第24話 あこがれから恋へ
二人は無言で食べ進めるが、半分程胃に収まったところで海人が口を開いた。
「やっぱりさ、那波人が女の子を避ける理由ってのは」
「またその話? もういいじゃん。昔から俺の顔だけで寄ってくる子ばっかり見てきたから、うんざりしてるんだよ」
「それもあるんだろうけど……好きな人、いるんだろ?」
何故か兄は小声で確認してくる。那波人はしばし動きを止めてしまったが、平静を装ってハンバーグを切る作業を続ける。
「兄ちゃんには関係ない。俺は、恋愛感情がないのに誰かとお付き合いをしたくないだけだよ」
「第一候補は……雪平桜輝君だっけ? のお姉さんだな?」
ちょうど咀嚼していたハンバーグのかけらが吹っ飛んでいった。海人が軽く悲鳴をあげる。
「おまっ……汚いし勿体無いぞ! 食事はこぼさすに吹き出さずに食べろ」
兄の説教など聞く余裕もなく、弟はひたすらに咳き込んでいた。
ようやく気道の違和感が無くなり、コップの水をあおる。息苦しさがまだ残っていて、顔が熱い。
「……なんで?」
「お前元々、桜輝君に懐いてたよな。しょっちゅう遊びに行ってた時期もあったし。あの頃桜輝君のことだけじゃなくて、お姉さんの話も俺にたくさんしてたじゃん」
「え、そうだっけ?」
記憶を掘り起こしてみるが、はっきりと覚えていない。
「隠してるつもりだったかもしれないけど、兄ちゃんの目はごまかせないぞ。お前が中学生の頃、たまたま雪平家の兄妹とばったり出会った時、お姉さんの方をぼーっと見てたよな。となると」
海人は水を飲みながら、片手で指折り数える。
「もしかしたら十年近く片想い続けてるわけ? すごいな」
今度は別の理由で、那波人の顔が赤くなっていく。
「しかも桜輝君のお姉さん、俺より年上だよな? 那波人ってそういう趣味だったんだ」
思わず声を荒げてしまう。
「たまたま相手の年が離れてただけだよ。そこを悪いように言われる筋合いはない!」
「わかった! 悪い、悪かった」
宥められた那波人は、こちらを伺ういくつもの視線に気づいて肩をすくめた。二人は大人しく、夕食を再開する。
「ちょっと聞くけどさあ、最後にお姉さんと話したのいつ?」
「だいたい一か月くらい前」
「へ? 最近じゃん。そんなに交流あるの?」
コーンが上手いことフォークに乗らず、那波人は苦戦する。
「ううん、すごく久しぶりだった。高校入ってから初めてくらいかな」
「なるほど。小さい頃の憧れをこじらせた感じかな?」
下から見上げるように兄を睨む。海人の分の皿はほとんど、空になっていた。
「兄としての疑問だけどな。那波人は、那波人の顔だけ見て好きになる女の子は嫌いなんだろ? じゃあお前は、桜輝君のお姉さんにずっと片想いしてるけど、その理由ってなんだ?」
「え……桃香さんは、俺が顔のこと褒められるの嫌いだって知ったら、すぐに謝ってくれたんだ。そんな態度を取られたのは初めてだったから、感動しちゃって。まあ、他にも理由はあるけど」
那波人は兄から視線を外して、思い起こす。
母を失ったことが、受け入れがたかった時期が長かった。確か土曜日だったと思うが、中学校の部活の帰り道、家へ真っ直ぐ帰る気になれず、少し離れた公園まで足を延ばしたことがあったのだ。そこに全力でブランコを漕いでいる、社会人になったばかりの桃香がいた。
聞けば、慣れない仕事にストレスが溜まり、車を走らせて衝動的に公園へ来たと言っていた。
『恥ずかしいな。いい大人なのに、那波人君に見られちゃったよ』
照れたように言う桃香は、すぐ謝ってくれたあの頃と全く変わらない。胸の内に、綿菓子のような繊細な感情がよみがえる。それがあこがれと呼ぶべきものだと気づいたのは、いつだっただろう。
二人して隣り合わせでブランコに腰かける。数組の家族連れがいた気がするが、那波人の意識はただ桃香に向けられていた。
何かを感じ取ったのか、唐突に桃香が言ってきた。
『那波人君さえ良ければ、またウチに遊びにおいで? きっと桜輝が一緒にゲームしてくれるよ。桜輝が、あなたのこと心配してたんだ』
『桜輝君が、俺を、ですか?』
桃香はゆっくりとうなずいた。
『この間たまたま、那波人君を見たんだって。元気がなさそうだったって言ってたよ』
ブランコの取っ手を、握り締める。
なぜだろうか、那波人の目から熱い何かが流れてきた。
『先月、入学式があったんです。校門前で父さんと写真を撮ったんですけど、母さんがいなくて。でも他の子は、両親がそろってる子が多いんです。そうじゃない子も勿論いたんですけど。どうしてかわからないけど、あの時のことを思い出す度に苦しくなって……』
隣のブランコがきしむ音がする。桃香がゆっくり立ち上がったのだ。
『癌が見つかるのが遅くて、あっという間だったんです。母さんが死んで一番悲しんでるのはたぶん父さんだし、だから俺は、我儘言っちゃいけない、そう思って』
遠慮がちに、頭に温かい手のひらが乗った。うつむいて、嗚咽を殺そうとする。目の前にタオルハンカチがあった。
真横にしゃがんでこちらを見てくる桃香と、目が合わせられない。
『我慢しなくていいよ。せめて今だけは』
『で、でもっ。俺、男だから』
『男とか女とか、関係ない。泣きたいときは誰にだってあるの。当然のことだよ?』
桃香は立ち上がって那波人の手を取り、しっかりハンカチを握らせる。
『私、離れてるから。那波人君が落ち着いたら家まで送るね』
『……あ、待っ』
踵を返した桃香の腕へ、那波人はすがるように手を伸ばした。
『ここに、いてください』
それ以上は言葉を紡げなかった。前を向いたまま静かに泣き続ける那波人の隣に、桃香は微動だにせず立っていてくれたのだ。
(考えたら、桃香さんに二回も救われてるんだな)
海人は再び、腕を組んだ。




