第59話 目立たず地味に
窓の外では、桜の花びらが舞っていた。
今日は、学園の新年度が始まる始業式の日であり、学友会の新体制が始動する日。そして、学友会への参加を望む学生たちが集まる日でもあった。
『それはもう、毎年、美海様の下に大勢集まったんです』
とは、始業式に終わった直後に利奈子が口にした言葉。
けれど、図書館3階に構えられている学友会室は閑散としていた。席に並んで座っているのは、将典、利奈子。横に控えているのは、ともに学園に通う、将典の乳兄弟で秘書を務める小城真宙、利奈子の侍女である久井行子。学友会室にいるのは、この4人のみ。
「まともな方がいらっしゃいませんね」
行子の溜息交じりの声が、静かな学友会室に思いのほか響いた。彼女がハッと口を片手でふさいだが、誰も咎めなかった。それどころか、
「そうね。一人くらい、いらっしゃってもいいものを」
「あの者たちは何を勘違いしていたのだろうな」
利奈子、将典と相次いで愚痴をこぼすと、呼吸を合わせたわけではないが、同時に二人の口から溜息が漏れた。
学友会への参加希望者は、何人か、この学友会室を訪れに来ていた。けれど、
「スイーツは無いんですか。……無い。じゃあ、参加しません」
「将真一郎を叩きのめしましょう!……え? 会長が手を下すのではないのですか」
「是非とも、会長の力で私を守ってください。……何から? ですか。私が留年するなど、おかしいのです!」
「平民どもに身の程を思い知らせてやりましょう。貴様らはクズだと」
このようなことを言う者ばかり。将典は、内心、頭を抱えながら、全員、門前払いをした。
「残念なことに、将典様には学園内に人望がありませんから」
真宙は新しい紅茶を注いだカップを将典の前に置くと、そう零した。
一番摘みの爽やかな香りが鼻をつく。将典の亡き母が最も愛していた紅茶だった。
『他の貴族からは敬意を払われ、お坊さんたちからは尊重され、使用人たちから慕われ、民衆から愛される。そんな人になりなさい』
母の言葉が将典の耳元で囁いてくる。
――母上の言葉に従って、良き貴族となるには道が遠いな。
「『化け物』の異名が私にはついていたからな」
初学年時の将典は必要な単位を全て得るために鬼気迫る様子で学んでいたゆえに、付けられた。周りから人もいなくなった。真一郎や美海の周りにいる取り巻き達は、将典の周りには一人もいない。伯爵家に惹かれて擦り寄ろうとした者は消え、同じ故郷の滄州出身者からも距離を取られた。もちろん、学園を舞台にした新聞の連載小説に出てくるような友人などは一人もいない。残ったのは真宙一人だけだった。
「ですから、汚名を払拭するべく動くべきですと、何度か進言させていただきました」
「覚えている。真宙の言う通りだった。だが、今更、手遅れだろう」
ティーポットを片手に利奈子のカップに紅茶を注いでいた真宙が、器用に肩をすくめて、言葉を返してきたが、
「もっとも、将家の若君ににらまれることは避けたい。そう考える学生の方がはるかに多いでしょう」
その言葉は学友会室の空気をより重いものに変えた。
学友会活動は履歴に箔をつけるが、真一郎に疎まれれば卒業後の出世に支障が生じるかもしれない。そんな不利益が生まれる可能性を学生たちは重く見ている。この場にいる誰もがそう考えていた。
だから、重い空気に抗うように、将典はあえて軽やかに言葉を紡ぐ。
「それは私たちもそうだ」
ゆっくりと他の三人の顔を見る。
「だからこそ、目立たず地味に、されど堅実に、学友会を一年間回していく。それが私たちの目標だ」
気合を入れて動けば動くほど、真一郎からの反感を買うのは目に見えていた。
真一郎との対立に他の学生たちを巻き込まないように、将典たちも周囲へ積極的に学友会参加の声掛けをしていなかった。
「そもそも、3年もの長きにわたって君臨されていた姫君の後だ。何をしても、私たちは比べられる。若君へのつなぎ役に徹すれば十分だ」
そう言いながら、将典は両腕を上に伸ばし、背伸びをした。そして、あてが外れたと言わんばかりに、愚痴をこぼす。
「まあ、三、四人くらいは来てくれると思っていたのだがな」
「美海様に力添えを求めなくてよろしいのですか」
利奈子が声をかけてきた。
美海がいた時に学友会に参加した学生の多くは、彼女とともに卒業したが、利奈子たち以外にも数人は残っている。学友会の活動を支障なく続けていくためにも、在学生は会に残るのが慣例であった。けれど、そうすると美海と将典の距離が近くなりすぎる。
「それをしてしまったら、姫君と若君との対立になりかねない」
美海にその意志が無くても、周りがそう見てしまうのだ。姫君が当主の座に色気を出した、そのために澤渡家に近づいた、と。
「姫君にとってそれは避けたいであろう。私も、将家の継承争いに巻き込まれるのは避けたい」
こう、将典が返すと、利奈子の口から「そうですね」と溜息交じりの言葉が漏れた。
本当なら、美海と関係が近い利奈子の学友会参加も、将典は拒みたかった。けれど、参加を強く望む利奈子に「婚約者ですから」と半ば強引に押し切られた。
「ですが、このままですと、本当にこの場にいる4人で学友会の全てをまわすことになりますよ」
真宙の指摘に、行子の顔から血の気が引くのが、将典には見えた。
学友会の年度始まりの大きな仕事は、学生の課外活動「倶楽部」の前年度の活動査定と新年度の予算配分。
行子も、利奈子とともに、美海の学友会に参加していたから、作業量を知っているはずだ。ただ、利奈子は逆に前のめりになって、
「でしたら、将典様と一緒に学園に泊まり込みですね」
楽しそうに言うから、将典は切り返す。
「淑女にそんなことをさせるわけがないでしょう」
頬を膨らませた利奈子は見なかったふりをする。ここは譲れない。
「とはいえ、まともな参加希望者が来る様子もない」
このまま4人で学友会を回していく、という将典の宣言でもあった。
もしも、学友会の運営に失敗すれば、将典が会長として責任を問われる。学園の首席卒業は将典以外の誰かの名誉となり、将典の皇国大学受験も厳しくなる。
「真宙には泊まり込みの上、私と一緒に徹夜をしてもらうか」
真宙は肩をすくめ、顔を左右に振ると、ポツリとつぶやいた。
「……前途多難ですね」




