4.5.7 - そうだね?
回廊の扉はどこでも呼び出せる。
おやしろは、ベッドで寝るだけの場所だ。
わざわざ、あの建物まで戻る必要もない。
なので、そのまま酒場の裏の畑から、記憶の回廊へ渡った。
ここなら、次回、戻ったときはすぐに酒場だ。
メモリアのコイン袋を、ベルトに括り付けたままだが、別にいいだろう。
噴水広場へ戻ると、すっかり朝だった。
なんだか、まだ少し眠い。
動きの鈍い目蓋を、ギュッと閉じて、何度かまばたきを繰り返す。
未希の声がする。
見ると、噴水おじさんの屋台のところに未希がいた。
ストームや、ソフィアの姿は見えない。
近づいて声を掛けた。
「未希、おはよう」
「わっ、おにいちゃん。おはよ。早いね」
「なにしてるんだ?」
「朝のドイツ語レッスン。みきの日課だよ」
噴水おじさんがオレを見て言った。
「ヘェィ、マインユンガーフロイント。グーテンモルゲン」
「ぐーてんもるげん」だけは、知ってる。
おはようだよな?
「若い兄さん、おはようだって」
「……」
噴水おじさんが未希を向いて、しわくちゃな顔を歪めながら、言葉を続けた。
「フロイライン。デンヌ、リープスタァ?」
( Fräulein, dein Liebster? )
好々爺という言葉がピッタリの笑顔だ。
「あッはは」
その言葉を聞いて、未希が笑う。
オレには、言葉の意味は分からない。
「……ゲナウ?」
小さく吐息を吐くように、未希が答えた。
「おーう、っほほほ」
「何て言ってるんだ?」
「う~ん……優しそうな人だねって」
目が悪いのか、この爺さんは。
そのあとも、訳のわからないカタカナで、未希と爺さんが会話をしている。
何を言っているのか、分からない。
オレは、そのまま噴水のところまで歩き、ひざ丈の石造りの縁に腰を下ろした。
この爺さんが、カウント1から24まで、完全制覇のプレイヤーか。
しかも大罪人。にわかには信じられない。
背後からチロチロと、水が流れ落ちる音。
空を見上げると、陽は充分な高さまで昇り、辺りはすっかり昼間だった。
広場を行き交う人影も増えている。
どこへ行くのか知らないが、忙しそうに通り過ぎて行く。
「おにいちゃん、靴買いにいかない?」
顔を向けると、すぐそばに、未希が立っていた。
「靴? レッスンはもういいのか」
「うん。おにいちゃん、服、新しくしたんだ? 毛皮でモコモコのベスト? なんか盗賊みたい」
「ほっとけ」
「でもその靴、ボロボロだよ。それ靴底ついてないの? よくそんなので森とか歩けるね」
「オレのメモリアでは、これが普通だ」
「ふ~ん……あっ、そうだ。ちょっと待ってて」
未希が左手を叩いて、ログインデバイスを取り出した。
「ちょっと行ってくるね」
「ん? どこへ?」
ああ、メモリアか。
未希が虹色の光を放ち、噴水広場から消えた。
広場では、ときおり、虹色に輝きながらプレイヤーが現れて、何処かへと立ち去っていく。
エレメント・ノードとメモリアを行き来できるのは、噴水広場とセーフハウスだけ。
オレみたいに、セーフハウスを持たないプレイヤーは、噴水広場しか無い。
未希は、数分で戻った。
大きな籠を両手で抱え、中には、ごろごろと革靴が入っている。
「サイズが分からないから、いろいろ持ってきた」
「なんだ、買ってきたのか?」
「ちがうよ。おうちにあったやつ。たぶんママがパパのために作った靴だよ」
よく見ると、靴ではなく、サンダルや、草履も入っている。
「これなんかどうかな? ちょっと履いてみて」
くるぶしよりも長い、ブーツのような革靴だった。
薄く固い木の靴底もついている。
履いてみる。
少し窮屈だが、履けなくはない。
このくらいなら、そのうち慣れるだろう。
少し石畳を踏み込んでみる。
靴底があるだけで、だいぶ違う。
地面の温度は伝わらなくなったが、湧き上がるような安心感がある。
「どう? 履けそう?」
「ああ、とてもいい。お母さんは、器用だったんだな」
「うん……」
「大切なものだろう。オレが使っていいのか」
「もちろん。靴もママも、喜ぶよ」
「そうか」
「これは、みきが洗っておくね」
未希が、いままでオレが履いていた、革の靴下を籠に入れた。
焼け焦げたように黒ずんでいて、泥も、こびり付いている。
いや……だいぶ臭いんじゃないか。
「置いてくるね」
「……ああ、待ってるよ」
未希がまた、虹色に輝き、噴水広場から消えた。
どこからか、十代前後の若い男女の声がする。
見ると、国籍はわからないが、15~16歳くらい。
白人の男女が談笑しながら通り過ぎて行った。
未希やストームだけかと思ったが、他にもいるんだな。
あんな若いプレイヤーが。
もっと若いプレイヤーもいるのだろうか。
たとえば、子供とか。




