第28話 坊主の恋愛論
外は梅雨空がどんよりと広がり、しとしとと昨日から雨が降り続いている。
そんな外とは反対に、書斎の中では明るい声が響いていた。
「おおっ! クラフティと言いますか。これは堪りまへんなあ。美味すぎて、手が止まりまへん。……んぐっ。困ったわあ、困ったわあ」
応接用に置いているソファで、了成が顔をほころばせながら、休むことなく、フォークと口を動かしていた。
果実が宝石のように沈んだクラフティは、皿の上から見る見るうちに減っていく。
その向かいで、将典はゆっくりとフォークを口元に運んでいた。
――うん。美味い。
ふわっとなめらかな食感の後に、卵と砂糖の濃厚な甘さが口の中いっぱいに広がる。
横では、康嗣も満足げな表情を浮かべながら口を動かしている。
さらにもう一口。今度の一口には果物も一緒。ぷちりと紫色の果実が口の中ではじけると、果物の甘酸っぱさが卵と砂糖の甘さをまたさらに引き立てる。
――いいな。ブルーベリーと言ったか。
最近、海外から導入されて滄州で栽培が始まった新しい果物だった。それをクラフティの生地に乗せて焼いた。
――問題はこの果物を本格的に栽培するには、農地を大きく確保できないことか。
溜息を吐きたくなった。
滄州は広い平野を生かし、昔から農業が盛んだった。だが、最近は、多くの農地が工場とそこで働く人々の家へ変わりつつある。
――もっとも、この果物は涼しい場所の方が育てやすいらしい。
――どこか北方の州で栽培できる場所を探させるか。
――あるいは、少し標高が高く涼しい場所か。
けれど、その結論を出す前に、
「御坊、最近はどうだ?」
了成が皿に乗っていたクラフティを食べ終わったところを見計らって、将典は声をかけた。本当は、途中でフォークを止めて、紅茶が入ったティーカップに彼が手を伸ばす瞬間を見計らっていたのだが。
「まぁ、ぼちぼちですなぁ」
その顔には、いつもの飄々とした笑みが浮かんでいた。
綺麗に剃り上げられた坊主頭が照明の明かりできらりと光った。
糾問会の一件が終わってからも、了成との関係は続いている。澤渡家では、彼を屋敷内の持仏堂の堂主として遇している。下条の指示で屋敷内に建てていた持仏堂だ。結局、予定より大幅に質素な形で落成した。
『おかげさんで。面倒見させてもろてる子が、またちぃとばかり増えましてん』
先日、話をした時の彼の言葉だ。
了成は、堂主として、週に1、2度、屋敷に来て経を上げながら、普段は住職を務めている寿慶院にいる。そこで面倒を見ている孤児は20人ほどにまで増えた。澤渡家からの寄進を使って、だ。けれど、もう少し多くの孤児の面倒を見ることも出来るのだが、
『これ以上目立つようなことしたら、ならず者らに目つけられまっしゃろ。せやさかい、仏さんも「ほどほどにしときなはれ」て言うてはるんやろなぁ』
飄々と笑う口元とは裏腹に、彼の目はどこか沈んで揺れていた。
寿慶院がある汐入横丁は、地方からあてもなく江都へ来た者たちが集まる地域。貧しい者が多く、治安も良くない。けれど、そんな場所だからこそ得られる情報もある。
だから、将典はこうして了成としばしば顔を合わせて話をするのだ。
今も、そのために持っていたフォークを手放す。あと一口食べたい誘惑を振り切りながら。
「それにしても、今日はお屋敷がずいぶん慌ただしゅうおすなぁ」
扉の外からは慌ただしい物音が聞こえる。それだけではない。屋敷全体が慌ただしい。
「夜、大きな宴を開くからな」
「ほう」
「滄州の鎮台兵が魔獣討伐の遠征から戻ってきたから、宴を開いて、彼らをねぎらうのだ」
鎮台とは対魔獣を専門とする郷土兵組織。大政奉還後に、政府直属の軍とは別に各州に設けられ、州知事の指揮下にある。
「それはそれは。お邪魔な時に伺うてしもうたようでございますな。まことに、かたじけのうございます」
了成の目が一瞬驚きで見開き、次いで、合掌してゆるゆると頭を下げた。
「気にする必要はない。御坊の訪れはいつでも歓迎する」
「さすがは澤渡様でございますなあ。まことに、慈悲深うおはります」
了成の邪気のない顔は時々胡散臭く見える時がある。今もそう。
「御坊、それは世辞か本心か」
「本心にございます」
心外だ、と言わんばかりの顔になるが、将典にはそれすらも芝居じみて見えた。
――だが、これがこの者の処世術なのであろう。それに、
嘘くさい雰囲気が消え去り、了成の目に鋭い光が灯った。
「江都にお住まいの方々は、どうも魔獣の脅威をお忘れになってしもたように見受けられます。魔獣を討つために、どれほど多くの方々が身を砕いておられることか」
「江都に魔獣が最後に現れたのは200年前。人の記憶から忘れ去られるには十分な時間か」
「地方から、とりわけ、常に魔獣の脅威におびえて暮らさねばならん辺境から江都へ参った者どもは、まずこの感覚の違いに戸惑うものでございます」
「だが、すぐに受け入れるか。毎夜、魔獣に怯えずに眠れるからな」
「まことに、おっしゃる通りでございます」
右手でつるりと坊主頭を撫で上げると、了成の顔には普段の飄々とした笑みが戻る。
将典もティーカップに手を伸ばす。
「ところで、学園生活はいかがですか」
カップを口元へ運びかけて止まる。彼の言葉の意図が理解できなかった。
「お友達と遊び、羽目を外せるんも今のうちですぞ」
――愚かしい。
言葉にして口から紡ぎ、肩をすくめたくなったが、了成の目に下世話な光が灯っているのに気づいた。
「そうそう、学園にはご婚約のお方がおいでやとか」
頑なな態度をとる利奈子の姿の記憶とともに、将典の眉がピクリと動く。
「お仲はようしておいでですか。恋を謳歌できるんは学生のうちだけですぞ」
「恋愛? 政略結婚なのだからそんな感情は不要だ」
そっけなく言うと、カップを口元に運び、一口含む。柑橘系の爽やかな甘酸っぱい香りが鼻を突き、上品な渋みが口の中に残った砂糖の甘さを洗い流して、繊細な甘みを残していく。
――流石。礒橋の紅茶はいつ飲んでも美味い。
――真宙はあと少し精進が必要だな。
将典の口元がゆるむのだが、
「ほほう……ずいぶんと枯れてますなぁ」
「枯れている? それで結構だ」
了成の言葉に顔がわずかに引き締まり、顎を引いた。
「跡継ぎとなる子供に愛情を注げば、それで十分。子供が生まれなければ、叔父上の子供を澤渡家の跡継ぎにすればいい」
将典の母が生前に取り決めた約定により、生まれてくる千里の子供は澤渡家に連なる。
今、澤渡の名を持つのは将典一人だけ。4代前の当主が参加した槐州での魔獣討伐で、当主を始め澤渡家の一門のほとんどが戦死したせいだ。生き残ったのは、直前に大怪我をして療養中だった当主の娘一人。彼女が15代目当主となって澤渡家を守り抜いたのだが、今でも澤渡家に暗い影を落としている。血族の極端な少なさとして。
――滄州の民は、子の誕生を今か今かと待っている。
将典自身、吉報が届くのを今か今かと待っている。
――今なら、叔父上の時のような悲しみは起きない。
千里が生まれた時は、彩気が扱えなければ、貴族・名族に名を連ねることができなかった。それが爵位制度の導入によって、彩気が扱えるか扱えないかは不問になった。千里の子供は、男の子であっても、女の子であっても、澤渡家の継承権を持てる。
――喜びはすぐそこだ
けれど、了成が右手でつるりと坊主頭をまた撫で上げると、呆れたと言わんばかりの顔になった。
彼の口から爆弾が投げられた。
「学園在学中に大恋愛をなさったご両親とは、まるで違いますなぁ」




