第百十五話 波乱
次は純香だった。
「じゃあ、行ってくるわ」
静かに立ち上がる純香に、彩葉がすぐ声をかける。
「頑張ってね」
「ええ」
短く頷いた純香は、そのまま試合場へ向かった。
審判の声が響く。
「次、篠宮純香! 透川鏡花!」
その名が呼ばれた瞬間、三年のギャラリーがまた一気に沸いた。
「来た! お姉さんの方だ!」
「透川ー!」
「やってやれ!」
「見せつけてやれ!」
「撥ね返せ!」
「……撥ね返せ?」
新が小さく眉をひそめる。
「何だそれ」
だが、その意味はすぐに分かることになる。
◇
試合場の中央で、純香が静かに構える。
その向こうで、透川鏡花はにこりと笑った。
「来たわね、お姉さん」
「あはは」
鏡花は軽い調子で手を振る。
「また行かせてもらうね、二年生」
妹の晶とはまた違う。声音は柔らかいが、もっと軽く、もっと楽しんでいる感じがある。けれどその軽さが、逆に底の知れなさを際立たせていた。
審判が手を上げる。
「始めっ!」
「まずは見せてもらおうかしら」
純香はすぐには踏み込まなかった。
「テラ」
「……分かった」
低く落ち着いた返答。
純香は堅実に陣を引く。足元へ意識を落とし、地面の流れを読む。次の瞬間、土壁が立ち上がった。前方に一枚。さらに横へ。背後へ。必要な角度を埋めるように、重く分厚い壁が周囲を守る。
派手さはない。だが無駄もない。
守りを固めながら、相手の出方を見る。純香らしい、丁寧な立ち上がりだった。
「なるほどねっ」
鏡花が楽しそうに目を細める。
「そしたら、こちらもそれでいこっ」
次の瞬間。
純香の目の前で、鏡花の周囲にも土壁が立ち上がった。
「えっ」
純香の目がはっきりと見開かれる。
「何を驚いてるのかなっ」
鏡花が笑う。
「あなたがしたことでしょ?」
その傍らへ、精霊がすっと姿を見せた。
きらきらと光を反射している。鏡のような、硝子のような、薄く鋭い輝き。
「そうね、鏡花」
精霊が微笑む。
「土壁は“覚えた”わ」
「……覚えた……?」
その言葉に、二年のギャラリーだけでなく、三年のギャラリーまでどよめいた。
「もう覚えたらしいぞ!」
「早くない!?」
「やっぱり鏡花のあれ、意味が分からないって!」
だが純香はすぐに息を整えた。
「覚えたか何だか知らないけど」
「これならどう!」
純香がその場で地盤変動を起こす。
鏡花の足元が、ずるりと崩れた。踏ん張る間もなく、床が沈む。重さをかけた場所から支えが抜け、下へ引きずり込むように土が逃げていく。
「うわっ」
鏡花が一歩よろめく。
「足元やばっ」
「これはやばいですね、鏡花」
鏡の精霊が言う。
「でも――」
次の瞬間、その声音が変わった。
「もう覚えました」
「えっ」
その瞬間だった。
純香の足元も、同じように崩れだした。
「え、え、何これっ――きゃっ」
足を取られ、純香が尻餅をつく。
視線を上げると、鏡花の足元の崩れは途中で収まっていた。完全に落とし切る前に、まるで“写し返された”みたいに、純香の側へ同じ現象が現れている。
「これって……」
「さあ、次々いくよっ」
鏡花がぱっと手を払う。
倒れた純香の上から、土壁が覆い被さるように落ちてくる。
「っ!」
純香は転がるようにそれを避けた。
だが、避けた先の地盤がまた崩れる。
「何なの、これ!」
「あははっ」
鏡花が明るく笑う。
「何かしらね!」
純香は起き上がり、飛び退き、無理やり距離を取った。
その先で、鏡花は相変わらず悠然と立っている。傍らの精霊も、きらきらと楽しそうだ。
「さて」
鏡花が首を傾げる。
「次は何を“見せて”くれるのかしら」
純香は息を整えながら、相手を見る。
覚える。
見せる。
そして、あの連携。
頭の中で点が繋がる。
「……あなた」
純香が低く言う。
「こちらの動きを真似るのね」
「あはっ」
鏡花が嬉しそうに笑った。
「正解!」
傍らの精霊が優雅に一礼する。
「この子は鏡の精霊」
鏡花が言う。
「あなたを見て、それを覚えるわ」
「やりにくい……」
純香が小さく息を吐く。
試しに土弾を放つ。
重い塊が、まっすぐ鏡花へ飛ぶ。
「あはっ」
鏡花は目を細めた。
「見るまでもないわ」
次の瞬間、鏡のような光が閃いた。
土弾が弾かれる。
いや、ただ逸れたのではない。反射だ。
飛んできた角度のまま、純香へ返される。
「っ!」
純香は即座に土壁を立て、ガードする。
鈍い音が響く。
重い。しかも、自分の術だからこそ分かる。今のは威力までほとんどそのままだった。
「どうする?」
鏡花が楽しそうに言う。
「中途半端な攻撃は、覚えられてしまうよ?」
純香は黙って相手を見る。
攻めれば返される。
雑に守れば写される。
地盤を崩せば、自分も崩される。
やりにくいなんてものではない。
「ふふ」
鏡花が笑う。
「お互い、攻め手に欠ける」
「普通は、そう思っちゃうよねえ」
そこで、声の調子が少し変わる。
「でもね」
鏡の精霊が一歩前へ出る。
「――鏡の世界」
その瞬間、結界が展開した。
純香の周囲に、次々と鏡が現れる。
一枚。
二枚。
三枚。
いや、それどころではない。
前後左右、斜め上、足元にすら。大小さまざまな鏡が空間へ並び、純香の姿を無数に映し出していく。
視界が埋まる。
「きれいでしょ」
鏡花が笑う。
「この、たくさんのあなたが」
純香は、はっとした。
今、攻撃すればどうなる。
土壁を出す。
土弾を撃つ。
地盤を崩す。
その全部が、“自分を映す鏡”の中でどう返るのか。
「あなた自身を攻撃したら」
鏡花が小さく首を傾げる。
「どうなるかしら」
会場が静まり返る。
二年のギャラリーも、三年のギャラリーも、誰も軽口を叩かない。ただ、その光景を見ていた。
純香はしばらく黙っていた。
鏡。
自分。
返る術。
閉じた空間。
そして、静かに息を吐く。
「……降参よ」
一言、そう告げた。
一拍の沈黙。
そして、次の瞬間。
「うわあああっ!」
「また勝った!」
「さすが透川姉妹!」
「鏡の世界、相変わらずやばいな!」
三年のギャラリーが一気に沸く。
一方で二年は、完全に戦慄していた。
「なんだ、あれ……」
新が思わず漏らす。
「攻撃は効かない上に返されるの?」
彩葉が顔を引きつらせる。
「しかも最後、攻めたら自分に返るってことだろ」
雅が眉をひそめる。
「めちゃくちゃやりにくいじゃねえか」
純香が試合場から戻ってくる。
悔しさはある。だが、その表情は完全に崩れてはいなかった。
「おかえり」
彩葉が言う。
「……ただいま」
純香が静かに返す。
「どうだった?」
新が聞く。
純香は少しだけ目を伏せ、それから正面を見た。
「噂に違わぬ実力者だったわ」
◇
やはり、三年は三年だった。
一筋縄ではいかない。
さっきまでの試合を振り返るだけでも、それははっきりしていた。彩葉も純香も、自分の形をきちんと持っていた。けれど、それでも透川姉妹には届かなかった。
初戦の雅の相手だってそうだ。
王様が規格外だったから押し潰せただけで、あの要塞そのものは本当に堅牢だった。正面からやり合っていたら、雅でもかなり苦戦していたはずだ。
「さすがだね、三年」
新が小さく言う。
「そうね」
純香も頷く。
「簡単にはいかないわ」
その空気の中で、次の名が呼ばれた。
「次、鳴海新」
「行くか」
新が前へ出る。
「頑張ってね」
彩葉が声をかける。
「うん」
短く返して、新は試合場へ向かった。
相手は、また三年だった。
その立ち姿を見ただけで、軽い相手ではないと分かる。気配が静かすぎる。浮ついたところがない。経験の差が、そのまま立ち方に出ていた。
新は小さく息を吸う。
気持ちを引き締める。
◇
「お願いします」
「よろしく」
審判が下がる。
新は、すっと風を立ち上げた。
「いくぞ、ミラ」
「ええ」
やわらかな返事と同時に、周囲の空気が薄く震える。
だが、その瞬間だった。
「……そっちも風か」
相手の三年がそう言った。
新は顔を上げる。
「こっちもだ」
次の瞬間、三年の周囲にも風が立ち上がる。
大きい。
強い。
ただ流れるのではなく、術者の周囲を軸にして渦を巻くような、重さのある風だった。
「新さん」
ミラが静かに言う。
「相手の風、かなりです」
「それっぽいね」
三年がにやりと笑う。
「いくぞ、二年」
風刃が新を襲う。
鋭い。
複数の刃が角度を変えながら飛び込み、最初から防がせる前提で撃ち込まれてくる。
ミラが前へ出る。
風陣が立つ。
ばしっ、と風同士がぶつかり、刃が砕ける。
だが、その間に。
三年がもう間合いを詰めていた。
「っ!」
至近距離から、風圧が叩き込まれる。
新は受ける。
受けるが、踏ん張り切れない。
胸元を押し込まれ、後ろへ弾かれる。
その足元を、さらに風が掬った。
「うわっ」
新が転倒する。
「悪いけど」
三年の声が落ちる。
「二年だからって、手は抜かないよ」
そのまま被せるように旋風を展開するのが見えた。
新は反射的に距離を取る。
「ミラ」
「そうね」
ミラの声も、もう軽くはない。
「本気でいこう」
新が息を吸う。
「――Foresight」
その瞬間、片目に白銀の時計の紋が浮かんだ。
それを見た三年の表情が変わる。
「それ……山田先生と同じ……!」
かち。
世界が一拍、ずれた。
先が見える。
旋風を囮に、三年が回り込もうとする。
その通り道が見える。
新は、そこへ先に突風を置いた。
次の瞬間。
「うわっ!?」
三年が風に煽られ、よろめいて倒れる。
「何だ、今の!?」
起き上がる。
次は風陣による防御を張るのが見える。
新は、その風陣が置かれる場所に、先に旋風を置いた。
「!? 何だ!? 先に!?」
風陣が立つ前に、立つはずだった場所を風が喰っている。
ギャラリーがざわつき始める。
「何か、二年おかしくないか?」
「先読み……?」
「いや、先読みにしては精度が高すぎる」
三年の呼吸が少しずつ荒くなる。
「くそっ……何だ!?」
「何かおかしい……!」
間合いを詰めようと踏み出す。
その足元から風が吹き抜け、足を払う。
思わず引っ込める。
だが、その引いた先にも、もう風がいる。
その瞬間、三年の背中に冷たいものが走った。
二年の方は、ただじっとこちらを見ている。
凝視している。
一挙手一投足を逃さないように。
いや、逃さないのではない。
もう先に知っているみたいに。
「くっ……!」
三年が歯を食いしばる。
「舐めるなっ!」
今度は自分から突風を起こそうとする。
だが、発生するはずだったその内側から、逆に風が爆ぜた。
「っ、うわあっ!」
自分の術の起点ごと吹き飛ばされ、三年が大きくよろめいて倒れる。
「……あの目」
三年が苦しげに息を吐く。
「先が、読まれているのか……」
どうすればいい。
どう動けばいい。
その迷いが生まれた瞬間。
新の目に、次の“先”が転がり込んだ。
体を低く起こし、転がるように立ち上がる。
正面から突風を起こして視界を塞ぎ、その内側を走り込む。
そう来る。
新は、正面へ突風を起こした。
視界が荒れる。
「くっ、このくらいの風っ――」
三年がその中を無理やり抜けようとした、その時だった。
背後から、手が触れた。
「……っ!?」
新の手が、三年の背中を正確に捉えていた。
動きが、止まる。
正面の風に意識を向けた、その一拍先。
もう新は、回り込んだ後だった。
会場が、しんと静まる。
三年は目を見開いたまま、しばらく動かなかった。
それから、ゆっくりと息を吐く。
「……分かった」
一言、そう告げる。
「負けだ」
次の瞬間、二年のギャラリーが爆発した。
「うわああああっ!」
「鳴海!!」
「何だ今の!?」
「勝った!? 本当に!?」
一方、三年のギャラリーは、何が起きたのか分かっていない顔の者も多かった。
「何が起きた?」
「先読み? 何なの?」
「あの三年が、あっさり背後取られるなんて……」
試合場の中央で、新は静かに息を吐く。
ミラが隣で、くすっと笑った。
「上手」
「ちゃんと読めてたわよ、新」
新はまだ熱を残した呼吸のまま、小さく頷いた。
開幕から、校内予選に確かな波乱が起きていた。
foresight初実戦です




