第42話 その心配の仕方は……
(やられた! これじゃ動けない)
幾重にも体に巻きつく幹は、羽根で出来ているはずなのに本物のように固くずっしりしていて、桃香の動きを封じていた。悪あがきで身じろいでみるものの、体の脇に固定された両腕はびくともしない。
そのまま宙に持ち上げられた桃香は、眼前で口元を押さえながら笑むエイビスを睨みつけた。
「卑怯者。全部お芝居だったんだ。強いのなら正々堂々と勝負したらどうなの?!」
食ってかかった拍子に、拘束する幹が桃香をきつく締めあげる。
「……っ!」
それでも闘志の炎を目に宿す桃香に、エイビスは銀髪をかきあげほほ笑んだ。
「油断していたことは認めよう。か弱い魔法少女となめてかかっては、痛い目に合う。今後の良い教訓になった」
彼の首元に玉の汗がいくつも浮かんでいだ。それなりに追い詰められていたのは確実だろう。なのにこうして逆転を許してしまうとは、完全にこちらのミスだ。
桃香は歯ぎしりしたくなった。
「桃香! あー、あと少しだったのに」
下を見れば、屋上駐車場から移動してきたらしいルーンと桜輝がいる。
エイビスは陶然と告げた。色気すら感じる、歓喜の笑みを添えて。
「残念だな、指名者。お前が選んだ魔法少女はこのザマだ。そこで指を加えて、私がこれから暴れまわるのを見ているがいい」
そして高らかに声をあげて笑う。
桜輝は両膝をつき、顔を手で覆った。
「まじかよ、姉貴」
ルーンはそんな彼の脚に前脚を置き、励ますように言う。
「諦めちゃ駄目だ。桃香は期待以上に健闘してくれたよ。だからまだ、挽回のチャンスはあると信じよう」
「いや、そうじゃないんだ。姉貴でああいうシーンを見るのがちょっと気まずくてさ」
桜輝は片手で、ゆっくりと桃香達のいる方を指さした。ルーンが首を傾げる。
「気まずい?」
「魔法少女の作品でたまにあるんだよ。明らかに触し……いやまあほら、とにかく何でもいいからひも状のもので敵に拘束されちゃって動けない、とかさ。姉貴が魔法少女になったこと自体驚きだけど、まさか姉貴自身が戦闘でこういう目に合うとは思ってなかった。俺としてはすっごく複雑」
首を振って、さらに桜輝は嘆く。
「どうしよう、俺なんかじゃ姉貴を助けるとか無理だし、かといってこのまま放っておくと特殊な性癖の大きなお友達、もといオタクが喜ぶだけだし……あれ、そういえば俺も年齢的には大きなお友達になるんだな」
ルーンは渾身のジャンプをし、桜輝の頭を強く叩いた。
「いてっ」
「訳のわからないこと言わないでくれるかい? 君達姉弟さ、今日はとびきり様子がおかしいよ。もっと真面目になってよ! この星が〈悪の元素〉に制圧されるかどうかの瀬戸際なんだよ?!」
その一連のやり取りは、桃香の耳にも届いていた。
(あんのオタク野郎。お姉ちゃんが苦労してるのにそういうこと考える必要ある? 那波人君が元に戻ったら絶対に叱ってやる!)
弟への怒りをたぎらせる桃香とは対照的に、エイビスは異国の会話を聞いたかのように顎に指を添えて黙考していた。
(敵だけど顔が良いから、どんな仕草でも素敵。正直、ずっと見ていたい……)
「あの男は、先程から一体何を話してるんだ?」
我にかえった桃香は、必死できつい物言いをした。
「あなたに説明するまでもない、下らないことを言ってるの!」
「そうか。放っておけばいいのだな」
エイビスは桃香の肩に手を置き、もう片方の手で顎を掴むと、無理やり上向かせた。
視界いっぱいに広がる青年の整ったかんばせに、桃香はブレーキ音のごとき悲鳴をあげる。
「ぎゃーっ!!」
ルーンはオロオロと桜輝の周囲を走り回った。
「まずいぞ、助けなきゃ!」
「いや、あれは突然イケメンに顎クイされて、喜んでいいのか動揺すればいいのかわからなくなってるだけだと思う。怯えてるわけじゃない。それだけは間違いない」
ルーンはもう一度、ジャンプしつつ桜輝の頭を叩いた。
そんな人間と兎のやりとりを、エイビスはそれはそれは冷え切った軽蔑の眼差しで見ている。
「どこまでもうるさい奴らだ。まあいい。それより魔法少女よ」
改めて顎クイされ、桃香は気絶したくなった。
永遠の王子様はシリウスという呪文も、この美貌の前には木っ端みじんに砕かれてしまいそう――いや、もう砕かれた後かもしれない。
何を思ったのか、エイビスは甘い微笑を浮かべた。
(ひいぃ。間近で見るイケメンの笑顔は毒だよお!)
「私を追い詰めたお前には、特別に選ばせてやろう。私に降参し、全ての命令に従う奴隷になるか。それとも身動きできないままこの星の滅びを目撃したあと、最後の人類として死ぬか。さあ、どちらが好みだ?」
片頬を包まれ、なぜか頭にもやがかかったようになる。四肢の力が抜けていく。エイビスの瞳が妖しくきらめているが、その理由もわからない。
「あれ……なんかエイビスの様子が変だぞ」
ルーンと小競り合いをしていた桜輝が、ふいに手を止める。ルーンも振り返った。その青い両の目が、ゆっくりと見開かれる。
「エイビスの瞳が光ってる。まずい、催眠だ!」
触手に催眠もかよ……とつぶやいたきり固まった桜輝を捨て置き、ルーンは四本の脚で必死に地面を蹴って駆ける。その上を、ひとつの影が飛んでいった。
桃香の頭の中に、いくつもの情景や情報が浮かんでは彼方へ流れていく。手を伸ばそうとしても、流れは濁流のように早くてつかめない。ひとつの形を作っていたものが、ばらばらに分離していくよう。
(あれ、私はなんでこんなことしてるんだっけ?)
まだどこか着慣れない、魔法少女の青い衣装。
始めての初陣。
気の強そうな、でも実は傷を抱えていた職場の後輩。『レインボーガーディアンズ』が好きだと言っていた、職場の後輩。
魔法少女になれなかったことをひっそり悲しんでいた、取っつきにくく、でも必死で頑張っている職場の先輩。
昔からの親友。オタクな弟。しばらく会ってない父と母。
そして――笑顔の可愛らしい、弟の後輩。
すべてが遠くへ消えていく。桃香にはなす術もない。
「簡単なものだ。初めからこうしておけばよかったのか」
低い声と共に、桃香の額に指が当てられる。何かを描いているようだ。抵抗したいが、体が動かない。




