第54話 行燈は闇を切り裂く
突然開かれた扉に、冨迫伯爵は驚きを見せたものの、将典を目にすると嫌そうな顔になる。
それでも、執務室の中に入ってきた。将典の横を通った時、かすかに汗のにおいがした。
そして、伯爵が帽子を外すと、どこか空気が変わった。
「君が来るなど、聞いていないぞ。誰だ、ここまで勝手に通したのは」
堂上侯爵の声にこれまでと違って苛立ちが混ざり始めていた。けれど、冨迫伯爵の声は雲のようにつかみどころがない。
「誰というほどの人はいませんね。しいて言えば、私でしょうか。私が私の意志でここまで来ました」
侯爵の口から舌打ちする音が聞こえた。
「何をしに来られた?」
「大したことではありませんよ。私は単なるメッセンジャーにすぎませんから」
肩をすくめる伯爵に対して、堂上侯爵は言葉を重ねるたびに声が荒くなっていく。
「ならば、早々に用事を済ませて、立ち去ればよかろう」
冨迫伯爵は手に持っていた帽子を将典に「ちょっと持っていて」と預けると、紫の袱紗に包まれたものを胸元から取り出した。
その瞬間、侯爵の目が丸くなり、将典も思わず息を呑んだ。
「勅令であります」
勅令。それは国家元首である「皇」から直接下された命令。皇国において最優先されるものである。
ゆえに、皇の意志ひとつで容易に下されるものではない。
「な! どういうことだ!? 枢府の会議が開かれたという連絡はなかったぞ」
勅令が発せられるためには、皇の諮問機関「枢府」からの上奏が前提となる。すなわち、枢府に名を連ねる「皇国の藩屏」たちの同意が必要となる。そこには、当然、堂上侯爵、冨迫伯爵も含まれる。
けれど、気色ばむ堂上侯爵に対して、冨迫伯爵は涼しい顔をしている。
「ええ。していませんから。私と将家の御当主だけで開かれました」
「主上をたぶらかす佞臣どもが!」
「主上」とは皇を指す言葉で、祭家の人々がよく使うもの。そんな堂上侯爵の吐き捨てるような言葉が部屋の中に響いた。
将典も伯爵の言葉を聞いて思わず目を丸くしてしまった。枢府の開催に際しての最低出席人数は決められていない。それでも、上奏をわずか二人で行ってしまうなど、これまでの慣例を考えれば、「佞臣」と非難されても否定できないほどの強攻策だった。
けれど、冨迫伯爵は涼しい顔をしたまま聞き流してしまう。
「そういうわけで、江都に現れた魔獣に対処するため、江都に対して行政戒厳が施行されました。期間は2カ月となります」
行政戒厳とは非常事態措置の1つ。期間と地域を限定して、一時的に全ての権限が軍に委ねられる。これまで江都に現れた魔獣に対処していた堂上侯爵の江都市長としての権限も停止となる。
それを告げる冨迫伯爵に向けて、堂上侯爵は歯を食いしばる様子を見せた。
枢府の上奏に問題があろうとも、皇の裁可と御璽が下された以上、勅令は有効だ。
ふと、侯爵の反応に、将典は疑問を覚えた。他州での対応と比較しても、江都に魔獣が現れたことへの対応として、行政戒厳は妥当であるから。
――そもそも、なぜ、今まで侯爵が江都市長として対応し続けていたのだ?
「大権を授けられた将家の御当主は、直ちに第1師団に魔獣の対処と民の救援を命じられました」
すると、冨迫伯爵は面倒くさそうに左手で髪をかきむしった。
「そして、たまたま近くにいた私に、あなたへのメッセンジャー役を与えたのです」
今度は、迷惑だと言わんばかりに肩をすくめ、
「将家の御当主に言わせると、私が枢府のメンバーの中で最も皇に近い存在だから、だそうです」
顔を左右に振った。
堂上侯爵の唇が震え、それを押し隠すようにキュッと噛みしめられた。
――侯爵が将家の御当主を罵る声が聞こえてくるようだ。
「というわけで、ここからがあなたへのメッセージです」
冨迫伯爵から気だるげな空気が消えた。
「今回の魔獣出現に関して、あなたが行った措置は全て無効となります。口約束も含めて全てです」
――魔獣から身を守るために軍の部隊を屋敷に配置する代わりに、侯爵が見返りを得ていた取引のことだな。
堂上侯爵の顔が真っ赤になった。
そんな侯爵に冨迫伯爵は冷ややかに声をかける。
「強欲が過ぎましたね。あなたへの不満が私の耳にまで届いていましたよ」
けれど、伯爵の声音にも憤りが潜んでいるように、将典には聞こえた。
「魔獣退治の功績は自分のものにするだけでなく、その陰では裏取引をして私腹を肥やすなんて、魔獣を甘く見すぎではありませんかね」
伯爵は皇が座す宮殿の方向へ顔を向けた。
「もっとも、そのことがなくても、あなたが行ったことに大変憤っていらっしゃる御方がおられます」
堂上侯爵も伯爵につられるように、宮殿の方向へ顔を向けた。
「とりわけ、悠長に守りを固めて、民を見殺しにしたことには大変お憤りでしたよ」
侯爵の顔から血の気がみるみるうちに引いていった。
皇家に代々すぐそばで仕えていた祭家の末裔にとって、皇に疎まれることは己の存在意義の否定に等しい。歴史書も、付き合いのある末裔たちも、異口同音に将典に語っていた。
「それと、行政戒厳が出されないように裏でこそこそ動いていたことも」
――だから、将家の御当主は上奏にあたって強攻策をとられたのか。
枢府の上奏は全員一致が原則。その原則が崩れれば、将家の面目が潰れる。
しかも、200年ぶりに江都に魔獣が出現するこの非常事態に出来なければ、将家の権威は失墜する。皇国は大混乱に陥る。その混乱を収拾するのが……。
「とはいえ、ここまでは、眉を顰められますが、一応、あなたの職権の範囲内です」
冨迫伯爵は再び肩をすくめてみせた。けれど、堂上侯爵を見据えたその目は鋭くなっていた。
「ですが、違法な手続きで魔獣を江都に引き入れただけでなく、引き入れた夜烏組とつながって、私腹を肥やしていたことは、いけませんなあ。このことを知ったあの御方は怒りを通り越して、ほとほと呆れておいででしたよ」
「な、なぜ、それを?」
堂上侯爵の声が震えていた。と、そこで何かに気づいたような顔をして、勢いよく立ち上がった。彼が座っていた椅子が後ろに倒れるが、その音は侯爵の叫び声でかき消される。
「お前かぁ!」
侯爵の血走った目が将典に向けられた。冨迫伯爵もニヤニヤと笑みを浮かべながら顔を向けてくる。
将典は、努めて顔色ひとつ変えることなく、ただ、頭を横に振ると、
「偶然、夜烏組がどこぞの方とやり取りしている手紙を手に入れましたので、しかるべきところに出したまで」
「小童が。余計なことを……」
堂上侯爵から歯ぎしりする音が聞こえた。
そんな侯爵に冨迫伯爵がなにげなく声をかけた。
「そうそう。行政戒厳が終わるまでに身の振り方をどうされるか、考えておいた方が良いですよ」
「どういうことだ!?」
堂上侯爵は肩を怒らせ、今度は殺気立った目を伯爵へ向けた。
「言ったでしょう。大変憤っている御方がいらっしゃられます、と」
「……まさか、本当に全てを申し上げたのか?」
伯爵は肩をすくめるばかりで、何も言わない。
執務室に、堂上侯爵の机を拳で叩いた音が響き渡った。
「俺は祭家筆頭だぞ! 千年、皇家とともに歩んできた家の当主だ!」
確かに、彼が背負ってきた歴史と誇りがこめられた魂の叫びだった。けれど、将典には彼の目がどろどろに澱んで見えた。
同時に鏡にも見えた。今の侯爵と同じ目を、ゲーム「パルヴニール」の中で主人公に倒される悪役の将典が浮かべていたから。周りから見捨てられ、自負以外拠るべきものを全て失ってしまった自分と同じだった。
「私は! お前たち穀潰しの武士とは違うのだ! 魔獣を倒す役目を自ら捨てたお前たちとはな!」
「穀潰し」とは、銃火器の登場で、魔獣から自らの命を懸けてまで民を守らなくなった武士を揶揄する言葉。
聞き捨てならなくなって、将典は、
「侯爵がそう言われるなら、こう返しましょうか」
一歩前へ踏み出す。
「400年前、我々に民を守る役目を押し付けたのはどなたでしたかな」
400年前に武士たちに大政を委ねられる前、皇国の舵取りを担っていたのは、祭家だった。
武士たちは力で皇国の舵取り役を奪ったのではない。魔獣の攻勢に耐えきれなくなった祭家の人々から委ねられたのだ。
「……失礼。申し付けた、でしたな」
当時の将家の当主に言い渡したのは、祭家筆頭であった堂上侯爵の先祖。彼は、ひとつの時代に幕を引いた者として誇りをもって、「我は臆病者」と自らを卑下したと言われている。祭家の一部からは最大の汚点の「臆病者」と蔑まれた。とりわけ、400年の間に時々現れた政治の表舞台への返り咲きを望む者たちからは。逆に、武士たちは、その大きな決断を称え、「勇敢なる臆病者殿」と呼んだ。
「臆病者の末裔殿」
血走った目で堂上侯爵が将典をにらみつけてくる。先祖を誇るのではなく、汚点と見る者の目だった。
将典は視線を外さない。先祖を誇れない侯爵への嘆きと憐れみを抱きながら。
「……貴様っ!」
それを察したのだろう。侯爵が今にも、掴みかかってきそうになった。
そこに、冨迫伯爵が割って入ってきた。
「まあまあ、その話は置いておきましょう」
「黙れ! 将家のボンクラは民草に政を委ねようとしているようだが、無知蒙昧なヤツラに何が出来る?! 穀潰しの貴様らが役目を捨てた今、皇国の舵取りを担うのは祭家筆頭の俺だ! 全ては主上のために! それこそがあるべき正しい姿なのだ!」
殺気立った堂上侯爵ににらみつけられても、冨迫伯爵は怯まず、淡々と言葉を紡ぐ。
「そう考えているのは、あなただけですよ」
「なんだと!」
「……言ったでしょう。かの御方は大変憤っていらっしゃる、と」
そう言って、伯爵がヒタリと見据えると、堂上侯爵は気圧されたように背をわずかにそらした。
「幸い、あなたの家には後継ぎとなられる方に事欠かないようですね」
それでも侯爵は冨迫伯爵を再びにらみつけようとするが、
「それとも、祭家筆頭が第二の公森家になりますか」
続いた伯爵の言葉を受けると、侯爵の肩からは力が抜け、がっくりと垂れ下がった。
将典の目には、侯爵が一気に年老いたように見えた。それでも、彼の目は未だに爛々と輝いていた。恨みの色に鈍く。
ここまでのやりとりから侯爵の今後の処遇は想像できる。江都で起きた今回の騒擾の責任から市長を辞任、堂上家当主の座を次代に譲って、隠退。今後、彼が表舞台に姿を現すことはない。
彼が犯した罪も表に出ることはない。もし、表沙汰になれば、皇国は大きく揺らぎ、魔獣への対応など、民の日々の生活に悪い影響が及んでしまう。
将典の心に達成感は欠片もない。むしろ、感じるのは痛々しさ。
――侯爵が権力を得なければ、今回のことは起こらなかっただろう。
――400年の時を超えて、返り咲きを願うこともなかっただろう。
『かの方々が力の呪いに冒されないことを願う』
祖父の日記の最後の一節が脳裏に浮かんでくる。
「さ、メッセンジャーの役目はすべて終えました。帰りますか」
冨迫伯爵からの声に、将典は頷いた。いつの間にか、伯爵の手にあった紫の袱紗は仕舞われていた。伯爵が差し出した手に、預かっていた帽子を渡す。そして、ともに執務室の外へ足を向けた。
侯爵の姿を将典は心に刻む。今は、ゲーム「パルヴニール」と同じ道を歩んではいない。けれど、あっておかしくない己のひとつの未来の姿として。




