第百八話 インターハイのお知らせ
朝のホームルーム。
出席確認を終えた浅見先生は、教壇の上で出席簿を閉じると、いつもの淡々とした声で言った。
「今日は、ひとつ連絡があります」
それだけで、教室の空気が少し変わる。
浅見先生は声を張るタイプではない。けれど、だからこそ、こうして改まって言葉を置かれると、逆にみんな耳を向ける。
「今年のインターハイについてです」
一拍。
教室のあちこちで、空気が揺れた。
「おっ」
「来た」
「ついにか」
「インターハイ……」
そんな声が小さく漏れる中、浅見先生は黒板へさらさらと書き込んでいく。
インターハイ
個人戦
ペア戦
「競技は、個人戦とペア戦の二種類です」
「校内予選で本校の出場選手を決めます」
「その後、地区大会を経て、全国大会へ進む流れです」
書きながら、さらに続ける。
「ルールは比較的単純です」
「条件は、魔法の行使のみ」
「相手を戦意喪失、または試合続行不能にすれば勝利」
「分かりやすいルールですね」
その“分かりやすい”の中身が、まったく優しくないことは、教室の誰もが分かっていた。
「なお、参加希望者は応募票を受け取って、職員室へ提出してください」
「締切は今週末です」
浅見先生はそこで黒板から振り返る。
「以上です」
「質問がある人は、あとで聞きに来てください」
それだけ言って、また静かにプリントへ視線を落とした。
だが、生徒たちの方はもう静かではいられなかった。
◇
「ついに来たな、インターハイ」
新が机へ肘をつきながら言う。
「おう」
雅もすぐに頷いた。
「しかも個人戦とペアがあるんだな」
「出るのはいいとして、問題はペアよね」
彩葉が腕を組む。
「そうね」
純香も静かに頷いた。
「しかも三年も参加するんでしょう?」
「全国どころか、校内予選の時点でかなり厳しいわ」
「まあ、そこなんだよな」
新が言う。
「外で勝つ前に、中で勝たないといけない」
四人の間に、少しだけ考える空気が流れた。
個人戦はともかく、ペア戦は誰と組むかでかなり変わる。
相性。役割。間合い。連携。
今まで授業の中で見えてきたものが、そのまま問われることになる。
その時だった。
「俺は新と組む」
雅が、あまりにも自然な顔で言った。
「は?」
新が素っ頓狂な声を出す。
彩葉と純香も同時にそちらを見る。
「何か王様がさ」
雅は肩をすくめる。
「俺の成長が新の助けになるとか、意味深なこと言うんだよ」
「気になってさ」
「ちょ、勝手に決めんなよ、雅」
新がすぐにつっこむ。
「何だよいきなり」
「いいじゃん」
雅は悪びれもせず言う。
「何か気になるし」
「お前もこないだのこと、ちょっと気にしてるだろ?」
「それは……」
新は少し言葉に詰まる。
あの、半拍だけ早い違和感。
あれを思い出すと、簡単には流せなかった。
「だろ?」
雅が口元を上げる。
「だったらちょうどいいじゃん」
「俺も王様に言われっぱなしは気に入らねえし」
「理屈が雑だな……」
新が額を押さえる。
「でも面白そう」
彩葉が言った。
「新と雅って、個人だと全然違うけど、組んだらたしかに強そう」
「前衛火力と、対応力の組み合わせではあるわね」
純香も冷静に言う。
「荒っぽく見えて、意外と噛み合うかもしれない」
「意外と、って何だよ」
雅が言う。
「まあでも、その言い方は分かる」
新も小さく頷いた。
すると彩葉が、ふうん、と少し楽しそうに笑った。
「そういうことなら、私は純香と組もうかな」
「私?」
純香が目を瞬く。
「うん」
彩葉はにっと笑う。
「静と動って感じだし」
「私が動いて、純香が支えてくれたら、意外といい感じになりそう」
純香は少しだけ考えるように黙ったあと、小さく息をついた。
「そうね」
「意外と、いい感じにまとまるかも」
「でしょ?」
彩葉が嬉しそうに言う。
「意外と、ってそっちも言うんだな」
新が苦笑する。
「でも、分かるよ」
雅も頷く。
「彩葉が流れ作って、純香が崩さず支える感じだろ」
「強そうじゃん」
「なんか、もう決まりみたいな流れになってない?」
新が言う。
「いいじゃん」
彩葉が即答した。
「こういうの、勢い大事だよ」
「うっかり考えすぎると、逆に決まらなくなるし」
「それはそうかもね」
純香もやわらかく言う。
雅が机から立ち上がる。
「よし」
「じゃあ先生に申し込みに行こうぜ」
「え、今?」
新が顔を上げる。
「今だよ」
雅は当然みたいに言った。
「こういうのは先に出したもん勝ちだろ」
「別に早い者勝ちではないと思うけど……」
新が言いながらも立ち上がる。
彩葉も続く。
「でも、ちょっとわくわくしてきた」
純香も椅子を引いた。
「校内予選から、ね」
「まずはそこを抜けないと」
四人が立ち上がる。
まだ何も始まっていない。
組むと決めただけだ。
勝てるとも限らない。
そもそも校内予選だって簡単じゃない。
それでも。
教室を出ようとする足取りは、どこか少しだけ軽かった。
◇
申し込みを終えて教室へ戻る頃には、四人の足取りは行きより少しだけ軽くなっていた。
「……出しちゃったな」
新がぽつりと言う。
「出したな」
雅が即答する。
「インターハイかあ」
彩葉が少しだけ遠くを見るように言った。
「なんか、まだ実感ないかも」
「私も」
純香が頷く。
「申し込んだのに、まだ校内予選前だからかしら」
その時だった。
「あ」
彩葉が思い出したように声を上げる。
「そういえば、山田先生って優勝したんだよね」
新が顔を上げる。
「……ああ」
「そうだったな」
「話、聞きに行ってみる?」
彩葉が言う。
「お、いいじゃん」
雅がすぐに乗る。
「経験者、それも優勝者の話は聞いとくべきだろ」
「しかも白の魔女」
彩葉がちょっと楽しそうに言う。
「そうそう、白の魔女」
雅も面白がるように繰り返した。
純香がわずかに口元をゆるめる。
「先生、絶対困るわよ」
「でも行くんでしょ?」
彩葉が言う。
「行くわね」
純香はあっさり頷いた。
新も小さく笑う。
「じゃあ、決まりだな」
◇
しばらくして、四人は召喚実習室の前へやってきていた。
扉を軽くノックすると、中からやわらかな声が返る。
「はい、どうぞ」
扉を開けると、山田先生はちょうど資料をまとめているところだった。四人に気づくと、いつものように穏やかに微笑む。
「あら」
「皆さん、どうしましたか?」
四人は顔を見合わせた。
そして次の瞬間、雅が一歩前へ出る。
「というわけで、お話を伺いにやってきました」
そこで、にやっとする。
「白の魔女先生」
「そ、それはやめて下さいってば……!」
山田先生は即座に顔を赤くした。
「ほらやっぱり」
彩葉が小声で言う。
「反応かわいい」
「橘さん、本人の前よ」
純香が静かにつっこむ。
山田先生は少しだけ咳払いをして、でもまだ耳が赤いまま四人を見た。
「……それで?」
「今日はどうしたんですか?」
新が一歩前へ出る。
「インターハイ、申し込んできました」
「個人とペア、両方です」
その言葉に、山田先生の表情がやわらかく変わった。
「まあ」
「そうなんですね」
嬉しそうだった。
驚きよりも、何かを待っていたような顔だった。
「ついにインターハイなんですね」
山田先生は四人を順に見ながら言う。
「頑張って下さいね」
「先生の時はどんな感じだったんですか?」
彩葉が目を輝かせて聞く。
「わ、私ですか!?」
山田先生が明らかに一瞬うろたえる。
「はい」
新も頷く。
「やっぱり、経験者の話は聞きたいです」
「しかも優勝者」
雅がぼそっと足す。
「だ、だから白の魔女とか優勝者とか、そういう言い方で固めないで下さい……!」
山田先生は本気で困った顔をした。
でも、逃げはしなかった。
少しだけ視線を落として、言葉を探すように小さく息を吸う。
「……私は、そうですね」
一拍。
「最初は、何もできませんでしたよ」
四人が、少しだけ意外そうな顔になる。
「何も?」
新が聞き返す。
「はい」
山田先生は頷いた。
「クロノスさんとホロスさんにも、最初は当てにされていませんでした」
その言葉に、四人とも黙る。
クロノスとホロス。
山田先生の、時と、空間の上位精霊。
その二体に当てにされていなかった、というのは、想像するだけで重い。
「……でもね」
山田先生は静かに続けた。
「それでは恥ずかしいと思ったんです」
声はやわらかいままだ。
でも、その奥には確かな芯があった。
「クロノスさんとホロスさんは、格の高い精霊ですから」
「その術者である私が、情けなくてはいけないと」
「そう思ったんです」
山田先生の目は、少しだけ遠くを見ていた。
自分の昔を思い出しているのだろう。
「怖かったですよ」
「しんどかったですし、何度も嫌になりました」
「でも、それでも勇気を出して立ち向かったんです」
新たちは、言葉を挟まなかった。
「そしたら」
山田先生の口元が、ほんの少しだけやわらかくなる。
「二人は、ちゃんと応えてくれました」
その一言は、静かだけれど重かった。
「そして最後まで勝ち抜けたんです」
実感のある言葉だった。
飾った言い方じゃない。
ただ、自分がそうだったと語る声音だった。
「強さだけじゃないんです」
山田先生は四人を見て言う。
「信頼や、繋がり」
「それが大事なんです」
「信頼や繋がり……」
新が小さく繰り返す。
「そうです」
山田先生は頷いた。
「人間関係と同じです」
「信頼がない相手とは、うまくいきませんから」
その言葉に、四人はそれぞれ違う顔で黙った。
雅は少し考えるように眉を寄せる。
彩葉は真剣な顔で聞いている。
純香は静かに目を伏せる。
新は、その言葉をそのまま胸へ置くみたいに聞いていた。
「インターハイは、たしかに大きな舞台です」
山田先生はやわらかく言う。
「でも、急に別の誰かになる場所ではありません」
「今の皆さんが積み重ねてきたものを、そのまま試される場所です」
その言葉は、妙にまっすぐ入ってきた。
「だから」
山田先生は微笑む。
「今のうちに、ちゃんと信頼を作っておいてくださいね」
「精霊とも、ペアとも、自分自身とも」
◇
実習室を出たあとも、新はその言葉をしばらく胸の中で反芻していた。
信頼。
繋がり。
「……あるのかな」
新がぽつりと呟く。
「くすくす」
耳元で、風が笑う気配がした。
「ひどくない?」
「ひどい?」
新は少しだけ眉を上げる。
「少なくとも私は信頼してるよ」
「君のこと」
新は一瞬だけ目を瞬いた。
「そうなの?」
「そうだよ」
風のエレメントは、当然みたいに言う。
「じゃないと、私の場合すぐどこか飛んでくよ」
「……確かに」
新は思わず苦笑した。
この風は気まぐれだ。
軽い。
つかまえたと思ったら、するりと抜けていく。
けれど、その風が今こうして自分のそばにいて、意味深なことを言いながらも離れていかないのは、たしかにそれだけの理由があるのかもしれない。
新はゆっくり息を吐いた。
「見えない未来を、一緒に見ていく……か」
その言葉は、半分は独り言だった。
でも、半分はちゃんと向こうへ渡していた。
「くすくす」
風がやわらかく揺れる。
「それ、いいわね」
新は少しだけ口元をゆるめた。
まだ分からないことばかりだ。
でも、分からないまま一緒に見に行く、という言い方は悪くなかった。
◇
ただ。
インターハイは、そんな綺麗な言葉だけで抜けられるほど甘くはない。
夢見ヶ丘高校では、二年も三年も参加する。
経験もある。
実力もある。
全国を本気で狙っている先輩だっている。
つまり、校内予選を抜けるだけでも難しい。
打ち破らなければならない。
上を。
前に立つ者を。
そうでなければ、全国どころか学校代表にだってなれない。
そのことを考えていた時だった。
「なあ、雅」
新がふと口を開く。
「ん?」
雅が振り向く。
「遠征に行かないか」
「遠征?」
雅が片眉を上げる。
「そう」
新は頷いた。
「他校との練習試合」
一拍。
雅の顔が、少しだけ楽しそうに変わる。
「お、いいねそれ」
「でしょ」
新も小さく笑う。
「校内だけ見てても分かんないこと、あると思うし」
「どこ行く?」
雅がすぐに聞く。
新は少しだけ間を置いてから答えた。
「四天」
雅が止まる。
「……四天って、あの四天?」
「そう」
雅は数秒黙って、それから、ふっと笑った。
「……一ノ瀬か」
「そう」
新も頷く。
「八乙女律もいる」
「相手に不足なさすぎるな」
雅が口元を上げる。
「むしろちょうどいい」
その会話を聞いていた彩葉が、すぐに身を乗り出した。
「それなら私たちも行きたいわ」
「私たちも?」
新が聞き返す。
「うん」
彩葉は頷く。
「会いに行きたいし、見ておきたい」
「四天の空気も、向こうの強さも」
「そうね」
純香も小さく頷く。
「今のうちに、外の空気は知っておきたいわ」
「わたしも行きたい」
瑠璃もそこで、自然に乗っかった。
「会いたいし、見てみたい」
その一言で、流れはほとんど決まった。
雅が肩を回す。
「じゃあ、行くか」
彩葉がすぐに笑う。
「決まりだね」
「決まるの早いわね」
純香が言うが、その声は少しだけやわらかい。
新はそんなみんなを見て、小さく息を吐いた。
四天。
一ノ瀬透。
八乙女律。
去年までの自分なら、そこへ自分から行こうとは思わなかったかもしれない。
でも今は、行ってみたいと思った。
見てみたい。
今の自分たちが、あそこにどう映るのか。
あの二人が、どこまで進んでいるのか。
そして――自分たちもまた、どこまで行けるのか。
春の風が、少しだけ強く吹いた。
まるで、その話に乗るみたいに。
ついに始まるインターハイ




