第80話 ケイラ・ヴァリアントのバケーション 上
――ようやく、物語が始まるんだわ。
私はそう思った。
*
私は、間違った方向に進んでしまったストーリーを正すべく、お母様を毒殺しようと計画を練り始めた。
だけど……毒を手に入れることがまず困難なのよ。
前世の記憶があるのだから買い物くらい簡単なはずだって考えていたけれど、この世界は前世と違う。
王都ならまだしも領内の田舎くさい町なんて、歩いたことすらない。
そもそも王都だって買い物はしたことがなくて、単に町を歩いただけ。貴族令嬢が行くようなカフェやアクセサリー店を、歩きながらガラス越しに眺めただけなのよ。
もちろん、侍女に毒を買ってきてもらうことなんてできない。
侍女はお母様に命じられて私についているだけだもの。私に対しての忠誠心など欠片も持ち合わせていない。
もしも侍女に『毒を買ってこい』と命令したら、たちまちお母様に知られてしまう。
どうやって手に入れればいいのか……と考えていたやさき。
「王都の人気店から取り寄せたお菓子よ、食べましょう」
と、お母様から誘われた。
私は、『王都の人気店のお菓子』という言葉に釣られて席に着いてしまった。
機嫌のいいお母様を見ながら内心で、そのうち毒殺されるとも知らずに呑気ね、と嗤う。
そして、王都の人気店とやらのその菓子に目をやり、ふと首をかしげた。
――こんなお菓子を売っている店はあったかしら?
私は、買い物はしたことないけれど町歩きは好きで、一人でよく歩いた。
華やかな王都。人気のケーキショップやカフェだって、入ったことはないけれど何度も見に行ったもの。
貴族科のクラスメイトがそこで買ったお菓子を持ってきているのを、横目に見たことだってある。
……でも、その包装も菓子も見たことがないわ。
「王都の人気店なんて嘘でしょ? 見たことがないわ」
私が眉根を寄せて言うと、お母様が固まった。
「あなたが見たことがないだけじゃないの? 手紙にそう書いてあったわよ」
「ふぅん……」
誰かから贈られたものなんだ。……お父様かもしれないわね。お父様は、女性に人気のお店に疎そうだもの。
『リリスが危険かもしれねーから、ちょっと行ってくる』
と、出ていってから帰ってこないお父様を思い出したら腹が立ってきた。
お父様にとってはリリスしかかわいくないのよね――私は、本当の娘じゃないから。
そして、それにこだわる私が嫌だった。
私は父の愛なんて欲してない!
物語をリセットしたらどうでもよくなるはず――。
そんなことを考えつつ、ノロノロとクッキーをつまんで、小さくかみ砕いた。
――とたん。
舌に刺すような味に、思わず吐き出した。
「ブッ! ……ナニコレ、まっず!」
憤ってお母様を見たら――目が点になった。
お母様が、血を吐いたのだ。
「キャアアアアアアア!」
自分が悲鳴を上げたこと知覚できないほど驚いた。
毒かもしれない――お母様が毒に倒れた、物語のとおりよ、でも私も食べた――。
急速に嘔吐感がこみあげ、その場に吐く。
「――奥様!? ケイラお嬢様!!」
誰かが飛び込んできて、お母様を抱き起こし、何かを飲ませている。
やめて。お母様を殺さないで。嘘よ。本当に死んでほしいなんて思ってない。たった一人だけの、血のつながっている母なのよ。やめて、殺さないで――。
涙で視界がにじむ中、私は必死に祈り、そして気絶した。
*
目を覚ましたとき、夢を見たのかと思った。
飛び起きたら、侍女長がそばにいる。
「お目覚めになりましたか! よかった……!」
涙ぐむ侍女長に混乱した。
「……え? どうしたの?」
「毒を口に含まれたんです。ケイラお嬢様はすぐ吐き出されたようなので症状は軽いはずだというお話でしたが、なかなか目を覚まされないので心配しておりました」
それを聞いた私は血が引いた。
――確かに物語をリセットしたいって思ったわ。
だけど、死んでリセットは嫌よ!
そう考えた後、侍女長の言葉で気づく。
「……お母様は? 私は吐き出したけど、お母様は――」
侍女長は私を安心させるように手を握った。
「大丈夫です。一命は取り留めております」
侍女長の言葉にホッとした。
……でも、もしお母様が亡くなったら、物語のとおりに進んだのかもしれない……。
どっちが正解かわからないまま侍女長に尋ねた。
「犯人は?」
侍女長はつらそうな顔をして首を横に振る。
「だって……アイツしか考えられないでしょ!? リリスの母親しか! 他の人には動機がないじゃない!」
私は叫んだけれど、侍女長はずっと首を横に振っていた。
「マリアにも動機がありません。いまさら奥様を毒殺してどうするんですか。それに、奥様が一命を取り留めたのは、リリスがマリアに贈った数々の浄化アイテムを使用したからですよ」
それを聞いた私は絶句した。
侍女長が説明を続ける。
「マリアは、当主様から『リリスが狙われている可能性があり、母親であるマリアも狙われる可能性があるから気をつけるように』と念を押して言われていたそうで、以来、常に聖水を持ち歩き、さらにリリスから贈られた浄化の石なども身につけていたそうですよ。ケイラお嬢様の悲鳴を聞き、一番先に部屋に飛び込んで奥様に聖水を飲ませました。ケイラお嬢様は気絶してしまったので聖水で口をすすぎ、浄化の石を握らせました」
……石?
侍女長が、握っていた私の手のひらを優しく開かせると、そこにはキラキラと光る透明な石があった。
これが……浄化の石。
「これ……私はもう大丈夫だから、お母様に渡して」
と私が言うと、侍女長が微笑む。
「大丈夫ですよ。リリスは山ほどマリアに贈ったそうですから、奥様にも握らせています」
…………そうなの。
あの子……まるで物語の聖女じゃないの。
それは、私の役だったはずなのに……。
暗く俯いたら、侍女長が言った。
「ケイラお嬢様。奥様は必ずよくなります。マリアとリリスのことは……責任は旦那様にありますので、あの二人を恨まないでやってください。リリスの言うとおり、奥様がいるというのにまだ小娘だったマリアに手を出した、旦那様の女癖の悪さが原因なんですから」
ケイラが顔を上げた。
……確かにそうよ。でも、そうじゃない。
だってこの世界は物語なんだもの。
お父様も悪いけど、あの二人も悪役にならなくちゃいけないの。




