第66話 理不尽
コンコン、と学友会室の扉が叩かれた。けれど、開かれない。
将典は動かしていたペンを止めると、辺りを見回した。誰もいない。
分かってはいたことだが、思わず溜息が漏れそうになった。
解職請求が為されてから、1週間。将典は美海と冨迫伯爵を通じて将家に抗議した。話が違う、と。けれど、将家当主の名で返ってきた手紙には謝罪が記されてはいたものの、それだけだった。請求の取り下げ、これから真一郎に対してどう対処するか、何も触れられていなかった。
このことを思い出すと、飲み込みかけていた溜息が溢れ出そうになった。どうにかして、飲み込む。
「鍵は開いている。勝手に入れ」
そう声をかけると、ようやく扉が開かれた。現れたのは、外山一馬。ゲーム「パルヴニール」の中では主人公を務めるが、将典にとっては一学年下の後輩の一人にすぎない。
その一馬が中の様子をうかがいながら、入ってきた。将典は視線を落として、再びペンを動かし始める。
「どうした。何か用か?」
「いや、まあ……本当におひとりなんですね。小城先輩は?」
「真宙は外している。真宙に用があったのか?」
「いや、そういうわけでは……」
一馬が言葉を濁すのは分かっていた。真宙はここ数日学園には来ていないから、本当に用があるなら、屋敷に赴く方が確実だ。それでも聞いたのは、一馬の顔に本題に入る前に少し心の準備がしたい、そんな表情が浮かんでいたから。
将典が視線を戻すと、一馬は何かを飲み込んだような顔になった。そして、
「澤渡様は、どうして解職請求への反対運動を行わないのですか?」
この問いかけに、将典はペンを机に置いて、頬杖をついた。
「外山はどこまで知っている?」
「え? あの、……武樋貴郎が解職請求を行って、今月末に学生投票が行われる、とだけしか」
「ならば、解職請求がこの学園で初めてなされた、ということは?」
「あ、はい。それも知っています」
「請求の提起がされてから投票日までどうするか。投票はどのように行うか。そうした細則が定められていないことは?」
「……さいそく?」
「細かい規則のことだ。実施するための具体的な決まり事だ」
「それが決まっていなかった。……マジ?」
「マジ?」
「あ! 申し訳ありません。本当ですか。そういう意味で使いました」
不思議な言葉を使うものだ、と将典は首を傾げかけた。けれど、顔を少し青ざめさせ、うろたえる一馬を見て、「構わない」と言って、追及しないことにした。
「結局、学園も、これまで学友会で働いてきた先輩方も、この請求が実際になされることを想定していなかったのだろう」
「……ですが、武樋貴郎はしました」
「したな。だから、学園の教員部は混乱した」
「……だったら、受け付けなければよかったのに。書類に不備があるとか言って」
「まあ、そこは私のあずかり知らないところだ」
ぼそりとこぼれた一馬の言葉を、将典は軽く流すが、その背景は知っていた。真一郎におもねる一部の教員が貴郎と示し合わせたことを。狙いは真一郎が将家の当主に就いた時に引き立ててもらうため。
「結局、混乱した学園教員部は、投票日までどうするか、学友会に丸投げした」
「……は? 丸投げ?」
火中の栗を拾いたくなかったのだろう。下手に制限を付けると、どちらからもにらまれる。
けれど、一馬の口はぽっかりと開き、顔には信じられないと言わんばかりの表情が浮かんだ。
「加えて、細則を学友会が定めるために、今回の請求では投票日まで、学友会側の発言は禁止された。請求側との公平、公正を維持するために、という理由でな」
通告に来た尊大に見下すようにふるまう教員の姿を思い出す。
「え? なら、反対を行わない、というのは?」
「行えない、ということだ。不公平だ、と学園に抗議を行ったが、撤回はされなかった」
弁解に来た別の教員の申し訳なさそうな顔が将典の脳裏に浮かんだ。彼から、学園の内情も教えられた。一部の教員が声高に解職請求の実施を主張したことを、彼らは去年の真一郎の学年次席の評価がおかしいと強く主張していたことも。次席の評価が公にされた後、将家の家令から秘かに抗議されたことで、多くの教員たちが萎縮していることも。
この話を聞かされても、感情が動かなかったことを将典は思い出した。弁解に来た教員を冷めた目で見た。負うべき責任から逃れようとしている、としか見えなかったからだ。
「細則を決められるなら、武樋たちが行っている金のバラマキを禁止したらどうですか」
実際に、将典が細則を定めようとしたら、教員部からも真一郎側からも口出しされた。思い出しただけで、不満が腹の中で渦巻き、一馬への言葉を半ば投げやりなものにしてしまう。
「今更、禁止しても効果はあるまい。後出しだと非難されるのが関の山だ」
一馬が唇を噛みしめるのが見えた。
真宙が学園で情報を集めまとめて来なくても、将典の耳にぽろっぽろっと入ってくる話をつなぎ合わせれば、おおよそのことは見当をつけることが出来る。貴郎の金が主に流れ込んだ行先は、貴族・名族が平民より優れていると信じている学生たちだ。真一郎と将家が自分たちを認めたと考えた彼らは、自分たちに反抗的な他の学生たちに暴力を振るうのもいとわない。
「提起の仕方も含めて、全てが終わった後に細則が定められることになるだろう。現状は今ある規則で対応するしかない」
将典が書いていた書類も、解職請求が提起されてから多発しているいじめや暴力を学園に厳正に取り締まるように求めるものだった。
ところが、学園側は彼らを取り締まることにも及び腰だ。下手に取り締まると、将家に楯突いたと見なされるかもしれない、と考えているから。教員の中には、将家と澤渡家の権力争いを学園内で繰り広げるな、と公に非難する者もいる。もっとも、非難の言葉を口にするだけで、何も行動は起こさない。
暴力をふるわれた学生の中には、学友会室に助けを求めて駆け込んできた者もいた。けれど、将典にできたことは、傷の手当をして、これ以上被害を受けないように、自宅に留まるように促すことだけ。一件が終わった後に必ず処分されるように、学園に働きかけると約束したものの、無力さに歯噛みするほかなかった。
「なら、学生瓦版はどうなんですか。あれは、学友会とは別の扱い……」
「それが通用すると考えるのか」
続いた一馬の言葉に、将典は刺々しい声で返してしまった。
『どうして、邪魔をするのです!?』
『どうして、理解していただけないのですか!』
怒り、泣く利奈子の姿が将典の中で蘇る。解職請求がされた翌日、新しい学生瓦版を出そうとする利奈子を止めた時のことだ。
「瓦版には少なくない学生たちが関わっている。その全員が女子学生で平民だ」
学友会には属していない。利奈子が個人的に声をかけた者たちである。
その時はまだ、貴郎が配る金がどこに行きつくのか、手に入れた学生たちがどんな行動をとるのか、明らかではなかった。それでも、学生瓦版を手伝う女子学生たちが真一郎を支持する学生たちの標的になる、と将典は考えた。見せしめとして、格好の存在だからだ。
けれど、利奈子は彼女たちを守れると判断した。いざとなれば、冨迫伯爵家の力を使ってでも守る、とも言った。それは、外の権力を学園に招き入れること。皇家の威光の下、独立独歩を掲げる学園が最も嫌うことだった。
以来、利奈子とは顔を合わせていない。胸にズキリと強い痛みを感じた。
「それで、冨迫の姫様と喧嘩されたのですか」
将典は一馬から視線を逸らしてしまう。利奈子の考えは庇護する者を守ろうとする貴族として正しい。
将典は、学友会会長として受け入れられなかった。もしも、守れなければ、利奈子が傷つく、とも考えた。
学生瓦版に関わっていた女子学生たちは、皆、自宅に控えさせている。そうするように、直接指示を出した。
「喧嘩か。あれは争ったと言うべきではないのか」
――私は嫌われた。
そう思うと、将典は胸にギリギリと締め付けられるような強い痛みを感じた。
笑い声が聞こえた。視線を戻せば、一馬は笑いを何とか噛み殺したような顔をして、口を開いた。
「恋人同士の喧嘩ですよ」
将典は認めることも、否定することもできなかった。
「愛想をつかしたわけではないのでしょう。お互いに、相手のことを思いやっている。違いませんか?」
そう言うと、一馬は肩をすくめて、
「私もあまり大きい顔は出来ませんが、こういう時は、男が早く謝った方がすんなり丸く収まりますよ」
意地を張ってもろくなことにならない、と言わんばかりの顔にもなった。
夏の日差しが差し込んでくる窓の向こうから、セミの鳴き声が聞こえてきた。
気づくと、一馬が引き締まった顔をしていた。
「それで、澤渡様は今回の解職請求をどうなされるおつもりですか」




