4.5.16
井戸に近づく。
ミラーは水の濾過作業をしていた。
オレ達に気が付いたミラーが、顔を向けた。
「なんだ、どうした。暗い顔ならべて」
「次の行き先は、山だ」
「山ぁ? どこの?」
「あれだ」
方角は、ほぼ北。
指差した先に見えるのは、谷川岳のような山脈。
「なんだよ、山が怖ぇのか?」
「いや……山だぞ?」
「ふむ。意味がわかんねぇ。俺は平地のほうが、よほど好きになれねぇ」
「んん? ミラーさん、山に詳しいの?」
ストームがオレの後ろから口を挟んだ。
「おいおい、俺はハイランダーだぜ? 山の住人、山の戦士だ。まぁ俺よりもハートリーの住んでるトコのほうが山奥だけどな」
もっと山奥の住人だと揶揄されたと思うが、そのハートリーが鼻高々にミラーの言葉に続いた。
「山は自由の故郷。歩き、戦い、そして眠る場所だ」
言い終わると、ハートリーが口笛を鳴らす。
聴いたことがあるメロディーだ。
この曲は、オレでも知ってる。
小学校で習うから、誰でも知っているし、横断歩道でも流れる曲。
確か……
……ゆうぞら晴れて秋風吹き。
……つきかげ落ちて鈴虫鳴く。
タイトルは、故郷の空。
ハートリーの伴奏に合わせて、オレの知らない歌詞で、ミラーが口ずさんだ。
「ジンナ バディ ミッタ バディ
カミン フラ ダ タゥン!
ジンナ バディ グリッタ バディ!
ニーダ バディ フラゥン?」
フレーズが終わると、ソフィアが横やりを入れた
「待ちなさい! 歌詞が全然ちがうわ! どうしてハイランダーはいつも野蛮なのよ。子守歌でしょこの歌?」
「あん? 俺達だって、この歌を毎晩子供に唄い聞かせてるぞ?」
ミラーが、右手をくぃくぃっと手招きして、ソフィアに唄えと促した。
ソフィアが口を開き、いつぞやに聴いた、美しい歌声で同じ歌を唄い始めた。
「ギィ~ンナバ~ディ~ミ~タバ~ディ~
カミン~スル~ザ『ラァィ』
ギンアバ~ディ~ 『キッス』ナバディ~
ニーダバ~ディ~クラァ~ィ」
未希とストームも、この歌を知っている。
ニコニコと笑顔を向けて、ゆらゆらとリズムを合わせながら、彼らの唄を聞いていた。
すると今度は、ソフィアが、唄いながら未希達を手招きした。
それに応えて、ストームは一歩引いたが、未希が唄に参加した。
未希だけ日本語で。
まるで小学校のお遊戯会のように。
「ゆ~うぞ~らは~れて~あき~かぜ~ふく~
つ~きか~げお~ちて~すず~むし~なく~
お~もえ~ばと~おし~こきょ~うの~そら~
あぁ~わが~ちち~はは~いか~にお~わす~」
未希は唄がヘタクソだった。
だが、唄の良し悪しも、言葉の違いもどうでもいいようだ。
国籍も言葉も違うのに、誰もが知っている歌。
その唄声が、異世界の埃臭い井戸の周りで、和やかな空気を生み続けていた。
ふと見渡すと、井戸の周りに、にわかな人だかりができていた。
故郷の空を唄う3人を遠目に眺め、一緒に口ずさんでいる者もいる。
歌が終わると、方々からの笑い声と拍手が向けられた。
未希は少し照れくさそうだ。
拍手の波がおさまると、群衆に向けて、ミラーが言った。
「言っとくがこの唄も、元々は俺たちハイランダーの唄だからなっ!
……まぁでも、好きに唄え。ダッハハ!」
群衆から笑い声があがる。
その笑い声の中心で、未希がとんでもないことを口走る。
「ねぇ、みんなで唄おう?」
「おう、アンコールか、じゃあみんな、知ってる歌詞で好きに唄え。おいハートリー!」
ハートリーが、再び口笛で伴奏を始めた。
イントロが過ぎると、井戸を中心に、大合唱が始まった。
それぞれの言語、歌詞がごちゃまぜで、唄としての体をなしていない。
同じなのは、音程だけ。それでも、妙な一体感。
いったいこの歌は、世界でどれだけ愛されているのか。
オレは隅っこでその光景を見ているだけだった。
とてもじゃないが、混ざれない。
と、思ったら、横にもう一人。
ストームだった。
「あの中には入れない……みきさんすごい。ひとりだけ日本語で唄ってる」
「ああ……ほんとだ、すごいな」
ひとしきり、唄い終わると、大喝采があがる。
あちこちから、口笛が吹きあがり「ブラボー」という言葉が聞こえてくる。
どういうわけか、所々で泣いてるヤツもいる。
その喝采の中で、ミラーが未希の顔を覗き込みながら、短く言葉をかけた。
「どうだ。まだ山が怖いか?」
「え? いまのって山の歌?」
「山で生活するハイランダーの山歌だ」
ソフィアが少し呆れた顔で口を挟む。
「ちがうわよ。ライ麦畑で唄う、ロマンチックな子守歌よ」
「えー、みきが知ってるのは、故郷を思う子守歌だよ?」
「……ったく、どいつもこいつも、好き勝手にアレンジしやがって」
論争を締めたのは、カイルだ。
「戻るところは、同じだ。家族を憂い、故郷を懐かしみ、生活を守る。その思いを、歌で子供たちに繋いでいく」
「難しい話は、俺にはわかんねぇよ」
「ウフフ。そうね」
「う~ん……でもやっぱり、みきは、山怖い」
ミラーの思いは、未希には全く伝わらなかったようだ。




