8章【庇護の領域(ガーディアン)】Ⅲ
昨夜も一緒に料理をした。
火のコントロールもすごく上手になって、本当は器用な子なんじゃないかとその成長に頬が緩む。
彼の居座る神殿の核となる場所、聖堂への道中で思い出したように眉を確かめる。
「……それにしても…。」
少し慣れ始めている自分が悲しい。
ふとした時に視界から、嗅覚から、殴りかかるように襲ってくるおびただしい死体。
まともな人間であれば正気じゃいられないだろうなぁ。
濁った目に自分が映る。
どの人も憎悪に満ちた目をして息絶えていた。
「………。」
ほんの少し息が苦しくなる。
怖くないわけがない。
「……決めた。」
そう呟いて私は足早で、マオくんの元へ走った。
「おはようございます、マオくん!」
扉を開けながら声を張り上げる。
マオくんはものすごく不機嫌そうにゆっくりと上体を起こした。
私は先ほどから頭の中にあった考えのまま口から零した。
「先生、ずっとこの環境には不満を持っていたんですが。
その理由がですね、この状態のままのご遺体を放置すべきではないと言うことです。
何故かと言うと、腐敗の進行によって周辺環境の衛生状態が著しく悪化するためです。
体液や血液は時間経過とともに腐敗が進み臭気の発生、更には害虫や雑菌の発生源と……」
そこでピタリと止まる。
またやってしまった、違う違う。倫理や説明も大切だが、まずは入り口を相手に合わせてあげないといけない。
そうでなければ、彼は二度寝を決めてしまう。
「コホン。
ええと…
貴方にもわかりやすく説明するとね。
このままだとこれ以上に匂いが強くなるし、虫も湧いてくるわ。
寝る時も起きた時も、ずっとこの匂いの中。
どこを歩いても、この匂いよ。」
踏み出しながらそう告げる。
「虫は勝手に増えるから、いずれあなたの羽毛にも住みつくかもしれない。
死体に少しでも触れると、その匂いがその部位にずっと残るわ。
その中で生活していたら心や、考える力が弱くなる人だっている。
あなたはここでずっと生きていくつもりなら…
そんなのって、楽しくないんじゃないかしら。」
そう微笑みかけた刹那、不意に
腕を掴まれた。
ぎょっとする間もなく、私は彼に持ち上げられる。
「ちょ、」
足が浮く。
何をするのと声を上げる前にマオくんの距離が詰まる。
「…………。」
マオくんは1度私を見上げた後、そのままわずかに顔を寄せた。
「……はァ……」
小さく息がかかる。
「………。」
一瞬の沈黙の後、
少しだけ納得したように目を細めた。
「ヘェ
確かにな。
生きてる人間てこんな匂いしてんのか。」
もう一度、軽く息を吸う。
「別に臭くねェんだな。」
「………っ、」
私を少しだけ言葉を詰まらせてから、やっと絞り出した声で、
「……あのね、
最近、お風呂に入れてないから……
そういうのは、あまりしないで欲しいのだけれど、っ」
その発言に眉を寄せられた。
「…………マオくん?」
「?」
キョトン、とした顔。
「…………オフロ?」
その反応に私は頭を抱えた。
「……ええと、
その話は…また今度にしましょう。」
今日の授業も、前途多難のようです。
「で、これいつまで続けんだよ。」
土を裂く音が続く中。彼は口を開いた。
「ご遺体が全部入るまでよ。」
「……キリがねェじゃねーかよ、オイ!!!」
「…………あのねぇ、…」
1日1人、多くて数人。
それよりも前にここの村人も大量に殺したと自慢げに笑っていた時は、私もめまいを覚えたものだ。
大きなシャベルのようなもので土を掘り返しながらどう説明すればいいかと悩む。
「確かに死体は不愉快だけどよ。
なんでこんな面倒臭ェ捨て方選ぶんだよ。」
「捨て……っ!?」
聞き捨てならない言葉に思わず声が上擦る。
「?」
マオくんはよく分からんと首を傾げた。
「違うのか。
穴掘ってそこにまとめて捨てるんだろ。」
「捨てる、とは違うわ。」
間髪入れずに返す。
再度私は頭を抱えて眉を寄せた。
マオくんは首を傾けて私の言葉の続きを待った。
「……人ってね、
死んだら終わりだと思うんだけど、
私はただ、形が変わるだけだと思う。」
ふと、淀んだ雰囲気の神殿を振り返る。
「あそこにあるのはもう動かない身体だけど、
それで全部がなくなったわけじゃないと思うの。」
「………はァ?」
「んふふ……
その人が何を考えていたとか、
どんなふうに生きていたかって
案外、残るものだから。」
きっとそうであったら嬉しい、と言葉を探して
「誰かが覚えていたり、真似したり、
そういう形で少しずつ
心とか、信念とか?」
顔を上げるとマオくんは無言で私を見ていた。
「そういうのって簡単には消えないのよ?
えへへ、私はね。
そういうところが大好きなの。人間のそういうところが。」
笑いかける私にも彼は無言で何を考えているかよくわからなかった。
それでも私は続ける。
「あぁ、どうして埋めるかって話だったわよね。
それは……多分ね、」
シャベルに足をかけて土にめり込ませる。
「見えたままだと、人間は弱いから
先に進めなくなってしまうの。
……執着?って言うのかしら。
まだ続いている。この人たちはまだここに存在しているって感じるの。
本当はもう触れられない存在なのにね。」
小さく息を吐きながら作業を続ける。
「だから"触れられる方"は手放さないといけないの。
そうしないと先に進めないから。
だから日常から切り離して一度区切りをつけるの。」
「なおさら手放す意味がわかんねェ。
進めなくてもそこにいる方がいいんじゃねェのか。
人間は群れるの好きだろ。
好きなヤツが死んでも近くにいたほうが嬉しいんじゃねェの。」
難しい話なのに、自分なりに噛み砕いて質問してきたことに正直びっくりして手を止めた。
その後で困ったように眉を下げる。
「うーん、そうだね。
"居た方が嬉しい"それは確かにそうだよ。
でもね、
……帰ってこないのにずっとそこにあると
どうしても期待してしまうものなの。
まだ何かあるんじゃないか、この人とまた話したり、普通に日常が帰ってくるんじゃないかって。」
1拍を置いてまた口を開く。
「でもそれは絶対に起こり得ないことだから。
だから、そのままにしておくと嬉しいより、しんどい方が大きくなるのよ。」
肩を含めると夜に私の話に興味があるのか静かに聞いているマオくんに近寄る。
「だから形のほうは手放すの。
残されたものだけで、ちゃんとやっていけるようにね。」
無言。
無言。
珍しく考え事か?なんて思っていた矢先。
「……全然わかんねー。」
あんまりにもシンプルな言葉にきょとんとした後で
「ふふふ……っ、」
私は思わず吹き出した。
「そうだよね、まぁ普通は死んだ後の事なんて考えないわ。」
汗で服が張り付く頃に休憩しようか、なんて声をかけながら。
もしもの時、この子はちゃんと私のことも埋めてくれるのかしら。
………放置はやめて欲しいわね。
そんなことを思いながら、お弁当に作ったおにぎりをマオくんに渡しながら、久々の青空の下でご飯を食べた。
3日目。
今日も朝から早起きして、一緒に料理をして、授業をする。
それからいつもと同じ表情で、私は彼に告げた。
「ーーーはい。今日はここまで。」
「………おい。」
「ん?」
「今日で終わりだろ。」
「ええ、そうね。
………先生との授業は面白かったかしら?」
その問いに、マオくんは目を丸くした。
「は?」
その顔に私は首を傾げる。
「つまらないままなら、ここで終わり。
そうじゃないなら、………そういう話だったわよね。」
あっさりとした声で再確認する。
マオくんは表情の読めない顔をしていた。
「………まだ分からないなら今すぐじゃなくてもいいの。」
早切り出すとマオくんは意外そうに眉を動かした。
時折する、彼の迷子の子供のような表情に、つい私の口数が多くなる。
「正解って、こっちを選んだほうがいい、みたいなものはあるかもしれない。
でもね、貴方が興味を持って行動したいと思う理由は
貴方にしか見つけられないの。
だから自分で見つけなさい。
だから自分で考えなさい。
だから………自分で決めなさい。
そうやって出した答えを、私は大事にしたいの」
だんだんとマオくんの顔が険しくなる。
きちんと考えてくれているようだった。
「私はいくらでも待つわ。
私だって命をかけるくらい真剣なんだから。」
きっと私は彼の選択から逃げない。
そうであるなら、彼も私から逃げないで欲しいのだ。
…………こうやって考えてくれている時点でとても成長したんだけれど。
そう思うと私は既に満足しているのだ。
「…………チッ。」
しばらく黙った後で、マオくんは舌打ちをしてから扉を蹴り開けてどこかへ行ってしまった。
私はその背中を見送りながら、迷い悩むのも彼が成長しているからよね。なんて頷いていた。
ただ、
…………晩御飯の時間、どうしよう。
私1人じゃ火を起こせないし……
能天気にそんなことを考えた後、
私も夕焼けを見に散歩に出かけようかな、なんて思った。
まだ違うこびりつく壁、だけど確かにきれいになった廊下。
もしも明日も授業をするなら、お掃除にしようかな。
そんなことを考えながら暗く、肌寒い廊下を歩く。
ペタペタ。
軽い、小さな足音が離れたところから聞こえた。
そちらに目をやると回廊にエリオくんがいて、こちらへ向かって来ているのが分かる。
一応毎日、ご飯を持って様子を見に来ていたのだろう。
「ああ、丁度いいところに。」
私が言った言葉は低い音と重なった。
いや、
今の声は、私ではなかった。
「考えてわかんねぇなら、
確かめるために………殺してみりゃいんじゃねェか。」
その声は、好奇心に満ちていた。
仮説を立てて実験をするなんて、成長したわ。
……なんて言ってる場合ではなかった。
すぐ近くで声が聞こえたのだ。
私はその瞬間、走った。
ガリ、ガリ、と爪が床に当たる音が聞こえる。
「……ッ、エリさん………っ!!」
その声にエリオはふりむいた。
私の方を見てしまった。
マオくんの方ではなく。
「【庇護の領域】!!!!!」
少し遠かった。
膜が薄い。
だが、彼とマオくんの間にシールドは出現した。
次の瞬間、
見えない衝撃が身体を叩いた。
「ーーーーーーーーーッ、ぁ……!」
息が詰まる。
遅れて、鈍い痛みが胸を走った。
その瞬間、
ふっと視界が遠のく。
ーーーーーーーー
「…………先生、入院のギリギリまで教団に立つつもりですかな。」
「ええ。
………お医者さんも言っておられました。
あまり激しい運動などしないで、安静にしていれば大丈夫だろうと!
なので………お願いです、校長先生。」
「………分かりました。
では、来月からのクラスの引き継ぎですが、」
「ええ、ご迷惑をおかけします。
短い期間となりますが、最後まで責任を持って生徒たちと関わっていくつもりです。」
ーーーーー
「………っ、」
意識が引き戻される。
胸の奥が焼けるように痛い。
崩れそうになる身体を、どうにか踏みとどまらせる。
「おい、
………邪魔すんなよ。」
頭上から軽い声が降ってきた。
見上げると、マオくんが笑っている。
まるで何でもないことのように。
「……………、」
言葉を返そうとして、
咳がこみ上げる。
「………ごほっ、げほっ……!」
止まらない。
痛みにうまく呼吸ができない。
喉に何かが擦り上がる。
「ーーーーーっ」
口元を抑える。
赤い。
視線が、少し揺れる。
「……おい。」
さっきまでの声の軽さがほんの少しだけ消えた気がした。
気づけば、
彼がすぐ目の前にいた。
覗き込むように、顔を近づけていた。
「………マ、マオくん……、」
咳の合間に名前を呼ぶ。
「…………答え、ちゃんとだしてね……。」
息が浅い。
それでも、続ける。
「私、待ってるからね。」
………とさ、
目の前の彼に倒れ込む。
思ったよりもその黒い羽根はひんやりと冷たくて、
私は目を閉じた。
もう指1本動かせない。
「ーーーーーーーーーは、?」
【庇護の領域】




