へ戻る。
方角も距離も判明した。
あとは旅に出るだけだ。
ストームが、鍋で水を煮沸しているミラーに話しかけた。
「ミラー、あの山までの距離なんだけど、わかる?」
「そうだなぁ。50キロも離れてねぇな。40キロくらいじゃねぇか」
「あの山を目指して、43キロ歩くんだけど、どのくらいの時間がかかると思う?」
ミラーが、山の方を眺めている。
「ふもとまで2日、そこから先で2日。まぁ4日ってとこじゃねぇか?」
「4日……食糧もギリだし、次の方角測定で、だいぶズレるかも」
未希の装備を点検しているソフィアが、手を止めずに言葉を挟む。
「ふもとで、方角を確認しましょう。むやみに山を登るのは危険だわ」
「んん。そうしよう。ねぇ、わたし登山とかよく知らないんだけど、ザイルとかアイゼンとか、必要なんじゃないの?」
ミラーが鼻で笑う。
「ザイルはともかく、アイゼンなんてこの世界にあるわけねぇだろ」
「……カイルはどう? 登山慣れてる?」
「慣れてるというか、行軍で山にも登るからな。本格的な専門知識は無いが、なにが危険か、くらいは知っているよ」
「なら大丈夫かな。登らないに越したことはないけど、わたし達は素人だからね」
「目的地にいるのは私の妻だ。なぜそんな場所にいるのかはわからないが、あんな山の頂上を目指すような女性じゃない。おそらくふもとか、その周辺だろう」
ミラーだけが、嬉しそうな口調で言った。
「心配すんな、俺も一緒にいくんだぜ。頂上に登って、この前哨基地を眺めようじゃねぇか」
「用も無いのに、頂上目指したりしないでよね」
「そうかぁ? 山はいいぞ……まぁ、たまに帰ってこねぇヤツもいるが、山で死ねるなら本望。家族も大喜びだ」
山ならいつ死んでもいいというミラーの言葉と、根拠の無い自信。
それのどこを当てにしたらいいんだ。
「ソフィア、スコットランド人て、みんなこうなのか」
「ミラーが変わり者なだけよ。ソウジも真に受けないで」
「みんな、準備できた?」
ストームが、全員に尋ねる。
「いいわよ」
「うん」
「いつでもいいぜ、嬢ちゃん」
「よろしく頼むよ」
オレは、黙って荷物を背負う。
中身は減ったが、まだ重い。
身長が縮みそうだ。
「じゃあ行こう。先頭はミラー。総司とカイルは、また最後尾で」
「了解。隊長」
「んん!」
オレ達は前哨基地を出た。
陽はまだ正午の少し手前。
最初に目指すのは山のふもと。
見渡すと、遠くまでゆるく起伏する平地が広がっている。
遥か彼方には、山のすそまで森が広がっている。
何キロという距離ではない。おそらく十数キロ先だ。
気がはやるのか、先頭を歩くミラーのペースが速い。
競歩の一歩手前だ。
「ミラー、速すぎ。もう少し遅くていいよ」
「チッ……早く行こうぜぇ。山が待ってるよ」
「じゃあ、ミラーだけ先に森まで行って、今夜のオカズ捕まえといて」
「おお、そりゃいい考えだ」
「ん、じゃあ総司が先頭」
「いいのか? 離れて行動して」
「しばらく平地だから大丈夫でしょ? 森の手前で焚火炊いてくれれば、場所もわかるし。なにより片道4日じゃ食糧もギリギリだから節約したい」
「カイル、どう思う」
「いいんじゃないか? 軍隊でも斥候を先に進めるのは普通だ。私たちが6人ではなく60人で、10人を先行させると思えばいい」
「ソフィアは?」
「ミラーなら、森でも山でも迷子になることはないでしょ。はぐれても地力で追跡してくるわよ」
「んん、じゃあミラー、ゴオ! 先に森にいって食糧の確保! 森の手前についたら焚火忘れないでね!」
「アイ、アイ、ラッシー!」
「んん? ラッシー?」
ミラーは、ストームにサッと敬礼をすると、背中を向けて駆け出していった。
霞んで見えるあの森まで、走り続けるのは無理だろう。
どこかでバテる。
「ククッ……了解しましたお嬢さんっていう、軍隊式のふざけたジョークだな」
カイルの説明は、おそらくミラーが残した不可解な言葉のことだろう。
「ああ、もしかして、アイアイ・サー? ウッフフ、おもしろい」
まぁ、とにかく。
先頭はオレ。カイルが最後尾。
隊列を組み替えて、普通の歩行ペースで山を目指した。
ミラーは、まもなく米粒の大きさになり、起伏に隠れて見えなくなった。
ソフィアが後ろで呟く。
「オッサンなのに、子供みたいね。よほど山が好きなのね」
「ミラーっていくつだっけ?」
「えーとたしか……36?」
「んん。でも、ミラーが参加してくれてよかった。さすがガイドって思う」
「あらぁ、それ本人がいるときに言ってあげなさいよ」
「それは、なんかやだ」
「そうよね、わかるわ。なんか人生に負けたみたいな気がするものね」
「そこまでは思ってない……と思う」
クーぅ、クーぅと鳴き声。
未希に抱っこされたままの胸元で、リュウタが顔を上げて、かすれた鳴き声を上げ始めた。
「なんだ? どうしたんだリュウタは?」
未希に聞いてもわからないだろうが、質問した。
「うふふ、遠吠え。ミラーを呼び戻そうとしてるのかな。リュウタはこの群れのキングだからね」
「なにか、危険を察知してるんじゃないのか?」
「えへへ、違うよ。実はね、さっき魔法使っちゃった」
「は?」
「いまはね、リュウタの感情も感覚もわかるよ。だから、さっきからリュウタとお話してるの」
「リュウタは何て?」
「ミラーに、勝手に群れから離れるなって。怒ってる。ふふっ」
「キングなのに、心細いのか……」
「リュウタには、怖いとか、寂しいとか、そういうのはまったく無いよ。リュウタ……というか、オオカミが持っているのは、不安、孤独、虚無感、諦めと受容」
それは……
それは、なんだか……
リュウタに視線を落としていた未希が顔をあげた。
「もしかして……近くにもそんなヒト……いるかも?」
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*アイゼン:登山靴に装着する金属製の爪
*ザイル:登山で身体を確保するためのロープ




