第45話 宣言、そして、大団円……?
(こいつに負けたせいで、地球が危機に陥るの? そんなの、責任重すぎるよ。私はただの一般人なのに。他の人たちの命や生活を背負えるような人間じゃない。こんな滅茶苦茶な話ってある?)
言葉通り、万事窮すだ。新しく流れようとする涙を隠したくて、目を閉じる。
「那波人君、ごめんなさい」
無意識のうちに漏れたつぶやきで、なぜかエイビスが夢から醒めたようにハッとするが、桃香は気づかない。
膠着した空気の中、ルーンはたまらず桜輝の腕から飛び出した。
「あ、ルーン!」
「僕だって少しは戦えるんだぞ。覚悟しろ!」
そう言いながら飛び蹴りをエイビスの後頭部へくらわそうとするが、体を起こした彼は振り返ることなく、裏拳をひとつお見舞いしただけであっさり撃退した。
「わあっ!」
「ルーン! 言わんこっちゃない」
桃香は、何度も瞬きを繰り返した。
ルーンのおかげで両手の拘束が解かれたが、エイビスはぴくりとも動こうとしない。顔はやや俯き気味で、垂れた銀髪が表情を隠している。
今更桃香は思う。彼の髪が、朧な月明かりを織り込んだように綺麗だ、と。
やがて響いたのは、エイビスの低い笑い声だ。
勝利を確信した快哉ゆえかとも思ったが、少し様子が違う。彼は片手で顔を覆い、唇の笑みを崩さないまま言った。
「魔法少女の割に年を食っているわ、戦いで私を追い詰めるわ、なのにとどめを刺そうとはせず、平手打ちしてきてわめきながら文句を垂れる――お前のような者に出会ったのは初めてだ」
桃香は身を起こす。エイビスは顔をあげ首をふり、片腕で銀髪を見せつけるように払う。
(うわっ、やっぱり美人)
反射的に心の中で称賛してしまった桃香へ、エイビスは笑みを投げかけた。
それは今日見た中で最も穏やかに感じたが、瞳には尊大さががありありと浮かんでいる。
「随分と面白い女だ。気に入ったぞ」
「……?」
桃香もルーンも意味の咀嚼が追いつかない中で、桜輝はまたぼそりと言った。
「ん、敵からおもしれー女認定されたってこと? 何で?」
「………………エイビス、頭でも打った?」
疑い深そうな桃香がおかしいのか、エイビスは吹き出した。
その仕草だけ取り上げれば、それなりに人間味がある存在に見えるのに。
「魔法少女、お前の名は何という?」
「へ?」
「私はエイビスと既に名乗った。お前の名を知りたい」
桃香は何が起こっているのかまだわからないまま、口を開く。
「も、桃香、よ」
「桃香か。お前は運が良い。相性のいい宿主によって目覚めた私以上の、幸運の持ち主だ。私は完全に、お前と戦う気が失せた」
エイビス以外の人間二人と兎一匹は、同時に叫んだ。
「はあっ?!」
「冗談はやめろ、エイビス!」
「何でそうなるんだ?」
エイビスは再び喉を震わせて笑う。
「だが二度と戦わない、というつもりもない。この星を我々の手中に収めることも諦めてはいない。ただ今日は、お前に免じてもう止めておく。桃香が今よりも強くなったあかつきには、再び戦おうではないか」
(え、それって)
窮地は脱したのは間違いない。が、問題を先送りしただけ。そう思ったが口には出せなかった。
エイビスがなぜか桃香の片手をとり、手の甲に唇を落としたから。
「ぎゃああああっ!」
断末魔のような悲鳴に、さらにエイビスは笑う。
「また会おう、桃香。私がこの宿主に宿ったことそのものを、感謝するがいい」
謎めいた言葉を残し、エイビスの身体が光に包まれる。
そして――
その光が消え、目を閉じた那波人が姿を現し、そのまま桃香へともたれかかった。
桃香は、勝手に目尻に涙が溜まっていくのを感じた。
「よかった。よかったよ、那波人君」
エイビスの不穏な宣言が気になるが、ひとまずは一件落着と言ってもいいだろう。
ようやく空の色を確認する余裕が出来た。朝が来るまで、もう少し。
○
桃香は那波人を抱き上げ、田んぼから舗装された道に出た。
那波人の頭を膝に乗せる。桜輝もルーンも近くで見守る中、那波人のまつ毛が震えた。
「那波人君?」
その声に導かれるように、まぶたがひらく。目覚めたばかりの彼は、世界を知ったばかりの赤子のように純粋だった。
「……桃香、さん?」
起き上がろうとする那波人だが、体を支えた肘ががくんと折れる。桃香は彼の腕をつかみ、ゆっくりと那波人の前方へ移動した。
「私は桃香じゃない。でもあなたが助かってよかった。家へ送り届けるから、安心してちょうだい」
微笑むと、なぜか那波人の頬がうっすら染まった。
「夢……かな? 桃香さん、そのコスプレすっごく素敵です。似合ってます」
否定したのに桃香と決めつける流れは、瀬河の時にもあった。
それより気になったのが。
(コスプレが素敵、かあ。喜んでいいのかな?)
戸惑っていると、那波人が身を乗り出してきた。信じられない程に距離が近い。今度は桃香が頬を染める。
「な、那波人君、顔が良すぎるよ。心臓に悪い!」
「俺、ひどい悪夢を見てた気がします。はっきりとは、覚えてないんですけど。でも桃香さんが助けてくれたんですよね。きっと」
まだ夢見心地の那波人は、そっと桃香の耳元に手を伸ばした。
「!」
「イヤリング、可愛いですね。桃香さんへのプレゼントは、こういうのがいいのかな?」
桃香は目を丸くする。何かを察したらしい桜輝が、ルーンを両手で抱えて後ろへ下がった。
「私へプレゼント? 何でそういう話になるの?」
「でも、いきなりは驚かれちゃうだろうし。どうやって外堀埋めようかな」
桃香はただ戸惑う。ルーンが「外堀って何だい?」と桜輝に質問するが、桜輝はもう一歩分二人から距離を置いた。
「ねえ、桃香さん」
那波人が甘いため息のようにささやく。
ちょっとだけときめいてしまった桃香は、罪悪感をごまかすように首を何度も横にふった。
「だから、私は桃香じゃないの。通りすがりの魔法少女で……」
「これが夢なら。たぶん、許されますよね」
「へ?」
那波人は桃香の両頬を優しく包み込んだ。自分よりもはるかに大きい男性の手のひらに、桃香の心臓がとくん鳴る。
「那波人、君?」
「勝手にこんなことして、ごめんなさい。桃香さん」
笑顔を添え、那波人は桃香へと顔を寄せ――魔法少女は、助けた近所の高校生から、頬骨に軽くキスされた。
瞬時に頭が真っ白になった桃香に追い打ちをかけるように、唇は額へ、そして鼻へと落とされ。
最後に息さえ食まれるくらいに、唇同士が近づいたが。
「――これ以上は、現実の俺に任せよう」
そう言い残すと那波人はこてんと道路に倒れ、すうすうと寝息を立て始めた。
払暁の光を喜ぶ小鳥のさえずりが、あちこちで輪唱のように響く。ルーンは口を開いた。
「桜輝、どうして僕の目をふさいでるんだい? 何かあったの?」
「気にしないでいいぞ。お前は何も見ていない。俺は見ちゃったけどな。姉貴から叱られるのは俺だけだ。だからなーんにも気にしなくていいんだぞ」
「もっと詳しく説明して欲しいんだけど?」
徐々に体を震わす魔法少女を見ながら、桜輝はしみじみ思う。鈍感すぎる姉も、やっと気づいたようだ、と。
「な……何でなのおおおおおっ!」
エイビスの口づけの時より強烈な悲鳴に、ルーンはひっくり返ってお尻を地面に打ち付けてしまった。




