第百十九話 ペア戦第一回戦
インターハイ、ペア戦校内予選の日がやってきた。
二年からは新と雅。彩葉と純香。
三年からは透川姉妹に加え、実力者同士で組んだ三年ペアがいくつか出場している。
個人戦とは空気が違う。
一人で押し切るだけでは勝てない。
二人で呼吸を合わせ、役割を噛み合わせ、相手より先に形を完成させた方が勝つ。
そんな緊張の漂う会場で、晶がぼそっとこぼした。
「新くんたちとは当たりたくないなあ……」
新がそちらを見る。
「どうして?」
「嫌。本当に嫌」
晶は即答した。
「もう王様見たくない」
その声には、冗談がひとつも混じっていなかった。
そりゃあそうか、と新は天を仰いだ。
鏡花はともかく、晶は腰を抜かすほどの恐怖を味わったのだ。あれだけ真正面から圧を叩きつけられれば、そうもなる。
今の晶の目は、本気だった。
◇
一回戦。
透川姉妹の相手は、三年生ペアだった。
対戦カードが発表された瞬間、晶から本気の安堵が漏れた。
「はあーーーー……」
長く、長く息を吐く。
「助かったよおお、お姉ちゃんー……」
そのまま鏡花へ抱きつく晶。
素の晶だ、と新は少し目を瞬かせた。
鏡花はそんな妹の頭を軽く撫でながらも、視線だけはもう試合場へ向けていた。
「まだよ、晶」
「相手、すごく硬いコンビだわ」
「王様じゃないだけで十分だよぉ……」
半分泣き言みたいな声だったが、それでも晶はちゃんと呼吸を整えていく。
鏡花が小さく笑う。
「さ、いくよ晶」
「ええ、いきましょうか」
二人が前へ出る。
対する三年ペアの片方が、表情を引き締めて言った。
「相手が透川姉妹だからって、ただでは終わらないからね」
「こちらも対策はしてきてるんだ」
「あら」
鏡花が目を細める。
「言ってくれるわね」
晶もその横で静かに構えた。
「じゃあ見せてね」
鏡花が柔らかく笑う。
「その対策」
「始めっ!」
号令と同時だった。
ごごごごっ、と地面が競り上がる。
土塊が積み上がり、壁になり、塔になり、砲台になる。瞬く間に完成したのは、個人戦でも見せたあの巌窟王だった。
だが、今回はそれだけでは終わらない。
「まだまだっ!」
もう一人の三年が手をかざす。
直後、要塞の表面が黒く鈍く光り始めた。土の壁が鉄へと置き換わっていく。塔も砲台も、厚い金属の膜に覆われ、開始数秒で文字通りの鉄壁が完成した。
会場がどっと沸く。
「まじか、あの要塞!」
「ただでさえ堅かったのに!」
「鉄になったらもう落とせないぞこれ!」
「透川、どうするこれ!?」
「あら」
鏡花が小さく首を傾げる。
「確かにこれは堅いわね」
「姉さん、光行くわよ」
晶が静かに告げる。
「いいわ晶」
鏡花の目が細くなる。
「準備は出来てる」
晶の周囲に、いくつもの水晶が浮かび上がった。
透明な結晶体が光を呑み、収束させる。そこへ鏡花の鏡面が幾重にも差し込まれた。角度を変え、向きを揃え、束ねるように光路を組み替えていく。
次の瞬間。
きぃん、と鋭い音を残して、束になった光が解き放たれた。
もはや光というより、レーザーだった。
一直線に走った極光が、鉄要塞の城壁へ突き刺さる。
じゅう、と重い音。
鉄が赤く焼ける。
溶ける。
崩れる。
黒く鈍いはずの壁が、見る間に熱で柔らかくなり、ずるりと垂れ落ちていった。
「溶かしてしまえば」
鏡花が髪を払う。
「何のことはないわ」
またギャラリーが沸いた。
「透川えげつねー!」
「力技で押し通るつもりだ!」
「いやあれ、力技って言っていいのか!?」
「くっ、なら強度を上げるまで!」
三年ペアもすぐに立て直す。
崩れた要塞壁が再構築され、さらに厚い鋼鉄で上から覆われていく。先ほどより明らかに分厚い。鈍く重い、まさに鋼鉄の城だ。
「今回はレーザーもさすがに通りそうもないぞ……」
誰かが呟く。
「あら」
鏡花がそれを見て笑う。
「また堅くなったわね」
直後。
ズガン、ズガン、と砲撃が始まった。
要塞上部の砲台が火を噴き、重い砲弾が連続で飛ぶ。
だが姉妹は動じない。
晶が半歩ずれ、鏡花が一歩滑るように踏み換える。砲撃は二人のいた位置を抉るだけで、かすりもしない。
「これくらいは造作もないけれど」
晶が言う。
「ええ」
鏡花が目を細める。
「決め手に欠けるわね」
そう呟いた時だった。
鏡花の視線が、ふと客席へ流れる。
そこにいたのは新だった。
真剣な顔で、こちらを見ている。
その視線を捉えた瞬間、鏡花の口元がふっと緩んだ。
「新くんが見ているんだものね」
「不甲斐ない姿は見せられないわね」
「お姉ちゃん?」
鏡花の雰囲気が、そこで変わった。
「晶」
静かに告げる。
「アレでいくわよ」
晶もすぐに察したらしい。
「分かったよ、お姉ちゃん」
次の瞬間、姉妹は同時に要塞へ向かって駆け出した。
「なんだ?」
「力技で来るのか? この要塞に?」
要塞側が焦ったように声を上げる。
「分からないけど、一応硬度を上げておこう!」
さらに金属が重なる。
厚みが増す。
空気すら通しにくそうな、圧迫感のある壁が出来上がる。
だが、鏡花は止まらなかった。
「人が籠るにはね」
口元に、わずかな笑み。
「ええ」
晶が応じる。
「必ず空気孔が必要ですわ」
その言葉に、相手の顔色が変わる。
「それさえあるのなら」
鏡花の鏡がきらりと光る。
「そう」
晶の周囲の水晶が細かく砕ける。
「入り込める」
微粒子になった水晶が、要塞のわずかな空気孔から内部へ侵入していく。
砂より細かく。
光より静かに。
そして、内側で再結晶化した。
「光さえ入れば」
鏡花の鏡面が外から角度を整える。
「そう」
晶の目が鋭くなる。
「増幅出来る」
要塞内部が、鏡と水晶で満たされていく。
壁の裏。
通路の角。
砲台の内側。
逃げ道になりそうなわずかな空間にまで、水晶が根を張るように広がった。
やがて鏡花と晶が要塞の目の前へ辿り着いた時には、すでに大勢は決していた。
要塞内部に浮かぶ無数の水晶は、淡く光を湛えて煌めいている。
そして、その壁一面に張り巡らされた鏡は、相手を完全に取り囲んでいた。
「うっ――」
要塞の中で、三年ペアの息が詰まる。
どこを見ても反射。
どこへ逃げても光路。
内側から包まれた時点で、もう終わりだった。
逃げ場は、なかった。
「まだだっ……!」
三年の一人が吠えた。
「こんなところでっ!」
次の瞬間、巌窟要塞が内側から崩れる。
ごごごっ、と鈍い音を立て、巨大な城壁が一斉に解除されていく。積み上げられていた土と鉄が砕け、巻き上がった粉塵が一気に視界を覆った。
砂塵。鉄粉。砕けた鉱片。
光を散らし、屈折を乱し、内部に張り巡らされていた水晶の光路を無理やりぼかす。
「あら?」
鏡花がわずかに目を細める。
「悪あがきね」
晶が冷ややかに言った。
だが三年ペアは止まらない。
崩れた要塞の残滓を蹴るようにして距離を取ると、それぞれが再びエレメントを呼び起こした。
「仕切り直しだ!」
「ああ! もう一回!」
もう一人も叫ぶ。
「今度は空気孔も無くしてやる!」
息巻く三年。
会場の空気もまたざわつく。
「立て直した!?」
「まだやるのか!」
「いやでも今の解除、判断早いぞ!」
砂塵の向こうで、鏡花がふっと笑った。
「出来ると、いいわね」
「ええ」
晶も静かに頷く。
「この状況で」
「……何?」
その一言に、三年の表情が強張った。
次の瞬間だった。
目の前に立っていたはずの透川姉妹の姿が、ゆらりと揺らめく。
輪郭がぶれる。
光がほどける。
そして、二人の姿がそのまま薄れて消えた。
「っ!?」
「な……!?」
そこにいたのは、本物ではなかった。
水晶の光と鏡によって組まれた、精巧すぎるフェイク。
反射の角度。
揺らぐ光。
粉塵の中でも崩れないよう計算された鏡像。
それが、今までずっとそこにいたのだ。
「鏡像を見せられていた!?」
三年の一人が叫ぶ。
「一体いつから――」
最後まで言い切れなかった。
ひやり、と。
背後から、首筋へ冷たい感触が添えられたからだ。
息が止まる。
振り向けない。
そこには、再結晶化した透明な刃があった。
細く、鋭く、冷たい水晶の刃。
いつの間にか背後へ回っていた晶が、淡く光る目でこちらを見ている。
「動かないで」
静かな声だった。
「少しでも動いたら、切れるわ」
同時に。
正面の足元から、鏡花の鏡面がすっと立ち上がる。
逃げ道を塞ぐように。
視線を絡め取るように。
鏡の中には、今にも動き出しそうな無数の光路が反射していた。
前は鏡。
後ろは刃。
しかも周囲には、まだ微粒子の水晶が漂っている。ここからさらに光を増幅されれば、もう防ぎようがない。
「どちらにせよ……」
三年の一人が、乾いた喉で絞り出す。
「この状況は……」
首筋の冷たさが、現実を容赦なく突きつける。
覆せない。
もう、覆せない。
「……分かった」
力が抜ける。
「負けだ……」
その一言が落ちた瞬間、会場がどっと沸いた。
「うわああっ!!」
「透川姉妹えぐい!!」
「今のどこから入った!?」
「最初から見せられてたのかよ!?」
「フェイクからの背後取りって何だそれ!」
晶は首筋に添えていた水晶の刃をそっと解いた。
鏡花も前方の鏡面を静かに消していく。
張り詰めていた空気がようやくほどける。
すると負けを認めた三年の一人が、がくっと肩を落とした。
「はあーっ……」
大きく息を吐く。
「透川、まじでもう少し手抜いてよ」
その隣の相方も苦笑しながら頭を掻いた。
「鋼鉄要塞、まじ自信あったのになあ……」
「あら?」
鏡花はきょとんとした顔で首を傾げた。
「悪くなかったわよ、ねえ」
「ええ」
晶もこくりと頷く。
「堅牢とはあのことですわ」
「いやいやいや」
三年の片方が思わずつっこむ。
「あっさり攻略しておいて?」
「あらあら」
鏡花がくすっと笑う。
そのやり取りに、会場の空気が少し和らいだ。
「でも実際、あれ相当やばかったよな」
「普通なら突破できねえぞ」
「透川姉妹だからおかしいだけだって……」
ざわめきの中、鏡花はふっと客席へ目を向けた。
その先に、新がいる。
目が合った瞬間、鏡花の表情がぱっと明るくなる。
「じゃ、行こっか晶」
「うん」
姉妹はそのまま試合場を降りる。
そしてまっすぐ、新のいる方へ向かってきた。
新は少しだけ姿勢を正した。
さっきまでの試合の鮮やかさがまだ頭に残っている。
あの鋼鉄要塞を、真正面から壊すのではなく内側から崩した発想も、フェイクを混ぜて仕留めた流れも、見事としか言いようがなかった。
「新くん!」
鏡花が、ほとんど駆けるようにやってくる。
試合中の鋭さはもうどこにもない。
そこにいるのは、ただ嬉しそうな鏡花だった。
「どうだった?」
目をきらきらさせながら聞いてくる。
「すごかったです」
新は素直に答えた。
「鋼鉄要塞をああやって崩すとは思いませんでした」
鏡花の顔が、ぱっと花が咲いたみたいにほころぶ。
「ほんと?」
「えへへ、やった」
そう言って、そのまま新の腕へするりと寄ってくる。
甘えるみたいにぴたりとくっついて、満足そうに頬を寄せた。
「新くんが見てたから頑張れたんだよ」
その一言に、新の顔が少し熱くなる。
「いや、鏡花先輩が普通に強いだけですよ」
「そういうのも嬉しいけど」
鏡花は上目遣いで新を見る。
「今はもっと褒めてほしいなあ」
「え……」
「だって頑張ったもん」
少しだけ唇を尖らせる。
「すごく頑張った」
完全に甘えている。
しかも周囲の目があるところで、である。
新が少し困ったように視線を逸らすと、鏡花はさらに腕へ体重を預けてきた。
「ね、新くん」
「……何ですか」
「かっこよかった、とか」
「かわいかった、とか」
「両方言わせるんですか」
「うん」
即答だった。
新は小さく息をつく。
でも、嫌ではない。
むしろ試合直後の高揚の中でこうして寄ってこられると、さっきまでの鋭い鏡花との落差が妙にくすぐったい。
「……かっこよかったです」
新はまずそう言った。
「すごく綺麗でしたし、強かったです」
鏡花が嬉しそうに目を細める。
「うん」
「あと」
新は少しだけ間を置いて続けた。
「今の鏡花先輩は、かわいいです」
「……っ」
その瞬間、鏡花の耳まで一気に赤くなった。
「そ、そういうの」
声が少し裏返る。
「急に言うの、ずるい……」
でも離れはしない。
むしろ前より少しだけ強く、新の腕へ抱きつく。
その後ろで、晶が小さくため息をついた。
「はいはい」
「お姉ちゃん、もう満足したでしょ」
「まだ」
鏡花が即答する。
「まだなの?」
晶が半目になる。
「だって」
鏡花は新の腕に頬を寄せたまま言った。
「新くんが見ててくれると、もっと頑張りたくなるんだもん」
その言い方は、冗談みたいに軽いのに本音なのが分かる声だった。
新は少しだけ照れながら、それでも鏡花の方を見た。
「じゃあ」
小さく言う。
「次も見てますよ」
鏡花が、またぱっと笑う。
その笑顔は試合に勝った時よりも、むしろずっと嬉しそうだった。
「約束ね」
そう言って小指を立てようとして、でも今は新の腕に絡んでいて難しいことに気づき、少しだけ困った顔をする。
「……あ」
間の抜けた小さな声が漏れる。
新はそれを見て、思わず笑った。
「鏡花先輩」
「な、なに?」
少しだけ上目遣いで見上げてくる鏡花の頭に、新はそっと手を置いた。
やわらかな髪を、ぽん、ぽんと優しく撫でる。
「今日も、すごく頑張ってましたよ」
「……っ」
一瞬、鏡花の目がまるくなる。
それから、くしゃっと。
照れたみたいに、でも嬉しさを隠しきれない笑顔がこぼれた。
「……もう」
「それ、反則」
そう言いながらも、鏡花は新の腕に頬を寄せたままだった。
◇
次に呼ばれたのは、新と雅だった。
会場の空気が、また少しだけ変わる。
個人戦でそれぞれ派手な勝ち方を見せた二人だ。ざわめきの質も、さっきまでとは違っていた。
「来たな」
「王様コンビだ」
「いや鳴海の先読みもやばいぞ」
そんな声が飛び交う中、二人は試合場へ歩み出る。
対する相手は三年のペア。風と水を扱うコンビだった。
片方がにやりと笑う。
「随分と見せつけてくれるじゃないか、鳴海くん」
もう一人も、少し唇を尖らせるようにして続けた。
「そうよ。鏡花ちゃんといちゃいちゃして、ずるいっ」
「え、そこ!?」
思わず新が素で返す。
「そうよ」
水の術者が腕を組む。
「鏡花ちゃん、かわいいもん」
新は額に手を当てた。
なぜ試合前にそこを責められなければならないのか。まったく意味が分からない。
「……よろしくお願いします」
若干ぐったりした声音でそう言うと、隣で雅が肩を揺らした。
「お前人気者だな」
「嬉しくないよ……」
軽口が交わされる。
けれど、それも開始の号令までだった。
「始めっ!」
その瞬間、それまでの緩い空気が一変する。
「来い、王様」
雅の背後に、重々しい圧とともに王様が立ち上がる。
「――Foresight」
新の左目に、白銀の時計の紋が浮かぶ。
観客席のざわめきが、すっと引いた。
相手の風の術者が目を細める。
「来たね、それ」
「じゃあこっちもいくよ」
水の術者が片手を前へ出す。
「おっけー」
二人の呼吸は、ぴたりと噛み合っていた。
「八卦氷陣」
次の瞬間、フロアを風が巻いた。
ただの風ではない。床を滑り、円を描き、幾重もの流れとなって走る。そして同時に展開された水の陣へ触れた途端、冷却された水が次々に氷へと変わっていった。
床に走る水脈。
そこへ重なる風の流れ。
さらに氷結。
水と風と氷が連動して、瞬く間に一つの大きな拘束陣を形作る。
八方へ広がる氷の線。
その上を巡る風。
足元に絡みつく薄い水膜。
まるで盤面そのものが生き物になったみたいだった。
「善き陣であるが、児戯であるな」
王様はそう言い放ち、堂々と一歩踏み込んだ。
次の瞬間。
ずるっ、と盛大に足を取られた。
「ぬうううっ!?」
巨体が前のめりになり、そのまま豪快に転倒する。
どごんっ、と鈍い音が響いた。
「何やってるんだよ王様!?」
雅が思わず叫ぶ。
だが笑い事ではない。
転倒した王様の身体へ、床の水が一気に絡みつく。そこへ風が吹きつけた。
じゅわ、と冷気が走る。
濡れた表面がたちまち白く凍りついていく。腕が。脚が。肩口が。王様の表面へ氷が貼りつき、重ねるように凍結が進む。
「むう……」
王様が唸る。
「これは中々やりにくい」
「善き連携であるな」
「褒めてないでちゃんとやって!」
雅のつっこみが飛ぶ。
だが王様は、氷を軋ませながら平然と返した。
「ちゃんとやっておる」
「然るに、この八卦陣の方が上手である」
「へっへ」
風の術者が得意げに笑う。
「この氷陣は生きてるみたいに取り付くからねっ」
「そうとも」
水の術者も頷く。
「いくら王様でも、動けなければ驚異ではない」
新はすぐに王様へ向けて風を走らせた。
王様の表面にまとわりついていた冷気を、横殴りの風で強引に吹き払う。薄く張りついていた氷が砕け、白い霜がばらばらと剥がれ落ちた。
「これは厄介だな」
新が低く言う。
「ああ」
雅も顔をしかめる。
「王様も手が出せないってなったらジリ貧だな」
「どうする?」
「先を読んだところで、陣を引かれたら差し込めねえ」
「王様さえ中に送り込めれば、って感じなんだけどよ……」
その時だった。
「新よ」
「え?」
王様が、妙に真顔で新を見た。
「そなた、裸か?」
「は?」
新の思考が一瞬止まる。
「王様、何言ってんだ?」
「そなた、服を着ておるな」
「そりゃ当たり前だけど……」
言いながら、新はそこでぴたりと止まった。
――先へ進んだ時。
その一拍先へ、自分だけが飛ぶ時。
服はどうなっている?
「いや……あっ」
白銀の感覚が頭の中で繋がる。
王様がふん、と鼻を鳴らした。
「そういうことだ」
「え、え、まじ何のこと?」
雅だけがまだついてこられていない。
だが新の中では、答えがもう形になっていた。
先へ進んでも、自分は服を着ている。
それはつまり――自分だけが飛んでいるわけではない。自分に触れているもの、自分と“ひと続き”として認識されているものは、一緒に先へ持っていける。
「いくぞ、王様」
王様が口元を吊り上げる。
「余は準備出来ておる」
その瞬間だった。
新の左目の時計が、かち、と音を立てる。
白銀の紋が一段深く輝き、風が新の足元に集まった。王様の巨体へ触れたまま、その輪郭を引き寄せるように風が巻く。
「――っ?」
三年生ペアの視界から、新と王様が消えた。
「!?!?」
「な――!?」
風が抜けた。
氷陣の流れが、一瞬だけ空振る。
そして次に彼らが見たのは――
自分たちの眼前に、仁王立ちで聳え立つ王様だった。
「ぬううん!!」
圧が落ちる。
巨体。筋肉。王冠。氷陣を飛び越え、いや、盤面そのものを無視して目の前へ現れた王様の姿に、会場が一拍遅れてどよめいた。
「うわっ!?」
「何だ今の!?」
「飛んだ!?」
「王様が急にそこに出たぞ!?」
「え、王様どういうこと?」
雅が目を丸くしている。
王様は呆れたようにため息をついた。
「雅よ」
「そなたはもう少し賢くなって欲しいものだぞ」
「なんだよっ、嫌味じゃなくて教えてくれよ!」
新が短く答える。
「簡単に言うと、俺に触れてると一緒に先へ飛べるんだよ」
「え、え、そうなの!?」
「え?」
「何だって!?」
雅だけでなく、相手の三年ペアまで目を剥いた。
すると王様が、さも当然のように腕を組む。
「じゃないと、先へ飛んだ新が全裸になるぞ」
「……っ!?」
一瞬、場が止まり――次の瞬間、ざわっと変な空気が走った。
「おい待て」
「そこなのかよ!?」
「発想がひどいぞ王様!」
ミラが横でくすくすと笑う。
「そうですわね……」
「それも見てみたいですけど」
「やめてっ!」
新が思わず叫ぶ。
「笑い事じゃないからね!?」
だが、そのわずかなやり取りの間にも、状況の優位は完全にこちらへ傾いていた。
氷陣は盤面を支配する陣だ。
だが、盤面そのものを無視して王様が間合いの内側へ現れた時点で、その優位は崩れる。
眼前に立つ王様。
後ろには新。
逃げ道を選ぶ余裕も、陣を引き直す時間もない。
王様がゆっくりと一歩踏み込む。
それだけで、三年ペアの肩がびくりと揺れた。
「さて、どうする、そなたたち」
低く、重い声が落ちる。
「陣は割った」
「既に、余の間合いである」
「やってみろよ、王様」
相手の風の術者が口元を吊り上げた。
「ぬ?」
「俺らを、その辺のと同じにするなってんだ」
王様の目がわずかに細まる。
「ほう?」
「そうよっ!」
水の術者も一歩前へ出る。
「バカにしないでっ、王様のパンチくらいどうってことないわよっ!」
「ならば受けてみよ」
「ひゃあっ、あとよろしくっ」
言った直後、三年の女子はさっと相方の後ろへ隠れた。
「おい!?」
「だ、大丈夫大丈夫! あなたならいけるって!」
「雑だな、おい!」
会場から笑いが起きる。
だが、その笑いも次の瞬間には凍りついた。
「こい、王様っ!」
雅の声に応え、王様が腕を引く。
ぬうん、と空気が軋む。
そして。
王様のパンチが放たれる。
真正面から。
躊躇なく。
叩き潰すためだけの一撃。
だが相手も待っていた。
「旋風返し!」
拳の軌道上に、いきなり旋風が起こる。
最初は細い。
だが、王様の拳が進むにつれて密度が増す。渦は層を重ねるように厚くなり、術者の手前ではもはや壁だった。
次の瞬間。
パァン!!
乾いた炸裂音。
王様の拳が、弾かれた。
「っ――」
巨腕がわずかに跳ねる。
真正面から叩き込まれたはずの一撃が、風の層を砕き切れず、角度をずらされて外へ逸らされていた。
会場が大いに湧く。
「まじかよ……!」
「え、ほんとに弾いた!?」
「王様の拳だぞ!?」
「いや今の、風で流したのか!?」
雅だけでなく、新も目を見開いていた。
そして相手の後ろに隠れていた女子さえ、口を開けたまま固まっている。
「はぁっ、はぁっ……」
風の術者が肩で息をしながら、それでも笑った。
「どうだ、王様!」
王様は逸らされた拳をゆっくり戻し、その相手をまっすぐ見下ろした。
「そなた、見事である」
「その風、相当の練度であるな」
「おうよっ!」
胸を張る三年。
すると王様が、ちらりと後ろの新を見た。
「新よ」
「そなたの風も、これくらいになって欲しいものであるな」
「うわ、王様が相手を褒めたぞ!」
「新、貶されちゃった笑!」
観客席から好き勝手な声が飛ぶ。
新は思わず、客席の鏡花を見た。
鏡花は一瞬きょとんとしたあと、なぜか少し赤くなっている。
その顔を見て、新の中で何かがすっと決まった。
「……なら、見せてやるよ、王様」
低く落ちる声。
王様が口元を吊り上げる。
「ほう」
「貶されてムキになったか、新よ」
「言われっぱなしは嫌なんだ」
「新……」
客席で、鏡花が小さく呟いた。
祈るみたいに、指先を胸元でぎゅっと握りしめる。
「先へ、その先へ……」
新は小さく呟いた。
その声を、ミラだけが聞いていた。
隣で、ミラがくすりと笑う。
新の目に浮かぶ白銀の時計の紋が、静かに深まっていく。
「王様」
「なんだ、新」
新は相手から目を逸らさずに言った。
「王様はそこで見ててくれ」
王様の眉が、わずかに上がる。
「ほう」
「俺が決めてくる」
その一言に、相手の風の術者が口元を吊り上げた。
「へえ」
「随分舐めてくれるじゃん」
だが、新はもう返さなかった。
左目の奥で、かち、と針が鳴る。
見える。
風の立ち上がり。
術式の癖。
踏み込みの角度。
構えたその先。
そして、そのさらに先。
「……Overtake」
新が呟いた。
何も起こらなかった。
少なくとも、見た目には。
「何か分からんが、いくぞ!」
相手が身構える。
風を起こす。
旋風返しの構え。
さっき王様の拳すら弾いた、高練度の逆流防壁。
だが、その瞬間。
「うわっ!?」
構えた内側から風が巻き起こった。
風の壁を作る、そのさらに手前。
術者が自分の風を立ち上げる、その起点。
そこに、すでに新の風がいた。
これまでの牽制みたいな細い風ではない。
本気の風だった。
圧縮された風塊が内側から術式を食い破る。
練り上げるはずだった流れが乱れ、旋風返しが完成する前に崩壊した。
「なっ――」
相手が大きく後退る。
その直後、追い討ちをかけるように風の束が三年を襲った。
一本ではない。
二本、三本、四本。
まるで新が進ませたい方向へ、最初からそこに置いてあったみたいに、風が次々と差し込まれる。
「な、何だこれっ!?」
たまらず体勢を崩した相手の足元を、今度は下から旋風が掬った。
「うわぁっ!」
身体が浮く。
巻き上げられる。
そのまま無様に空中で回され、どすんと床へ落とされる。
「いてっ……!」
会場がどよめいた。
「今の何だ!?」
「いつ風出した!?」
「いや、出したんじゃない、置いてたのか!?」
そう。
新の風は、撃っているのではなかった。
進む先、進む先に。
そこにあるのが必然みたいに、風が“置かれて”いる。
相手が避けた先。
構えた先。
踏み込む先。
その全部へ、先回りして。
これが、先読み。
いや――その先。
「くそっ!」
相手が歯を食いしばる。
もう一度、術を組み直そうとする。
だが。
「うわぁっ!」
また風に巻き上げられる。
着地しようとした場所に風がいる。
踏み直そうとした先にも風がいる。
防ごうと腕を上げれば、その内側から風が噛みつく。
何度も、何度も巻き上げられるたびに、相手の顔から戦意が削れていく。
これは、どうしようもない。
誰が見てもそう思った、その時だった。
バシャッ!!
鋭い水音。
横合いから水塊が叩きつけられ、浮かされていた風の術者が無理やり地面へ引き戻される。
「しっかりしてっ!」
水の術者が叫ぶ。
「私もいる!」
「二人でいくわよ!」
崩れた相方の前へ、今度は自分が立つ。
足元に水陣を展開し、散らされた水を一気に集め、風の逃げ道ごと飲み込むように広げていく。
だが。
新の目は、もう二人を捉えていた。
片方だけではない。
二人で立て直す、その先まで。
白銀の時計が、静かに進む。
二人が散る。
風の術者は左へ。
水の術者は右へ。
互いに回り込みながら、同時に術式を展開していく。
横殴りに走る風。
足元を這う水。
そしてその二つが重なった瞬間、白く鋭い氷が立ち上がる。
風、水、氷。
三つが流れるように噛み合い、挟み込むように新へ迫った。
だが――躱される。
いや、躱したというより、もうそこにいない。
風が届く頃には新は次の位置にいる。
水が噛みつく先は空を切り、氷が閉じる場所には残像みたいな気配しかない。
「速っ……!」
「どこ行ったのよ!?」
相手が歯噛みする。
だが、三年ペアも負けてはいなかった。
新の先読みには癖がある。
前へ駆ける。
位置を取る。
その先へ風を置く。
強い。厄介だ。だが、前に出る以上、次の動きにはある程度の制限が出る。どこへ進み、どこへ差し込むか。その“次”が強いぶん、“今どこへ向かっているのか”を読めれば、逆に仕掛けられる。
「そっちだっ!」
風が先を潰す。
「そこへ水っ!」
水が床を塗り替える。
新は半歩遅らせて躱す。
だが躱した先にも、すでに風が待っている。
新はそこからさらに位置をずらし、逆に相手の背後へ風を差し込む。
相手もそれを読んで水で流す。
流した先へ新がまた風を置く。
一進一退だった。
会場の視線が、食い入るように盤面を追う。
「やばい……」
「三年、対応してるぞ」
「いや鳴海も止まってない」
「何だこの攻防……!」
その時だった。
新の動きが、ふっと止まった。
「――っ!」
三年ペアの目が変わる。
千載一遇の隙。
この隙を逃すようでは、ここまで食らいついてきた意味がない。
「今!」
「もらった!」
二人が合わせるように飛び込む。
左右から同時。
風で退路を断ち、水で足を奪い、そのまま氷で閉じる。
噛み合った。
今度こそ、噛み合った。
「これで――」
「終わり!」
「終わりよ!」
勝負が決まった。
誰もがそう思った、その時だった。
新が、低い声で呟く。
「旋風……返し」
「――!?」
三年の二人の目が同時に見開かれる。
次の瞬間。
新の足元を起点に、渦を巻いた風が爆ぜた。
ただの突風ではない。
相手が飛び込んできた勢い。その踏み込み。その風圧。その術式の流れ。その全部を逆撫でするように、構えの内側から旋風が立ち上がる。
巻き込まれる。
「うわっ!?」
「きゃっ!」
飛び込んだはずの二人の体勢が、そのまま崩される。
水が散り、風が逆流し、二人の身体が揃って吹き飛んだ。
どさっ、と床に転がる。
「いたたた……」
「つっ……!」
痛みに顔をしかめながら、それでも起き上がろうとした二人の動きが、次の瞬間ぴたりと止まった。
「――っ」
目の前に、新がいたからだ。
いつの間にか、もうそこにいる。
片手を翳し、術を放つ体勢。
風を起こすには十分すぎる距離。
避けるには遅すぎる間合い。
三年の二人は、互いに目を見合わせる。
それから、ゆっくりと視線を落とした。
「……降参だ」
「ええ、やられたわ」
その一言で、試合が決まる。
直後、会場が大きく揺れた。
「うわあああっ!!」
「勝った!!」
「今の旋風返し!?」
「見て覚えたのか!?」
「いや覚えたってレベルじゃないだろ!」
雅が思いきり声を上げる。
「やるじゃねえか、新!」
王様も腕を組んだまま、満足そうに頷いた。
「うむ」
「ようやく少しは見られる風になってきたな」
「褒めてんのかそれ!?」
会場の笑いをよそに、新は小さく息を吐いた。
白銀の紋が薄れていく。
張り詰めていた空気が、ようやくほどける。
その時だった。
「新くんっ!」
客席から、鏡花の声が弾けた。
次の瞬間、鏡花はもう客席から降りてきていた。
晶が「ちょ、お姉ちゃん!?」と止める声も聞かず、一直線に新の方へ駆けてくる。
そして。
新が振り向くより少し早く、背中にやわらかな重みが飛び込んだ。
「わっ!?」
背中から、ぎゅうっと抱きつかれる。
肩口に頬が寄って、ふわりと甘い香りがした。
「新くん、すごかった!」
弾んだ声が、そのまま耳元へ落ちる。
「最後のあれ、ほんとにすっごくかっこよかった!」
新の肩がぴくりと揺れる。
「ちょ、鏡花先輩、近いです……!」
「やだ」
鏡花は背中にくっついたまま、楽しそうに言う。
「今は近くで褒めたいの」
ようやく鏡花が離れて正面へ回ると、今度は熱を帯びた目で新を見上げた。
「ねえ、新くん?」
「……何ですか」
「ご褒美、あげようか?」
そう言って鏡花は、わざとゆっくり目を閉じた。
それから少しだけ背伸びして、唇を尖らせる。
「……っ」
一瞬で新の顔が真っ赤になる。
「お姉ちゃん!!」
晶の叫びが飛ぶ。
会場の空気まで一拍遅れてざわついた。
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
新が思わず目を逸らすと、鏡花がぱちりと目を開ける。
「あ、赤くなったね!?」
からかい半分、でもそれ以上に嬉しそうな声だった。
「……か、からかわないで下さい」
新の声は情けないくらい小さかった。
「照れる新くんもかわいいっ」
そう言って鏡花は、そのまま新の腕にぎゅっと抱きついた。
その時だった。
鏡花が少しだけ背伸びをして、新の耳元へ唇を寄せる。
「ねえ、新」
くすぐるみたいな小声。
「ほんとに、して欲しかった?」
「――っ!?」
新の顔が、一気に爆発した。
「なっ……!?」
「か、鏡花先輩っ……!」
耳まで真っ赤どころではない。
首筋まで一気に熱が上がって、言葉にならない。
鏡花はそれを見て、たまらないというふうに笑った。
「ふふっ」
「やっぱり」
その横で、晶がとうとう額を押さえる。
「お姉ちゃん、ほんと容赦ない……」
雅は少し離れた位置で腹を抱えている。
「新、爆発してんじゃねえか!」
「うるさい!」
試合には勝った。
勝ったのに、今いちばん追い込まれているのは間違いなく新だった。
勝ったのに翻弄される新でした




