↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末まであと6時間。私は娘を保育園に迎えに行き、スーパーを買い占め、自衛官の夫が守る街へ家族四人で辿り着いた  作者: 空の異変


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

3/11

第三話 バルコニーの畑——終末から2日目

2日目の朝、史郎がスマホで動画配信を流していた。


画面の中で、目の下に隈を作った男が、震える声で原稿を読んでいる。


「都市部の地上救助は断念し、空からの投下だけを散発的に続ける方針だそうです。……以上です。」


「音、小さくして。」


「あ、ごめん。」


10時ごろ、ヘリが何機か、低く飛んできた。乾いた音を立てて地上を撃ち、弾が尽きたのか、高度を上げて、それきり戻ってこなかった。


「行っちゃった。」


史郎の声は、もう驚いていなかった。


ヘリの音が遠ざかると、下の通りのうなり声が、また耳に戻ってきた。


ルーフバルコニーに、育苗トレーを並べる。


この部屋を買う時、28階の最上階を選んだのは私だった。日当たりと、風のために。


花を少しずつ増やして、玄が帰ってくるたびに一鉢ずつ見せるつもりでいた。


「史郎、そこのプランターの土、全部使って。」


史郎がスコップで、プランターの土をトレーに移す。私は、大根と白菜の種を、ひと穴に二粒ずつ落としていった。


白菜の種は、ひまりの爪の先よりも小さい。指先でつまむと、湿った土の上で見えなくなった。


「姉ちゃん、これ、いつ食える?」


「白菜の若い葉なら、ひと月くらい。」


「微妙に長いな。」


「大根は、もっとかかる。」


「……卒論より長いじゃん。」


お義母さんがじょうろを持ってきて、ひまりにも小さいのを持たせた。トレーの隅に、こぼれた土が少し残っていた。


ひまりは水をやり終えると、手すりの隙間から下をのぞいている。


「どうして帰らないの?」


私は、しゃがんでひまりの頭に手を置いた。


「重い病気なの。だから、お家に帰れない。」


「ああいう人を見たら、すぐに隠れて。近くに行ったら、ひまりもお家に帰れなくなるから。」


ひまりは、じょうろを両手で抱えたまま、こくんとうなずいた。


トレーの土に、水の染みた跡が黒く広がっていく。


    *


夜、実家から映像通話がかかってきた。


「車を直したら、母さん乗せて、そっちに行く。」


父の後ろで、母が小さく首を振っている。


「来ないで。お父さんたちの近くにも、安全な場所ができるから、そこで待ってて。」


「なんで、お前にそんなことが分かる。」


「前に一度、この日を見てきたから。」


画面の外から、母が米袋の口を広げて見せた。


「納屋に、1年分はあるからね。こっちの心配はいらないよ。」


父は、しばらく画面の外を見ていた。


「玄くんから、何か聞いたんだな。」


「違う。」


「婿が漏らしたんだろう。自衛隊なら、前から何か知ってたんだ。」


それ以上は、言っても届かなかった。


「……分かった、動かん。足もこれだしな。」


画面が消えてから、史郎がぼそっと言った。


「父さん、信じてないね。」


「うん。でも、動かないって言った。」


    *


3日目の朝、停電した。


冷蔵庫が黙り、Wi-Fiのランプが消える。エレベーターも止まった。


管理人室の非常用発電機が、水のポンプだけをもう一日動かしてくれた。蛇口をひねると、まだ水が出る。


私はスマホのデータ通信で、玄にもう一通、メッセージを打った。


「ここで1年待つ。迎えが来なければ、東の安全区域へ向かう。お義母さんも、ひまりも、史郎も一緒。」


送信の印がついた。既読は、つかない。


画面の隅の電池は、6割を切っていた。


「それ、届くの?」


史郎が、私の手元をのぞきこんだ。


「届かなくても、残る。」


「残って、どうすんの。」


「いつか、この画面ごと見せる。」


史郎は、それ以上は聞かなかった。モバイルバッテリーの残量を一つずつ確かめて、充電の順番を紙に書いた。


その夜からは、懐中電灯を一本だけ天井に向けて点けることにした。白い輪の下で、四人並んで乾麺をすする。


    *


昼、夜番の続きでうたた寝をして、目が覚めたのは15時過ぎだった。


リビングでは、ひまりがクレヨンで絵を描いている。


台所から、醤油と砂糖の匂いが流れてきた。


お義母さんが、ガスの火にかけた鍋をのぞいていた。肉とじゃがいもが、くつくつ煮えている。


台所の窓が、少し開いていた。


私は台所に駆けこんで、火を止めた。


「あら、まだ味が染みてないのに。」


「こんなに匂いのするもの、作らないで。外まで届くから。」


窓を閉めて、鍵をかけた。


「でも、冷蔵庫が止まったでしょう。お肉は、今日食べないと傷むのよ。」


「今は、まだ平気。でも、もう少ししたら、みんなお腹を空かせる。」


前の時、匂いをたどって扉を叩きに来た人たちがいた。扉の向こうの声を、私はまだ覚えている。


コンロのつまみから、手が離れない。指が、つまみの上で小さく震えていた。


お義母さんが、割烹着の袖で手を拭きながら、こちらへ来る。


乾いた、温かい手が、私の頬に触れた。


「沙月ちゃん、どれだけ苦労したの。」


答えられなかった。お義母さんの手のひらに、頬をあずけたまま立っていた。


割烹着から、出汁と洗剤の混ざった匂い。


「……分かった。明日からは、匂わないものにするね。」


ひまりが、クレヨンを持ったまま、台所の入口からこちらを見ている。


「ご飯、もう少しあとでね。」


鍋は、冷めるまで蓋をしておいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。