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第八十三話 未来を記録する水田



 《無形世界樹の種》の観察を終えたリリスたちは。


 種子保管庫を出る前に、中央の白金柱へ今回の記録を登録した。


━━━━━━━━━━


【未登録種子観察記録】


対象


《無形世界樹の種》


確認状態


・概念発芽


・《未来根》形成開始


・外部生命記録との接続


危険性


・現在なし


禁止事項


・直接接触


・発芽促進


・物質化の強制


・保管容器からの移動


次回現地確認


七日後


━━━━━━━━━━


「これでいいね」


『余計な操作はしていないな』


「してないよ」


「本当に観察だけで終わりましたね」


 フィオナが感心したように言う。


「師匠も成長しています」


「前から規則は守ってるよ」


「邪神」


 シグレが一言だけ返した。


「……最近は守ってる」


 リゼットは受け取った《未来生命観測板》を、横から興味深そうに覗き込んでいる。


「これ、内部に部品がない」


「古代級だから、魔力回路が物質層より深い場所に刻まれてる」


「分解しなくても調べられる?」


「表面解析だけなら」


「帰ったら一緒に見よう!」


『まず本来の用途で設置しろ』


「分かってるって」


 リゼットはそう答えたものの。


 既に頭の中では、観測板の接続方法を何通りも考えているようだった。


◇◇◇


 古代星樹の根元から離れ。


 第十一階層の転移地点へ戻る。


 途中。


 リゼットは何度も足を止めた。


「この水路、重力だけで循環してない」


「地脈圧力も使ってるよ」


「水を上へ運ぶ部分だけ、空間の高低差を反転させてる……?」


「たぶん」


「たぶんで修理したの?」


「大体は解析できたから」


「設計記録、残ってる?」


「あるよ」


「見せて!」


「屋敷に帰ってからね」


 温室の設備。


 自動栽培術式。


 水路。


 気候調整塔。


 リゼットにとっては。


 周囲のすべてが未知の魔導技術だった。


「リゼット」


 シグレが声を掛ける。


「何?」


「前を見ろ」


「見てる――わっ」


 銀色の蔓へ足を取られかけたリゼットを。


 フィオナが腕を掴んで支えた。


「ありがとうございます」


「気持ちは分かりますが、歩きながら設計図を書くのは危険ですよ」


「うん。今度から立ち止まる」


『見るのをやめるという選択肢はないのだな』


 リリスは少しだけ笑った。


「素材を見つけた時の私も、こんな感じ?」


 三人と一匹が。


 同時にリリスを見る。


「……聞かなくても分かった」


◇◇◇


 王都の屋敷へ帰還したのは。


 昼を少し過ぎた頃だった。


 南庭へ向かうと。


 《天穀米》の試験水田は、出発前と変わらず穏やかだった。


 透明な水。


 等間隔に並ぶ細い苗。


 水面を横切る小さな虫。


 風が吹くたび。


 若い葉が一斉に揺れている。


「異常は?」


 リゼットが《星流灌漑核》の操作盤を開く。


━━━━━━━━━━


《天穀米試験水田》


植付個体:119


育苗個体:1


枯死:0


病害:なし


害虫被害:なし


水質:最良


土壌魔力:適正


地脈接続:安定


━━━━━━━━━━


「問題なし」


「それでは、観測板を設置しましょう」


 フィオナが言う。


 リリスはインベントリから。


 白金色の薄い板を取り出した。


 大きさは。


 両手で持てる程度。


 表面には文字も絵もなく。


 磨き上げられた鏡のように、空と周囲の景色を映している。


━━━━━━━━━━


《未来生命観測板》


品質:古代級


接続可能対象


・栽培地


・種子保管庫


・管理魔導核


・生命情報記録装置


現在の接続数:0


━━━━━━━━━━


「《星流灌漑核》に直接繋げられる?」


 リゼットが尋ねる。


「できると思う。でも、古代級の観測板から流れる情報量に、試作一号が耐えられるか確認する」


「分解は?」


「しないよ」


「少しだけ内部を――」


「しない」


『役割が逆転しているな』


 リリスは《万象解析》を発動した。


 観測板と。


 《星流灌漑核》。


 二つの魔力回路を比較する。


━━━━━━━━━━


接続適合率:41%


問題点


・情報形式の相違


・古代術式の出力過多


・試作一号の記録容量不足


・生命情報の処理機能なし


推奨


中継用魔導具の設置。


━━━━━━━━━━


「直接は無理」


「じゃあ、中継器を作る!」


「素材は?」


「魔銀。高純度魔晶。あとは情報保存用に星銀粉末」


「《黒星虚銀》なら、情報量を圧縮できるよ」


「農業設備に邪神素材を使うの!?」


「安全化してある」


「そういう問題じゃなくて、原価!」


『珍しくリゼットが正しい』


「一欠片だけ」


「駄目。普及できなくなる」


「屋敷専用だから」


「試作品を高級素材で成立させると、あとで安い素材へ落とせなくなるの!」


 リゼットは工具袋から。


 銀色の小さな板を取り出した。


「まず魔銀と普通の魔晶だけで作る。それで足りない部分があったら、高級素材を検討する」


「分かった」


「素直だ……」


「リゼットが専門家だから」


 リリスが当然のように答えると。


 リゼットは一瞬だけ言葉を失い。


 誤魔化すようにゴーグルを下ろした。


「じゃ、じゃあ作るよ!」


◇◇◇


 二人は。


 灌漑小屋の前へ小さな作業台を置いた。


 リリスが魔銀を薄い円盤へ錬成し。


 リゼットが魔力回路を彫り込む。


 古代術式を。


 現在の魔導技術で読み取れる形式へ変換する回路。


 生命情報そのものは複製せず。


 異常の有無。


 成長段階。


 必要な水分。


 魔力吸収量。


 病害の兆候だけを抽出する。


「生命情報を全部保存しないの?」


「全部記録したら、苗一本だけで魔晶一個が埋まる」


「百二十本だと百二十個」


「一日ごとに増える」


「一年で四万個以上」


『ようやく多いと気づいたか』


「必要な情報だけにしよう」


 半刻ほどで。


 手のひらほどの円形魔導具が完成した。


━━━━━━━━━━


《生命記録中継器》


品質:希少級


製作者


リリス・ルクスヴィア


リゼット・ヴァルカン


機能


・古代生命情報の簡易変換


・栽培個体の識別


・成長状態の記録


・病害兆候の抽出


・灌漑核への情報送信


・原本情報の改変防止


━━━━━━━━━━


「できた」


「接続するね」


 リゼットが中継器を。


 《星流灌漑核》の側面へ取り付ける。


 リリスは《未来生命観測板》を、灌漑小屋の内壁へ固定した。


 三つの魔導具の間を。


 淡い白金色の線が繋ぐ。


━━━━━━━━━━


接続を開始します。


《未来生命観測板》



《生命記録中継器》



《星流灌漑核》



《天穀米試験水田》


接続適合率


41%



73%



96%



100%


━━━━━━━━━━


 何も映っていなかった観測板へ。


 水田の全景が浮かび上がった。


 上空から見下ろしたような。


 立体的な半透明映像。


 そこには。


 百十九本の苗が、淡い緑色の点として表示されている。


 水田の端。


 育苗箱の一粒だけは。


 小さな金色の点だった。


━━━━━━━━━━


《天穀米試験水田》


栽培個体:120


正常:119


要確認:1


━━━━━━━━━━


「異常があるの?」


 フィオナが心配そうに尋ねる。


「育苗箱の一粒」


 リリスは観測板の金色の点へ触れた。


━━━━━━━━━━


個体番号:120


状態:発芽済み


成長速度:標準の38%


生命力:正常


病害:なし


損傷:なし


水分不足:なし


推定要因


現在の栽培環境と一部性質が不一致。


━━━━━━━━━━


「遅れて発芽した種だね」


「治すのですか?」


「病気じゃないから、治さない」


『珍しく即答したな』


「この子だけ、ほかの苗とは違う環境が合うのかもしれない」


 リリスは育苗箱へ向かった。


 透明な箱の中。


 最後に発芽した苗は。


 ほかの苗より小さく。


 葉も一本しか伸びていない。


 だが。


 根は細く長く。


 土の深い部分へ向かって伸びていた。


「《万象解析》」


━━━━━━━━━━


《天穀米》個体番号120


生命力:正常


固有傾向


・低魔力環境適性


・深部栄養吸収


・乾燥耐性


・成長速度低下


・長期生存力上昇


━━━━━━━━━━


「弱い個体ではない」


 シグレが言う。


「うん。育つのが遅い代わりに、魔力が少ない土地や乾燥した場所でも生きられる」


「それって、一般の農地に向いてるんじゃない?」


 リゼットが苗を覗き込む。


「特殊な灌漑装置がなくても育つかもしれない」


「可能性はあるね」


 リリスは。


 苗の成長を無理に早めることなく。


 別の小さな試験区画を作った。


 普通の土。


 普通の井戸水。


 地脈からの魔力供給も、最低限。


 特別な肥料は使わない。


「そんな環境で大丈夫なのですか?」


「この子は、こっちの方が合ってるみたい」


 小さな苗を。


 新しい土へ植え替える。


 根が土へ触れた瞬間。


 萎れかけていた一枚の葉が。


 僅かに持ち上がった。


━━━━━━━━━━


個体番号120


環境適合率


54%



68%



89%


成長状態:安定


━━━━━━━━━━


「元気になった」


「魔力を増やすだけが正解じゃないんだね」


 リゼットが呟く。


「機械も植物も、必要なものを必要な分だけ与えるのは同じかも」


「入れられるだけ入れる師匠とは違いますね」


「最近は全部入れてないよ」


『災厄魔王装備には、ほぼすべて入れただろう』


「あれは最強素材のフルコースだから」


「料理ではありません」


◇◇◇


 夕方。


 《未来生命観測板》には。


 二つの栽培区画が表示されていた。


━━━━━━━━━━


【第一試験区画】


栽培個体:119


環境


・高魔力水田


・地脈接続


・星流灌漑核使用


成長状態:良好


━━━━━━━━━━


【第二試験区画】


栽培個体:1


環境


・低魔力土壌


・通常井戸水


・自然成長


成長状態:安定


━━━━━━━━━━


「両方の記録を保管庫へ送る」


━━━━━━━━━━


《未来生命記録》を送信。


新規記録


・高魔力環境適応例


・低魔力環境適応例


・同一種内の個体差


・環境に応じた栽培区分


送信完了。


━━━━━━━━━━


 数秒後。


 観測板の端へ。


 《無形世界樹の種》の状態が表示された。


━━━━━━━━━━


《無形世界樹の種》


《未来根》接続先


1



2


新たな未来可能性を確認。


・魔力豊富な土地で育つ未来


・魔力の乏しい土地で育つ未来


概念発芽進行率


0.0001%未満



0.0002%未満


━━━━━━━━━━


「二倍になった」


『数字としては、ほとんど進んでいないがな』


「未来が一つ増えたってことだよ」


 同じ種から生まれた二つの苗。


 だが。


 育つ環境も。


 成長の仕方も。


 将来役立つ場所も違う。


 一つへ揃えず。


 それぞれに合う場所を探す。


 それも。


 種子を守る方法なのだろう。


「個体番号百二十は、特別に観察しよう」


「名前を付けるの?」


「まだ普通の《天穀米》だよ。収穫して、次の世代にも同じ性質が残るか確認してから」


『慎重だな』


「品種として登録するなら、何世代か育てないと」


 リゼットが腕を組む。


「名前だけ考えておく?」


「まだ早い」


「《低魔力天穀米》」


「そのまますぎる」


「《乾田天穀米》」


「田じゃなくて、今は畑に近いよ」


「《しぶとい米》」


『さらに酷くなったな』


「名前は後で決めよう」


◇◇◇


 夕食後。


 リリスは自室で。


 《未来生命観測板》から送られてくる記録を眺めていた。


 百十九本の苗。


 少し離れた場所に植えられた、小さな一株。


 すべて正常。


 《星流灌漑核》も安定している。


「今日は平和だった」


『迷宮へ行ったが、問題は起きなかったな』


 クロがベッドの横で答える。


「魔神化もしなかった」


『当然だ』


「少しくらい褒めてもいいのに」


『使えば全員が止める』


「分かってるよ」


 リリスは苦笑し。


 観測板の表示を閉じようとした。


 その時。


 水田とは別の通知が現れた。


━━━━━━━━━━


《王都地下迷宮《星喰いの大穴》》


第十二階層から管理者へ接続要求。


接続元


《生命循環管理区画》


接続理由


第十一階層《星温室》の管理機能復旧。


《未来生命記録》の起動。


第十二階層の休眠機能が一部再起動しました。


確認された反応


・広域水脈


・複数の生命反応


・人工生態系


・管理不能区域


危険度:判定中


━━━━━━━━━━


「第十二階層が動き始めた」


『明日の朝食後だ』


「まだ何も言ってない」


『言う前に止めた』


「今日は行かないよ」


『魔神化は』


「しない」


『ならば、皆へ連絡しておけ』


「うん」


 リリスは屋敷内の連絡用魔導具を起動した。


━━━━━━━━━━


【明日の予定】


目的地


《王都地下迷宮《星喰いの大穴》》


第十二階層


推定区画


《生命循環管理区画》


目的


・再起動した管理機能の確認


・人工生態系の安全調査


・管理不能区域の特定


参加者


・ノクス


・フィオナ


・シグレ


・リゼット


・クロ


禁止事項


・危険度確定前の単独行動


・人工生態系への無断干渉


・未知生物の無断持ち出し


・《魔神化》


━━━━━━━━━━


 通知を送信すると。


 すぐにリゼットから追記が届いた。


━━━━━━━━━━


追加持ち物


・修理工具


・水中作業装備


・予備魔晶


・携帯食料


追加禁止事項


・リリスによる未知設備の即時改造


━━━━━━━━━━


「まだ何もしてないのに」


『今までの実績だ』


 続いて。


 フィオナからも追記が届く。


━━━━━━━━━━


出発前確認


・朝食を必ず取る


・注意事項を最後まで読む


・全員で行動する


━━━━━━━━━━


 最後に。


 シグレから短い追記。


━━━━━━━━━━


・勝手に触るな


━━━━━━━━━━


「みんな、私を何だと思ってるんだろう」


『好奇心の強すぎる、非常に強力な錬金術師だろう』


「間違ってないけど」


 リリスは窓の外へ目を向けた。


 月明かりの下。


 小さな水田が静かに輝いている。


 百二十の命が。


 それぞれの場所で、未来へ向かって根を伸ばしていた。


 そして。


 その記録を受け取った迷宮の奥でも。


 長く眠っていた新たな階層が。


 ゆっくりと目覚め始めていた。

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