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第百十六話 個人戦代表決まる

 神代雅の名前が呼ばれた瞬間、ギャラリーが沸いた。


「また来たぞ!」

「王様だ!」

「やってやれー!」


 第一試合の衝撃は、まだそのまま場内に残っていた。巨大要塞を一撃で吹き飛ばした、あの無茶苦茶な勝ち方。二年はもちろん、三年にまで雅を面白がって応援する者が出始めている。


 だが、次に呼ばれた名が、その熱を別の方向へ跳ね上げた。


「三年、透川晶」


 その瞬間、今度は透川コールが起こった。


「透川!」

「晶ー!」

「見せてやれー!」


 水晶の精霊。


 第一試合で一歩も動かず、彩葉を圧倒した三年。水晶を使い、光を操る術者。


 方や、光の精霊たる王様。


 光vs光だった。


     ◇


「始めっ!」


 開始と同時に、雅は全力でスクワットを始めた。


「いけっ、王様っ!」


「よかろう」


 王様は悠然と前へ出る。


 急ぐ様子すらない。ただ当然のように歩み、まっすぐ晶との間合いを詰めていく。


 そして、そのまま透川晶の前まで来ると、巨躯をわずかに前傾させ、圧を落とした。


「どうだ、水晶の」

「そなた、どうする」

「やるか」


 晶の傍ら、水晶の精霊が静かに微笑む。


「ええ、王様」

「ご機嫌麗しゅう」


 声音は上品でやわらかい。だが、その奥には明確な敵意と自負があった。


「でも、たとえ王様でも、引く気はございませんわ」


「その気概や良し」

 王様が口角を上げる。

「ならば参ろうか」


 次の瞬間。


 王様の拳が、水晶の精霊へ振り下ろされた。


 速い。


 あの巨体からは想像しづらいほど、初動が鋭い。


「水晶壁」


 晶が即座に声を落とす。


 超硬度の水晶結界が展開される。薄い。だが、ただの薄さではない。何層にも圧縮され、磨き上げられた硬質な壁が、光を反射しながら王様の拳を受け止めにかかる。


 だが。


 バギッ。


 拳は、その結界を正面からぶち抜いていった。


 ひとつ目が砕ける。

 ふたつ目が割れる。

 みっつ目で減速し、それでも止まらない。


 最後は、水晶の精霊本体へわずかにめり込んだところで止まった。


 精霊の肩口が、少し欠ける。


 晶の背中を、冷たいものが流れた。


「っ――」


 会場が一拍遅れて爆発する。


「止めた!?」

「透川、さすが!」

「でも今、結界ごと持っていかれてたぞ!」


 ギャラリーが沸く。


 王様は拳を引き、満足そうに言った。


「よく止めたな、水晶の」


「ええ」

 水晶の精霊は欠けた箇所をきらりと光らせながら微笑む。

「流石に冷や汗が出ましたけど」


「では、次はそちの番ぞ」

 王様は胸を張る。

「存分に来い」


「では、お言葉に甘えます」


 晶が指先を上げる。


 水晶が空中へ展開される。細かな結晶片が幾重にも浮かび、そこへ光が集まっていく。


 眩い。


 収束した光が、そのまま王様へ浴びせかけられた。


「どうかしら」

 晶が言う。

「焼けつく光の味は?」


 だが。


 王様は、仁王立ちのままそれを受けた。


 避けない。

 防がない。

 ただ、立っている。


「あら?」


 晶の目がわずかに揺れる。


 効果が見えない。

 いや、見えないどころではない。


 まったく効いていなかった。


 王様は浴びせられる光の中で、鼻を鳴らす。


「余は光の精霊王である」

「光の小技など児戯よ」


「くっ……」


 晶が思わず呟き、少しだけ間合いを取る。


「どこまでも相性が悪いようね、王様」


「へっ」

 雅がスクワットしながら口を挟む。

「王様、これで光“様”だからなっ」

「崇め奉ってみろよ」


「ふふ」

 晶が苦笑を浮かべる。

「そういうことね」


「であれば」

 王様が一歩踏み出す。

「次は余の番であるな」

「いくぞ、水晶の」


「え、ちょ、ちょっと待っ――」


「待たぬ」


 ドガァンッ!!


 王様の拳が突き込まれる。


 晶は咄嗟に多重水晶壁を展開した。


 一枚。

 二枚。

 三枚。


 薄く鋭い壁が、角度をつけて何重にも重なる。衝撃を流す構造だ。だが、それでも足りない。


 拳は一枚目を粉砕し、二枚目を割り、三枚目を砕き散らしながら突き進んだ。


 直撃だけは逸らした。けれど、その大半は持っていかれた。


「きゃあっ!」


 水晶の精霊が大きく弾かれ、半身が半壊する。


 晶が思わず一歩下がった。


「晶さんっ」

 水晶の精霊が苦しげに言う。

「これは荷が重いですっ」


「そ、そのようね……」

 晶の声が少し引きつる。

「ちょっと、想定外だわ」


「だろ?」

 雅が息を荒げながら笑う。

「諦めた方が良くね?」


 王様が腕を組み直す。


「次はそちの番だ」

「来てみろ」


 いつの間にか、試合は妙なターン制バトルになっていた。


 会場のあちこちから笑いとどよめきが漏れる。


「何なんだこの試合」

「王様のペースすぎるだろ」

「でも透川も普通に止めてるのが怖いんだよな……」


「言ってくれますわね、王様っ」

 晶が息を整え、目を細める。

「これならどうかしらっ」


 水晶の精霊が、腕の先に超硬度の槍を生成する。


 細い。

 長い。

 そして異様なまでに密度が高い。


 結晶の輝きをまとった槍が、一直線に王様へ向けて放たれた。


 ドブッ。


 重い音がした。


 槍は、王様の胸元へ深々と突き刺さっていた。


 巨体が大きく仰け反る。


「やったわっ!」


「やられたっ!」

「王様!」


 誰もがそう思った。


 二年も。

 三年も。

 雅までもそう思った。


 その時だった。


「ふんっ!」


 バキィッ!!


 王様が体勢を持ち直し、そのまま胸筋で槍を粉砕した。


 晶の目が見開かれる。


「え……」

「うそ……」


 粉々になった水晶片が、王様の胸元からぱらぱらと落ちていく。浅く刺さっていたはずの箇所に、もう大した傷は残っていない。


 会場がどよめく。


「今のを砕いた!?」

「胸筋で!?」

「もう何でもありじゃないか!」


 王様は、胸を軽く叩いて言った。


「さあ、どうする水晶の」

「次は余の番ぞ」

「準備はいいか?」


「え、ま、待って」


「次は正面から打ち抜く」

「よいな」


「いや、待って、無理、無理……!」


 晶の顔から余裕が消えた。


 だが王様は、まるで慈悲を与えるみたいにゆっくり構えた。


 肩が沈む。

 腰が落ちる。

 巨体の中心へ、力が静かに集まっていく。


 その動きだけで、空気が変わる。


 会場のざわめきが、すうっと薄れた。


 誰もが分かったのだ。

 今度の一撃は、さっきまでとは違うと。


「構えよ」


 王様の声が、低く落ちる。


「行くぞ」


「いや、いや……っ」


 晶が一歩下がる。


 だが、もう間合いがない。


「待って、待って無理、ちょっと待って、ほんとに無理……!」


 半泣きだった顔が、もう完全に崩れていた。


「晶さん」

 水晶の精霊がかばうように前へ出る。

「下がって――」


「い、いやあっ!」

 晶がほとんど半狂乱みたいに叫ぶ。

「降参! 降参する! するから来ないでぇっ!!」


 その瞬間。


 ドガァァァンッ!!


 王様の拳が、真正面から水晶の精霊を打ち砕いた。


「きゃああっ!」


 砕ける。


 腕が。

 胴が。

 肩が。

 水晶の輪郭そのものが、拳の進路に沿って粉々に爆ぜる。


 細かな結晶片が、光を散らしながら四方へ飛び散った。


 そして。


 拳は、そのまま晶の眼前で止まった。


 止まった、はずなのに。


 遅れて来た拳圧が、真正面から晶を打った。


 バッ――!!


 前髪が跳ね上がる。

 横髪が後ろへ流れる。

 長く垂れていた髪が全部まとめて後方へ吹き抜け、ほとんどオールバックみたいに持ち上がった。


「っ――!」


 晶の息が止まる。


 瞼すら閉じられない。

 頬が引きつる。

 ただ、目の前にある巨大な拳だけが世界のすべてみたいだった。


 会場も、声を失っていた。


 王様の拳は、晶の鼻先すれすれで静止している。


 あと数センチでも進めば、終わっていた。


「よかろう」

 王様が、ゆっくり拳を引く。

「降参の意思は受け取った」


 その瞬間だった。


 緊張の糸が切れたみたいに、晶の膝から力が抜ける。


「……っ」


 がくん、と脚が折れた。


 そのまま、ぺたりとその場に崩れ落ちる。


「晶!」


 鏡花が思わず声を上げる。


 だが、晶は立てない。


 呼吸は荒いまま、目の焦点もまだ少し定まっていない。拳圧でかきあげられた髪は乱れたままで、さっきまで眼前にあった王様の拳を思い出しただけで肩がびくりと震える。


「はあっ、はぁっ……」

「む、無理……」

「足、入んない……」


 会場がどよめいた。


「え、そこまで!?」

「透川、完全に腰抜けてるじゃん!」

「王様やりすぎだって!」


 王様は腕を組んだまま、ふむ、と頷く。


「うむ」

「効いたようであるな」


「効いたようであるな、じゃねえよ!」

 雅が即座につっこむ。

「完全にビビらせてるだろ!」


「砕いたが大丈夫だ、精霊は復活する」


「そういうことじゃなくて!」


 ギャラリーからどっと笑いが起きる。


 だが晶本人は、笑い事ではなかった。


「む、無理だよぉ……」

 半泣きの声で訴える。

「まだあの拳、前にある気がするぅ……」


「いや知らねえよ……」

 雅が頭を掻く。


 鏡花が駆け寄ろうとするが、その前に雅がしゃがみ込んだ。


「ほら」

「立てるか?」


 晶は涙目のまま、ふるふると首を振る。


「む、無理……」

「脚、変……」


「だよな」


 雅はひとつ息を吐いた。


「じゃ、おぶるわ」


「えっ」


 晶が固まる。


「えっ、じゃないって」

 雅は背中を向けて、しゃがんだまま肩越しに振り返る。

「このままじゃ戻れねえだろ」


「い、いや……でも……」


 晶の顔がまた赤くなる。泣いていたせいで目元が潤んだままなのが、余計に困っているのを強調していた。


「いいから」

 雅が少しぶっきらぼうに言う。

「今はそういうの気にしてる場合じゃねえだろ」


 そう言われても、気になるものは気になるらしい。


 晶はおろおろと鏡花を見る。


「鏡花ぁ……」


「はいはい」

 鏡花が苦笑する。

「大人しく運ばれなさい、晶」


「うぅ……」


 観念した晶が、そろそろと雅の背に身を預ける。


 その瞬間、また脚に力が入らず、ぐらりと傾いた。


「うわっ」

「だから言ったろ」


 雅がそのまま両腕を後ろへ回し、晶の膝裏を支えてぐいと背負い上げる。


「きゃっ」


 小さく声が漏れる。


 晶は反射的に、雅の肩へぎゅっとしがみついた。そのしがみつき方がいかにも不安げで、まだ完全に怯えが抜けていないのが分かる。


「重くない?」

 晶が半泣きのまま聞く。


「今その確認いる?」

 雅が呆れたように返す。

「別に平気だよ」


「ほんとに……?」


「さっきまで王様のために死ぬほど運動してたんだぞ」

 雅が鼻で笑う。

「女の子一人くらい背負えなくてどうする」


 三年のギャラリーがざわっとなる。


「うわ」

「神代、なんか普通にかっこいいこと言った」

「いやでもその前の試合が濃すぎて感覚狂うな……」


 二年側もどよめいた。


「雅、お前ちょっと今のはずるいぞ」

 新が小さく言う。


「どこがだよ」


 晶は背中の上で、ますます顔を赤くしていた。


「うぅ……」

「やっぱ無理ぃ……恥ずかしいぃ……」


「さっきまで大泣きしてたやつが今さら何言ってんだ」

 雅は呆れつつも、歩調はちゃんとゆっくりだった。


 王様がその様子を見下ろして、満足そうに頷く。


「うむ」

「後始末までできて一人前である」


「お前ほんと最後まで偉そうだな!」


 また笑いが起きる。


 雅はそのまま晶を背負って、鏡花たちの方へ歩いていく。


「はい、お返しします」

 雅が言う。


「何その言い方」

 鏡花が笑う。


 だが、背中の上の晶はまだぐすぐすしていた。


「お姉ちゃん……っ」

「怖かったよぉーー」

「何あれ、無茶苦茶だよぉーー」


 背から降ろされた途端、半泣きだった晶は鏡花の元で本泣きになった。


 ぐしゃぐしゃの顔のまま鏡花へしがみつき、声を上げて泣きじゃくる。


「よしよし」

 鏡花が背中をぽんぽんと撫でる。

「よく堪えたわ、晶」

「次はペア頑張ろっ、ねっ」


「うええ、ひっく、うぅぅ……」


 そこには、さっきまで優雅に光を操っていた術者の姿はもうなく、完全に泣かされた妹の姿しかなかった。


 圧倒的すぎるスケールで勝利を収めた王様だった。


     ◇


 そんな中、次の名が呼ばれる。


「次、鳴海新、透川鏡花」


 鏡花が、晶の肩をもう一度撫でた。


「呼ばれたわ」

「お姉ちゃん、行ってくるね」


「うぅ……頑張ってぇ……」


 まだ目元を真っ赤にした晶が、鼻をすすりながら手を振る。


 一方、新も静かに前へ出た。


「……行くか、ミラ」


「ええ、新さん」


     ◇


「始めっ!」


 開始の号令と同時に、二人の足元の空気が揺れた。


 先に動いたのは鏡花だった。


 指先をひらりと払う。

 その動きに応じて、傍らの鏡の精霊が薄い鏡片を数枚、扇のように空中へ滑らせた。


 きらり、と光が走る。


 正面からではない。

 斜め。

 横。

 死角ぎりぎり。


 相手の視線の外を撫でるように、鏡面が配置される。


「君、どうやら先が見えるみたいね」


 にこりと笑いながら、鏡花はもう仕掛けている。


 鏡片の一枚に新の姿が映る。

 次の瞬間、その像が揺れ、反射した光が小さな刃みたいに飛んだ。


 新は半歩ずれる。


 頬の横を光が掠めた。


「そうですけど、何ですか」


 答えながら、新もじっとしてはいなかった。


 足元を抜けるように風を走らせる。


 強くはない。

 けれど細い風が何本も床を這い、鏡花の足運びを測るように伸びていく。


 その風に触れた位置で、鏡花の鏡片がわずかに揺れた。


「かっこいいじゃないっ」


 そう言って鏡花はくるりと体を開く。


 散っていた鏡片が連動した。

 前方の一枚が光を反射し、別の一枚へ。

 さらに別の一枚へ。

 鋭い閃きが角度を変えながら、新の側面へ回り込む。


「ありがとうございますっ」


 新は短く返し、指先を動かした。


 ごう、と横殴りの風が起こる。


 まっすぐぶつけるのではない。

 鏡片と鏡片のあいだを抜け、光の通り道そのものを乱す風だ。


 光がぶれる。

 角度が狂う。

 新を狙っていた閃きは、わずかに逸れて後方へ散った。


「へえ」

 鏡花が目を細める。

「ちゃんと嫌なところに触ってくるのね、君」


「透川先輩こそ」

 新は低く返す。

「喋りながら手が早いですね」


「そういうのは嫌いじゃないでしょ?」


 言いながら、鏡花は今度は真正面から来た。


 足元に小さな鏡陣が広がる。

 そこから立ち上がるように、薄い鏡面が三枚、四枚と新の周囲へ回り込む。


 正面を見ていても、横から映される。

 横を見れば、背後が映る。


 視界そのものがじわじわ増やされていく感覚。


 鏡の精霊が、やわらかく微笑んだ。


「君を映してあげる」


 だが新は、そこで一度息を落とした。


 風が静まる。

 いや、静まったように見えて、その実、足元ではもう次の流れができている。


 鏡花が踏み込む一歩先。

 鏡片が並ぶ角度。

 光が抜ける細い線。


 その全部を、風が撫でるように測っていく。


 新が小さく息を吸う。


「――Foresight」


 左目に、白銀の時計の紋が浮かび上がった。


 その瞬間、鏡花の目が細くなった。


「来たわね、それ」


 鏡花の傍らで、鏡の精霊が静かに前へ出る。


 だが、その次の瞬間。


 鏡の精霊の表情が、ほんの少しだけ変わった。


「鏡花さん、これは無理です」


「え?」


「これはこちらに向けられたものではありません」

「だから、映せません」


 鏡花の顔が変わる。


「……そう」


 唇の端をわずかに上げる。


「なら――」


 その気配だけで、新には分かった。


「なら、鏡の世界ですか」


「!?」


 鏡花が目を見開く。


「読まれた!?」


「やってみてくださいよ、透川先輩」


 その静かな言い方が、逆に神経を逆撫でする。


「二年のくせに、偉そうに言うわね!」


「潰せるもんなら、潰してみてください」


「言ったわね!」


 鏡花が術を起こす。


「鏡の――」


 その瞬間だった。


「あれ?」


 新がいない。


 さっきまで正面にいたはずなのに、もうそこにいなかった。


「消えた……?」


「ここです」


「うわっ!?」


 脇から声がして、鏡花は思わず後退る。


 すぐ横に、新が立っていた。


「……なぜ」


 鏡花の喉がひくりと鳴る。


「なぜ、そんなところにいるの、君?」


 新はすぐには答えなかった。

 自分でも、まだうまく説明できないからだ。


「俺にも、まだ分かりません」

「でも、多分――」


 一拍。


「今が、遅い」


「……っ」


 鏡花の背筋に、冷たいものが走る。


「何、それ……」


「見てから動いてるんじゃない」

「考えてからでもない」

「多分、先にいるんです」


「意味が分からない……」


「俺も、ちゃんとは分かってないです」

「でも、透川先輩が見てる今に俺がいないなら」

「多分、そこにはもういない」


 鏡花の呼吸が乱れる。


 見ている。

 映している。

 なのに、像が定まらない。


「……君、本当に何なの」


 新は少しだけ目を伏せた。


「俺にも、まだ分かりません」


 その返しが、かえって不気味だった。


     ◇


 あの時も、きっかけはほんの小さなズレだった。


 山田先生との練習。

 先見に慣れるための、ただのキャッチボール。


 普段は右目で今を見る。

 必要な時に左目で先を見る。


 そうやって少しずつ、自分なりの切り替え方を掴み始めていた頃だった。


 何度目かのやり取りで、新は切り替えを誤った。


 今へ戻す前に、先見のまま踏み出してしまったのだ。


 その瞬間。


 かち。


 目の奥で、白銀の時計が鳴った。


 ただ音がしたのではない。

 世界の噛み合わせが、一枚ずれた。


 新の視界の中で、“今”が少しだけ遠のく。

 代わりに、“その一歩先にある自分の位置”が、異様なほど鮮やかに浮かび上がった。


 そこに、もういる。


 まだ踏み出していないはずなのに。

 まだ到達していないはずなのに。

 先の自分だけが、その場所に立っている。


 風が吹いた。


 背を押したのではない。

 足元をさらったのでもない。


 風が掴んだのは、新の“今”ではなかった。


 ほんの一拍先に在る新。

 まだ未来にいるはずの、その輪郭。


 新の身体が、引かれる。


 前へ、ではない。

 速く、でもない。


 もっと奇妙だった。


 途中の一拍が、落ちる。


 歩いたのではない。

 駆けたのでもない。

 踏み込むはずだった“間”だけが、まるごと抜け落ちる。


 今にいる新が、先にいる新へ吸い込まれる。


 時間が、飛んだ。


 新だけの時間が、“今”を飛び越えた。


 そして数瞬遅れて、置き去りにされた“今”の方が追いついてくる。


 山田先生の投げたボールは、新がいたはずの場所をすり抜けた。


 その次の瞬間には、新はもう別の位置に立っていた。


「……え?」


 いちばん驚いたのは、新自身だった。


「鳴海さん?」

 山田先生が目を見開く。

「今の……何でした?」


「大丈夫ですか?」

「気分は? めまいはありませんか?」


 すぐに体調を気にするのが、いかにも山田先生らしかった。


 その横で、クロノスが細く笑う。


「まあ」

「そういうことも、できるのね」


「クロノスさん?」

 山田先生がそちらを見る。


 ミラだけは最初から新を見ていた。


 そして、ふっと目を細める。


「なるほど」


 やわらかく、けれど確信めいた声。


「今のは、“視た”んじゃないわね」


 新が振り向く。


「先に触ったのよ」

「新さん、自分でも分かってないでしょう?」


 答えられなかった。


 でも、ミラだけは輪郭を掴んでいた。


 Foresightの本当の力。


 それは――先取りの力だった。


     ◇


「くっ……それでも!」


 鏡花が歯を食いしばる。


「私に映せないものはないんだっ!」


 鏡花の周囲全域へ鏡を張り巡らせる。


 前後左右。

 斜め上。

 足元。


 死角を埋めるように、無数の鏡面が立ち上がっていく。


「これで全部見える……!」


 だが。


 鏡が顕現する、その瞬間。


 ごうっ、と旋風が起こった。


「えっ」


 立ち上がりきる前の鏡面が、まとめて攫われる。


 撒き散らされる。

 弾かれる。

 向きを失い、空中で回転する。


 吹き飛んだ鏡の一枚が、鏡花自身を映した。


「あ……私……!?」


 細切れになった鏡の中に、自分が映る。


 追い詰めている側のはずの自分。

 見ている側のはずの自分。


 なのに、その視界のどこにも新がいない。


 映るのは、自分ばかりだ。


「私は……」

 鏡花の声が揺れる。

「一体、誰と戦って……!?」


 その瞬間だった。


 足元に、一段強い旋風が起こる。


「わ……きゃあっ!」


 鏡花の身体がふわりと高く浮いた。


 踏ん張るより先に重心が消える。

 鏡が舞う。

 髪が揺れる。

 視界がぐらりと傾く。


「あ……落ち……!」


 その時。


 ふわっ。


「え……?」


 衝撃は来なかった。


 代わりに、温かい何かが身体を支えていた。


 新だった。


 新が鏡花の身体を受け止めていた。

 しかも勢いのまま、お姫様抱っこの体勢で。


「…………」


「…………」


 一瞬、時間が止まる。


 だが、本当にまずかったのはそこからだった。


 落ちると思った鏡花は、反射で新の首に両腕を回していた。

 しかもかなりしっかりと。


 胸元にも、顔が近い。


 会場中の視線が刺さる。


「――っ」


 鏡花の顔が一気に赤くなる。


「え、あ……」

 新も固まる。


 会場がざわついた。


「えっ」

「ちょっと待って」

「透川先輩、めちゃくちゃしがみついてない?」


 三年まで完全に動揺している。


「鏡花!?」

「しがみついてる! しがみついてるから!」


 二年側も変な方向で一気に沸く。


「鳴海、お前何してんだ!?」

「いや今のは透川先輩の方では!?」

「何だこの試合!」


 鏡花は、そこでようやく我に返った。


「っっ……!!」


 慌てて腕を離そうとする。

 だが焦りすぎて、逆に新の服をぎゅっと掴んでしまう。


「ち、違っ……!」

「これは、その……落ちると思って……!」


 言えば言うほど恥ずかしい。


 ついに鏡花は耐えきれなくなった。


「……降ろしなさいよぉ!!」


「え、あ、はい!」


 新は慌てて鏡花を降ろす。


 鏡花は着地すると、すぐに姿勢を正した。

 だが、顔の赤みはまるで引かない。


 耳まで真っ赤なまま、しばらくそっぽを向いていたが、やがて小さく咳払いをした。


「……分かったわよ」


 顔を逸らしたまま言う。


「私の負けでいいわ」


 その一言で、また会場がどよめく。


 だが、鏡花はそこで終わらなかった。


「でも!」


「え?」


 新が素で聞き返す。


 鏡花はまだ真っ赤な顔のまま、新を指差した。


「私にあんな恥ずかしい思いをさせた罰よ!」


「罰?」


「放課後、お茶に付き合いなさい!」


「ええ……」


 新の口から、間の抜けた声が漏れた。


 会場が一瞬静まり返る。


 それから。


「はあ!?」

「何その展開!?」

「負けた方が誘ってるぞ!?」

「しかも理由それかよ!」


 二年のギャラリーが一気に沸き、三年側も「えっ」「ちょっと待って」「鏡花?」と完全にざわついた。


 鏡花はそっぽを向いたまま、何も言い返さない。

 その耳まで赤いのが、余計に全部を物語っていた。


     ◇


 こうして、インターハイ校内予選個人の部の代表は決定した。


 選ばれたのは二年。


 圧倒的な破壊を見せつけた、光の精霊王を従える神代雅。

 そして、先を読み、そのさらに先を取る力を見せた鳴海新。


 三年が本来主役であるはずの大会で、その二人が代表の座を勝ち取ったことは、夢見ヶ丘高校の中でも小さくない波紋を呼んでいた。


「いや、ほんと二年どうなってんだよ」

「王様は意味分からないし、鳴海はもっと意味分からない」

「今年の個人戦、荒れすぎだろ……」


 そんな声があちこちで飛び交う。


 一方で、二年側もただ浮かれているわけではなかった。


 三年はやはり三年だった。

 彩葉も純香も、自分の形を見せながら、それでも透川姉妹には届かなかった。

 雅だって、王様が規格外だっただけで、最初の相手も十分すぎるほど脅威だった。


 簡単ではない。

 勝った者も、負けた者も、それをよく知った一日だった。


「……でも」

 彩葉が少しだけ笑う。

「面白くなってきたよね」


「ええ」

 純香も静かに頷く。

「悔しいけれど、それだけじゃないわ」


「まあな」

 雅が肩を回す。

「個人は決まったけど、まだ終わりじゃねえし」


 新も小さく息を吐いた。


 個人の部は決まった。

 けれど、それで終わりではない。


 むしろここからだ。


 インターハイへ向けた戦いは、まだ続く。

 そして次に待つのは――ペアの部。


 ざわめきの残る会場で、新はふと別の視線を感じた。


 見ると、少し離れたところで鏡花がまだほんのり顔を赤くしたまま、こちらを見ていた。

 目が合った瞬間、彼女はふいっとそっぽを向く。


 その仕草に、新は小さく首を傾げる。


「……放課後、お茶だっけ」


 呟くと、隣でミラがくすくす笑った。


「忙しいわね、新さん」


「他人事みたいに言わないでよ……」


 そのやり取りを聞いた雅が、にやりと口元を歪める。


「おい鳴海」

「お前、個人戦勝った上に何でイベントまで起こしてんだよ」


「知らないよ」


「知らないで済ませられないよね」

 彩葉が半分呆れたように言う。


 少しだけ笑いが起きた。


 悔しさも、熱も、ざわめきも、まだ残っている。

 でもその全部を抱えたまま、校内予選は次へ進んでいく。


 夢見ヶ丘高校個人の部代表は、光の精霊王・神代雅と、先読みの鳴海新。


 そうして大熱戦は一日目を終えた。

巻き込まれる新でした

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