6章【庇護の領域(ガーディアン)】Ⅰ
「では、来月からの引き継ぎですが……」
「……ええ、ご迷惑をおかけします。
短い期間となりますが、最後まで責任を持って生徒たちと関わっていくつもりです。」
校長室の窓の外では春の風に煽られた桜の花びらが、淡く空を舞っていた。
柔らかい夕陽の光が書類の端を橙色に染める。
机の上には、引き継ぎ用にまとめられた分厚いファイル。
来月からの担当クラス
部活の顧問交代。
保護者への連絡事項。
本当にこの学校を離れないといけないんだ。
「……あと、半年。」
誰にも聞こえないほど小さく漏れた声は、自分自身に言い聞かせるようだった。
もっと見ていたかったなぁ。
あの子たちの卒業まで。
新入生が少しずつ学校に馴染んでいく姿も
くだらないことで職員室に呼び出して説教しながら、……最後には少し笑い合う、そんな何気ない日々も。
校長先生と少し談笑をしてから、名残惜しげに頭を下げた。
それでも教師である以上、最後まで責任は果たしたい。
その想いだけでここまで立ってきたのだから。
窓の外から吹き込む春風が髪を微かに揺らす。
季節は何事もなかったかのように前へ進んでいく。
ーーー自分だけを置いていくように。
小さく息を吐いて私は席を立った。
「さて、…………」
校長室を辞した私は、深く息を吐いて、廊下へ出ようとドアノブに手をかけた。
だが、
扉の向こうに広がっていたのは、見慣れた校舎の廊下ではなかった。
「……ん?
あー、今度は女か。
しかもしょっぼいなァ、胸もねェ。」
「………は、」
一瞬何を言われたか理解が追いつかなかった。
そしてこめかみがピクリと引きつる。
私はゆっくりとメガネを押し上げ、冷え切った視線をその……男?に向けた。
「あなた。」
声がひどく低くなる。
「初対面の女性に対して、その発言。
まずは礼儀から教え直す必要があるようね。」
面食らった顔をしてから目の前の男の顔が歪む。
その男は、カラスのように喉を潰しながら笑った。
「レイギ?んだソレ。
ギャハッ、なんだ?何怒ってんだ?本当のこと言っただけじゃねーか!」
悪びれない態度。
人が傷つくこと自体を面白がっている反応。
……私は初等部は専門外なんだけれど、と息を吐く。
その後で相手をきちんと見据えた。
「……礼儀と言うのはね。
相手を思いやるための最低限のルールよ。
自分が言われて嫌なことを平然と相手にぶつけない。
初対面の相手を見た目で侮辱しない。
相手にも感情があると理解する。
そういう、人として当たり前のことを言うの。」
説明が飛んでくると思ってなかったのか、目を開いて私を見た。
その後で首をひねり、そのヒトは私に告げる。
「なんで俺様が人間なんぞのことを気にしないとならねェ?
そもそも俺様は人間じゃねーぞ。合わせる道理がねェ。」
純粋な疑問。
その目が私を見ていた。
私は顎に手を当てると少し考えた。
「……なるほど。」
頭の中で言葉を咀嚼した後。
もう一度私は相手を見上げて。
「つまり、貴方は“自分と違うものの、痛みは考えなくていい”と言っているのね。」
言葉を脳内で組み立てる。
そして私は口を開く。
「……貴方にわかるように言うと、
今、貴方が言った言葉。
もし自分が似たような言葉を言われたら腹が立つでしょう?
礼儀と言うのはね、難しいことじゃないの。
自分がされて嫌なことを、相手にしない。
ただそれだけ。」
少しだけ口元を上げる。
「人間の子供の方がよっぽどお利口さんよ?
あの子たちは、ここまで言わなくても分かるもの。
“人間なんぞ“と言うくらいなら、このくらい理解して見せなさい。
このままだと“人間なんぞ“に負けてしまうわよ。」
男はしばしぽかんと口を開けたまま固まっていた。
「……は?」
頭上に「?」でも浮かんでいそうな顔で私を見返す。
分かったような、分からないような。
けれど、何故か言い返せない。
そんな微妙な沈黙が落ちる。
私は小さく頷き、満足そうに眼鏡を押し上げた。
「質問はないかしら。
それじゃあーーー、」
そこでふと私は周囲を見渡した。
薄暗いながらもきらびやかな装飾。
見覚えのない石壁。
揺らめく燭台の炎。
そして、床に広がるーーー、赤い染み。
「………………えっ。」
足元に転がっていたのは、砕けた剣。
そのすぐ先には鎧を身につけたまま動かない人影や、形を変えた赤黒い肉の塊。
新しい血の匂いを残したもの。
渇ききって色を失った古いもの。
時間の違う死体が、片付けられることもなく無造作に転がされていた。
「…………。」
私の顔から血の気が引く。
「…待って
ここ、何処……!?!?」
「いや遅ェよ。」
男が素でツッコんだ。
私はゆっくりと男へ視線を戻す。
「そして、貴方人間じゃないって何……!?」
「だから遅ェって!!」
そうしてひとしきり私がパニックを起こした後、
“魔王”はザックリと。
それはもうザックリと現状を説明してくれた。
「あ゛ー。
………ここは神殿。
んで、それが魔法陣。
お前みたいなヤツを勇者って呼んでるみたいだぜ。
俺みてェなのが俺を倒すために召喚される。
で、倒せなきゃああなる。」
このくらいザックリした説明。
そしてダルそうに死体を指差した。
あんまりにも日常的なことのように言うから頭がズキズキと痛んだ。
「……つまり、
貴方は人を殺しているのね。」
新しいもの、古いもの。
嗅いだことない血の匂いに眉を寄せる。
「どうして人を殺すの。
それは貴方にとって必要なことなの?
それとも……楽しいから?」
私の問いに魔王は口の端を釣り上げた。
「ギャハッ。
そりゃ楽しいからに決まってんだろ。
泣いて、叫んで、命乞いしてよォ。
そんで最後は絶望して死ぬ。……大体はな。
それが、最高なんだよなァ……。」
ニタニタと、いやらしい笑みを向けてくる。
彼は隠すことなく、私の命を狙っている。
ここには女の人や子供の死体も転がっていた。きっと彼は道徳なんて関係なく私を殺すだろう。
ーーーその快楽のために。
この男は、“楽しいから”人を殺すのだ。
「………そう。
確かに今の貴方は、紛うことなく倒されなければならない存在のようね。」
私が勇者だとするなら、間違いなくソレを選択しないといけないだろう。
「でも、
残念だわ。
人をいたぶって殺すことよりも、楽しいことなんて沢山あるのに。
それを知らないまま戦わないといけないなんて。」
そう告げると魔王の瞳は揺れた。
興味がそちらへ移る。
幼い子供と同じ瞳だ。
「ねぇ、貴方。
そんなことよりももっと楽しいことがあるって言ったら?」
少しだけ口元を上げる。
「知らないなんて、損だと思わない?」
言葉を選べ。
追い詰めるように畳みかけても、この手の子には反発されるだけだ。
私は毎日子供たちと向き合っているのだ。
興味を引き出せれば、後は相手が自分で答えを探し始める。
教師に必要なのは、言葉よりも待つことなのだ。
「……は?
何が損だってんだ。」
……食いついた。
子供も大人も、こういう好奇心に弱い。
興味を持ってくれた時点で、“先生”のペースに持っていけるのだ。
後は正面から否定しない。
自分から知りたいと思わせればいい。
「きっとそれ以外の楽しさだって、知っておいたほうがいいわ。
その方が、人生は少し楽しくなるもの。」
そう言葉を続けていると、
いつの間にか魔王は鼻先の距離にいた。
「で?
知りてェって言ったらどうすんだよ。」
その瞬間、私と魔王の間に光の壁が弾けてすぐに消えた。
バチッと火花のような音。
それに魔王が1歩下がる。
「……チッ」
正直、私は心臓が飛び出しそうだったが。
なるべく平静を装って言葉を吐き出した。
「………ま、まずは、適切な距離感から学びましょうか。」
「キョリカンってなんだよ。」
「………………説明するわね。」
そうして彼と話していて分かった事は、意外と会話ができると言うこと。
ただ、興味のない話はほぼ全く耳にしないこと。
とてつもなく飽きやすい性格だと言うこと。
「ところで先程のバリアのようなものは何かしら。」
説明が終わったタイミングで彼に話しかける。
すると彼はダルそうにしてから1度こちらを見て首を傾げた。
「知らねェよ。
勇者は大体なんか変な技使ってくるぜ。
……まァ俺様の方が強いんだけどな!
ギャハハハハハッ!!」
「そう。」
胸がじんわりとあったかくなる。
頭の中に言葉が勝手に浮かぶ。
これが何かはまだわからない。
「一度、試してみましょう。」
目を閉じて、意識を集中させる。
そしてその言葉を口から零した。
「ーーーー【庇護の領域】」
次の瞬間、淡い光が私の周囲に広がる。
空気が震え、透明な膜のようなものが形を持つ。
指先で触れると、硬質な手応えが返ってきた。
「……なるほど。」
シールドのようなものか。
そう考えている矢先、すぐそばで影を感じた。
「ヘェ、
面白ェじゃねェか。」
魔王の拳が振り抜かれる。
バキッ。
鈍い音と同時に、光の膜が軋みズキリと痛みが走って膜は壊れた。
「………っ、」
「完全無敵ってワケじゃねェな。」
ズキズキ痛む頭部。
外傷はないものの痛覚には訴えてくるらしい。
「衝撃は完全に消えない。
でも致命症は防げるみたいね。」
とても興味深い。
異世界とやら、そして言葉の通じる魔王とやら。
だんだんと私も楽しくなってくる。
周囲に死体さえなければ。
「そんでいつなんだよ。」
「?」
「だからァ、
教えるってお前が言ったんだろ。
人を殺すよりも楽しいことってやつ。」
きょとん。
私は目を丸くして首を傾げた。
「あぁ、そのこと。
………そんなすぐに楽しいことが起こるわけないじゃない。」
「は?」
「こういうのは時間をかけて理解するものよ。」
「は!?!?」
魔王の声が神殿に響いた。
「お前、俺様に"待て"ってのか!?」
「そうよ。」
即答。
「〜〜〜〜〜〜ッ!!!
やめる!!!!!」
「そう。」
あっさり頷いて目を合わせる。
「やめてしまうの、残念ね。」
「あァ!?」
「じゃあ先生だけ楽しいことしますね。」
「………………、…………。」
呆然。
その後で怒りにブルブルと震えて羽毛の隙間から覗い頬に青筋が浮かぶ。
「………ふざけてんのかァ?」
「別に。」
そんな魔王に私は肩を竦めてわざとらしく眉を下げた。
「強制はしないわ。
貴方が辞めるなら私は一人でやるだけよ。」
無言。
フリーズに近い、何かを頭の中で考えているような。
難しそうに顔を歪める彼。
そしてたっぷりと時間を使って魔王は静寂を打ち切った。
「………………チッ。」
舌打ちをして顔を背けられる。
数秒。
数十秒。
やけに長い沈黙の後で、魔王は口を開いた。
「………3日だ。」
ぽつりと落ちた声。
「3日だけ付き合ってやる。
その間に俺が面白ェと1度も思わなかったら
お前、殺す。」
私は少しだけ目を細めた。
「いいわ。
3日もくれるなんて優しいのね。」
「気に食わねェ女だな。」
「よく言われるわ。」
バチバチと火花が散る。
なんだか素敵ね、この役職に着いたなら不良と熱血教師って1度は夢に見るじゃない。
「じゃあ、今日はここまで。」
軽く手を叩いて踵を返す。
「今日、貴方は"約束"を学びました。
それでは、続きはまた明日ね。」
「は?」
魔王は顔を顰める。
「……は?それで終わりかよ」
「授業は区切りが大事なの。
ダラダラやっても身につかないわ。」
さてと、と息を吐いて周囲を見渡す。
「それで、
先生はどこで寝たらいいかしら。」
「は?」
「もしかして近くに宿屋とかあるの?」
「ねェよそんなもん!」
「そう…
ここは神殿、なのよね?
普通一部屋くらい仮眠が取れる場所とかないの?」
「あ?
…………あー、あるんじゃね。知らね。」
「そう!ありがとう。案内してね!」
「………なんだってんだよお前……???」
「え?」
未知の世界で未知の生き物に未知のモノを見る目されている。
化物でも理解できないと困るんだなぁと
他人事のように思う。
こうやって見ると思春期の男の子のようで。
それから少し会話を挟むと魔王はすぐに観念したように息を吐いた。
「……チッ、
こっちだ。着いて来い。」
舌打ちをして背を向けた。
カツカツ、爪が床に当たる音。
本当にこの男は人間ではないんだなと感じながら後ろを歩く。
そうしてしばらく歩いているととある部屋の前で魔王が足を止めた。
手をかけて押すと重たい部屋が軋んで開く。
中はーーー。
多少荒れているものの、寝るには充分な空間だった。
……床にいくつか乾いたシミがあるのを除けば。
「……
血濡れの部屋はちょっと……。」
「まだ文句言うのかよ、お前
だいたい、もう乾いてんだろうが!」
「そういう問題じゃないのよ……。」
少し頭を抱えたがまぁしょうがない。
こんな口を叩いているものの彼なりに配慮してマシな部屋を選んだのだろう。
多分、きっとそうなのだ。
「……まぁ、ありがとう。
じゃあ、この部屋使わせてもらうわね。
おやすみ、マオくん。また明日ね。」
「マッ……
はァ!?誰がっ………!!!」
ぱたん。
扉を閉めた。
廊下で何か怒鳴っていたが私は扉へ手をかざす。
「【庇護の領域】」
淡い光が広がり、扉に纏わせる。
「……なんだよソレ。」
あまりに不服そうな声が扉の外から聞こえる。
「保険よ。」
「信用ねェんだな???!」
「当然でしょう。
あなたが寝首を掻かない保証がないもの。」
窓の外はもうすっかり暗くなっていた。
私は迷いなく横になる。
「おやすみなさい。」
廊下で若干苛立った気配を感じたがすぐに爪の音が聞こえた。
どんどんとそれが遠くなっていく。
それを聞きながらゆっくりと目を閉じた。
3日……。
ちょうどいいくらいの日にちだな、なんて考えながら。




