第18話 先輩の事情
(何か妙なことになっちゃったな)
桃香は会社からそう離れていない、公園のベンチに座っていた。ここはどこぞの自治体が寄贈したらしいチューリップが植えられていて、見ごろの季節が来ると壮観に咲き誇る。しかし今はもう夏が近いので、名も知らない木々がどっしりとその存在感を主張するだけだ。
桃香の足元にいるルーンが顔を上げ、近づいてくる人物の姿を追いかけるように首を動かす。
電話を終えたらしい瀬河は、桃香の隣に少し距離を置いて腰かけた。
「雪平さんが調子悪くなったから、病院へ連れていきますって言っておいたわ。これで帰りが遅くなっても疑われないわよ」
「それって、嘘ついたことになっちゃいますよね」
後ろめたさが牡丹雪のように心に積もっていくが、瀬河は軽く微笑むだけだ。
「魔法少女になって戦って疲れてるんだから、人間のお医者さんじゃ治せないんじゃない? いいのよ、こういう時くらいは時間をとっても。はい、どうぞ」
瀬河はミルクティーの缶を差し出してくる。いつの間に購入したのだろう。
「ありがとうございます。いくらでした?」
「さっき頑張ってたから、私からのおごり。受け取ってくれる?」
桃香は手を伸ばし、まだ冷たいミルクティーの缶をもらった。瀬河は缶コーヒーを一気に半分程飲み、足を組んでベンチにもたれかかる。片手で軽くなった缶コーヒーの上部を持って、振り子のようにゆらゆらと揺らしている。
会社での瀬河しか知らない桃香には、そのラフな仕草があまりに新鮮にうつった。
「瀬河さんって、コーヒー飲むんですね」
「たまにね。あなたは紅茶のストレートティーが好きなんじゃなかった? ミルクティーでごめんなさいね」
「いえ、ミルクティーも好きなので嬉しいです」
糖分を気にして水出し紅茶を好んではいるが、ミルクティーも勿論大好きである。
桃香が数口飲んだ後、瀬河は穏やかに問う。
「差し支えなければ、いつから魔法少女をやってるのか聞いてもいい?」
「驚かれると思いますけど、一か月も経ってないんです」
瀬河の目が、眼鏡の奥で徐々に見開かれる。
「そうなの? 大人になってからも魔法少女になれるんだ。てっきり大学生の頃からのベテランだと思ったわ。戦い方も慣れてるように見えたから」
「いや、それは気のせいです」
桃香は肩や腰をさすった。やはり疲労はある。今日は二度も変身したのだ。倒れないだけマシだと思うことにしておこう。
ルーンがのっそりと挙手した。
「僕からも聞きたいことがある。君は、かつて魔法少女だったと言ったよね?」
瀬河はうなずき、空へ視線をやった。
「そうよ。敵と戦う前に辞めたけどね」
「君の名前を聞いてもいいかな?」
「瀬河阿弥乃よ」
「阿弥乃だね……ちょっと待っていてほしい」
ルーンは両耳を前脚で押さえ、眉間にしわを寄せて固まった。
うんうん唸って辛そうなので、声をかけようとしたら。
「そっとしておいてあげて。たぶん〈記憶の海〉を覗いてるのよ」
「〈記憶の海〉?」
瀬河は缶コーヒーをくいっと飲み干した。
「魔法少女と〈悪の元素〉に関するありとあらゆるデータの蓄積場所、みたいなものらしいけど」
魔法少女をすぐ辞めたわりには、桃香よりも詳しい。
待つこと数分。ルーンは顔を上げると、水中から飛び出てきたように深呼吸を繰り返した。その表情は、いささか暗い。
「僕の思った通りだ。阿弥乃という名の魔法少女は、こちらでは把握していない」
突然瀬河は、何が可笑しいのか噴き出した。だがすぐに寂しそうなまなざしを落とす。
桃香の胸が痛んだ。
ルーンもかける言葉が見つからないのか、ただ瀬河を見上げるだけだ。
「そっか。一週間だけでも魔法少女でいられたと思っていたのに、それは勘違いだったのね」
ルーンは地面に腰を下ろした。
「阿弥乃という名は、何らかの理由ですぐに契約を終了した女の子たちの名前の中にあったよ。こちらの都合による契約打ち切りの場合、魔法少女とは見做さない慣例があるんだ」
桃香は首を傾げる。
「一方的に指名班から契約を切るの? そんなことあるんだ」
「その理由の大多数が、指名班の勘違いさ。適性があると思われていたけれども、実際は想定していたよりも適正値が低く、戦いには向かなかったと判断されるんだ」
桃香はとっさに瀬河をうかがった。
「確かにそんなことを言われたような記憶があるわ。リスの姿をした子だったけどものすごく謝られちゃって、怒る気にすらなれなくてね。しばらくは魔法少女でなくなったって実感するのに、時間がかかったなあ」
ルーンはしおれたまま、とてとてと瀬河へ歩み寄る。
「僕からも謝罪させてくれないかな。本当に済まなかった」
「いいのよ。間違いは誰にだって起こりうるし、完全に無くすことは出来ないんだもの」
ルーンは続けた。
「けど阿弥乃は魔法少女になれた時、すごく喜んでいたんじゃないのかい?」
「もう、そんなことまでそっちの記録に残ってたの?」
呆れたように笑う瀬河は、鳩が遠い空を滑空していく様を瞳に映していた。




