第20話 不穏な影
耳元には大ぶりのイヤリング。指先ではじきながら叫んだ。
「サンク・エトワール・インカーネーション!」
光に包まれた桃香は、あっという間にアラサーの魔法少女へと変身する。瀬河は再び、口を開けて固まっていた。
それを気にすることもなく、桃香は空中の一点を睨む。
真っ黒の、枯葉のようなものが一枚。
「レジーナ・ブロッサム・ストーム!」
突きだした両手から青薔薇の花びらが濁流のようにあふれ、その枯葉を覆うが。
「ん、消えた?」
ルーンの言葉通り、枯葉は花びらに埋もれる前に消えた。気配自体もなくなっている。
腕を降ろした桃香は、すぐ変身を解いた。
「あれって〈悪の元素〉なの?」
「似てはいるけど、違うかもしれない。厄介な予感がするなあ」
腕を組む兎に、厄介とは何かを聞こうとしたが。
視界が揺らぎ、桃香はどさりと地面に倒れてしまった。
「桃香!」
「雪平さん!」
二人分の足が真横に生えて見えるという視界の中で、桃香は内心舌打ちしそうになる。
慣れたとはいえ、一日に三回の変身はやはり負担だったようだ。
「だ、大丈夫、何とか……」
瀬河はスーツが汚れるのもいとわず、地面に膝をつけた。
「私はどうすればいい?」
「このまま、少し横になっていてもいいですか? 時間が経てば動けるはずですから」
「そう、あなたがそれでいいなら、待ってるわね」
そこで瀬河が立ち上がるのかと思いきや。
しばしの逡巡があって、歯切れ悪く問うてくる。
「ルーン達の選ぶ魔法少女って、変身の呪文や必殺技を叫ぶ必要はないはずよね?」
「は、はい、そうです」
改めて指摘されると恥ずかしい。瀬河はさらに続ける。
「サンク・エトワール・インカーネーションと、レジーナ・ブロッサム・ストーム……だったっけ?」
平坦な語調で、確認しないでほしかった。ルーンですら頬を赤く染め、横を向いてしまっている。
「は、はい」
羞恥心をこらえながら肯定すると。
「雪平さん、わかってると思うけど、間違いなく文法としては正しくないわよ。フランス語と英語と、もしかしたらラテン語も混じってるのかな? 改めて考え直した方がいいんじゃない?」
「叫んだら気持ちよさそうな語呂にしただけなんです! お願いですから突っ込まないでーっ!」
喉から迸る叫びは公園いっぱいに響き渡り、犬を散歩中の小学生が何事かと桃香たちの方を振り向いた。
○
桃香の攻撃から逃れた枯葉は、相変わらず空中を漂っていた。
枯葉は、夕日を浴びながらいつしか黒い羽根へ姿を変え――とある人物の手のひらの上でふわふわと留まる。
「あの女が私の敵か。過去の魔法少女達と比べると、いささか弱そうに思えるな」
羽が見せる映像は、鮮明さに欠けている。が、意思を宿した強い瞳を見て、その人物は唇に笑みを刷いた。
「急がずとも、いずれは会うことになるだろう。それまでにせいぜい、意味のない経験を積み上げておけ。私の前に立つまでに、多少は面白い女になっていることを期待してやろうではないか」
短い哄笑を残し、声も気配も夕方の街の空気へ溶け込んで消えた。
○
それから幾日か過ぎた夜。
恒例となった雪平家での宴会だが、どうしてか手作りのホールケーキがある。シャインマスカットといちごを使用し、ホイップクリームもたっぷりで美味しそうだが。
桃香は、まだキッチンで作業をしている桜輝へ声をかける。
「どうしたの? このケーキ」
「ああそれ? 姉貴が魔法少女を一か月間頑張ったお祝いだよ。フルーツは風音さんが準備してくれたんだ」
「わざわざ買ってきてくれたの?」
既にシャンパンをちびちび飲んでいる風音は、グラスを持った手を上へ突き上げる。
「シャインマスカットは少なめだけどね。そこは許して。なんだか出動回数が多いみたいだし、ここはスイーツでも食べて元気出して欲しいなって思ってさ」
桃香の心に、こみあげてくるものがあった。
親友からのねぎらいが、ただただ純粋に嬉しい。
「ありがとう、風音。桜輝も、ケーキ作ってくれてありがとう」
「お礼はいらねえよ。ケーキ作るきっかけをくれて、こちらこそありがとな」
テーブルの上には、また不思議な食べ合わせの料理が並ぶ。手作りホールケーキ、枝豆、オクラをのせた冷ややっこ、鶏のつくね、そしてシーザーサラダ。桃香が帰宅途中で買ってきたたこ焼きも、電子レンジで温めなおして並べる。
三人ともが席に着いた。先にケーキをつついたり、酒が進んだりして。
話題はいつしか、ここ数日よくネタにされてしまうアレのことになていく――
「サンク・エトワール・インカーネーションだっけ?……ごめ、やっぱり面白い!」
笑いながら背を丸める風音と、ケーキのフルーツだけを食べながらうなずく桜輝。桃香は額に手を当てる。
二人とも、魔法少女として戦うことを応援してくれている割には、そのことを酒の肴にしがちなのだ。




