第35話 武士の末裔
「将典殿!」
書斎に入ると、将典は、やや手荒く、だが万感の親愛の情とともに抱きしめられた。
父親譲りの濃茶色の髪と、母親譲りで将典とも同じ蒼色の瞳。
彼こそが唐渡千里。将典の叔父であり、皇国最大の商会主。
「長旅でお疲れでしょう。船旅はいかがでしたか。船の乗り心地は? 海の具合はどうでしたか」
矢継ぎ早の問いかけに、将典は思わず苦笑いを浮かべてしまう。
けれど、明るい千里の振る舞いは将典への気遣いでもある。
千里の肩越しに映る景色には、誰の姿もなかった。
『おかえり、将典』
ここ、滄州州都・瀾昌にある澤渡家の屋敷の主として出迎えてくれた将典の母は、もういない。
しとしとと、窓の外では雨が降り始めている。
心を覆う寂寥感を将典は苦笑いの陰に隠す。
「待ってください、叔父上。私に客人を紹介させてください」
部屋の外にいた利奈子を招き入れると、千里の目が丸くなった。
「姫君、お美しくなられましたな。いやいや。遠路遥々ようこそ、瀾昌の澤渡家へ」
利奈子と千里も面識があったため、挨拶そのものは簡単に。
書斎の応接用の長椅子に将典が座ると、千里は机を挟んでその向かい側に位置取り、利奈子は将典の横に座った。
将典と利奈子の間には一人分の空間は空いていたが、
――叔父上。勘違いしているな。
千里の満面の笑顔から、婚約者として二人が順調に仲を深めていると思い込んでいる、と将典は察した。
けれど、その勘違いを訂正する機会は無く、千里の笑顔は座るまで。
三人が席に着くや否や、彼の顔から笑顔がかき消えた。
「お二人にわざわざ江都から来ていただきましたが、状況が変わりました。槐州視察は中止するべきです」
「どういうことですか!」
利奈子が上ずった声を上げた。
「つい先程、鉄道省から連絡が入りました。鳴浦郡を走行していた列車の音信が途絶」
鳴浦郡は槐州の沿岸部、滄州との州境に位置する地域。
「現場に急行した鉄道警備隊が線路上に三つ首の大蛇を確認した、とのことです」
「脅威度は?」
魔獣の脅威を判定する基準。皇国では甲、乙、丙、丁で示される。最低の丁種なら、兵士一人で対処できる程度。甲種は遠距離からの砲撃による対処が必要で、近距離戦なら一般兵が何人いても意味がない、かつての武士でも幾人もの死の覚悟が必要、そんな存在。「パルヴニール」のイベント「槐州事変」では乙までしか現れないとされていたが……。
「暫定ではありますが、甲とのことです」
将典は横から息をのむ気配を感じた。将典も眉をしかめてしまう。
「これを受けて、鉄道省運行管理局は滄州と槐州をつなぐ路線運行の無期限停止を決定しました」
もちろん、鉄道以外で滄州から槐州へ入る道はあるものの、どれも舗装されていない細い峠道。
今後、滄州から槐州へ、人や物を大量に入れる方法は海路に限られることになる。
それよりも、重要なのは運行管理局が無期限停止を決定したこと。
「……無期限停止。槐州鎮台は討伐に動かないのですか」
利奈子の問いかけに、千里は首を横に振った。
「槐州鎮台の戦力はすでに半減しています。恐らく、彼らは州都防衛に集中するでしょう」
つまり、槐州鎮台には州都防衛以外を行う余力はもう無い、ということ。
幸い、槐州の州都、蒼楠も海に面しているため、海路で連絡は取れる。
ただし、それはほとんど籠城戦に等しい。
『隣州にも被害が及んだ』
ゲームイベント「槐州事変」が終了した際の無機質な一文が、将典の脳裏に浮かんできた。
――軍の討伐遠征が行われるのは来年。まだ半年以上ある。
「パルヴニール」のことから、最悪の想定はしていた。それでも、「壊滅的被害」の五文字が、将典の中で音にならない言葉として形作られる。
――遠征まで蒼楠は守られても、他の街は、村は、どうなる?
将典の心からギュッと痛みが生まれた。
――だが、それを防ぐ術がある。
将典は着ている背広の胸元から一通の手紙を取り出すと、千里に差し出した。
「叔父上。これを見てください」
いぶかしげな顔をしながら、千里が受け取り、目を通し始めるが、次第に手元がわなわなと震え始めた。
「……将典殿。これは」
「国譲り状です」
国譲り状の効果は槐州に限られるが、他州からの応援を求めることが出来る。物資による支援はもちろん、鎮台兵の越境派遣要請も可能だ。
「これがあれば滄州の全力を槐州鎮定に動かせます」
千里の顔が上を向いて、将典と視線が交わる。
「叔父上。協力をお願いできますか」
もし、断られたら……。
千里が、手紙を丁寧に畳み、将典の手の中に戻すと、そのまま両手で包み込んだ。
「もちろんでございます。これがあれば、滄州の全てが将典殿の下知に従いますぞ」
その言葉を聞いて、将典のかすかに力が入っていた肩から力が抜ける。
対して、千里は立ち上がって、書斎の扉の外へ顔を出すと、
「おい! 槐州の地図を持ってきてくれ。すぐにだ!」
バタバタと喧騒が聞こえた後、千里が受け取った地図を将典たちの前の机の上に広げた。
「滄州鎮台では、すでに槐州への救援作戦を起案しています」
千里は槐州と滄州の州境を指し示した。
「槐州からの避難者を保護するために、州境にはすでに第1大隊が展開しております」
将典の脳裏には、口髭の隊長、洲崎寛行を始めとする宴を囲んだ者たちの顔が浮かぶ。
「第1大隊は陸路で槐州州都を目指します」
千里の指が州境から沿岸沿いに蒼楠へなぞる。
「海からは第2大隊が船で直接、槐州州都に入ります」
今度は海から蒼楠へ向けて指を滑らせた。
「最後に、第3大隊が第1大隊の後に続き、滄州との連絡線および後方の安全を確保します」
地図を見ていた千里の顔が上を向く。
「ただし、この案は鳴浦郡での鉄路途絶前に考えられたもので、軍の援軍が続くことを前提にしたものです」
千里の目は、軍の支援は得られないか、と聞いてきていた。
だが、将典は首を力なく横に振ることしかできない。
「軍の支援は得られません。将家の若君が動きました」
千里の目が丸くなり、
「若君は学園に入学したばかりではなかったですか。そんな方が、軍に、国政に影響を及ぼすのは先例がありません」
憤りとともに、「越権ではないか」とその目は語っていた。
「学園に入学したから、将家のご当主が政府の会議に参加させたようです。若君が求めたのか、ご当主が主導されたのか、までは分かりません。若君は会議の場にいるだけ、発言は認められていない、そのはずでした」
将典は拳を固く握った。
「それなのに、若君は会議で発言をして、軍の行動を制止しました」
その話を真宙から初めて聞いた時、「油断した」「隙を突かれた」といったことも浮かんだ。
けれど、何より、腹の底が煮えたぎった。
『女が州知事など務まるものか。お前の母は見栄っ張りの目立ちたがりだ』
幼い真一郎が将典に面と向かって発した昔の言葉も思い出す。
――あの方は、昔と変わらず、人の大切な想いを容赦なく踏みにじられる。
会議の書き起こしにあった真一郎の言葉も、一言一句、正確に思い出すことが出来る。
最初はありきたりのこと。遠征を終えたばかりで、軍の物資は足りておらず、兵は疲弊している、と。
けれど、すぐに雲行きは怪しくなった。
「『そもそも槐州の問題は槐州で解決するべきであり、中央政府が関わるべきではない。さらには槐州の問題を声高に言っているのは当事者である槐州の人間ではなく、隣の滄州の人間が言っている。彼らのような辺境の人間の言葉は信用できるものではない』」
千里は言葉を失っていた。将典の横からも息をのむ音が聞こえた。
「会議は一昨日、開かれたもので、内容は公にされていません。もちろん、若君のお言葉も、です」
胸元から、将典は小さく折り畳まれた紙を取り出して、千里へ差し出した。出発間際に、康嗣から手渡されたものだ。小さな几帳面な文字で埋め尽くされている。
「礒橋が会議を詳しく調べ上げてくれました。出席者が若君の言葉にどのように反応したのか、も書かれてあります」
真一郎に入れ知恵をしたのが、側に控えていた貴郎であることも記されている。
――武樋は、「パルヴニール」にはない出来事が起こらないように動いたのであろうな。
将典の中でも怒りのマグマが湧き上がってきそうになるが、拳を握り締めて抑え込む。ここで爆発しても、何の意味もないから。
ギリと歯ぎしりする音が聞こえた。千里の手元は再び小刻みに震えていた。
その様子を見ながら、将典は言葉を紡ぐ。
「若君は会議の後、ご当主から叱責を受けたとあります。けれど、問題は将家の人間が会議で発言したことです」
康嗣の報告によると、会議の参加者の中で、感情を出して反発したのは、滄州出身者。
表に出さなくても反感を抱いたのは、魔獣の脅威を肌身で知っている者たち。
真一郎の言葉に迎合したのは、滄州の発展を妬む者たち。
千里が感情を押し殺すように大きく息を吐いた。
「……そうですな。無かったことにはできません」
「少なくとも、今年中の軍の遠征は無くなりました。今回、国譲り状が出されたのは、若君の発言に対する将家からの詫びが含まれているのでしょう」
「それだけではないでしょう。冨迫伯爵も動きましたな」
将典の横から動く気配がした。
「伯爵は槐州を離れる決意を一度はなされましたが、故郷を愛していないわけではないですから」
千里の言葉に、将典も首を縦に動かす。
冨迫家はこれまで江都の貴族として生き残りを図ってきたわけだが、その方針を断念して、澤渡家傘下の辺境の貴族として、生きていくことを決めたことになる。
――決める際、伯爵はどれだけ葛藤したか。
――けれど、葛藤をねじ伏せるだけの強い想いがあった。
その想いを真一郎は踏みにじった。
将典の胸では、同じ想いを踏みにじられた怒り、伯爵への共感、そして、踏みにじった者が次期将家に定まった時への不安が複雑に交錯していた。
パンと音がした。千里が膝を叩いた音だった。
「問題はこれからどうするかですな」
千里の目が将典へ、次いで、利奈子へ向けられる。
「軍の支援が受けられないことは分かりました。ならば、滄州鎮台の兵たちに頑張ってもらわないといけませんな」
「頑張る」。すなわち、血を流すこと。
己の力不足で兵たちを危地に送らねばならないことに、将典は唇を噛んだ。
「問題は2つですな」
千里の指が蒼楠のそばを示した。川が表されている。
「雲栖川ですね」
利奈子が身体を少し前に乗り出していた。その声には、真一郎への憤りと、厳しい決断をした父親への愛があるように、将典には感じられた。
「先日の大雨でここを渡る橋は軒並み流されてしまいました。水量が少なければ、歩いて渡ることもできますが」
そう言うと、千里は視線を窓の外へ向けた。先程よりも雨脚が強くなったのか、雨音が聞こえるようになっていた。
「これからは雨が多く降る時期。あまり期待できますまい」
重苦しい空気に覆われる。
そんな空気を振り払うように、千里の指が動く。今度は鳴浦郡へ。
「2つめがココ。大蛇が見つかったところです」
海岸線沿いを走る線路が表されているところで、彼の指がトンと音を立てて止まった。
「鉄道警備隊によると、大蛇はここの線路の上でとぐろを巻いているそうです」
将典の眉間にしわが寄る。
「この辺りは、険しい山が海まで迫っており、線路は海岸線を縫うように敷かれております。鎮台を退役した部下に確認させたところ、攻撃するための大砲を据える場所を確保するだけでも一苦労するだろう、と言われました」
「さらに、実際に大砲を据えても、砲撃を行えば、破壊される線路の復旧に数カ月かかる、ということですか」
「仰る通りです。槐州での鉄道輸送力はたかが知れておりますが、やはり使えると今後の魔獣討伐が楽になると、部下は言っておりました」
「つまり、囮を使って大蛇を砲撃地点まで連れてくる必要がある」
「洲崎第一大隊長が実際にどのような作戦案を取るかは分かりませぬが……」
千里の視線が逸れる。
囮を使うことになれば、どれだけ犠牲者が出るかは分からない。
囮となる兵士が、姿をさらし、砲撃地点まで逃げるまでに、大蛇に追いつかれない保証はどこにもない。
人が走る速さより、大蛇が動く速さが遅い? そんなはずがない。
さらに、甲種の魔獣は気術も使う。
一人が倒されれば、次の兵士が姿を現す。その兵士が倒れたら……。
――囮。それは、もはや生贄と変わらない。
「ならば、私が出ましょう」
――洲崎は、犠牲を嫌って、砲撃の選択肢を取るかもしれない。
――だが、そうすれば、復旧に時間をかけている間に、どこかで誰かの命が失われる。
「将典殿! それは、な……」
制止する言葉を、将典は視線だけで制した。
千里は、将典が持つ気術の力を知っている。けれど、甲種の魔獣に通用するか、討伐できるか、はまた別。
「私の気術があれば、洲崎隊長も取れる選択肢が増えるでしょう」
千里の両拳が握り締められる。
彼の視線が利奈子へ向けられた。彼女に婚約者を止めてほしい、とその目には書いてあったのだが、
「でしたら、私も参加させていただきたく存じます」
将典が顔を向けると、ヒタリと彼女から見据えられた。
「魔獣と直接対峙するのは難しいことは重々承知しておりますが、私も身体強化と治癒、と一通り気術をたしなみます。お力になれると思います」
彼女の目からは将典への対抗心も垣間見えた。
「条件が2つある」
「なんでしょう?」
「1つは、従軍中は鎮台兵の指示に従い、勝手な行動をしないこと。もう1つは、軍服を着ること。今着ているような動きにくい着物は無しだ」
「かしこまりました」
利奈子が二つ返事で頷いたことに、将典はわずかに驚いたが、意外ではなかった。対抗心以上に彼女の目が雄弁に語るものを見て取れたから。槐州旧主の娘として民を守る、と。
将典が向き直ると、千里は両目を手で覆い、天を仰いでいた。
「万一の時は、叔父上、後のことをお願いします」
「……分かりました」
ゆるゆると戻した千里の顔は、泣き笑うように歪んでいた。己に気術を扱う才が無いことを今ほど呪ったことはない、と語っているようだった。
将典は彼にそんな顔をさせるつもりは無かった。だからこそ、笑みを浮かべた。
――叔父上がいるから、私は後を託せるのです。
と。
千里の顔がさらに歪む。それでも、彼の口から言葉が紡がれる。無事の帰還を願うのではない。
「ご武運をお祈りしております」
彼らは、民のために魔獣と戦ってきた武士の末裔である。




