第27話 不満を持つ男と女
将典の目には、読書室での利奈子の様子は苦痛に耐えているようにも、何か無言の抗議をしているようにも見えた。
『何かしないのか?』
『何も持ってきていませんので』
『ならば、持って来るなり、彼女に持って来させるなりすればいい』
「彼女」とは利奈子の付き人として後ろに控えていた女子学生のこと。オロオロとうろたえる様子から、商家出身と将典は見た。ところが、利奈子から帰ってきた反応は、
『美海様の命令なので、離れるわけにはまいりません』
その頑なさに、将典は、思わず、
『バカバカしい』
こぼしたら、にらまれた。利奈子からは本気で。女子学生は天を仰いだ。様子をうかがっていた真宙からは、困ったものを見るように見られた。
真宙の視線は今も変わらない。ただ、日中と違い、
「冨迫様の心情を察するのは難しいです」
と答えてくる。
――確かに、「バカバカしい」と口に出してしまったのは失敗か。
――あれは姫を追い詰めるしかなかった。
ならば考える。眉間を指でほぐしながら。
――年寄りじみた格好だった。
まず浮かんだのは、利奈子の服装。
――着物が母親か祖母からのお下がりなのは、確実だ。
――そこまで資金繰りが悪いのか。娘に新しい着物を買い与えられないほどに。
先日も、冨迫家は運河開発にまつわる詐欺事件に巻き込まれ、多額の資金を奪われた、と千里が買収した新聞の一面で取りあげられていた。
――叔父上が新聞で取り上げることを許したのは、内々に冨迫家から援助を求められたからだが。
応える義理は無いために断った、と聞いている。
「ならば、不満か? 婚約者として私が金を出さないから、流行遅れの貧相な格好をしている、と」
――まさかと思うが、「化け物」呼ばわりされている私の婚約者を務めているのだから、金くらい出せ、と姫は言いたかったのか?
眉間をほぐす指を止めて真宙に言うと、彼は声には出さないが、首を横に振りたげな顔をした。
「だから、冨迫家か姫が将家の姫君に働きかけて、今日のようなお言葉を言わせたのか? それとも、姫君自身の意向か? 自分の側近が貧相な格好をしているのは見苦しい、何とかしろ、と」
「まさか……」
真宙は今にも首を振りそうだ。
「それ以外に何が考えられる?」
ズルズルと、思考が感情とともに一方向へと流れていくのを、将典は抑えられない。
このままでは危険だ、と心の中でかすかに囁く声も、聞こえたが、かき消されてしまう。
――なぜそんなことをしないといけないのか。
――彼女が貧相な格好をしているのは、私のせいではない!
そして、彼女のせいでもない。
怒りを通り越して虚しさが湧いてくる。
眉間に深いしわが寄ってしまう。
「そもそも冨迫家には叔父上が幾度となく金を出している」
「正確には、冨迫家が関係する商会へ、千里様の商会が支援しているのですが」
「実態は変わらぬ。叔父上の助けが無くなれば、向こうの商会はいつ破綻してもおかしくない。しかも、金の一部は冨迫家に還流している」
落ち着こうと、ティーカップを持ち上げ、カップに残っていた紅茶を全て口へ注ぎ込む。
けれど、香りは良いはずなのに、舌に残る鋭い渋みが感情をざらつかせ、声にもトゲが混じってしまう。
「その上でさらに金の無心か? だったら、少しでも愛想良くすればいいものを」
空のティーカップを無言で差し出し、お代わりを求めた。
「冨迫伯爵様と利奈子様の関係はあまりよろしくないと伺っていますので、冨迫家から将家に働きかけた線は薄いかと考えます」
「なぜだ?」
カップを受け取った真宙が紡いだ言葉に、思わず、将典は身を少し乗り出した。
「利奈子様の男女同権の考えを、父君がよく思われていないそうです」
「他家の親子関係には関心がない」
前に出た身体を戻して、将典は否定する。けれど、高松拓哉の姿が脳裏をかすめると、将典の中で利奈子にまつわる天秤が揺れた。
「将典様は男を立てて三歩後ろを歩くような女性が好みなのですか」
新しい紅茶を注ぐ真宙を見ながら、
「真宙。お前、分かっていて聞いているな」
滄州知事として活躍した母の姿が、将典の中ではっきりと浮かび上がる。
「大体、最近の男尊女卑の風潮がおかしいんだ。そもそも、銃器が発明される前はそんな風潮はなかった」
「巷では否定されますね。武士の家では男子が大切にされて、跡を継いだのは男子ばかりだった、と」
「それが浅はかなのだ。魔獣との戦いで、男女を区別して扱うなど愚の骨頂。適材適所で対しなければ、戦い抜くことはできなかった。その中で、彩気を使った身体強化の刀術を男子しか使えなかったから、大切にされた。それだけに過ぎない」
差し出されたティーカップを受け取ると、早速、口元に運ぶ。煙で燻したような香りが鼻をくすぐる。
「己の肉体と刀だけで魔獣に立ち向かったのですからね。当然、亡くなられる方が非常に多かった」
「だからこそ、魔獣を倒す者が優れている、生き残った者こそが優秀、という風潮ができ、男子の家督継承が多かった」
一口含むと、木の蜜のように控えめな甘みが将典を満足させた。
「実際には女子の継承も認められていました」
「ひいおばあ様のようにな。でも、人は簡単に忘れてしまうし、分かりやすいことだけを見て、都合の悪いことには目をつぶる。だから、男子に重きを置いて、女子を軽視する」
「しかし、近年は、全国に普及した新聞によって、先代様のように、女子の活躍も広く知れ渡るようになりました。懐古主義も加わって、男尊女卑への批判も強まっています」
カップをソーサーに戻すと、かすかな音がした。
「良い傾向だ」
お茶請けのクッキーに今度こそ手を伸ばし、一枚口に運ぶ。サクッとした食感と温かみのあるシナモンの甘い香りに、張りつめていた将典の眉間から力がふっと抜けた。
「もしも、利奈子様が愛想よく振る舞っていたら、援助なさっていましたか?」
利奈子の感情の抜け落ちた顔が、将典の脳裏に浮かんでくる。
「それとこれは別の話だ」
「手厳しいですね」
肩をすくめた真宙に向かって、将典は口元を皮肉気に歪めてみせた。
「そういうところも化け物と呼ばれるところかもしれません」
真宙の冗談めいた返しに、今度こそ、将典は鼻で笑った。それがどうした、と言わんばかりに。
ズキリと走る心の痛みをひた隠して。




