〜新たな出会い ナイフを足に刺した男と【Kanade教信者の間】〜
心音はまた夜の街を徘徊していた。
ただ以前とは違い、身なりは須藤が好んでいた少し落ち着いた女性の様な服装になっていた。
そして須藤の忘れ形見となってしまったギターを大事そうに抱えて夜の街を歩いていた。
しばらく歩いていた心音は、ふと遠くで男女の揉める声を聞いた。
心音はその声が聞こえる方に向かって歩いた。
その声が聞こえた方向にいたのは、包丁を手に持った女性だった。
そしてその女性は、男性に向かって叫んでいた。
そしてその二人の周りを、警察官が何人も取り囲んでいた。
「私……死んでやるから……!」
「は……早まるのはよせ!」
「君! その包丁をこっちに渡しなさい! 危ないから!」
そんなやりとりを三者はずっと繰り返していた。
心音はその様子が見るに堪えれなくなり、深く深呼吸をついた後で、ちょっと明るめの曲を軽く歌った。
すると、その場にいた人は、一人また一人と次々にその場に眠り出した。
そして、警官も今そこで揉めていた男女も揃って仲良く眠り出した。
「せめて夢の中では仲良くね」
「そして起きたら冷静になって二人でよく話しあってね」
心音は小声でそれだけ言って、その場を去ろうとした。
そんな心音の耳に、どこからかとても弱々しい声が聞こえてきた。
「はぁ……はぁ……やっと……見つけました……あなた……Kanade様ですよね?」
心音がその声のする方を見ると、周りの皆んなが眠る中で、足にナイフを突き刺している男が足を引きずりながら立っていた。
その異様な姿に心音は少し怖くなり、歌を歌おうとした。
「ま……待って下さい……話しを聞いて……下さい……」
「あなたじゃないと……ダメなんです……お願い……します……」
その目の前の男は、泣きながら心音に懇願してきた。
その姿を見て、心音はその男にゆっくりと近付いて話し掛けた。
「……なにか事情があるんですね……」
「それも私じゃないとダメなことが……」
「……は……はい……あり……ます……」
「私と……一緒に……来て……下さい……」
それだけ言うとその男は気を失った。
その男は手にメモを持っていた。
そのメモを男から取って心音は中身を見た。
そこには妙なアドレスと、とある場所の住所が書かれていた。
心音は救急車を呼ぶと、その住所に向かって歩いた。
そこはボロボロのアパートだった。
そして、その書かれた紙の通りの部屋番号を見つけた。
その部屋にはインターホンが無かったので、心音はドアを叩いた。
「すいません……誰かいませんか?」
心音がドアからそう呼びかけても誰も出て来る様子が無かった。
心音はドアノブに手を回した。
すると鍵が掛かってなかったらしく、ドアが開いた。
心音は恐る恐るドアを開けてその部屋に入った。
その部屋はおそらく六畳のワンルームぐらいの大きさで、驚く程物が何も無かった。
そして、奥の方にパソコンだけが電気が入った状態で置いてあった。
心音は恐る恐るそのパソコンの画面を覗き込んだ。
その画面には、【Kanade教信者の間】と書かれたサイトが立ち上げられていた。
そしてそのサイトのアドレスこそが、先程メモに書いてあったアドレスだった。
その書き込みサイトを見ていた心音は、あることに気づいた。
このサイトの書き込みには、ほとんど全て同じ内容が書き込まれていた。
【苦しまずに死にたい】
【眠りながら死ねたらどれだけ楽だろう】
心音は、このサイトが自殺志願者のサイトだということに気付いた。
そして同時にこれだけ多くの人が、自分の歌を必要としているということに気付き、喜びに震えた。
(これだ! これなら悪いことではないし、何より思いっきり歌うことが出来る!)
そう思っていた心音は、ドア付近に足音が近づいて来てることに気付いた。
心音はその人物に向けて歌を歌おうとしたが、その足音が歪な音であることに気づき、歌うのを止めた。
心音が思った通り、そこにいたのはさっき足をナイフで刺していた、男だった。
そしてこの部屋こそ、その男の住居だったのだ。
「やはりここでしたか……」
その男は、足に包帯を巻いた状態で松葉杖を突いて、家まで戻って来ていた。
「そのサイトを見て頂いたということはもう全てお分かりだと思います」
その言葉を言った後でその男は、松葉杖を落としてゆっくりと痛みを我慢しながら、土下座の態勢を取った。
「Kanade様……私を……いえこの世界に住む多くの自殺志願者の神になって下さい……」
「このサイトに書き込んでいる人の多くが、もうこの世で生きることに疲れて今すぐにでも死にたいと思っている人達です……」
「でも死ぬことは苦痛を伴う行為です……だから死にたいと思っていても中々実行する勇気が出ません」
「でも……Kanade様はその真実を捻じ曲げて、我々に安眠をもたらすことの出来る唯一の存在です……」
「どうか……どうか我々に安眠をもたらせて下さい……お願いします……」
その男は、そう心音に懇願した。
心音は困惑しながら、でもその目の前の光景に耐えれずに答えた。
「あ……頭を上げて下さい……それと立って下さい……わかりましたから」
そして、その男に肩を貸して上体を起こさせた。
「あ……ありがとう……ございます……」
その男は、泣きながら何度も心音に向かって感謝を述べた。
「それで……具体的に私は何をすればいいの?」
そう心音がその男に問い掛けると、男はパソコンを弄りながら心音に言った。
「練炭自殺ってご存知ですか?」
「まー知ってはいるけど……まさか……!?」
「そのまさかです……」
そう言うと、その男はプランを心音に話し出した。
そのプランはこうだった。
まず、煉炭自殺をするメンバーを招集して車に集める。
そして、練炭をセットした後で意識のある内に心音に合図を出す。
心音はその合図の通りにその近くまで行き、しばらくの間歌を歌い続ける。
そして全員が眠ったのを確認したらそれで終わり。
というものだった。
「時間にして約四、五時間眠らせて頂くだけで大丈夫です。よろしくお願い致します」
そう言ってその男は頭を深く下げた。
心音はそのプランを聞いた後で、少し難しい顔をしてその男に言った。
「少し……時間を下さい……」
「⦅この世界で生きる意味⦆は、ちょっと今回の目的の歌としては合わないと思いました」
「……だから今回の目的に相応しい歌をこれから作ろうと思います」
「いいですか?」
「もちろん! Kanade様は我々の神です。我々は貴方の決定全てに従います」
「……あ……ありがとう……それじゃーその場所を探さないと……」
「その心配はございません」
「このアパートを使って下さい」
「このアパートは私以外誰も住んでいません」
「そして周りにも特に家もありません」
「Kanade様といつか会えると信じて、その時の為に、こういう所を探して、私が契約しました」
「ここであれば警察もそう簡単には気づきません」
「一通りの家具も家電も布団もあります」
「その他、連絡してもらえたら何でも用意します」
「ここをKanade様の拠点にして頂いて構いません」
心音は少しその態度に疑問を感じて、その男に尋ねた。
「……なんで……そこまで……?」
「死にたいのはわかるけど……それだけではここまでの用意は出来ないと思います」
「何があったか話してもらえませんか?」
「……実は……私は一度貴方の歌声に救われたことがあるんです……」
「私には愛していた人がいたんですが……」
「ある日突然、別れを切り出されまして……」
「もう何もかも忘れて死にたいって思っていた時に、偶然ネットに上がっていたKanade様の歌声を聞いたんです」
「そして私は気付いたら眠っていました」
「でも、起きたら何か不思議と気分が楽になってたんです」
「その時感じたんです。これが本当の神の力だって」
「そこまで気持ちが戻ったのに……何でまた死にたいって思ってるんですか?」
「……実はこの話には先がありまして……」
「その女が実は有名な美人局でして……」
「最初から私を騙すつもりで近付いて来ていたんです」
「目的は私のお金でした」
「そうとは知らずに、私はその女性に入れ込んでしまいました」
「そんなある日、急に彼女に言われたんです」
「『別れて欲しい』って」
「私が理由を聞くとその彼女は、『元彼からヨリを戻したいって言われた』と言いました」
「私が元彼と話したいと言うと彼女は、『これから元彼に会いに行くけど来る?』と言いました」
「私は、彼女と一緒に元彼に会いに行きました」
「その元彼は元ヤクザでした」
「私は彼女の目の前で、その元ヤクザに何発も殴られました」
「その私を見ながら、彼女は笑ってました」
「そしてその彼氏は、もう彼女に会わない約束をさせるのとは別に、慰謝料として私に一千万を要求して来ました」
「そして払えなければ生命保険を掛けて殺すと」
「……今その彼氏から私は逃げ回っている状況です……」
「実はここは、不動産関係で働いている友人に事情を話して教えてもらって、丸ごと買い占めた私の隠れ家なんです」
心音はその男の話を聞いた後で、少し怖い顔をした。
そして、徐に立ち上がると、どこかに電話を掛け始めた。
「……うん……そう……元ヤクザらしいから……」
「ちょっとそいつの場所調べて……」
「……うん……ありがとう……元気だから……それじゃお願いね……」
心音は電話の相手にそう伝えた後、電話を切った。
「わかりました。つまり貴方はその男から逃げているということですね」
「……それではそっちの方はこっちで何とかしておきます」
「だから貴方は心置きなく別の部屋でのんびり過ごしていて下さい」
「曲が出来るまで数日かかるかもしれませんが、その間の貴方の無事は私が約束します」
「それではまた数日後に会いましょう」
男は心音の言葉に頷くと、すぐに部屋を出て部屋のドアを閉めた。
心音は、その部屋で一人曲作りに取り掛かった……。




