第39話 覚醒した王
「よく来たな。命知らずの魔法少女」
すぐさま後ろを振り返る。屋根付きの歩道の上に、一人の青年が立っていた。
微風になびく長い銀髪。右の耳朶には、濃いピンクと緑の羽根がイヤーカフのように装着されている。涼し気で人形のような美貌なのに、翡翠の瞳には冷え冷えするほどの侮蔑が浮かんでいた。漆黒の服は彼の肌を覆い隠し、青白い月光を浴びて濡れ光っている。桃香を見下ろし観察するその様からは、絶対的な威厳のようなものが感じられた。
口をぽかんと開けたままの桃香の隣で、ルーンが絶望の悲鳴を上げる。
「嘘だろ、この短時間で完全に覚醒したのか? なんてこった」
応えるように、青年は口の片端を持ち上げた。桃香は一歩後ずさる。
「知らぬだろうから、教えてやろう。我が名はエイビス。闇夜を翔ける鳥どもの王だ」
エイビスと名乗った青年が指を鳴らすと、その周囲に三つの球が現れた。そこに閉じ込められているのは、桜輝と那波人の兄である海人、そしてカラスが一匹。
「フルリ!」
ルーンが叫ぶ。やはり今朝さらわれたカラスはルーンの知りあいだったのだと、桃香はろくに働かない頭の片隅で思った。
「舞台は整った。さあ、私を楽しませるがいい、魔法少女よ――と、言いたいところだが」
エイビスは腕を組み、鼻から長々とため息を吐く。桃香はまた一歩下がった。ルーンが不審に思い振り返る。
「桃香?」
「あらかじめ知ってはいたが、少し年を取っているな。よほど担い手がいないらしい。それに戦意も全く感じないが。魔法少女とあろう者が、まさか私に怖気づいたのか?」
クスっ、と短い嘲笑。桃香はさらに二歩下がった。
「桃香、どうしたんだい?」
戸惑うルーンの後ろで、エイビスは両手を広げた。彼の周囲を、たくさんの黒と白の羽根が舞う。
「冥土へ行く前に、少しは私を楽しませろ、魔法少女よ!」
円を描くようにしていた羽根は、一本の鞭となって桃香に迫る。
「危ない!」
ルーンの叫びに辛うじて体が反応し、すんでのところで右によけた。だが羽根は戻ってくる勢いで、背中を激しく叩いた。
「きゃあっ!」
情けない悲鳴をあげ、桃香は転がる。顔をあげ、悠然とほほ笑むエイビスの姿を仰ぎ見た彼女はつぶやいた。
「無理だよ、無理だって」
ルーンはすぐさま桃香の隣へ駆けつける。
「不利な戦いなのは僕もわかってる。けど今は、君にしか託せないんだ。エイビスの暴走を何とかここで止めておかないと、この周辺どころかやがてこの星までも……」
「あんなに顔が良いなんて、聞いてないんだけどっ?!」
起き上がった桃香の訴えに、ルーンは一瞬己の耳を疑った。
「……ん?」
「ただでさえ那波人君はビジュアルがとんでもなく良いのに、それに足し算どころか掛け算したくらいにカッコいい敵になるなんて、卑怯だよ。あれじゃ戦えないよ!」
数秒の沈黙があった。ルーンはひこひこ、と両耳を動かすことしか出来なかった。
「えっと……そんな理由で戦意喪失しちゃってたの?」
「呆れないで! 私だって自分に呆れてるんだから!」
「さっきからやかましいぞ、雑魚が」
エイビスが淡々と言い、再び腕を振り上げる。決して那波人が言わない単語に、桃香は片手で胸を押さえた。
「ど、どうしよう。私の永遠の王子様はシリウスなのに、これじゃ交代しちゃうかもしれない。中性的で、冷たい雰囲気で偉そうで、でもすごく様になってる。しかも那波人君に似てるし……何か、ツボをぐっと押され続けてる気分。ときめきで倒れそう」
「何を言ってるんだよ桃香ぁ! この星の危機なんだよぉ?!」
兎の絶叫は、羽根の連なった鞭の激突でかき消えた。
どれほど時間が経っただろうか。逃げたり転がったりする桃香はあちこちに擦り傷をこさえ、息もとっくの昔に上がっている。対して羽根を自在に操るエイビスは、余裕も余力もありあまっているようだ。
「走り回っているだけだが、まだまだ動けるな。どうやらお前の力を少々みくびっていたようだ」
愉快そうな物言いに、桃香はときめきがこれ以上暴走しないように胸を押さえる。遠くから見ていたルーンは頭を抱えた。
「なんて緊張感のない……桃香、君が頑張ってるのは間違いないけども、もう少し状況を理解してくれよ」
エイビスは指を鳴らす。彼の前に、桜輝が閉じ込められた球が降りてきた。
「何?」
エイビスの笑みが急に、酷薄に歪む。
「少しやり方を変えよう。これなら、どうだ?」
その言葉が終わらないうちに、球は突然上空へと加速する。気を失った桜輝の体が、球の内側で叩きつけられた。
敵の意を悟った桃香は跳躍し、弟めがけて指先を向けた。
「エトワール・アロー!」
いくつもの黄金の矢が突き刺さるが、球は傷ひとつかない。
そうこうしているうちに、今度は球が落下してきた。球の中で何度も跳ねる桜輝の姿に、桃香の胸が怒りでざらついた。
「レジーナ・ブロッサム・ストーム!」
いつもより大声で技名を叫ぶ。青薔薇の花びらに包まれた球は、身を震わせるようにしてはじけた。桃香は弟を抱きしめ、屋上に降り立つ。
「桜輝、しっかりして!」
体をゆすり呼びかけると、緩慢にまぶたが持ち上がる。
「姉貴……ん? 夢、か?」
とぼけた第一声に、桃香は力が抜けてへたり込んでしまった。
「よかった。心配させないでよ」
「あれ? あ、そうだ、那波人が変なんだよ! それにルーンはどうなったんだ?」
タイミング良くルーンが二人の前に背を向けて立つ。桜輝はほっと息を吐いた。
「お前が姉貴を呼んでくれたんだな、ありがと」
「お礼なら後で聞くよ。今はそれどころじゃないんだ」
二人と一匹から離れたところに、エイビスはゆっくりと着地した。
腕を組み、薄く笑みを浮かべる銀髪の青年に、桜輝は目を見開く。
「あいつ那波人か? え? いつにも増してイケメンじゃん。あれ以上カッコよくなってどうするんだよ」




