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第九十五話 勝利の帰還



 歓声が。


 王都西方大平原を満たしていた。


 兵士たちは武器を掲げ。


 冒険者たちは互いの無事を確かめ合う。


 幻想機兵団の二十四機も。


 損傷した機体を支えながら、巨大な魔導剣や長槍を空へ掲げていた。


 その中心。


 つい先ほどまで。


 《陸皇亀ベヘモス》が存在していた場所に。


 リリスは立っている。


「本当に穴がない」


 黒い杖の先で。


 軽く地面を叩く。


 表面には。


 ベヘモスの脚が残した巨大な窪み。


 《皇震踏破》によって生まれた亀裂。


 王国軍の魔法や幻想機の砲撃による損傷がある。


 しかし。


 最後に放たれた極大魔法が。


 新しく大地を破壊した痕跡はなかった。


━━━━━━━━━━


地形検査


国家戦略級極大魔法による損傷


なし。


周辺環境への残留魔力


0.00001%未満。


生命汚染


なし。


空間歪曲


観測不能。


━━━━━━━━━━


「完璧」


『自分で言うのか』


 クロが。


 隣から冷静に返した。


「今回は本当に成功したから」


『前回の失敗を基準にするな』


「地面に大きな穴が開いただけだよ」


「十分に大きな失敗です」


 フィオナが。


 穏やかな口調で訂正する。


「今回は被害がなかったので、本当によかったですが」


「うん」


 フィオナは。


 リリスの周囲を改めて確認した。


 怪我はない。


 魔力の消耗もほとんどない。


 装備の損傷もない。


 不自然な精神状態も――ないように見える。


 神級の偽装は。


 フィオナの《仲間生命感知》すら完全に欺いていた。


「師匠の状態は正常です」


「だから大丈夫って言ったでしょ」


『それと、無茶をしなかったかどうかは別の話だ』


「してないよ」


 嘘ではない。


 リリスにとって。


 ベヘモス一体を異界へ転送する程度は、無茶には含まれなかった。


◇◇◇


「ノクス殿!」


 軍団長バルガスが。


 数名の騎士を連れて近づいてきた。


 その鎧には。


 戦闘で付いた傷が幾つも残っている。


 だが。


 足取りは力強かった。


「このたびの働き、言葉では言い表せぬ」


「みんなで倒したんですよ」


「最後の一撃を抜きにしても、貴殿らがいなければ前線は三度崩壊していた」


 バルガスは。


 《黒月》の仲間たちへ視線を向けた。


「フィオナ殿の広域結界と治療。シグレ殿の岩槍迎撃。リゼット殿による幻想機の修復。クロ殿の防衛。そして、ノクス殿がベヘモスの突撃を止めた」


『私は従魔として同行しただけだ』


「我らにとっては、命を救ってくださったことに変わりはない」


 バルガスは。


 胸へ拳を当てた。


「王国西方軍団を代表し、感謝する」


 周囲にいた騎士たちも。


 一斉に同じ敬礼を行う。


「ありがとうございます」


 リリスは。


 僅かに頭を下げた。


 その背後では。


 消滅したはずのベヘモスが。


 誰にも知られない異界を歩いている。


 少しだけ。


 胸の奥が痛んだ。


「討伐証明はどうなるのですか?」


 リゼットが尋ねる。


 ベヘモスは。


 角も。


 甲殻も。


 魔晶核も。


 一欠片すら残していない。


「通常であれば、魔石や討伐部位を証明とする」


 バルガスが答える。


「だが今回は、軍団全体が消滅を目撃している。宮廷魔導師団の観測記録と、幻想機の戦闘記録も残っている。証明には十分だ」


「素材は残らなかったな」


 シグレが。


 更地を見渡す。


「極大魔法で完全に消滅させましたからね」


 フィオナが言う。


「残念?」


 リリスが尋ねる。


「師匠なら、甲羅から何を作るのかと思っていました」


「私も見たかった!」


 リゼットが言う。


「ベヘモスの甲殻で幻想機を作ったら、絶対に硬いよ!」


「それは……ちょっと惜しかったかも」


『消した本人が言うな』


 クロの指摘に。


 リリスは視線を逸らした。


 正確には。


 消していない。


 後で。


 自然に剥がれた甲殻をもらえるかもしれない。


 だが。


 今は言えなかった。


◇◇◇


 戦場の被害確認が始まった。


━━━━━━━━━━


王国合同討伐軍


作戦終了時被害報告


戦死者


0名。


重傷者


87名。


軽傷者


643名。


行方不明者


0名。


攻城魔導砲


大破:3基


損傷:11基


幻想機


大破:0機


中破:7機


小破:13機


操縦者死亡


0名。


討伐対象


陸皇亀ベヘモス


完全消滅を確認。


━━━━━━━━━━


「死者がいない……」


 バルガスが。


 表示を見つめながら呟く。


 災害級魔物を相手に。


 数千人が参加した大規模討伐。


 戦死者が一人もいない。


 本来なら。


 あり得ない結果だった。


「救護部隊だけの功績ではない」


 宮廷魔導師団長が近づいてくる。


「《黒月》が大規模攻撃を防ぎ、落下した幻想機を救助し、突撃を止めた。あれが一つでも欠けていれば、数百人は失っていただろう」


「フィオナがみんなの状態を見てくれてたから」


「師匠が攻撃を止めてくださったからです」


「シグレも岩槍をいっぱい斬ってた」


「リゼットも幻想機を直していた」


『互いに功績を押し付け合うな。全員の働きだ』


 クロの言葉に。


 四人は顔を見合わせる。


「じゃあ、《黒月》全員の功績」


「それが正しいですね」


◇◇◇


 損傷した幻想機が並ぶ。


 整備区域では。


 王立幻想機兵団の整備士たちが忙しく走り回っていた。


 裂けた装甲。


 折れた武器。


 焼き切れた魔導回路。


 関節から漏れる魔力冷却液。


「近くで見ると、もっと格好いい……」


 リリスは。


 全高十メートルを超える《エアリアル・ナイト》を見上げていた。


 白銀の装甲。


 細く鋭い頭部。


 折り畳まれた四枚の魔力翼。


 損傷していることすら。


 歴戦の機体のようで格好いい。


「乗りたい」


『言うと思った』


「操縦席だけでも見たい」


「私も!」


 リゼットが。


 機体の脚へ駆け寄ろうとする。


「待って」


 リリスが。


 外套の襟を掴んで止めた。


「何で止めるの!?」


「許可を取らないと」


『少しは成長したな』


「私を何だと思ってるの?」


『欲しい物を見つけると、周囲が見えなくなる錬金術師だ』


「否定しづらいです」


 フィオナが小さく笑う。


 その時。


 白銀の飛翔幻想機から。


 胸部装甲がゆっくりと開いた。


 内部から。


 昇降用の足場が降りてくる。


 現れたのは。


 青銀色の操縦服を身につけた女性だった。


 年齢は三十歳前後。


 短い金髪。


 鋭い蒼色の瞳。


 額には。


 幻想機との魔力接続に使う細い魔導環が装着されている。


「貴女が《黒月》のノクス殿か」


「はい」


「王立幻想機兵団第三機装大隊長、クラリス・ヴァンデルだ」


 女性は。


 足場から飛び降りる。


「戦闘中、我が隊の機体と操縦者を救ってくれたことに礼を言う」


「リゼットも修理してました」


「もちろん承知している」


 クラリスは。


 リゼットへ向き直った。


「戦闘中に幻想機十三機の応急修復を行うなど、我が要塞の整備主任でも不可能だ」


「完全修理じゃないよ。歪んだ部分も多いし、魔導炉の出力も二割くらい落ちてる」


「そこまで見抜いていたか」


「中を見れば、もっと正確に直せる!」


 リゼットが。


 期待に満ちた顔で言う。


 クラリスは。


 少しだけ笑った。


「今回の功績について、機装要塞アストラ・バルクから正式な礼状を送る。王都での報告が終われば、一度要塞へ招待しよう」


「本当!?」


「幻想機の機密区画へは入れられないが、整備工房と訓練機なら見学を許可できる」


「訓練機!」


 リリスとリゼットの声が。


 綺麗に重なった。


「操縦できますか?」


 リリスが尋ねる。


「適性検査を通ればな」


「通ります」


『まだ受けてもいない』


「絶対通るよ」


 リリスは。


 仮面の奥で目を輝かせる。


 ベヘモス討伐より。


 嬉しそうだった。


◇◇◇


 午後。


 負傷者と損傷機の収容が完了した。


 宮廷魔導師団によって。


 帰還用の《転移門ゲート》が再び展開される。


 銀色の門の向こうには。


 王都西部軍用広場。


 帰還を待つ人々。


 そして。


 勝利の知らせを受けて集まった、大勢の王都民が見えていた。


「先行救護部隊から帰還!」


「次に幻想機兵団!」


「勇者合同部隊と《黒月》は最後尾!」


 数千人の軍勢が。


 順番に《転移門》を通っていく。


 リリスたちの番が近づいた頃。


 一騎の伝令騎士が。


 遠方から前線拠点へ駆け込んできた。


「バルガス軍団長!」


「何事だ!」


「ベヘモスの初期出現地点を調査していた部隊から、緊急報告です!」


 伝令騎士は。


 馬から降り。


 封印された記録晶を差し出した。


「初期出現地点?」


 カイルが。


 近くで首を傾げる。


 ベヘモスが最初に確認された場所は。


 この前線から数百キロメートル西。


 人の寄り付かない荒野だった。


 バルガスが。


 記録晶へ魔力を流す。


 空中へ。


 巨大な陥没地と。


 複雑な魔法陣の残骸が映し出された。


━━━━━━━━━━


陸皇亀ベヘモス


初期出現地点調査報告。


確認事項


・自然発生痕跡:なし


・長期生息痕跡:なし


・地中からの出現:否定


・通常転移痕跡:なし


新たに検出された反応


超大規模召喚術式の残留痕跡。


推定召喚対象規模


全長500メートル以上。


術式属性


不明。


術者


不明。


召喚元


特定不能。


━━━━━━━━━━


「召喚……された?」


 勇者セリスが。


 表情を険しくする。


「ベヘモスは、自然に現れたのではないのか」


 ガルドが。


 映像の魔法陣を見つめる。


「何者かが、意図的に王国領へ送り込んだということですか?」


 カイルの問いに。


 バルガスはすぐに答えなかった。


 代わりに。


 魔導師団長が。


 残留術式を確認する。


「この規模の召喚を行える術者は、王国には存在しない」


「他国なら?」


「少なくとも、私の知る限りでは不可能だ」


 歓喜に包まれていた空気へ。


 新たな緊張が走る。


 災害級魔物は。


 偶然、王国へ現れたのではない。


 何者かによって。


 呼び出されていた。


「この件は王都帰還後、国王陛下と冒険者ギルド本部へ報告する」


 バルガスが命じる。


「召喚地点を封鎖。残留術式へ触れることを禁ずる。追加調査班を送れ」


「はっ!」


 リリスは。


 空中へ映された召喚陣を見つめていた。


 自分が使った異界転送とは。


 まったく異なる術式。


 ベヘモスを王国へ呼び出した。


 未知の召喚魔法。


「誰が呼んだんだろう」


『気になるか』


「うん」


 ベヘモスそのものだけでなく。


 その背後にも。


 何かが存在している。


 新しい謎だった。


◇◇◇


 夕方。


 最後の部隊が。


 《転移門》を通って王都へ帰還した。


 門を抜けた瞬間。


 大歓声がリリスたちを迎える。


「勇者様だ!」


「幻想機兵団も戻ったぞ!」


「《黒月》だ!」


「災害級を消した黒魔導師だ!」


 花びらが舞い。


 鐘が鳴り響く。


 リリスは。


 想像以上の人の多さに。


 一歩だけ後ろへ下がった。


「目立っていますね」


「仮面を付けてきてよかった」


『仮面の姿が有名になっているぞ』


「それは困る」


「もう遅いだろう」


 シグレが淡々と言う。


 広場の奥。


 冒険者ギルド本部長が。


 数名の職員を連れて待っていた。


「パーティー《黒月》」


 本部長は。


 全員の前で深く頭を下げる。


「此度の災害級魔物討伐における功績、王都冒険者ギルドを代表して感謝する」


 その手には。


 金色の縁取りが施された書状があった。


━━━━━━━━━━


緊急功績認定


対象


パーティー《黒月》


主要功績


・災害級魔物討伐


・王国軍救援


・広域防衛


・大規模攻撃迎撃


・幻想機部隊救助


・前線拠点防衛


・戦死者発生阻止


決定事項


パーティー全員を特別昇格審査へ推薦。


パーティー等級の再認定を実施。


国王陛下への功績報告対象に指定。


━━━━━━━━━━


「昇格審査?」


 リゼットが。


 表示を覗き込む。


「通常の審査とは異なる」


 本部長が答えた。


「今回の功績は、現在の諸君の等級を遥かに超えている。明日、王国軍と宮廷魔導師団の記録を確認し、正式な昇格先を決定する」


「明日ですか」


「さらに」


 本部長は。


 書状の裏側へ刻まれた王家の紋章を示す。


「王宮から連絡が入っている」


「王宮?」


「国王陛下が、《黒月》の功績について直接報告を受けたいと仰せだ」


 フィオナの狐耳が。


 真っ直ぐ立つ。


「陛下と、お会いするのですか?」


「正式な謁見の日程は後日伝えられる」


 リリスは。


 少しだけ考えた。


 国王。


 正式な謁見。


 高い確率で。


 今回使った極大魔法についても尋ねられる。


 だが。


 偽装は完璧だった。


 ベヘモスが消滅したという事実を。


 疑う者はいない。


「分かりました」


 リリスは答える。


「謁見へ参加します」


◇◇◇


 夜。


 屋敷へ戻ったリリスたちは。


 少し遅い夕食を囲んでいた。


 炊きたての白米。


 厚切り肉の照り焼き。


 根菜の味噌汁。


 出汁巻き卵。


 葉野菜の浅漬け。


「今日はおかわりしてもいいですよね?」


 フィオナが尋ねる。


「もちろん」


 戦闘を終えたばかりのため。


 全員の食欲は普段より強かった。


 シグレは。


 肉を白米の上へ載せ。


 一緒に口へ運んでいる。


「悪くない」


「今日の戦いと、どっちが?」


「比較対象がおかしい」


 リゼットは。


 食事の途中にもかかわらず。


 幻想機の簡単な図を紙へ描いていた。


「魔力翼は四枚。肩に砲塔。関節は多分、人工魔力筋。胸部の操縦席から全身へ――」


「食事中は図面を片づけてください」


「あと少しだけ!」


「食べ終わってから」


 リリスも。


 本当は一緒に描きたかった。


 だが。


 今は別のことが気になっている。


 異界へ送った。


 ベヘモス。


 敵のいない場所。


 大地魔力は十分。


 外界へ出ることもできない。


 安全性に問題はない。


 ただ。


 何もない。


 誰もいない。


 食べ物も。


 自然も。


 空の色すら。


 灰色のまま。


「……寂しいかも」


 リリスが小さく呟く。


「何がですか?」


「何でもない」


 フィオナの問いに。


 すぐ答える。


『今日は早く休め』


 クロが言う。


「うん」


 リリスは。


 白米を口へ運びながら考える。


 異界の調整。


 草原。


 森。


 岩場。


 暖かい日差し。


 ベヘモスが食べられる物。


 そして。


 五百メートルのままでは。


 ご飯をあげるだけでも大変だ。


「小さかったら、可愛いかな」


「師匠?」


「何でもないよ」


 二度目だった。


 フィオナは。


 少しだけ不思議そうな顔をしたものの。


 それ以上は尋ねなかった。


 誰にも知られていない。


 リリスだけの秘密。


 今夜。


 全員が眠った後に会いに行くべきか。


 それとも。


 明日まで待つべきか。


 リリスは迷い。


 最後には。


 もう一杯。


 白米をおかわりした。

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