第百十二話 持ち帰ったもの
四天高校との練習試合が終わった。
ついさっきまで演習場を満たしていた熱と緊張が、少しずつほどけていく。張り詰めていた空気が和らぐと、不思議なくらい、全身に残る疲労まで心地よく感じられた。
「ありがとうございましたっ」
夢見ヶ丘の面々が頭を下げると、四天側もそれぞれ手を振ったり笑ったりしながら応じる。
「いやあ」
律が両手を腰に当てて、まっすぐ新たちを見る。
「えらい強なったなあ、ほんま」
その言葉は、からかいではなく、素直な感心だった。
「彩葉ちゃん純香ちゃん、連携うまいし」
「雅は王様強いし」
「新なんか、全然歯がたたんかったもんな」
最後の一言に、新は思わず苦笑した。
「いやいや」
「カサネさん、普通に強いし、圧倒的にそっちでしょ」
「一ノ瀬との連携も凶悪すぎるし」
「凶悪て」
律が笑う。
「でも実際そうだよ」
一ノ瀬も静かに言った。
「律が暴れて、僕が通す」
「単純だけど、それが一番強い時もあるから」
「単純って言うけど、十分すぎるほど厄介だったわ」
純香が小さく息をつく。
「ほんとだよ」
彩葉も肩をすくめた。
「相手の無力化と味方の強化を同時にやるの、反則級だからね?」
「えへへ」
律が少し得意そうに笑う。
「せやろ?」
「褒められて伸びるタイプなんだから」
一ノ瀬が淡々と言う。
「何その言い方!」
律が即座につっこむが、顔はどう見ても嬉しそうだった。
そんなやり取りを見て、雅も鼻で笑う。
「でもまあ、面白かったな」
「本気でぶつかれる相手って、やっぱいいわ」
「うん」
新も頷く。
「思ってた以上に得るもの多かった」
「そうね」
純香も静かに言う。
「自分たちに足りないものも、ちゃんと見えたし」
「見えすぎて、ちょっと胃が痛くなるやつもあったけどねー」
彩葉が言うと、みんな少しだけ笑った。
この遠征が、ただの交流で終わらなかったことは、全員が分かっていた。
「お互い、本戦出られるように頑張ろう」
新が言う。
「ほんまな」
律が頷く。
「お互い、な」
一ノ瀬が静かに手を差し出した。
「次は本番で」
「ちゃんと、もっと仕上げて会おう」
「ああ」
新がその手を取る。
続いて雅が律と握手し、彩葉と純香もそれぞれ言葉を交わす。瑠璃もやわらかく微笑みながら別れの挨拶をした。翡翠は植木鉢の中から小さく手を振って、「ばいばい」と言い、律に「かわいすぎるやろ」と本気で悶えられていた。
最後は皆と握手して別れた。
◇
四天を出て、少しずつ見慣れた空気へ戻っていく帰り道。
行きの高揚とは違う、どこか満ちた静けさがあった。たくさんぶつかって、たくさん見て、それぞれが何かを持って帰っている。そんな空気だった。
その中で、新はずっと隣の気配を感じていた。
ミラだ。
風の精霊は、さっきからずっとにまにましている。
「……何」
新が半眼で言う。
「さっきからずっと機嫌いいよな」
「好きなんだよね」
ミラがすぐ返す。
「こういうの」
「こういうの?」
新が聞き返す。
「青春ってしてるの」
ミラがくすくす笑う。
「なんかさ、こう……若いって感じ、溢れてるから」
「はいはい」
新が適当に返す。
「ミラさんは、そうですね」
「新、何それ」
ミラが口を尖らせる。
「ちょっと冷たくない?」
「いいえ、そんなことないですー」
新が抑揚のない声で返す。
「あるよー」
ミラは楽しそうだった。
「でも、そういう雑さも前より余裕出てきた感じするから嫌いじゃない」
「……そういうとこだぞ」
新が小さく言う。
そのやり取りを横で聞いていた雅が、はあっと大げさにため息をついた。
「いいよなあ、新は」
「そんな美人のエレメントで」
「え」
彩葉がそちらを見る。
「俺なんかおっさんだぞ、おっさん」
雅が真顔で言う。
「しかもムキムキのおっさん」
「失礼であるぞ」
王様の低い声が即座に飛ぶ。
「ほら」
彩葉が肩をすくめる。
「そんなこと言ってたら王様、拗ねるよ?」
「拗ねるというか、怒ってるだろもう」
新が言う。
「余は寛大である」
王様は厳かに言った。
「だが、そなたの審美眼にはやや難があるな、雅よ」
「いやお前、そういうとこだぞほんと」
雅が額を押さえる。
けれど、そのやり取りもどこか前より自然だった。
「でも」
彩葉がふと真面目な顔になる。
「前より感覚、掴めた感じするよね」
「ええ」
純香が頷く。
「イメージにうまく呼応するようになってきたわね」
「無理に押しつけるんじゃなくて、向こうが返してくる感じが少しずつ分かってきた」
「分かる」
彩葉も嬉しそうに言う。
「前よりずっと、噛み合ってきた感じする」
「俺も」
雅が言う。
「王様、めんどくさいけど、前より確実に深く出せるようになった」
「そのぶん維持で死にそうだけど」
「儀式が足りぬのだ」
王様が当然のように言う。
「だからその儀式って何だよ……」
雅がうんざりする。
瑠璃はそんなやり取りを見ながら、やわらかく笑っていた。
「私は見てるだけだったけど、楽しかったよ」
そう言って腕の中の植木鉢を覗き込む。
「ね、翡翠?」
「たのしかった」
翡翠が素直に答える。
「よかった」
瑠璃は嬉しそうに目を細めた。
それぞれが、それぞれに得るものを持ち帰っていた。
相手の強さ。
自分の今。
足りないもの。
そして、確かに伸びているところ。
遠征は、ちゃんと意味のあるものになっていた。
◇
夢見ヶ丘に戻って解散になったあとも、新の頭の中では、さっきのことが何度も反芻されていた。
白銀の時計。
先に見えた一拍。
ミラ。
そして、クロノスが反応していた理由。
感覚としては掴めた。
けれど、それをどう扱えばいいのかは、まだ分からない。
「……やっぱり」
新は小さく呟く。
こういう時に聞く相手は、一人しかいなかった。
◇
夢見ヶ丘に帰って来てすぐ、新は山田先生を尋ねた。
召喚実習室の扉をノックすると、中からすぐにやわらかな声が返ってくる。
「はい、どうぞ」
扉を開けると、山田先生はちょうど資料を整えているところだった。けれど新の顔を見るなり、その手を止める。
「あら」
「何かありましたか?」
ただ来ただけではない、と、もう察しているような顔だった。
新がどう言おうか少し迷った、その時だった。
すっと、一歩前へ出る気配がある。
ミラだった。
風にほどけるような輪郭のまま、けれど今はいつもよりずっと静かで、凛としている。ミラは山田先生の前まで進み出ると、その場で深く傅いた。
「お初にお目にかかります」
「クロノス様」
その言い方に、新は思わず目を瞬く。
ミラはそのまま、頭を垂れたまま続けた。
「ミラと申します」
その瞬間、山田先生の周囲の空気がふわりと変わった。
時間の針が一拍だけ別の位相へ滑るような、あの独特の感覚。やがてその場へ、やわらかな気配が顕れる。
「ええ、知っていますよ」
朗らかな、それでいてどこか格の高い声が落ちる。
「ミラ」
クロノスだった。
山田先生の傍らへ姿を見せたクロノスは、ミラを見下ろすでもなく、ただ当然のようにそこに在った。
「私の眷属になったのね」
その言葉を、ミラは静かに受けた。
「はい」
短い返事だった。けれどそこには、軽さも冗談めいた響きもなかった。新がこれまで知っていたミラとは少し違う、正式に名を名乗る者の顔だった。
山田先生はそのやり取りを見て、小さく頷く。
「そういうことでしたか」
新はようやく口を開く。
「山田先生」
「何か……先が見えるようになりました」
「あらあら」
山田先生の目が少しだけやわらかくなる。驚きはある。でも、それ以上に、ようやく繋がったものを見たような納得があった。
ただ、山田先生はすぐに別のことを気にした。
「鳴海さん」
「体の不調はありませんか?」
その声はやさしいが、冗談ではない。自分の経験があるからこそ、先にそこを確認しているのだと分かる。
新は少しだけ姿勢を正した。
「ありません」
山田先生はその返事を聞いても、すぐには安心しきらなかった。じっと新の顔色を見て、呼吸の乱れや足元の揺れまで確かめるみたいに視線を巡らせる。
「気持ち悪さや、めまいは?」
「視界のずれとか」
「立っていて、床が不安定に見えたりはしませんか?」
「そこまではないです」
新は首を振る。
「ただ、ほんの一瞬だけ……来る前に、来る先が分かる感じです」
「見えるっていうより、先にそこへ触れるみたいな」
「なるほど」
山田先生は静かに頷いた。
その横で、クロノスが楽しそうに目を細める。
「ええ」
「そういう始まり方もあるわね」
新は、やはりと思いながらクロノスを見る。
「やっぱり、知ってたんですね」
するとクロノスは、くすっと笑った。
「知っていた、というより」
「生まれるのを待っていた、が近いかしら」
新は少し眉を寄せる。
「生まれる……」
「先見は便利ではあるの」
クロノスはやわらかな声のまま、少しだけ真面目な色を混ぜた。
「先を見るというのは、ある意味では私をも凌駕する力だわ」
新は息を呑む。
時の精霊であるクロノスが、自分でそう言う。それだけで、この力の重さが分かる気がした。
「ゆえに」
クロノスの声音は静かだった。
「飲まれると、自分を見失うの」
「自分を……?」
新が聞き返す。
「ええ」
クロノスは頷く。
「過信して見誤る」
「真実を見失う」
「疑心暗鬼になる」
そこで一度だけ、山田先生をちらりと見る。
「先が見える、というのは」
山田先生がその言葉を引き継ぐ。
「とても強いことです」
「でも同時に、“見えている気がする”ことに引っ張られやすくもあります」
新は黙って聞いていた。
「バランスを崩した時の落ち方は」
クロノスが微笑みを消して言う。
「他の比ではないわ」
実習室の空気が、少しだけ重くなる。
便利。
強い。
珍しい。
でも、それだけでは済まないのだと、今の言い方だけで十分伝わった。
「だからこそ」
山田先生がやわらかく言う。
「適切に扱わないといけないんです」
新は小さく頷いた。
「……どうすれば」
少し間を置いてから聞く。
「上手く扱えるようになるんですか」
「それはねえ?」
クロノスがにこりと笑う。
「そうですね」
山田先生も同時に頷く。
そして二人は、ぴたりと声を揃えた。
「努力!」
「やっぱりそれかあ……」
新は思わず頭を抱えた。
ミラが隣でくすっと笑う。
「夢がないみたいな顔しないでよ」
「でも、ほんとのことでしょ?」
「ほんとのことです」
山田先生が即答する。
「それしかありませんから」
「やはり、先ずは慣れることですね」
クロノスが言う。
「視ることに慣れる」
「視たまま動くことに慣れる」
「そして、“視えなかった時の自分”を忘れないことにも慣れる」
「慣れる、か……」
新が呟く。
「ええ」
山田先生は頷いた。
「例えば、キャッチボールなどいかがでしょうか」
「キャッチボールって」
新がきょとんとする。
「あの、キャッチボールですか?」
「ええ」
山田先生は真面目な顔で言った。
「先見を使うと、簡単にキャッチできるでしょう?」
「まあ、たしかに……」
「でも、そのまま続けていくと」
クロノスが楽しそうに口を挟む。
「今なのか、先なのか、だんだん分からなくなるのよ」
「なるほど……?」
分かるような、分からないような説明だった。
だが山田先生はもう立ち上がっていた。
「ちょうどいいボール、ありましたよね」
「この前の実習で使った――」
「先生、準備早くないですか」
新が言う。
「こういうのは」
山田先生が振り返る。
「思い立った時にやった方がいいですから」
ミラはその横で、面白がるように笑っている。
「いいじゃない」
「やってみましょ、新」
◇
実習室の隅を少し空けて、即席の練習が始まった。
山田先生が持ってきたのは、ごく普通のボールだった。特別な魔道具でも何でもない。だからこそ、今はちょうどいいのだろう。
「じゃあ、最初は軽くね」
山田先生が言う。
「はい」
「ミラ」
クロノスが言う。
「最初は補助だけでいいわよ」
「はーい」
ミラが軽く返す。
新はボールを構えた。
深く息を吸う。
目を閉じる。
開く。
白銀の時計が、ふっと目の奥に立ち上がる。
山田先生が軽く投げる。
その瞬間、新には飛んでくる先が見えた。
どこに来るか。
どこへ手を出せばいいか。
それが先に分かる。
新はすっとそこへ手を伸ばした。
ぱしっ。
「まあ」
山田先生が小さく笑う。
「ちゃんと取れましたね」
「……簡単だ」
「でしょう?」
クロノスがくすっと笑う。
今度は投げ返す。
山田先生が取る。
また投げる。
新が取る。
投げ返す。
最初は本当に簡単だった。
飛んでくるところに、いればいい。
それだけだ。
投げ返す。
飛んでくる。
投げ返す。
飛んでくる。
先が見える。
だから迷わない。
「いい感じね」
ミラが言う。
「そのまま、そのまま」
新も最初は、少しだけ余裕が出てきた。
分かる。
ちゃんと分かる。
来る前に、来る先がある。
それをなぞるだけでいい。
投げ返す。
飛んでくる。
投げ返す。
飛んでくる。
でも。
何回目かの往復で、ふと感覚がずれた。
「……あれ」
今、取ったのは今だろうか。
それとも、少し先だっただろうか。
投げた。
飛んでくる。
取る。
その順番が、一瞬だけ曖昧になる。
「……今って」
手を出す。
「いつ?」
ぼすっ。
「……いてっ」
新の額に、ボールがきれいに当たった。
一拍遅れて、実習室の空気が止まる。
それから。
「っ、ふふ」
山田先生が吹き出すのを堪えるように口元を押さえる。
「だから言ったでしょう?」
クロノスが楽しそうに笑う。
「先なのか今なのか、分からなくなるって」
「新、大丈夫?」
ミラが言う。
でも声音は少しも心配していない。
「今の、すごく綺麗に当たったわよ」
「慰めになってない……」
新は額を押さえた。
じんわり痛い。
けれど、それ以上に悔しい。
「そういうことです」
山田先生がやさしく言う。
「使えることと、扱えることは違うんですよ」
新は額を押さえたまま、深く息を吐いた。
「……なるほど」
「簡単じゃないな、これ」
「ええ」
クロノスが微笑む。
「だから努力、なのよ」
それから何回か、キャッチボールを続けた。
やっているうちに、新にも少しずつ分かってきた。
この先見――思ったより、ずっと厄介な代物だ。
“先”に、引っ張られる。
今ここにいるはずなのに、意識だけが一拍先へ滑る。
見えているのはたしかに自分の未来なのに、そちらへ意識を持っていかれて、今との切り替えが間に合わない。
先と今。
その二つの認識が、きれいに重ならない。
少しずれる。
少し混乱する。
その少しが、思っていた以上にやっかいだった。
「難しいでしょう?」
山田先生が、ボールを受け取りながらやわらかく笑う。
「……難しいです」
新は正直に答えた。
「先生も、こんな感覚だったんですか?」
「私は少し違いましたね」
山田先生は軽く首を振る。
「平衡感覚のずれからくる眩暈や吐き気でした」
「慣れるまで何度も吐いて……半年かかりました」
「半年……」
新は思わず小さく繰り返した。
軽く言われたけれど、その重さは十分すぎるほど伝わってきた。
投げられたボールを受け取りながら、新はじっと自分の手を見る。
次に山田先生が受け取る位置が、先に見える。
そこへ返す。
投げる前に、受け取る先生が見えている。
でも今ここで自分がボールを握っている感覚もある。
現実が、イメージへ重なる。
少しずつ慣れてはきている。
最初よりずっと、ずれは小さい。
それでも、まだ決定的な何かを掴めずにいた。
「先生は、どうやって切り替えてるんですか?」
新が聞く。
「私ですか?」
山田先生はボールを軽く持ち直しながら言った。
「私は意図的に、時空変異を唱えて切り替えてますよ」
新は瞬きをする。
「唱えて?」
「ええ」
山田先生は頷く。
「あれ、ほんとは唱えなくてもいいんですよ」
「え!?」
新が素っ頓狂な声を上げた。
「いらなかったんですか!?」
「そうなんです」
山田先生はくすっと笑う。
「唱えた方が、頭が“ああ、今からこれを使うんだ”って認識してくれるので」
「だから、私はそうしているんです」
「そうか……そうか」
新は小さく呟く。
切り替えられないなら、切り替えるきっかけを作ればいい。
当たり前のことみたいで、でも今の自分にはかなり大きなヒントだった。
「ヒントになりました?」
山田先生が少し楽しそうに笑う。
「なりました」
新は素直に頷いた。
それから少し考えて、ふっと目を細める。
「……だったら」
新は先見を、片目だけにした。
右目の奥にだけ、白銀の時計の紋が静かに浮かぶ。
左目には、今の実習室。
右目には、ほんの一拍先の流れ。
両方がいっぺんに来るのではなく、役割を分ける。
「……あ」
新が小さく声を漏らした。
さっきまでより、少しだけ分かりやすい。
今と先が、完全に混ざらない。
「普段は左目で、今を見る」
新がゆっくり言葉にする。
「必要な時に右目を使って、先を見る」
もう一度、ボールが飛んでくる。
左目で今を見る。
右目で先を見る。
同時に見れば、今と先が重なって見える。
最初は少し戸惑う。
でも、役割がはっきりしている分、さっきよりずっと認識が整理される。
距離感こそまだコツがいる。
けれど、慣れれば使い勝手はかなり良さそうだった。
ぱしっ。
ぽん。
ぱしっ。
何度か続けても、今度はミスが少ない。
「中々、よくなってきてますよ」
山田先生がやわらかく言う。
「ミスも減りましたね」
クロノスも楽しそうに微笑む。
新はもう一度、ボールを受けてから返した。
今と先が、きれいに並ぶ。
完全にひとつにはならない。
でも、分けたまま扱える。
「……これ」
新が少しだけ目を見開く。
「中々、良い感じです」
「そうですね」
山田先生も頷いた。
「それが、鳴海さんの形ですね」
新は、はっとした。
「俺だけの、形……」
その言い方が、胸にすとんと落ちた。
同じような能力でも、山田先生とは違う。
同じ“時に触れる力”でも、クロノスのものとも違う。
自分には自分の使い方がある。
その当たり前のことが、今ようやく実感を持って分かった気がした。
「私みたいに」
山田先生が軽くボールを持ちながら言う。
「何か名前をつけて、意識的に後押しをしてみてもいいかもしれませんね」
「名前……」
「もちろん、なくても構いませんけど」
山田先生は微笑む。
「自分の中で切り替えるきっかけにはなりますから」
新は少し黙った。
名前。
時空変異。
加速する時計。
狂い出す時計。
山田先生は、そうやって“自分の術”として定めていた。
だったら、自分も。
「そうだな……」
右目の奥で、白銀の時計が静かに回る。
先を見る。
先を読む。
先見の明。
その言葉が、自然に浮かんだ。
「――Foresight」
新が小さく呟く。
ミラが、ふっと目を細める。
クロノスも、面白そうに笑った。
「foresightにします、先生」
「いいですね」
山田先生がやわらかく頷く。
「それでいきましょう」
新は、もう一度右目を閉じ、ゆっくり開いた。
白銀の紋が、静かに立ち上がる。
左目で今を見る。
右目で先を見る。
その切り替えが、さっきより少しだけ自然だった。
ミラが、隣で嬉しそうに笑う。
「いい名前」
「やっと、ちゃんと呼べるわね」
新は小さく息を吐いて、もう一度ボールを構えた。
まだ入口だ。
まだ始まったばかりだ。
でも、今はもう分かる。
ただ“見える”だけじゃない。
どう扱うかを、自分で決めていく力なのだと。
実習室の窓の外で、風がやわらかく揺れていた。
その音は、どこか祝福みたいにも聞こえた。
foresight:先見の明




