第1話 道場主は高校二年生
山、山、そして山。
見渡す限り、緑。
コンビニはおろか、自販機を探すだけでも一苦労するような、人里離れたド田舎。
そんな山奥の集落に、一軒の古びた道場が建っていた。
看板には、達筆な墨文字でこう記されている。
――『己道流古武術道場』。
その道場の主である少年の名は――
平蘭丸、高校二年生。
「……今日も、誰も来なかったな」
夕暮れの道場。
蘭丸は竹刀――ではなく、薙刀を壁に立てかけると、深々とため息をついた。
祖父が亡くなって、半年。
本来ならば大学受験だの、部活動だの、彼女がどうしただのと騒いでいる年頃である。
しかし蘭丸には、そんな青春を謳歌している余裕などなかった。
祖父が営んでいたこの古武術道場を、跡取りとして引き継いでしまったからだ。
しかも――
「月謝を払ってくれる門下生は、ゼロ……」
蘭丸は道場内を見回した。
当然のことながら、誰もいない。
畳の上に転がっているのは、稽古用の木薙刀が数本。
壁には古びた掛け軸。
そして、ホコリをかぶった古い武具の数々。
由緒だけは、やたらとある。
だが、金はない。
「電気代……今月もギリギリか」
財布を開く。
中には、数枚の千円札と小銭。
高校生の財布としても寂しいが、道場主の財布としては、もはや絶望的である。
祖父が残してくれた貯金も、じわじわ減っている。
だから蘭丸は、仕方なく――
「また骨董屋に持っていくか」
道場の隅に置かれた木箱を見る。
中に入っているのは、蘭丸の家に代々伝わってきた古美術品の数々。
刀。
甲冑。
古文書。
茶器。
よく分からない仏像。
そして、どう見ても価値がありそうな謎の装飾品。
先祖代々、大切に保管されてきた品々だ。
しかし蘭丸にとっては、
「売れば金になるもの」でしかなかった。
「……ご先祖様。許してください」
手を合わせる。
数秒後。
「でも、背に腹は代えられないんだよな」
あっさり手を下ろした。
こうして平蘭丸は、道場主を務めながら、先祖伝来の骨董品を少しずつ処分して、どうにか生活を維持していた。
――もっとも。
彼の苦労は、それだけではなかった。
「蘭丸! またお前か!」
翌朝。
高校の廊下に、教師の怒鳴り声が響き渡った。
「はい?」
「『はい?』じゃない! お前、どうして毎回こういう騒ぎに首を突っ込むんだ!」
「困ってる奴がいたからです」
「だからって、相手が三人の不良だったら普通は先生を呼ぶだろうが!」
「先生が来るまで待ってたら、間に合わないと思ったので」
「お前は高校生だろう! 正義の味方じゃない!」
蘭丸は腕を組み、真顔で考え込む。
「……正義の味方ではありません」
「だったら!」
「ただ、曲がったことが嫌いなだけです」
「それを世間ではトラブルメーカーと言うんだ!」
ごもっともだった。
平蘭丸。
曲がったことが大嫌い。
困っている人間を見れば放っておけない。
悪事を見れば首を突っ込む。
売られた喧嘩は、基本的に買う。
そして何より――
自分が正しいと思ったことは、絶対に曲げない。
そんな性格のおかげで、蘭丸は高校生活二年目にして、教師からは要注意人物扱い。
同級生からは、「また平が何かやったらしいぞ」と噂される始末だった。
本人に、その自覚はほとんどない。
「俺は普通に学校生活を送っているだけなんだけどな」
昼休み。
購買のパンをかじりながら、蘭丸は呟いた。
「……普通?」
隣にいた友人が呆れた顔をする。
「お前のどこが普通なんだよ」
「普通だろ」
「高校生で古武術道場の主をやってる時点で普通じゃねえよ」
「……それは言わない約束だ」
「約束した覚えないぞ」
そんな、どこにでもあるようで、どこにもない日常。
田舎の古武術道場を背負った、高校二年生。
貧乏。
トラブルメーカー。
そして、本人だけは自分を「普通の高校生」だと思っている少年。
――平蘭丸。
このときの彼は、まだ知らなかった。
この平穏な日々が、今日を境に大きく変わってしまうことを。
そして――
祖父が遺した古武術と、先祖伝来の骨董品。
その二つが、彼自身も知らない「平家の秘密」へと|繋がっていることを。




