第16話 社会人も魔法少女もこなす
高橋水産と中村商事は地元に根差した企業で、会社の古い顧客だ。
そこを主に任されているのが瀬河なので、彼女がいかに信頼を得ているかがわかる。
二件目の中村商事にやってきた時、ふと桃香は隣にある学校へと視線をやった。
(ここって確か、那波人君の高校だっけ?)
今は体育の授業中らしく、生徒たちがグラウンドで順番に短距離走をしている。何人もが立って待機している中で、ひょろりと背の高い人物がいた。おそらく那波人だろう。
(前に会ったあの女の子たちも、諦めてくれてたらいいんだけど)
もう一人の弟を見守るような気持ちで見ていたら。
「雪平さん? どうしたの?」
声をかけられ、慌てて小走りになる。
「すいませんっ」
瀬河の後をついていき、初めて中村商事へとお邪魔する。ファイルやメモ帳やボールペン等を段ボール箱三つ分渡し、中身を確認してもらった。
「いつもありがとう。瀬河さん」
「とんでもございません。いつでもお電話ください。こちら、請求書です」
「はい、確かに受け取りました」
人のよさそうな社長との卒のないやりとりを、桃香は珍しく感じながらじろじろ見てしまった。やはり営業先だと、瀬河もある程度やわらかい振る舞いになるのだ。
後は帰社するだけ、と思いきや――
車に乗り込む前に、瀬河が予想だにしない提案をしてきた。
「ちょっとだけお茶していかない?」
「はい……え?」
思わず素の声が出てしまう。
「えっと、そんなことしてもいいんですか?」
「雪平さんさえ良ければ。この後仕事に支障がないようなら、二、三十分だけでも涼しいところへ行きましょうよ」
また愛想のない、社内でよく見る瀬河の顔に戻ってしまっている。彼女の本心がわからなかった。
(私と瀬河さんがお茶? 何を話せばいいの?)
不自然な沈黙を続けるのはまずいだろう。行きたい理由もないが、断る口実も思い浮かばない。
「はい、じゃあ……」
「桃香! 〈悪の元素〉の気配だ!」
背後からルーンがすっ飛んできて、足元でぴょんぴょん跳ねている。
「あの学校が怪しい。わずかだけども瘴気が発生している。悪いけど、また変身してくれ!」
桃香は石膏像のように固まった。瀬河が重ねて問うてくる。
「どうする、雪平さん?」
「えっと、ですね」
「桃香! 頼むから急いで!」
ルーンは瀬河に姿が見えていないのをいいことに、桃香の背中をよじ登って頭の上に乗ってしまった。
「それとも具合が悪いなら、会社へ帰る?」
「……お腹が痛いので、トイレに行ってきます!」
言うやいなや、桃香は通りへ向かってダッシュした。瀬河が後ろで、「トイレならここで借りればいいのに」とつぶやいたことも知らずに。
桃香は高校の正面玄関に辿りついた。息が荒いまま、辺りを見回して誰もいないのを確認し、柵を飛び越える。
どこからどう見ても不法侵入だが、こちらも緊急事態なので致し方ない。
授業が終わった頃なのか、生徒たちが各々校舎へ引き上げる中、桃香は敷地の周辺をなぞるように走っていく。
そして校舎と対角線上にある、運動部用の部室や植わった木々が固まっているあたりに。
「うわ、あった」
絶望のつぶやきが漏れた。長屋のようにいくつかの個室が連なるその建物の屋根に、黒と紫が混ざったような球体がある。そこから絶えず黒い煙のようなものが流れ出ていた。
「今日で二回目だよね? 本当にどうなってるの?」
「今の時点では何も言えないよ。ただ、これを放置するのはまずいってことだけは確かだ」
「わかった……やるしかないよね!」
再び、誰もいないのを確認する。桃香は息を吸い、数日前から考えていた変身の呪文を叫んだ。
「サンク・エトワール・インカーネーション!」
ルーンが「え?」と間抜けた声を出したような気がしたが、あっという間に桃香は変身完了した。ルーンの方を振り向かずに屋根へと飛ぶ。
対峙した球体はスンとも反応しない。桃香は片手でイヤリングをはじき、黄金色の光に包まれた指先を向ける。
「エトワール・アロー!」
指先からいくつもの黄金の針が放たれ、球体へ吸い込まれた。無反応だったそれが、震えて収縮する。
桃香の隣へ来たルーンは、アラサーの魔法少女をまじまじと見上げた。
「それ、変身の掛け声とか必殺技名だよね?」
頬を染めた桃香は、正面を見たままだ。
「悪い? 前々から考えてたの。恥ずかしいけど、こういうことでも言って気分を盛り上げないと、とてもじゃないけど心が折れそうなの!」
しかし別の意味でも心が折れそうだ。まさか、ルーンがここまで不可解そうな反応をするとは思わなかった。
「僕たち指名班が見い出す魔法少女は、そういうことをする必要はないけど。でも桃香みたいに、せっかくだから叫びたいっていう子は時々いるよ」
「じゃあ、ルーンがそんなに驚く必要ないじゃない」
足元を見ると、今度はルーンが明後日の方を向いた。
「大抵の子は、恥ずかしくなって途中でやめるんだ。僕はそのことを思い出して、恥ずかしくなってね……」
「それ以上言わないで!」
桃香の絶叫と同時に。球体がこちらへ高速で向かってきた。
「うわっ!」
お互いに左右に飛ぶ。球体はどちらを追いかけることもなく、離れたフェンスにめりこんで静かになった。だが、その大きさはどんどん小さくなっていく。




