↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末まであと6時間。私は娘を保育園に迎えに行き、スーパーを買い占め、自衛官の夫が守る街へ家族四人で辿り着いた  作者: 空の異変


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/11

第四話 水が止まる——終末から4日目

4日目の朝、お義母さんが蛇口をひねっても、水は出なかった。


「出ないね。」


お義母さんは、もう一度ひねって、さらにもう一度ひねった。蛇口の先から、しずくが一つ落ちただけだった。


私は納戸から、簡易トイレの箱を出してくる。


「お義母さん、トイレはこれ。使ったら袋を縛って、このバケツに。」


「バケツは、バルコニーの端ね。ひまりの手が届かないところ。」


二人で袋の束を数えて、洗面所の棚に並べた。お風呂の残り湯は、手を洗う分と、体を拭く分に分ける。


「史郎くん、今日からお風呂は、タオル一枚よ。」


「了解。……髪、洗えないのか。」


「洗えない。」


昼前から、風に乗って、甘ったるいような匂いが上がってくるようになった。


マスクの箱を開けて、一人に一枚ずつ配った。ひまりの分は、耳のゴムを結んで短くする。


「史郎、窓は北側の小さいのだけ開けて。」


「北ね。」


夕飯の前、お義母さんがビタミンの瓶を振って、茶碗の横に一粒ずつ置いていった。


「史郎くんも。ちゃんと飲んで。」


「これ、ちょっと甘いやつだ。」


史郎は、ひまりと同時に口に放りこんだ。


    *


5日目、スマホのアンテナが一本になったり、消えたりした。


夜になると、画面の隅に「圏外」とだけ出て、それきり変わらなくなった。


お義母さんが、自分のスマホを両手で包むように持っている。


「沙月ちゃん。あの子には、もうつながらないの?」


「今は、つながらない。」


送信済みのメッセージが二通、私の画面に残っている。どちらにも、既読はついていない。


「そう。……じゃあ、充電は、もったいないね。」


お義母さんは、電源を切ったスマホを、エプロンのポケットにしまった。


    *


6日目の昼、川向こうの道路に、車の列が見えた。


緑色の車と、白い車。拡声器の声が、風に切れ切れに混じって届く。


列は橋の手前で止まった。そこへ、黒い人の波が、川沿いの道からも、裏通りからも押し寄せていく。


腹に響く音が、二度した。


煙が薄くなると、橋の真ん中がなくなっていた。車の列は、来た道を引き返していく。


ひまりを抱いて、バルコニーに出た。煙は、夕方になっても、細く空に伸びている。


「ママ。」


ひまりが、煙の方を指さした。


「パパが来たの?」


「うん。」


あの煙の向こうに玄がいたのかどうか、私は知らない。


ひまりは指をさしたまま、ずっと煙を見ていた。手すりを握るもう片方の手に、力が入っていた。


    *


7日目、ガスが止まった。


コンロのつまみを回しても、カチカチと鳴るだけで、火はつかない。


「和子さん、これ。」


史郎が納戸から、カセットボンベの箱を抱えてきた。卓上コンロを調理台に据えて、一本目をはめこむ。


「ありがと。お米は、今日からお鍋で炊こうね。」


その日の朝は、車の音で目が覚めた。


カーテンの隙間から見下ろすと、黒い乗用車が一台、通りを走ってくる。道に立つ影を押しのけるようにして、スーパーの前で止まった。


男の人が一人、店の中へ駆けこんでいく。


出てきた時、その腕には、粉ミルクの缶が四つ。


「……赤ちゃんの、だね。」


後ろで、お義母さんの声。


足の速い人だった。車まで、あと少しだった。


まわりから集まってきた影が、男の人を囲んだ。


影が散ったあと、アスファルトの上には、缶だけが残っている。


一つが日なたまで転がって、止まった。その側面に、血がついていた。


向かいの棟のあちこちで、カーテンの閉まる音。


「……前の時の俺、早めにゾンビになっといて、正解だったかもな。」


「今度は、そうはさせない。」


「厳しいな、姉ちゃん。」


史郎は笑いかけて、やめた。それから、ボンベの残りを数えに納戸へ行った。


「24本。一日一本なら、24日。」


「半分にする。」


夕方、どこかでプロペラの細い音がした。


小さなドローンが一台、棟の間を回っていた。ぐるりと一周して、同じ敷地の、別の棟の陰に降りていく。


「……近いな。」


「カーテン、閉めて。」


    *


10日目は、朝から土砂降りだった。


家じゅうの鍋とバケツと洗面器を、バルコニーに並べる。


私はガーゼの袋を開けた。花壇の小石を詰めた容器に、何重にも張っていく。


「それ、飲めるの?」


「飲まない。洗い物と、畑の分。」


濾過器を通った水が、下のバケツに細く落ちていった。


育苗トレーの白菜は、3センチほどの葉を広げていた。トレーの隅には、雨の届かない乾いた土が、少しだけ残っている。


昼過ぎに雨が上がると、空気から腐った匂いが薄れた。


「マスク、取っていいよ。」


四人で、同時にマスクを外した。お義母さんが、深く息を吸って、吐く。


ひまりが私の袖を引いて、手すりの根元を指さした。


小さな蝸牛が、濡れたタイルをのぼっている。お義母さんがしゃがんで、ひまりと並んだ。


「おうち、背負ってるねえ。」


カセットコンロで湯の沸く音が、雨上がりのバルコニーまで聞こえてきた。


    *


日が傾いたころ、またドローンの音がした。


今度は、機体の下に小さなスピーカーがぶら下がっている。


「どなたか、食べ物を分けてください。新品のブランドのバッグと、交換します。」


若い女の声だった。


どこかの窓が開いて、男の声が返った。


「外車と替えてやる。鍵ごと渡す。」


別の窓から、もっとかすれた声。


「このマンションの部屋を一つ、まるごとやる。米一袋でいい、米一袋で。」


誰も、答えなかった。


ドローンが戻っていってしばらくすると、下の方から、扉を叩き壊す音が聞こえはじめた。


一つ止むと、別の階で始まる。音は少しずつ、上へ上がってきた。


私はスコップを持って、玄関の内側に立った。


史郎がハンマーを持って、横に来る。お義母さんは、ひまりを和室に連れていった。


非常階段の防火扉が、外から押された。植木鉢が、床をこする音。


「開かねえな。」


「この階、誰かいる。」


男の声が二つ。扉一枚向こうで、息を切らしている。


「この前、煮物の匂いがした。」


もう一人が、扉を蹴った。


「あの日、女が何度も荷物を運んでた。最上階の部屋だ。」


スコップの柄が、手のひらの汗で滑った。


「女二人と子ども一人。男はいない。」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。