↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
終末まであと6時間。私は娘を保育園に迎えに行き、スーパーを買い占め、自衛官の夫が守る街へ家族四人で辿り着いた  作者: 空の異変


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

2/11

第二話 15時00分——終末から1日目

ひまりは、和室の布団で寝息を立てている。絵本を二冊読んで、ようやく閉じた目だった。


和室のカーテンを引き、リビングのカーテンも引いた。窓の前の、手のひら一枚ぶんだけを残して。


お義母さんは、廊下まであふれた箱の間にしゃがんで、缶詰を種類ごとに分けている。


「これ、1年かかっても食べきれないよ。」


足りない。これでは、まだ足りない。


発電機も、雨水をためる仕組みも、6時間では手が回らなかった。


「お金、ずいぶん使ったでしょう。」


「うん。」


史郎はソファの肘掛けに座って、ハンマーの値札を爪ではがしていた。


「姉ちゃん、そろそろ説明してくれてもよくない?」


「あと1分。」


    *


カーテンの隙間に、顔を寄せた。


15時。終末は、1分も1秒も遅れずに来た。


最初は、下の広場から上がった悲鳴だった。


自転車の人が、自転車ごと横に倒れる。駆け寄った人が、その上にかがみこむ。


同じ形の騒ぎが、通りのあちこちで起きはじめる。


「……何、あれ。」


振り向くと、史郎が真後ろに立っていた。


走る人と、それを追う人。追う方の足取りだけが、どこか違っている。


エントランスの前で、あの若い警備員さんがスマホを耳に当てていた。その姿が、人の塊に呑まれて見えなくなる。


広場に倒れていた人たちが、首を傾けたまま立ち上がった。


お義母さんが私の肩越しに下を見て、そのまま床に崩れた。


「お義母さん。」


史郎と二人で、ソファまで運んだ。


史郎は、窓と私と、廊下の箱の山を順番に見た。


「……これのためか。」


「うん。」


お義母さんが目を開けたのは、5分ほどしてからだった。


「沙月ちゃん、今の、何?」


私は、二人の前に座った。


「私、この日を一度生きたの。2年生きて、死んで、今朝の9時に戻ってきた。」


「だから、15時に何が始まるか、知ってた。」


「前の時、お義母さんも史郎もひまりも、最初の何日かでいなくなった。」


ひまりが変わっていくのを、私はスマホの画面の向こうで見た。


お義母さんは口を押さえて、しばらく声を出さずに泣いた。


「あの子は……玄は。」


「前の時、あの人とは、1年たってから会えた。」


お義母さんは、私の手を両手で握ったまま、何度もうなずいた。


    *


史郎がテレビをつけた。


「――自宅から出ないでください。窓と扉を施錠し、行政からの指示を待ってください。」


アナウンサーの声の後ろを、誰かが走り抜けた。


遠くでサイレンが鳴り、乾いた音が二つ、三つ続いた。


「今の、銃?」


「警察。」


実家に、映像通話をかけた。母の顔が、画面いっぱいに映る。


「沙月、史郎も一緒なの? 外、出てないでしょうね。」


「出てない。お母さんたちも、絶対に出ないで。」


画面の端に、父が足を引きずって入ってきた。


「史郎、お前は男だ。姉ちゃんとひまりと、向こうのお母さんを守れ。」


史郎は、ホームセンターの袋から出したままのハンマーを握り直した。


「……分かってる。」


和室で、ひまりが泣き出した。


抱き上げると、胸に顔を押しつけてくる。外の音から、耳を隠す場所を探すみたいに。


「大丈夫。ママ、ここにいる。」


お義母さんが立ち上がって、カーテンを端まで引き直した。


「この子には、見せないで。」


    *


30分ほどして、廊下に足音がした。


引きずるような、一人分の足音。それが、隣の部屋の前で止まる。


「開けてくれ。俺だ、開けてくれ。」


隣の旦那さんの声だった。


私は台所の横に立てかけておいたスコップを取り、玄関の覗き穴に目を当てた。


旦那さんのシャツの袖が、肩から裂けている。むき出しの腕に、深い傷がいくつも走っていた。


その向こうに、非常階段の防火扉が見える。塗装が、ところどころ剥がれていた。


あの傷なら、もうすぐ変わる。


「開けないで!」


玄関越しに叫んだ。間に合わなかった。


隣の鍵が回る音、扉の開く音。それから、隣の奥さんの悲鳴。


悲鳴は、長くは続かなかった。代わりに、何かを噛む音が、壁の向こうから聞こえはじめた。


史郎が、私の後ろで息を詰めている。顔から、血の気が引いていた。


「史郎、ここにいて。私が出たら、鍵をかけて。」


「姉ちゃん。」


袖をつかまれた。細い腕だった。


「すぐ戻る。」


隣の扉は、半分開いたままだった。


玄関のたたきに、スーパーの袋が転がっている。長ねぎが一本、床に飛び出していた。


旦那さんが、こちらに顔を上げる。目には、もう色がなかった。


立ち上がりかけたところへ、スコップを二度、振り下ろした。柄から、重い手応えが掌に返ってくる。


奥の床で、奥さんの指が動きはじめている。同じことを、もう一度した。


廊下に出て、隣の扉を閉める。非常階段の防火扉も閉めて、史郎と二人で、廊下の植木鉢と自転車を押し当てた。


史郎は、何も言わずに自転車のハンドルを押さえていた。


    *


部屋に戻っても、史郎はソファに座ったまま動かなかった。


膝の上に、ハンマーを置いている。


日が暮れると、街のあちこちで火の手が上がった。サイレンの音は、夜の8時を過ぎたころに途切れた。


団地の窓の灯りは、半分ほど残っている。どこかの階で、誰かが長いこと泣いていた。


私は浴槽に水を張って、鍋とやかんとペットボトルを、蛇口の下に順番に並べた。


スマホとモバイルバッテリーを、全部コンセントにつなぐ。


玄からの返信は、ない。既読もつかなかった。


「お義母さん、ひまりと先に寝て。」


「沙月ちゃんは?」


「史郎と、交代で起きてる。」


和室の襖が閉まると、リビングには冷蔵庫の音だけが残った。


史郎がハンマーを床に置いた。


「俺が先に起きてる。姉ちゃん、少し寝なよ。」


「2時に替わる。」


史郎は、玄関の覗き穴の前に椅子を一つ運んでいった。それから、私の方を振り返った。


「さっきの……。姉ちゃん、慣れてた。」


「うん。」


「俺の知ってる姉ちゃん、ゴキブリ一匹で俺を電話で呼びつけてたよな。」


「呼んでた。」


「義兄さんの出張中は、電球も俺が替えに来てたし。」


私はコップに水を汲んで、史郎の前に置いた。


「怖がらなくていい。史郎には、何もしないから。」


史郎は首を振った。コップには、手を伸ばさなかった。


「姉ちゃんが怖いんじゃない。どんな目に遭ってきたのか、想像がつかなくて。」


「悪い夢を見てただけ。」


弟は、朝まで靴を脱がなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。