10章【継承(インヘリット)】Ⅱ
ゴツゴツの硬い感触。
だけど少し暖かくて、石鹸のような甘い香りがした。
「あ、起きた?」
うっすらと目を開けると、三日月のようににんまりと口の端を上げて笑う男が俺の顔を覗き込んでいた。
「………誰……?」
額がヒリヒリと痛い。
どこかで見たことあるような、ないような?
「酷いなぁ、多分俺のことを呼んだのは君だろ?」
「…………!
アンタが勇、………っ痛……!」
どうやら膝枕をされていたらしい。
思わず飛び起きるように勢い良く上体を起こすと、頭の痛みに眉を寄せてへこたれる。
「そ、俺が君たちの言う勇者ってやつかな。
よろしく〜♪︎
そうそう、名前くらい名乗っとこうかな?
俺ね、松本 拓也。仲良くしてね。」
「…………、……っ、」
「分かってる分かってるって、
俺に魔王を倒して欲しいとか、そういう系で呼んだんでしょ?」
「………………、?!」
「まぁ、魔王は幸いこの辺にいないみたいだし……
とりあえず君のこと教えてくんないかな、エリオちゃん?」
「………、
な、
なんなんだお前………、」
「あはははは〜よく言われるよソレ〜」
その勇者の口調はあまりにも軽くて、
どことなく空気のつかめない、少し変わったヤツだと思った。
「君のこと教えてなんて言われてもピンとこないよね〜?
じゃあ俺から話そっか。
継成高校の2年、ピチピチの17歳。
今日は放課後好きな子とクレープ食べてぇ、帰ってる最中にこの世界に来た感じかな?
そんで、呼ばれてから君が寝てたし…魔王とやらもいないし……?
だから、君が起きる。少し前まで俺も軽くうたた寝してたところ〜
………ど?少しは俺の事わかった?」
世間話のような口調で俺に話を続けるその男。
ちらりと神殿につながる扉を見ても、破られた気配は無い。
まだしばらくは安全なのかもしれないな、と視線をタクヤに戻した。
「俺の名前は………
あれ、なんで俺の名前知ってんだ?」
「………んー?他の人は知らないの?」
「え……あ…俺が話したことある人は、知らなかった。かな、
ごめん、俺もあんまり話したことなくて…?」
そういえば、と思い返す。
勇者とだけじゃない。ここ最近まともに人と会話できてない。
村のみんなも会話ができる状態じゃない。
「……まぁ、ここだってこんなに血まみれだし…
会話なんてする余裕なかっただろうしね。」
うつむく俺の頭上から優しい音が降ってくる。
その後で、大きな手が頭に置かれた。
どれもあまりに優しくて涙がこぼれた。
「……しょうが、ない。
だって、……みんなも必死なんだ。」
「うん。」
「必死の中でも、……もう少し、我慢すれば、また優しくて、……みんなが、笑える日が帰ってくるはず、だから……。」
「うん。」
あれ、俺何が言いたかったんだっけ。
こんな話するつもりじゃなかった。
目が熱くて、涙で前が見えない。
鼻が詰まって、口でしか呼吸できないのに、嗚咽が邪魔してうまくしゃべれない。
「ちが、ちがうね……、
ごめんね?
えと、タクヤ兄ちゃん……、は……俺のこと、知りたいんだっけ。」
無理矢理呼吸を整えて笑おうとする。
いきなり変なことを言ったら、きっとタクヤ兄ちゃんもびっくりさせてしまう。
そう思って顔を上げた。
「いいよ、聞きたかったからさ。
エリオちゃんは何で俺の事を呼んだわけ?」
その言葉にズキンと心臓が軋んだ。
呼吸も忘れてタクヤ兄ちゃんの目を見たまま固まる。
「…………あ、」
そうだ、呼んだのは自分で。
でも今の俺は、悩んでいる。
魔王を殺して欲しいのか?
魔王に死んで欲しいのか?
まだ俺はそんなことを望んでいるのか?
俺の目の前で、俺を助けて2人も死んだ。
それに、なんだ。
魔王は、彼は、
人のように傷つく心があるんじゃないか。
俺たちが、この世界の人間が、もっとうまく、彼と話ができたら。
「…………エリオちゃん?」
「…………、あ、お、れ……俺、
どうしたらいいか、分かんねェ…………」
俺のやることが全部間違いなんじゃないかって、
考えるのが急に怖くて、怖くて仕方なくなった。
「誰も、死んで欲しくない、」
もう既に何千と人が死んでいるのに?
「誰も、傷ついて欲しくない…、」
この場所は、神のための場ですらこんなに穢されているのに?
「………それなのに、どんなに頑張っても、
いつも、どうにもならないことだらけなんだ……………………」
口から零れる。
言っても仕方のないことだと、一生懸命飲み込んだ言葉たちだ。
「………………そうなの?」
タクヤ兄ちゃんの声が優しく次の言葉を促す。
初めて会った人に言ってもしょうがないことだ。
でも一応口から出たらもう溢れて止まらなかった。
はじめての勇者を呼ぶ際、村の偉い人や男の人のほとんどが神殿にいたこと。
その日に神殿は魔王に襲撃されたこと。
戦える大人はその日にほとんど殺されてしまったこと。
村の人は弱い魔力の人間ばかりであること。
襲撃の時に家族を亡くして孤児になった自分が弟と妹を守り抜くために、せめて何か役に立とうと魔王の給仕係に名乗りを上げたこと。
一緒に辛い思いをした住人のみんなだから、
1番辛い時を共有した仲間だから、
みんなが笑えるように、
みんながまた笑って暮らせるように
……頑張ったつもりだったよ。
父も、母も、兄も、いなくなったこの世界で、
強く見えるように、
余計なことを言わないように、
目をつけられないように、
ずっと押し込めてきた。
もう辛いのは嫌だったし、泣いている人も見たくなかった。
だから、俺のやることは決まってる。
魔王を倒す。
あの残虐な、残酷な、人の心なんてない魔王を、倒さないといけない。
でも、でも俺、
…………、もう、どうしたらいいか、
わかんねーよ。
あいつは敵で、父も母も兄も殺したんだ。
頭の中をぐるぐる嫌な感情が巡る。
俺は俺のできることを何でもやったつもりだった。
脳裏に先生を失って抱きしめていた魔王の姿が、ほんの少しチラつく。
吐きたくなるほどの重たい胸の不快感に目が回る。
頑張った?出来ることをした?
俺は命をかけたわけでもないのに。
冷や汗が出る。
自分は生き延びて、誰かを犠牲にしているだけだ。
俺は最低なヤツなんだ。
良い奴にも悪い奴にもなれない。
そんな俺が、勇者を呼んでしまった。
兄さんたちがいない世界に、俺が生き残ってしまった。
おれは、おれは何を求めて勇者を呼んだんだよ——。
「エーリオちゃん。」
「……………………っ!」
頬を持ち上げられる。
目の前には優しい蜂蜜色の瞳があった。
「さすがにそーだよね。
ごめんね、気ぃ使えなくて。
マジで反省ー…。」
口調とは裏腹に眉を下げて謝られる。
まだ頭の中をぐるぐると不快感が走り回る。
呼吸が上手くできない。
その不安に心臓がバクバクと暴れていた。
「こんな小さい子が、勇者を求めるなんてさ、
そりゃ助けて欲しくて呼んだに決まってんじゃんね。
うんうん、いいよねー。
うん、素敵だ。
頼られるってなんだか久しぶりでくすぐったくなっちゃうわぁ」
ぽん、ぽん。
大きな手が肩を叩く。
ゆったりとした話し方が少しづつ胸のざわつきを抑えてくれた。
「そうね。
とりあえず君が頑張り屋さんなことは分かったよ。
家族が亡くなって、
村の人が絶望してる所を近くで見ていて。
それでも毎日気丈に振舞って。
…………君がその生活を耐えれたのは
"魔王が居なくなったら平和になるから"
そう思ってたわけだろ?
でも君は魔王にいなくなって欲しい気持ち、
それが薄くなっている気がするんだ。
…………どうしてそこで迷ってしまったのかな。」
「……っ、どうしてって言われても、」
突然のその質問に目を丸くした。
今そんなことで悩んでるわけじゃないのになんでって。
そんな俺の考えを予想していたようにタクヤ兄ちゃんは笑った。
「急に難問を解こうとするからできないの。
まずは基礎。簡単なところから理解することが大切!
……なんつって。ウチの学校の先生の受け売り〜」
へらへらと笑顔でそんなことを言われる。
……その口調に覚えがあった気がしたって気のせいだろうか。
「…………魔王に死んで欲しくない、とは言わないけど、
確かにそこで迷っているのかもしれないな。」
「迷うって事は別の道が見えたってことだね。」
「…………うん、そう。
早くここからいなくなって欲しかった。
それだけ。
…………まぁ、それだけじゃないくらい、汚い感情はあったけど。
あいつに望む事はそれだけだった。」
「うんうん、そっか。」
「……でも、
初めて魔王が自分の意思で勇者を殺そうとしなかったんだ。
死んでしまったけれど……
そのことに対して、
とても、悲しそうにしていた。
…………似ていたんだよ、家族が死んで、毎日鏡に写っていた自分の顔と、魔王の顔が。
あれも、感情があって、大事だと思える心があって、
…………初めて大事なものができて、今、それを悲しんでいる。
俺は、
俺達は、……心ある、人間とわかり合えるものに、
今まで人間と違うからと決めつけて非道な行いをしてきたんじゃないか、そして俺たちが魔王にされたように
また、あれから奪おうとしてるんじゃないかって……。」
だから、俺の足は今止まってしまった。
今までの俺たちの行動は悪いものだった。
でも、このまま魔王を放っておくこともできない。
「それならさ。」
「………………っ!」
距離の近い彼、タクヤ兄ちゃんが俺の手を引いた。
思わず彼の顔を見上げる。
「どっちも正しいと思ってるから動けなくなるんじゃない?」
「…………へ、?」
彼は笑みを絶やさずに続ける。
「魔王から何かを奪わないと平和は戻ってこない。
でも、空っぽな彼から奪うことを間違いだと思ってる。
そんなのどっちも間違いじゃないから詰んじゃうのはしょうがないじゃんね。」
そうなのかな。
だが、なぜだか。
すとん、と胸がすいた気がした。
腹の中にモヤモヤと居座っていた嫌な気分が軽くなった。
「君は正しくて優しい。
そして今、どっちも正しくて迷ってる。
…………なら、君は、どっちをやりたい?」
どっちをやりたい?
そんなこと、俺が決めていいものじゃないんじゃないか?
目をまんまるにしてタクヤ兄ちゃんを見上げる。
彼は、ただ優しい瞳で俺を見つめて、
静かに"俺の選択"を待っていた。
「…………魔王に、心があるなら、分かり合えるかもしれない。」
そこで1拍置いて、兄ちゃんを見返す。
「でも、これ以上 村に迷惑をかけるなら、
それは許せない。」
「うんうん、ならまず俺が叶えるお願いは
君とマオくんがお話する為のお手伝いだね。」
俺の結論にへらりと笑みを深める彼。
俺の頭に疑問が浮かぶ前に手をひかれた。
………………マオくん?って誰だ。
でも、今の俺にはどうでもいいことだと思えた。
大きな歩幅に合わせて歩く。
血の匂いが薄くなった神殿はもはや変な気分になった。
「……なぁ、兄ちゃん。」
「ん?なぁに。」
「…………俺、まだ決まってない。
もしも話とかできなかったり、魔王と同じ気持ちになれなかったら、
その時どうしたらいいんだろうって。
なのになんで、手伝おうとしてくれるの。」
静かな足音の中、沈黙の時間に不安を感じてそう聞いた。
怒られるのがわかっていて、母親に謝りに行かないといけないような、
自分よりも確実に強い相手と競わないといけないような、
その時のような心のざわつきに耐えられなかった。
「なんで?
なんでかぁ。
……君が俺の好きな子に似てたから、かなぁ。」
「……………………は?」
「えー、いやいや、マジマジ。
超似てたからさ。なんかつい優しくしたくなるんだよねぇ。」
変わらない表情でそう告げる彼。
何を言ってるんだこんな場面で。
そう言いたげに睨んだ。
「そういう考えが0か100かしかない所とか。
視界に写る人、全員に優しくするところとか。
弱音を言うのヘタクソで爆発しがちなところとか?」
「馬鹿にしてるな?」
「あっそうそう、
自分のことになると、卑屈になるところも似てるわぁ。」
イラッ。
ムキになって言い返そうとしたが口を噤んだ。
この人は魔王に会ったことないから、こんなこと言えるんだ。
実際あったら腰抜かして泣くに決まってる。
だから、そうなったら神殿の出口を教えて、
ぽふん。
そんなことを考えていたら、頭に優しい手のひらが落ちてきた。
…………俺は彼に頭を撫でられていた。
「責任感強くて、変に大人ぶってるところも好きだよ?」
「……………………分かった。
タクヤ兄ちゃんがその人を好きなのはわかった。
もーいい。サブイボが立つ。」
「えー、やだひどい。
折角だから、もっと惚気けたかったのにぃ」
「そう言う変なことばっか言ってたら、その好きな人ってヤツに信じてもらえなくなるんだからな。」
ぶつくさ文句を言いながら進む。
……ふと前を向くと、いつの間にか胸のモヤついた気持ちが無くなっていて思わずタクヤ兄ちゃんを見上げる。
兄ちゃんと目が合う事はなかったが、変わらない笑顔を常に浮かべていて変わらない歩幅で歩いていた。
「…………ありがと。」
「えー?んふふ
その律儀なところとかいいねぇ。俺の好きな人に」
「……もういい!!やめろよゾワゾワするから!!!」
軽くなった足音が2人分。広い廊下に響いていた。
口数が減る頃、足元に羽根が当たる。
その先にいる魔王はまだ誰かを近づけさせないようにか、
黒い羽根を散らしていた。
………あれからどれほどの時間が経ったかわからないが、ずっとそうしていたのだろうか。
その痛ましい姿に眉を寄せた。
「おい、魔王。」
黒い羽根をまとう化け物は少し、頭を上げた。
その羽の奥の目がジロリと睨みつけていた。
「まずは、逃げてごめん。
…………俺、お前と話したくて、戻ってきた。」




