第38話 灯台下暗し
銀髪の男は通話を切り、黒い球の中にとらえた桜輝を満足そうに見た。指を鳴らすと、もうひとつ同じ大きさの球が現れる。そこには那波人の兄である海人が閉じ込められていた。
人通りの無い道で、男は誰にともなく言った。
「指名者、聞こえているだろう? 魔法少女に伝えろ。私は待っていると。ぐずぐずしないで、早く非力な獲物を連れてくるんだな」
そして男は二人の人質と共に、夜の空へと消えていった。
○
魔法少女に変身し、夜闇に沈んだ街を翔けるように進んでいく。
建物や電柱等を足場にして跳躍を続けるこの状況に、桃香は少しだけワクワクしていた。同時に、切実な感想も浮かぶ。
(急いで飛び出してきたけど、もしかして車で移動した方が良かったかな)
透伯温泉は人里離れた辺鄙な山の中にある。そこから市街地へ出るまで、道は勾配があるし街灯も少な目だ。そのためか、魔法少女に変身して移動する方が早いと感じた。
だが市街地に出ると明るいし、見晴らしも山の中よりは良い。さらに桃香の家の近くまで、信号の少ない主要幹線道路が敷かれている。そこまで来てしまうとルーンと共に跳び続けるより、車でスピードを出した方が効率がいいのではと、思い始めたのだ。
だが今更引き返すのは時間の無駄だし、もしパトカーが巡回していたら、呼び止められてしまうかもしれない。
なので変身して移動するこの方法がやはりいいのだと、思い込もうとしたが。
(ちょっと疲れてきたかも。年は取るもんじゃないね。戦う前にこんな状態になるなんて)
ちらりと横を伺うと、ルーンはこれまで見たことないくらいの、真剣で深刻な瞳をしていた。
「ごめんよ。連絡が全然出来なくて」
「こっちこそ、のんびり構えて何もしなくてごめんね。ルーンが無事でとにかくよかった。で、何があったの?」
ルーンは一度目をふせ、再び前方を見る。
「〈悪の元素〉の動きがおかしいから、他の地域にいる仲間に相談するって言っただろ? あれ、嘘が混じっていたんだ。僕はあの時点で、怪しい人物に何人か目途をつけていた」
「怪しい人物?」
「〈悪の元素〉の宿主となってしまった人間だよ。桃香の会社の近くにいることだけはわかっていたんだけど、その後フルリ――あ、フルリは僕の仲間で、カラスの姿をしてるんだ――の協力もあって、五人以内に絞れたんだ。そのうちの一人をわざと挑発するようなことをしたのが、間違いの元だったんだけど。僕がこの前桃香に会った時、側に誰がいたか覚えているかい?」
「え?」
突然ルーンが居間に現れたあの時は、体調の悪い那波人と共に夕食を食べていた――
桃香は信じられない思いでつぶやく。
「まさか、那波人君が……?」
ルーンは深く首肯した。
「灯台下暗し、ってやつだよ。桃香の近所に住んでいる戸田那波人、高校二年生。まさに彼が〈悪の元素〉の宿主となってしまった。しかも四天王クラスだ」
ため息をついたルーンは、さらに続ける。
「僕は他の地域の魔法少女に、応援を頼もうと思っていたんだ。いくら四天王クラスであっても完全な覚醒前ならば、少ない人数で対応できるかもしれないからね。でも、奴に先回りされてしまったんだ。桃香と別れてすぐ移動していた僕は、気づいたら頭からお酒をかぶっていたんだよ。そこからの記憶は曖昧なんだ。たぶん那波人の家に閉じ込められて、一日に一回は何らかのアルコールをかけられていたんだと思う。とにかく必死の思いで逃げだしたら、桜輝が僕を見つけてくれたんだ」
それが今夜だったというわけだ。桃香はまだ、告げられた情報を飲み込むのに時間がかかっていた。
「那波人君が、敵になっちゃったってこと? ねえ、さっき四天王クラスって言ってたよね? 瀬河さんから聞いたけど、覚醒した〈悪の元素〉は兵士クラスや貴族クラスがあるって」
「うん、僕たちの側で分類したんだよ。人に宿って覚醒した〈悪の元素〉は、弱い順に兵士クラス、将校クラス、貴族クラス、四天王クラスと四つに分けられる。今回の場合だと那波人は、最も強い四天王クラスの宿主になってしまったんだ」
何て運の悪い、とルーンはぼやいた。
「四天王って言うからには四人しかいないの? じゃあ、正体はもうわかってるの?」
「いや。僕が見た限りだと、那波人は完全に変身を遂げてない。ただ、〈悪の元素〉の意識はほぼ表に出てきている。時々乗っ取られていたんじゃないかな?」
そういえば、最近いきなり意識を失うことがあると言っていた。あの時点ですでに、那波人に宿った敵が徐々に活動し始めていたのだろうか。
桃香は前を向いた。見知った地元が近づいている。
「まとめると、那波人君の体に四天王の誰かが宿っている。そいつは桜輝ともう一人誰かをさらって、私を待っている。そしてとんでもなく強い、ってことね」
桃香とルーンは、前方のある一点を見つめていた。十年以上前に出来た、巨大なショッピングモールだ。
「しかも、ルーンがお酒にものすごく弱いってことも知っていて、それでルーンを足止めしてた……となると、私の情報もある程度知ってる可能性もあるんだね」
ルーンはすぐに答えない。
桃香は両手で頬を軽く叩き、気合を入れた。
「那波人君も桜輝も、ちゃんと取り返してみせる。なんてったって、私は魔法少女だからね」
疲労感を覚える体を無言で叱咤し、静けさで満ちたショッピングモールの駐車場へと降り立った。
○
気配はあるが、姿は見えない。
車もほとんどない駐車場。昼間の喧騒とはかけ離れた、とろりとした夜の闇に辺りは包まれていた。鼻に通る空気はぬるく、遠くに響くカエルや虫の大合唱が、もはや夏だと知らせてくる。
油断なく辺りを見回していた桃香の耳に、低く通る声が届いた。




