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第九十四話 消滅した陸皇



 王都西方大平原。


 固定されたベヘモスの周囲に。


 幾百もの魔法陣が展開されていた。


 黒。


 白。


 蒼。


 金。


 それぞれが異なる速度で回転し。


 直径数キロメートルにも及ぶ巨大な魔法構造を形成していく。


 空が暗くなる。


 雲が消え。


 朝だというのに。


 大平原の上へ、星空が広がった。


「な、何だ……これは……」


 第二防衛線まで後退した兵士たちが。


 一斉に空を見上げる。


 宮廷魔導師団の魔法使いたちも。


 術式を維持したまま言葉を失っていた。


 彼らに見えているのは。


 国家防衛結界を遥かに超える規模の魔法陣。


 だが。


 その裏側。


 通常の魔法感知では届かない深層領域では。


 まったく別の術式が構築されていた。


━━━━━━━━━━


表層術式


国家戦略級極大魔法


終焉黒星アポカリプス・ノヴァ


公称効果


・対象完全消滅


・物質分解


・魔力分解


・魂魄消去


・再生能力無効化


・周辺被害完全制御


━━━━━━━━━━


深層術式


《神域完全偽装》


《因果観測隠蔽》


《神級幻覚現実投影》


《存在情報複製》


《超大型異界転送》


《隔離空間永久固定》


《召喚契約強制禁止》


《外界帰還完全封鎖》


認識権限


リリス・ルクスヴィアのみ。


━━━━━━━━━━


「師匠……」


 フィオナが。


 第二防衛線からリリスを見つめる。


 既に距離は。


 三キロメートル以上離れている。


 それでも。


 魔法陣から放たれる圧力が。


 全身へ伝わってきた。


「本当に地面は大丈夫なのか?」


 シグレが呟く。


「師匠は大丈夫って言いました」


「前にも言っていなかったか?」


「今回は制御できています」


 フィオナは答えた。


 だが。


 巨大な狐尾は、僅かに強張っている。


「大丈夫だよ!」


 リゼットが。


 損傷した幻想機の肩から顔を出す。


「魔力が全部ベヘモスへ集中してる! 地面に流れてる魔力はほとんどない!」


『ほとんど、か』


「限りなくゼロ!」


『ならば信じよう』


 クロは。


 冥獄神狼の姿で大地へ立ち。


 万が一に備えて。


 第二防衛線全域を守護領域へ収めていた。


 誰も。


 リリスが別の術式を隠しているとは気づかない。


 クロの神狼感知も。


 フィオナの生命感知も。


 シグレの空間認識も。


 リゼットの術式解析も。


 すべて。


 完璧に欺かれていた。


◇◇◇


 ベヘモスが。


 空間固定へ抵抗する。


 四本の脚が大地を抉り。


 七重障壁が激しく明滅した。


━━━━━━━━━━


陸皇亀ベヘモス


《絶対空間固定》へ抵抗。


《空間干渉耐性》


《大地生命循環》


《陸皇七重障壁》


《多重生命核》


総合抵抗率


0.0003%。


固定状態


継続。


━━━━━━━━━━


「本当に丈夫だね」


 リリスは。


 どこか嬉しそうに呟いた。


 ここまで巨大で。


 ここまで強く。


 ここまで格好いい魔物を。


 完全に消してしまうのは惜しい。


 素材として欲しい気持ちもある。


 甲羅も。


 角も。


 魔晶核も。


 きっと、最高級の錬金素材になる。


 だが。


 素材なら。


 自然に剥離した甲殻や、脱落した角を後から調べればいい。


 何より。


 生きたまま観察したい。


「倒すって言ったけど」


 リリスは。


 誰にも聞こえない声で呟いた。


「消すとは言ってないから」


 厳密には。


 極大魔法を使うとは言った。


 ベヘモスを殺すとは。


 一度も明言していない。


 かなり苦しい理屈だった。


『リリス、準備はできたか』


 クロから念話が届く。


「できたよ」


『全軍の退避を確認した』


「ありがとう」


 リリスは。


 《黒天魔王杖》を空へ掲げた。


 星空の中心に。


 一つの黒い星が生まれる。


 最初は。


 掌に収まるほどの小さな光。


 それが。


 周囲の魔力を吸収し。


 十メートル。


 百メートル。


 やがて。


 ベヘモスの甲羅を覆い尽くすほどの巨大な黒星へ成長する。


 黒い。


 だが。


 完全な闇ではない。


 表面には。


 白金。


 赤紫。


 蒼銀。


 無数の光が星雲のように流れていた。


━━━━━━━━━━


国家戦略級極大魔法


終焉黒星アポカリプス・ノヴァ


魔力充填率


32%



68%



91%



100%。


対象


陸皇亀ベヘモス


対象外


・大地


・大気


・周辺生命


・王国軍


・幻想機


・建造物


地形保護


完全。


発動可能。


━━━━━━━━━━


「国家戦略級……」


 宮廷魔導師団長が。


 震える声で呟いた。


 五百二十七人による大規模儀式魔法ですら。


 ベヘモスの頭部を破壊するのが限界だった。


 それを。


 黒い魔導師は一人で。


 比較にならない規模まで構築している。


「全結界、最大出力!」


 魔導師団長が我に返り。


 杖を掲げる。


「衝撃に備えろ!」


「広域防護結界、十二重展開!」


「幻想機部隊、防御姿勢!」


「全軍、伏せろ!」


 二十四体の幻想機が。


 残った盾を並べる。


 勇者ディランが。


 王国軍の正面へ《勇城絶壁》を展開した。


 フィオナの《星月神狐結界》。


 クロの冥獄守護領域。


 幾つもの防御が重なる。


 だが。


 リリスは。


 それらが必要ないことを知っていた。


 周辺へ。


 威力を一切漏らさない。


 漏れるように見える光や衝撃すら。


 すべて幻覚として作り出す。


「《神級偽装》」


 誰にも聞こえない声。


「《完全観測欺瞞》」


 王国軍の魔力測定器。


 宮廷魔導師団の観測術式。


 勇者の鑑定能力。


 幻想機の感応装置。


 周囲に存在する。


 すべての観測手段を掌握する。


「《神級幻覚現実投影》」


 幻覚は。


 ただ映像を見せるだけではない。


 熱。


 音。


 魔力。


 振動。


 匂い。


 あらゆる感覚を再現する。


 最後に。


 真の術式を起動した。


「《超大型異界転送》」


 ベヘモスの足元へ。


 誰にも見えない魔法陣が広がる。


━━━━━━━━━━


転送対象


陸皇亀ベヘモス


転送先


《隔離異界・無尽荒野》


環境


・無人


・生命存在なし


・地上環境


・広大な岩石平原


・大地魔力供給あり


・外界接続なし


安全設定


・外界帰還禁止


・異界破壊禁止


・生命活動維持


・行動領域制限


・召喚および転移妨害


・術者のみ出入り可能


━━━━━━━━━━


 リリスは。


 黒い星を見上げる。


「《終焉黒星アポカリプス・ノヴァ》」


 杖を。


 静かに振り下ろした。


◇◇◇


 黒星が。


 音もなく落下した。


 ベヘモスを覆う。


 第一障壁が。


 一瞬で砕ける。


 第二。


 第三。


 第四。


 第五。


 第六。


 黄金色の第七障壁まで。


 黒い光へ触れた瞬間。


 砂のように崩壊した。


━━━━━━━━━━


《陸皇七重障壁》


第一障壁:消滅。


第二障壁:消滅。


第三障壁:消滅。


第四障壁:消滅。


第五障壁:消滅。


第六障壁:消滅。


第七障壁:消滅。


再生:不能。


━━━━━━━━━━


「七重障壁が……」


 勇者セリスが。


 息を呑む。


 黒星は。


 そのままベヘモスの巨体へ触れた。


 城塞のような甲羅が。


 黒い粒子へ変わる。


 角。


 脚。


 尾。


 頭部。


 すべてが。


 端から静かに崩れていく。


 ベヘモスが咆哮した。


 だが。


 その声さえ。


 黒い光の中へ吸い込まれる。


━━━━━━━━━━


陸皇亀ベヘモス


《天殻多層甲》


消滅。


《魔力吸収甲殻》


消滅。


《多重生命核》


第一核:消滅。


第二核:消滅。


第三核:消滅。


第四核:消滅。


第五核:消滅。


《超速再生》


発動不能。


存在崩壊率


18%



46%



79%



100%。


━━━━━━━━━━


 全長五百四十八メートル。


 山にも等しい巨体が。


 十秒にも満たない時間で。


 跡形もなく消え去った。


 爆発は。


 起こらない。


 衝撃波も。


 大地を焼く炎もない。


 巨大な黒星だけが。


 ベヘモスのいた場所で静かに収縮する。


 百メートル。


 十メートル。


 最後には。


 小さな光の粒となって消えた。


 後に残ったのは。


 四本の脚によって抉られていた地面だけ。


 新しい穴は。


 一つも開いていない。


━━━━━━━━━━


国家戦略級極大魔法


終焉黒星アポカリプス・ノヴァ


発動完了。


討伐対象


陸皇亀ベヘモス


存在反応:消失。


生命反応:消失。


魔力反応:消失。


魂魄反応:消失。


再生反応:なし。


地形損傷


0%。


周辺生命被害


0。


━━━━━━━━━━


 誰も。


 言葉を発しなかった。


 軍団長バルガス。


 宮廷魔導師団長。


 五人の勇者。


 幻想機兵団。


 数千人の騎士と冒険者。


 全員が。


 ベヘモスの消えた大地を見つめている。


 カイルの《聖鑑眼》にも。


 何も映らない。


━━━━━━━━━━


聖鑑眼セイクリッド・インサイト


対象を捜索。


生命反応:なし。


魔力反応:なし。


存在痕跡:なし。


判定


完全消滅。


━━━━━━━━━━


「……倒した」


 カイルが呟く。


「一人で……」


 その声を合図にしたように。


 大平原へ。


 歓声が広がった。


「ベヘモスが消えた!」


「討伐成功だ!」


「王国軍の勝利だ!」


「災害級を討ち取ったぞ!」


 兵士たちが。


 武器を掲げる。


 冒険者たちが。


 互いの肩を叩く。


 幻想機が。


 巨大な剣を空へ掲げた。


 魔導拡声器から。


 操縦者たちの歓声が聞こえてくる。


 バルガスは。


 しばらく言葉を失っていた。


 やがて。


 魔導拡声器を受け取り。


 大きく息を吸う。


「全軍へ告ぐ!」


 大平原全体へ。


 軍団長の声が響いた。


「災害級魔物、《陸皇亀ベヘモス》の完全消滅を確認!」


「本作戦は――」


 一度。


 言葉を区切る。


「我々、王国合同討伐軍の勝利である!」


 再び。


 大歓声が上がった。


◇◇◇


 リリスは。


 ベヘモスがいた場所へ立っていた。


「地面に穴、開いてない」


 満足そうに呟く。


『今回は成功したようだな』


 クロが。


 大型狼の姿へ戻りながら近づいてくる。


「うん」


「本当に、完全に消えています」


 フィオナも。


 《星月神杖》で周囲を確認する。


 生命反応。


 魔力反応。


 魂魄反応。


 どれも存在しない。


「すごい威力だった」


 シグレが。


 ベヘモスのいた場所へ触れる。


「それなのに、大地は傷ついていない」


「制御したから」


「魔法陣の構造、あとで教えて!」


 リゼットが。


 目を輝かせて駆け寄ってくる。


「見えていた部分なら」


「見えていた部分?」


「全部を一度に説明すると長いから」


「なるほど!」


 リゼットは。


 素直に納得した。


 クロも。


 フィオナも。


 シグレも。


 誰一人として疑っていない。


「師匠」


 フィオナが。


 安堵したように微笑む。


「お疲れさまでした」


「うん」


 リリスは。


 少しだけ視線を逸らした。


 胸の奥に。


 小さな罪悪感が生まれる。


 だが。


 今ここで話せば。


 絶対に反対される。


 そして。


 きっと怒られる。


 なら。


 しばらく黙っていればいい。


「どうした?」


 シグレが尋ねる。


「何でもない」


『本当か』


「本当」


 神級の偽装は。


 声の揺れも。


 心拍数も。


 魔力の変化も隠していた。


 クロは。


 それ以上追及しなかった。


◇◇◇


 同じ頃。


 外界から完全に隔離された。


 果ての見えない岩石平原。


 空には。


 灰色の雲。


 地上には。


 生命の姿が一つもない。


 その中央へ。


 巨大な山が横たわっていた。


━━━━━━━━━━


《隔離異界・無尽荒野》


収容対象


陸皇亀ベヘモス


転送:完了。


生命状態:正常。


多重生命核:正常。


超速再生:正常。


陸皇七重障壁:再構築中。


外界帰還:不可能。


収容状態:安定。


━━━━━━━━━━


 閉じていた。


 三対の金色の眼が。


 一つずつ開く。


「グォォォォォォォォ……」


 低い咆哮が。


 無人の荒野へ響く。


 ベヘモスは。


 ゆっくりと頭を持ち上げた。


 大地を見回し。


 空を見上げる。


 先ほどまで存在した。


 王国軍も。


 勇者も。


 幻想機も。


 どこにもいない。


 代わりに。


 ベヘモスの眼前へ。


 小さな黒い魔法陣が浮かんだ。


━━━━━━━━━━


収容者への通知


この空間に敵対生命は存在しません。


外界への移動は禁止されています。


生命活動に必要な大地魔力は供給されます。


危険行動が確認された場合


行動領域を縮小します。


管理者


非公開。


━━━━━━━━━━


 ベヘモスは。


 通知を理解したのか。


 しばらく動かなかった。


 やがて。


 巨大な脚を一歩前へ出す。


 岩石平原が揺れる。


 だが。


 どこまで進んでも。


 生き物はいない。


 村も。


 街も。


 王国もない。


 誰かを踏み潰すこともない。


 リリスは。


 ベヘモスを倒していなかった。


 国家戦略級極大魔法で消滅させたように見せかけ。


 誰にも知られない異界へ。


 丸ごと転送していた。


━━━━━━━━━━


秘匿処理


《神域完全偽装》:維持。


《因果観測隠蔽》:維持。


《神級幻覚現実投影》:完了。


外部観測結果


陸皇亀ベヘモス》完全消滅。


真実認識者


リリス・ルクスヴィア。


1名。


━━━━━━━━━━


 王国西方大平原では。


 勝利を祝う歓声が続いていた。


 その中心で。


 リリスも。


 何事もなかったように立っている。


 ただ。


 仮面の奥で。


 一つだけ考えていた。


 あとで。


 食べ物でも持っていこう。


 その秘密が露見した時。


 自分がどれほど怒られるのか。


 この時のリリスは。


 まだ。


 あまり深く考えていなかった。

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