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第八十四話 生命循環管理区画



 翌朝。


 リリスが食堂へ入ると。


 既に全員が席へ着いていた。


 フィオナ。


 シグレ。


 リゼット。


 クロ。


 そして。


 リリスの席の前には。


 いつもより多めの朝食が並べられている。


 焼きたてのパン。


 卵と燻製肉。


 温かい野菜のスープ。


 星蜜葡萄。


 蜂蜜を掛けた焼き菓子。


「今日は多いね」


「迷宮へ入る前に、きちんと食べていただくためです」


 フィオナが答える。


「私、いつも食べてるよ」


『素材や未知の設備を見つけ、昼食を忘れることはあるな』


「お腹が空いたら食べるから」


「空腹に気づかない時があるだろう」


 シグレも味方ではなかった。


 リリスは椅子へ座り。


 パンを一つ手に取る。


「今日は《魔神化》もしないよ」


「誰もまだ聞いてないけど」


 リゼットがスープを飲みながら言った。


「先に言っておこうと思って」


『封印されている以上、当然だ』


「分かってる」


 リリスはパンへ卵を挟み。


 一口食べた。


 香ばしいパン。


 柔らかな卵。


 燻製肉の塩気。


 迷宮へ向かう朝であっても。


 屋敷の食卓は、いつもと変わらず穏やかだった。


◇◇◇


 朝食後。


 《黒月》は装備を整えた。


 リリスは《ノクス》の姿。


 黒いローブ。


 黒い仮面。


 腰には偽装状態の《災厄魔王剣》。


 フィオナは《月狐魔剣ルナ・ヴァルペス》と《月狐軽装ルナ・ガルド》。


 シグレは《白雨星刀アマツシグレ》と《白雨剣装》。


 リゼットは青白い耐水作業着へ着替え。


 背中に《蒼炉戦槌》を担いでいる。


「水中作業装備も持った?」


「耐水外套、呼吸用魔導具、浮力調整具、修理工具、予備魔晶。全部ある!」


「携帯食料は?」


「フィオナに入れられた!」


「必要ですから」


 クロは。


 首へ小さな青い魔晶を取り付けていた。


「クロも水中呼吸具?」


『私には必要ない。これはリゼットが勝手に付けた』


「水の中で会話できた方が便利でしょ?」


『水中へ入ると決まったわけではない』


「広域水脈があるんだから、入る可能性は高いよ」


 リゼットは。


 クロの首元に付けた魔晶を軽く叩く。


━━━━━━━━━━


《水中通話魔晶》


品質:上級


機能


・水中音声伝達


・簡易水中呼吸補助


・水圧軽減


・位置共有


現在の装着者


冥獄神狼クロ


━━━━━━━━━━


『なぜ私だけ先に装着している』


「似合うから」


『理由になっていない』


「青い魔晶、黒い毛に映えてるよ」


『リリスまで何を言っている』


 フィオナが笑い。


 シグレも僅かに口元を緩めた。


◇◇◇


 王都地下迷宮。


 《星喰いの大穴》。


 管理者用転移陣へ。


 五人の冒険者カードが読み込まれる。


━━━━━━━━━━


パーティー《黒月》


目的階層


第十二階層


《生命循環管理区画》


確認事項


・第十一階層との接続再開


・人工生態系の調査


・管理不能区域の特定


警告


第十二階層の危険度は確定していません。


管理者権限による緊急帰還:使用可能


固有変身《魔神化》


現在状態:封印


━━━━━━━━━━


「最後の表示、必要?」


『必要だ』


「誰も解除しないよ」


「リリスが解除方法を見つける可能性はある」


 リゼットが真顔で言う。


「見つけても勝手に解除しない」


「見つけるつもりはあるのですね」


「制御方法の研究は必要だから」


 フィオナたちの視線が集まった。


「今は研究しないよ」


『今は、か』


 転移陣が起動する。


 白金色の光が。


 《黒月》を包み込んだ。


◇◇◇


 転移が終わると。


 最初に聞こえてきたのは。


 大量の水が流れる音だった。


「……川?」


 リリスたちが立っていたのは。


 巨大な透明通路の中。


 左右。


 頭上。


 そして足元。


 あらゆる方向を。


 深く青い水が取り囲んでいる。


 巨大な魚。


 光を放つ小さな水棲生物。


 銀色の水草。


 空中を飛ぶ鳥のように、水中を泳ぐ半透明の魔物。


 遥か遠くには。


 水中へ根を張る巨大な樹木まで見えていた。


「水の中に、森がある……」


 フィオナが透明な壁へ近づく。


 水中林の枝には。


 青い花が咲き。


 その周囲を小魚の群れが泳いでいる。


 上方から差し込む光は。


 太陽光ではない。


 天井に設置された無数の光晶が。


 時間に合わせて明るさを変えているのだ。


━━━━━━━━━━


第十二階層


《生命循環管理区画》


主要目的


・水資源循環


・水棲生物保護


・植物と魔物の共生研究


・食物連鎖維持


・種子および生命情報の外部適応試験


現在状態


全体稼働率:46%


生命維持率:91%


水質安定率:73%


管理機能:一部停止


━━━━━━━━━━


「管理機能が半分以下なのに、生命維持率は高い」


 リゼットが表示を読む。


「設備なしでも、独自に循環できる生態系へ変わったのかも」


「十八万年以上、放置されていたからな」


 シグレは。


 透明通路の向こうを泳ぐ巨大魚へ目を向けた。


 全長は十メートル近い。


 だが。


 こちらへ敵意を向ける様子はない。


『強い個体も多い』


 クロの耳が僅かに動く。


『だが、狩りをする者と、狩られる者の均衡は保たれている』


「どこかだけおかしい?」


『下だ』


 クロが足元へ視線を落とした。


 透明な床の遥か下。


 青い水の底へ。


 黒く濁った場所がある。


 その周辺だけ。


 魚も。


 水草も。


 光る生物もいない。


━━━━━━━━━━


管理異常地点を確認。


《第四深水槽》


水質:危険


酸素濃度:低下


魔力濃度:過剰


生命反応:17


状態


閉じ込められています。


━━━━━━━━━━


「十七体いる」


「助けに行くのですか?」


「うん。でも、先に経路を確認する」


『よろしい』


 即座に飛び込まず。


 リリスは《万象解析》を発動した。


━━━━━━━━━━


第四深水槽への経路


一、中央昇降機


状態:停止


二、保守用水路


状態:水没


三、緊急転移陣


状態:座標不安定


四、外壁破壊


非推奨。


水圧差による大規模崩壊の危険があります。


━━━━━━━━━━


「壊すのは禁止だね」


「言われる前に理解したのですね」


「私も毎回壊してるわけじゃないよ」


『力で解決できる時ほど、壊さない方法を探せ』


「うん」


 リゼットは。


 壁際の制御盤へ駆け寄った。


「中央昇降機を直す!」


「機械の状態は?」


「駆動部は生きてる。でも、生命循環系から安全信号が来てないから停止してる」


「安全信号だけ繋げば動く?」


「駄目。異常を無視して動かしたら、途中で隔壁が閉じるかもしれない」


 リゼットは制御盤を開く。


 内部には。


 古代文字が刻まれた透明な回路板。


 水色の細管。


 生き物の血管に似た、淡く脈動する魔力導線が並んでいた。


「機械だけじゃない」


「生体魔導機構だね」


「生態系そのものから情報を受け取ってる」


 リゼットは工具を握ったまま。


 回路へ触れずに目を凝らす。


「リリス。第四深水槽の水質を調べて。フィオナは昇降路の魔力を見て。シグレは周りの振動を確認して。クロは生命反応の位置を教えて」


「分かりました」


「任せろ」


『了解した』


 昨日まで。


 王都鍛冶師ギルドの問題児と呼ばれていた少女が。


 迷うことなく仲間へ指示を出している。


 誰も反発しなかった。


 今。


 この場で機構を最も理解しているのは。


 リゼットだからだ。


◇◇◇


「第四深水槽の魔力濃度は、正常値の十一倍」


 リリスが解析結果を共有する。


「原因は?」


「底にある《循環魔晶》が壊れてる。水の魔力を吸収せず、逆に放出してる」


「昇降路には、五か所の断線があります」


 フィオナも報告する。


「ですが、魔力そのものは流れています」


「内部振動は一定ではない」


 シグレが透明な壁へ手を当てる。


「何かが昇降路の外側へ、繰り返しぶつかっている」


『生命反応は十七。大型一、小型十六』


 クロが目を閉じる。


『大型個体が、小型個体を水流から守っている』


「親子かもしれない」


 リリスは。


 第四深水槽の生命反応を拡大した。


━━━━━━━━━━


生命反応


《蒼殻守水亀》成体:1


《蒼殻守水亀》幼体:16


状態


・魔力過剰症


・酸素不足


・甲殻損傷


成体個体


残存体力:31%


行動


幼体を庇護中。


━━━━━━━━━━


「急ごう」


「あと三分!」


 リゼットが制御盤の内部へ。


 五本の仮設回路を繋いでいく。


「安全信号を偽装するんじゃない。第四深水槽の本当の情報を、昇降機側が読める形式へ変換する!」


「《生命記録中継器》と同じ?」


「考え方はね。でも、こっちは失敗したら途中で止まる!」


 リゼットの額へ汗が滲む。


 細い工具で。


 古代回路の間へ新しい導線を差し込む。


「繋ぐよ!」


━━━━━━━━━━


中央昇降機


生命循環情報を受信。


第四深水槽


危険状態を確認。


緊急救助運転へ移行します。


━━━━━━━━━━


 透明通路の先。


 閉じていた円形扉が開いた。


「成功!」


「リゼットも来る?」


「行く! 壊れた《循環魔晶》を直す!」


『水中だぞ』


「そのための装備でしょ!」


◇◇◇


 中央昇降機は。


 透明な球形の移動室だった。


 五人が乗り込むと。


 周囲の扉が閉じる。


 球形室は通路から切り離され。


 深い水の中へ。


 ゆっくりと下降し始めた。


「すごい……」


 フィオナの大きな狐耳が。


 水中を泳ぐ生き物の動きに合わせて、僅かに揺れている。


 巨大な魚が。


 球形室のすぐ横を通り過ぎる。


 銀色の鱗。


 長い髭。


 背中へ生えた、水草に似た器官。


━━━━━━━━━━


《水脈髭魚》


危険度:低


性質


水脈中の不純物を食べる温厚な水棲魔物。


攻撃しない限り敵対しません。


採取可能素材


抜け落ちた髭。


自然に剥がれた鱗。


討伐による採取:管理規則違反。


━━━━━━━━━━


「見るだけ」


『先回りして言うようになったな』


 球形室が下降するほど。


 周囲の光は少なくなっていく。


 やがて。


 青かった水が。


 黒紫色へ変わり始めた。


━━━━━━━━━━


第四深水槽へ到着。


警告


外部水質:危険


通常装備での進入を禁止します。


救助対象まで:240メートル


循環魔晶まで:310メートル


━━━━━━━━━━


「球形室から直接修理できる?」


 リリスが尋ねる。


「無理。魔晶のところまで潜る必要がある」


「なら、私が水を分ける」


「水槽全部を?」


「通り道だけ」


 リリスは片手を上げた。


「《大海魔法》《空間固定》」


 球形室の前。


 黒紫色の水が左右へ分かれる。


 直径三メートルほどの。


 空気に満たされた透明な道が、水底へ向かって伸びていく。


「水中装備の意味がなくなった」


 リゼットが呟く。


「戻り道で使うかもしれないよ」


『使わずに済む方がよい』


 扉が開く。


 リリスたちは。


 水中へ造られた空気の道を走り始めた。


◇◇◇


 救助対象は。


 崩れた水中林の根元にいた。


 青い甲殻を持つ。


 巨大な亀型魔物。


 全長は六メートルほど。


 その腹の下に。


 手のひらほどの小さな幼体が集まっている。


 成体の甲殻には。


 何度も岩へ打ちつけられた傷があった。


 濁った水流が。


 幼体を連れ去ろうとするたび。


 成体が身体を盾にして守り続けたのだろう。


「もう大丈夫」


 リリスが近づく。


 成体の目が開いた。


 弱っていても。


 幼体を守るため。


 低い唸り声を上げる。


『敵ではない』


 クロが前へ出る。


 魔物同士の意思伝達。


 言葉とは異なる。


 生命と魔力を通じた交流。


 しばらくすると。


 成体は警戒を解き。


 大きな頭をゆっくりと下げた。


「治療するね」


「私たちは幼体を移します」


 フィオナとシグレが。


 一匹ずつ慎重に抱き上げる。


 幼体は弱っていたが。


 暴れる力は残っていた。


「意外と元気です」


「そいつは私の袖を噛んでいる」


 シグレが抱いた幼体は。


 作業用外套の袖へ。


 小さな嘴を食い込ませている。


「懐かれてるんじゃない?」


「違うと思うぞ」


 リゼットも一匹を抱えようとして。


 工具袋へ潜り込まれた。


「そこは駄目! 部品を食べないで!」


『救助されている側の方が元気だな』


 リリスは成体へ回復魔法を使う。


 甲殻の亀裂。


 酸素不足。


 過剰魔力による内臓負担。


 すべてを一度に治しすぎず。


 身体が自ら回復できる範囲まで整える。


━━━━━━━━━━


《蒼殻守水亀》成体


残存体力


31%



68%


魔力過剰症:解除


酸素不足:解除


甲殻損傷:修復中


生命危険:解除


━━━━━━━━━━


「これで歩ける」


『次は循環魔晶だ』


「うん」


 成体と幼体を。


 一時的に安全な球形室へ移し。


 リリスたちは水槽のさらに奥へ向かった。


◇◇◇


 《循環魔晶》は。


 水槽中央の窪地に設置されていた。


 本来は水色だったと思われる巨大結晶が。


 現在は黒紫色に変色している。


 中心には。


 大きな亀裂。


 そこから。


 過剰な魔力が水中へ漏れ続けていた。


━━━━━━━━━━


《循環魔晶》


用途


・水中魔力吸収


・生命魔力への変換


・水質浄化


・酸素供給


・微生物繁殖調整


現在状態


中核破損。


魔力循環方向が逆転しています。


原因


《第四循環弁》の長期固着。


推奨処置


魔晶交換ではなく。


循環弁の復旧後、中核修復を実施してください。


━━━━━━━━━━


「魔晶だけ直すと?」


「弁が閉じたままだから、また壊れる」


 リゼットが結晶の周囲を調べる。


「第四循環弁は、この下」


 足元。


 水底を覆う黒い泥の奥。


 巨大な円形弁が埋まっている。


「泥を全部消す?」


「駄目!」


 リゼットが即座に止めた。


「この泥にも微生物がいる。水質が戻った時に必要になるかもしれない」


「じゃあ、弁の周りだけ吸い上げる」


「それならいい」


 リリスは。


 弁の周辺にある泥だけを《空間倉庫》へ一時隔離した。


 姿を現した第四循環弁は。


 直径五メートル以上。


 黒く錆び。


 何本もの水草と根が絡みついている。


「根を切る」


 シグレが《白雨星刀》へ手を掛ける。


「生きている根と、枯れた根が混ざっている」


「分けられる?」


「任せろ」


 シグレは目を閉じた。


 根を流れる微かな生命力。


 水分。


 魔力。


 動いているもの。


 既に死んでいるもの。


 それらを見極める。


「《白雨抜刀》」


 銀色の一閃。


 切断されたのは。


 枯れた根だけだった。


 生きた根には。


 傷一つ付いていない。


「開いた!」


「次は弁を回す!」


 リゼットが《蒼炉戦槌》を構える。


「壊さないようにね」


「誰に言ってるの!」


 戦槌の側面へ。


 青白い回路が浮かび上がる。


「《回路衝撃制御》!」


 巨大な槌頭が。


 循環弁の外周へ叩きつけられた。


 轟音。


 だが。


 衝撃は弁の回転方向だけへ伝わっていく。


 一撃。


 二撃。


 三撃。


 固着していた弁が。


 僅かに動いた。


「もう少し!」


「《身体強化》を共有する」


 リリスがリゼットへ。


 必要最低限の力だけを流す。


「軽い……!」


「壊さないでね」


「分かってる!」


 四撃目。


 循環弁が大きく回転した。


━━━━━━━━━━


《第四循環弁》


閉鎖率:100%



73%



41%



0%


循環経路を開放しました。


━━━━━━━━━━


 水槽の底。


 長く止まっていた水路が動き始める。


 黒紫色の水が吸い込まれ。


 別の浄化槽へ向けて流れ出した。


「今!」


「《完全分解》《完全合成》」


 リリスが。


 《循環魔晶》の損傷部だけを分解。


 異物と劣化箇所を取り除き。


 元の結晶構造を保ったまま再結合する。


━━━━━━━━━━


《循環魔晶》


中核損傷率


68%



31%



4%



0%


魔力循環方向:正常化


水質浄化機能:再起動


酸素供給機能:再起動


━━━━━━━━━━


 黒かった巨大結晶が。


 内側から水色へ変わっていく。


 透明な光が。


 第四深水槽全体へ広がった。


 濁った水は。


 少しずつ青さを取り戻し。


 水底から。


 小さな泡が次々と立ち上る。


━━━━━━━━━━


第四深水槽


水質


危険



改善中


魔力濃度


正常値の11倍



正常値の6倍



正常値の2倍



適正


酸素濃度:回復


生命維持機能:正常化


━━━━━━━━━━


 隔離していた泥も。


 元の場所へ慎重に戻す。


 水流が安定すると。


 泥の中から。


 小さな光が幾つも浮かび上がった。


━━━━━━━━━━


新規素材を確認しました。


149 《星水藻》


150 《循環珊瑚》


151 《蒼命蓮》


152 《水脈銀砂》


153 《霊鰭魚の脱鱗》


154 《浄水貝珠》


155 《生命樹根皮》


156 《循環魔晶》


累計確認素材数


148



156


採取規則


・自然脱落品のみ採取可能


・生体の損傷を伴う採取禁止


・第四深水槽の回復完了まで大量採取禁止


━━━━━━━━━━


「新しい素材が八種類」


『採取制限を読め』


「読んでる。今日は採らない」


「《霊鰭魚の脱鱗》は、自然に落ちた物なら拾えるのでは?」


 リゼットが尋ねる。


「水質が完全に戻ってからにする」


『本当に慎重になったな』


「私だって学習するよ」


◇◇◇


 球形室へ戻ると。


 《蒼殻守水亀》の親子は。


 すっかり落ち着いていた。


 幼体たちは。


 フィオナの大きな狐尻尾へ集まり。


 防水外套の端を引っ張って遊んでいる。


「すごく懐かれていますね」


「尻尾を水草だと思っているのではないか」


「違います」


 フィオナは否定したが。


 幼体の一匹は。


 尻尾の先へ抱きついて離れない。


 成体の守水亀は。


 透明な壁の向こう。


 青さを取り戻し始めた第四深水槽を見つめていた。


『戻りたいようだ』


「もう大丈夫かな」


━━━━━━━━━━


《蒼殻守水亀》


生息環境適合率


第四深水槽:98%


帰還可能。


━━━━━━━━━━


「戻そう」


 球形室の外扉が開く。


 リリスが造っていた空気の道を解除すると。


 透明な水が静かに戻ってくる。


 成体は。


 幼体たちを連れ。


 青い水の中へ泳ぎ出した。


 一度だけ振り返り。


 大きな頭を下げる。


 そして。


 水中林の奥へ消えていった。


━━━━━━━━━━


緊急救助依頼を達成しました。


救助数


《蒼殻守水亀》成体:1


《蒼殻守水亀》幼体:16


死亡個体:0


第四深水槽:復旧


評価:最高


━━━━━━━━━━


「よかった」


 フィオナが胸元へ手を添える。


「今度来た時には、元気に泳いでいるでしょうか」


「遠隔観測へ登録しておく」


「持って帰るとは言わないのだな」


「この水槽が家だから」


 シグレが頷いた。


「それでよい」


◇◇◇


 中央昇降機で。


 透明通路へ戻った時。


 第十二階層全体に。


 低い鐘の音が響いた。


 水中林。


 深水槽。


 巨大な根。


 水路に刻まれた古代文字が。


 一斉に白金色へ輝く。


━━━━━━━━━━


第十二階層


《生命循環管理区画》


第四深水槽の復旧を確認。


全体稼働率


46%



53%


生命維持率


91%



96%


水質安定率


73%



81%


暫定管理者を登録します。


第一管理者


《ノクス》


共同管理者


フィオナ・ルーヴェル


シグレ・ヤルク


リゼット・ヴァルカン


生命感知補助


クロ


━━━━━━━━━━


「リゼットも管理者になった」


「私が?」


「修理したからだと思う」


「でも、加入したばかりなのに」


「階層は加入した日数を見てないよ」


『働きを評価したのだろう』


 リゼットは。


 表示された自分の名前を見つめる。


 少し戸惑い。


 それから。


 照れ臭そうにゴーグルを直した。


「……悪くない」


「それ、シグレの言い方」


「違うけど?」


「似ているぞ」


 シグレが静かに返す。


 その直後。


 新たな管理画面が開いた。


━━━━━━━━━━


未解決管理区域


一、《第一浅水育成槽》


状態:安定


二、《第二水中林》


状態:一部損傷


三、《第三捕食者管理槽》


状態:均衡変化


四、《第四深水槽》


状態:復旧


五、《第五独立進化槽》


状態:管理不能


警告


《第五独立進化槽》は。


古代管理基準から完全に逸脱しています。


内部生命総数


解析不能。


内部最高生命反応


測定上限超過。


封鎖継続を推奨します。


━━━━━━━━━━


「第五独立進化槽」


 リリスは表示を凝視した。


『開けるな』


「まだ何も言ってない」


「顔が開けたそうにしています」


 フィオナが言う。


「今日は第四深水槽の救助だけだ」


 シグレも先に止めた。


「修理工具も一部使ったから、次へ行く準備が足りない」


 リゼットまで続く。


「分かった。今日は開けない」


 リリスは素直に頷いた。


「でも、外から状態だけ確認する」


『直接干渉はするな』


「見るだけ」


━━━━━━━━━━


《第五独立進化槽》


外部観測を開始。


隔壁:正常


封印:正常


外部への生命流出:なし


内部情報


取得不能。


原因


内部生態系が、独自の観測妨害機能を獲得しています。


━━━━━━━━━━


「生態系そのものが、観測を拒んでる?」


「十八万年の間に、管理されないための性質を獲得したのかもしれません」


 フィオナが隔壁のある方角を見る。


 透明通路の遥か先。


 黒い水の向こうへ。


 巨大な円形扉が見えていた。


 扉の表面には。


 樹木。


 魚。


 獣。


 竜。


 人に似た影。


 数え切れない生命を表す紋章が刻まれている。


 その中央。


 閉ざされた扉の向こうから。


 一度だけ。


 何かが、こちらを見返した。


 姿は見えない。


 魔力も分からない。


 だが。


 確かに。


 視線だけがあった。


━━━━━━━━━━


《第五独立進化槽》


内部生命による外部観測を確認。


観測対象


パーティー《黒月》


敵意:なし


警戒:極大


接触要求:なし


━━━━━━━━━━


「向こうも、私たちを見てる」


『ならば、今は離れろ』


「うん」


 リリスは。


 観測を停止した。


 未知だからといって。


 無理に扉を開ける必要はない。


 そこに暮らす生命が。


 自分たちを拒んでいるのなら。


 まずは。


 何もしないことも、管理者の役目だった。


━━━━━━━━━━


《第五独立進化槽》


接触方針


・封鎖維持


・外部観測停止


・内部生命からの接触を待つ


・強制開放禁止


・生態系初期化禁止


登録しました。


━━━━━━━━━━


「帰ろう」


『本当に帰るのか』


「今日は助けるものを助けたから」


「成長しましたね、師匠」


「最近、そればかり言われる」


「以前が以前でしたから」


 《黒月》は。


 第五独立進化槽の扉へ背を向け。


 帰還用転移陣へ向かって歩き始めた。


 扉の向こう。


 十八万年以上。


 誰にも管理されず。


 独自の未来を歩み続けた生命たちは。


 立ち去る五人の背中を。


 何も告げずに、静かに見送っていた。

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