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スイーツ好きとなった悪役令息は天命をつかみ取る  作者: C@CO
第3章 ゲーム外シナリオ「江都騒擾」

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第56話 春へ

 今日はスイーツの販売店が開店する日。一度は夜烏組の連中によって壊されたものの、峰樹と工事に携わった職人たちの奮闘によって予定通りこの日を迎えることが出来た。店名を刻んだ扁額も昨日掲げられた。揮毫は美海に依頼し、優美さの中に凛とした芯の強さが宿る筆で記してもらった。


 「春望楼」と。


 書斎の窓越しに差し込んでくる冬の淡い日差しの下で、将典は思いを馳せる。


 ――さて、どうなっているだろう。


 店の様子を実際に見に行こう、と立ち上がりたくなる何度目かの衝動を抑える。代わりに、机の一角に積み重ねられている新聞の束から一紙を取り上げた。


「堂上侯爵家、異例の当主交代」


 一面大見出しである。あの後、行政戒厳が解除されたと同時に、堂上侯爵は江都市長としての辞表を提出した。加登伯爵を首班とする政府も総辞職。表向きは、江都に持ち込まれた魔獣が逃げ出し騒動を起こした責任を取る形だ。


 新聞を始め、人々は今回の騒動を「江都騒擾」と呼んでいる。


 将典が考えていた通り、この騒擾も含めて堂上侯爵が犯した罪は公にされない。堂上侯爵に積極的に同調していた加登伯爵のことも、侯爵に弱みを握られ内務卿として言いなりにされていた戸梶子爵のことも、だ。これらのことは、堂上侯爵、加登伯爵を除く、枢府に名を連ねる者たちの総意で決められた。


『あと一年遅かったら、また違ったかもしれないね』


 先日、屋敷に来た冨迫伯爵の言葉を思い出すと、将典の眉をひそめてしまう。


 ――枢府の決定に異を唱えるつもりはないが……。


 混乱を最小限に抑えつつ、事実を公表する選択肢もあったのではないか、と考えてしまう。


 そして、こんな考えを見透かすように見つめてきた伯爵の目を思い出す。伯爵は、今回の一件に関する枢府の決議を伝えに来てくれた。同じ着崩した背広姿で気だるげな空気を漂わせながら、けれど、今回は椅子に座った。


『もっとも、この結果は侯爵にとって最悪だろうね』


 康嗣が入れた紅茶のカップを傾けながら、伯爵は言葉を紡いだ。


『千年続いた祭家筆頭の家を潰した愚か者となるよりもひどい。あの御方(皇)から捨てられたのだから。誇りを砕かれ、己の存在意義を否定されたも同然だ』


 堂上侯爵は日に日に衰弱し、床に臥せる日が多くなっている、と伝えられている。こうした時、侯爵ともなれば、通例、皇から見舞いの使者が送られるものだが、堂上侯爵には一切ない。伯爵であった将典の祖父が死の病に倒れた時は何度も見舞いの使者が屋敷に来た、と将典は聞いている。まだ幼かったためはっきりと覚えていないものの、一度は皇みずから屋敷を訪ねてきた、はずだ。巷で出回っている新聞は、江都での魔獣騒動の対応で、堂上侯爵が皇から大きな不興を買った、とそろって書き連ねていた。


 外の冷たい風に吹かれて、窓がカタカタと音を立てた。


『生き地獄だろうなあ』


 将典に冨迫伯爵の続く言葉を思い出させる。伯爵が浮かべた暗い笑みとともに。


 その後、伯爵は、


『甘いものはあまり好みではないんだ』


と言い残して、茶請けのスイーツには手をつけず、紅茶だけを飲み干し、帰っていった。


 コンコン


 書斎の扉を叩く音によって、将典は我に返る。


 開かれた扉から康嗣の案内で書斎に入ってきたのは、利奈子だった。着物の上に着た羽織の裏地から垣間見える友禅の明るい模様と、何より彼女の笑顔によって、書斎に垂れこめていた重い空気がふっと和らいだ気がした。


 将典は、手にしていた新聞を片付けるのもそこそこにして、机の前の応接用ソファに彼女と向かい合わせで座る。


 奇しくも、先日、冨迫伯爵が来た時と全く同じ位置だった。


 それゆえに、正面に座る利奈子の顔をつい見つめてしまう。


「? ……どうかなさいましたか?」


「いや。先日、冨迫伯爵が来た際に座られたのが、ちょうどその位置だったからな」


「そうでしたか」


 彼女の顔に明るい笑みが戻った。


 ――まるで春のようだな。


 続いて入ってきた真宙の入れる紅茶のふくよかな香りが広がっていく。


 そして、咲哉が差し出してきた今日のスイーツに、利奈子の目が光り輝いた。細長く形作られたシュー生地の上には黒漆のように輝くチョコレートが掛けられている。エクレアだ。


 「いただいてもいいですか」とキラキラした目で見つめてくる利奈子に食べるように促すと、自分もエクレアが鎮座する皿の横に並べられたフォークとナイフを手にする。我慢できなかった。


 一口大に切り分けるナイフから、パキッとしたチョコレート、ねっとりとしたクリーム、サクッとしたシュー生地の感覚が伝わってくる。フォークで口元に運べば、シュー生地の焼けた香ばしい香りが鼻をついてくる。


 ふと気づけば、利奈子も、将典と同じように、一口大に切り分けたエクレアを口元に運んでいた。思わず、将典は顔に笑みを浮かべてしまう。利奈子も同じ。


 そして、ほぼ同時に、口の中に運ぶ。


 チョコレートが口の中でパキッと割れると同時に、ほろ苦さもある甘みが舌を包む。次に、クリームのねっとりとした甘さが来ると、シュー生地のサクッとした食感と香ばしさが味わいに変化を加える。


 ――美味い、の一言で片づけたくない。


 花が咲くような満面の笑みを浮かべる利奈子を見ると、


 ――……幸せな甘さだ。


 つい二日前に、将典は咲哉を澤渡家の専属パティシエに任じた。


『これからも期待しているぞ』


 かけた言葉に咲哉は力強く頷いて応えた。その目に固い意志を浮かべて。


 春望楼はすでに1カ月先まで予約で一杯になっている。学園の研究発表会の後に学友会に披露した成果だ。学友会の彼女たちの口から話があちらこちらへ伝わっているらしい。それでも、峰樹は「これからが勝負です」と気を引き締めていた。


 気づけば、エクレアは最後の一口になっていた。名残惜しく、口の中に入れると、


「将典様」


 一足先に食べ終えていた利奈子が話しかけてきた。


「こちらに来る前に、寿慶院に立ち寄って参りました」


 寿慶院は、汐入横丁にある角井了成が住職を務める寺。


「あの乳飲み子の養親が決まったそうです」


「……そうか」


 将典の脳裏に、夜烏組の頭の遺児である乳飲み子の姿が浮かんでくる。けれど、同時に、心には、あの時と同じような濃い霧が立ち込め始めた。


 無意識に、紅茶が注がれたカップを手に取るものの、水鏡に映った自分の顔を見ると、亡き母の笑顔を思い出してしまう。優しく自分を見つめてくるあの笑顔を。


「あの一件が無ければ、あの子供は実の親の元で育ったのだろうな」


 ポツリとこぼしてしまう。


「……そうでございますね」


 利奈子の少し沈んだ声が返ってきた。


 実親の許で育てられていたら、乳飲み子には夜烏組の看板を背負って裏社会を歩く宿命が待ち受けていたかもしれない。


 ――ならば、養い親の許で育てられた方が良い。


 ――……そう言い切ってしまってもいいだろうか。


 水鏡に映る将典の顔は、眉間に険しくしわを寄せ、ひどいものになっていた。


 カップをテーブルに戻すと、眉間に手をやってもみほぐす。


「あの子供の未来が明るく幸せなものであることを願おう」


「……大きくなった時に今日のスイーツをお腹いっぱいに食べられるように、ですね」


 もみほぐしていた手が止まる。その手をどければ、木漏れ日のような温かい笑みを浮かべた利奈子が現れた。


 心を覆っていた霧が晴れるような気がした。


「そうだな」


 将典は顔に笑みが浮かぶのを感じた。もう一度、紅茶が注がれたカップに手を伸ばす。水鏡に映った顔にしわはなかった。


 顔を上げれば、同じようにカップを手にして口元に運んだ利奈子が紅茶の香りを楽しんでいた。


 将典もカップを口元に運べば、熟した果実のような甘い香りがした。一口含めば、スッキリとした軽やかな味が舌に残る甘さを洗い流していく。心の中にかすかに残っていた霧も一緒に。


 沈黙が漂う。けれど、居心地の悪いものではなかった。利奈子も、同じである、と優しい眼差しだけで将典に伝えてくる。


 カップを傾け、また一口、口に含む。一口目では分かりにくかったまろやかな紅茶の甘みに魅了される。


 外の風に吹かれて、窓がカタカタと音を立てた。


 その時、ふと思い出したかのように利奈子が口を開いた。


「そう言えば、将典様の叙爵の話が出ていることは耳にされましたか」


 思わず、片眉を上げてしまう。


 本来なら、叙爵は学園を卒業する1年後の話。それなのに、今、出ているのには理由がある。


 新聞をもっともにぎわせている話題は、堂上侯爵のことではない。魔獣騒動で失態を犯した政府のことでもない。


 江都を騒がせた魔獣たちを倒したのは誰か、である。誰それではないか、と名前が上がれば否定され、俺がやったと誰かが名乗りを上げれば否定され、それが繰り返されている。一部では賭け事にまでなっているとか。けれど、そこに将典の名は出ていない。


 次に、にぎわせている話題は、将典が叔父の商会を通じていち早く魔獣に襲われた人々へ援助を行ったこと。将典への称賛が集まっている。これが叙爵の話につながっている。


「大したことをしたわけではないのだがな」


「それだけ、江都に魔獣が現れたことが民にとって大きな衝撃だったのです」


 援助をしただけでは、学園卒業前の叙爵につながる特例にはならない。


 だから、叙爵の話にまで膨らんでいることに将典は困惑してしまうのだ。


 それに、どちらの話題も、実際は、政府へ批判が及ばないようにするための身代わりにすぎない。


 加えて、江都で将典の世評が上がれば、同時に妬みも買ってしまうのが道理。武樋貴郎と将真一郎の顔が将典の脳裏に浮かんだ。


「妬まれるのが恐ろしいですか」


 投げられた利奈子の言葉に、将典は眉がピクリと動いたのを感じ、反射的に否定の言葉を紡いでいた。


「恐ろしいというわけではないが……」


 けれど、その言葉は、武樋貴郎と将真一郎、二人の顔によって遮られた。学園で彼らの周囲から聞こえてくる陰口や中傷は、ほとんど通っていない将典の耳にも届いている。


「いや、やはり恐ろしいか。妬みは、時に本来の力以上の力を引き出す」


 利奈子は小さく溜息をついた。


「将典様は正しいことをしているだけなのに、思い通りにはいかないものですね」


 将典は肩をすくめて見せる。


「あなたのように、私のことを理解してくれる者がいるだけで十分だ」


 そう返すと、彼女の頬は少し赤くなり、くすぐったそうな表情を浮かべた。


 カップを傾け、再び紅茶を口に含む。なぜか、その味はこれまでよりも甘く感じられた。


「将典様」


 視線を利奈子に向けると、彼女は悪戯げな顔になっていた。


「いっそのこと、悪いことでもしてみますか?」


 将典は自分の顔が呆れたものになっているのが分かった。


「……どんなことをだ?」


「さあ?」


 小首を傾げる利奈子を目にして、ますます脱力してしまう。


「ですが、将典様のことですから、悪事をする際も、家のため、民のためのことをきっとなされるのでしょうね」


『理想すぎて信じられないのです』『人間味がなさすぎるのです』


 外山一馬の言葉が将典の中で重なった。


 けれど、それを思い返す間もなく、別の言葉に将典は心を奪われた。


 一緒に忌々しい男(父)の幻も横に現れ、嗤い声と裏切りの言葉を囁いてくるのは感じたが、耳には届かない。


『私は、武士の娘として、あなた様に惚れました。これより幾久しくお願い申し上げます』


 こう告げられた時とは全く違う表情をする彼女に、将典は心をはっきりと奪われた。


「ですから、いつまでも私はあなた様の供をします」


今回で第3章は完結となります。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

次話からは最終章が始まります。

このあとも、楽しんでいただければ嬉しいです。

最終話までよろしくお願いします。

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