第八十二話 無形世界樹の芽吹き
昼食を終えた後。
リリスたちは、そのまま水田の周囲で作業を続けた。
最初に確認するのは。
試作一号である《星流灌漑核》の安定性。
リゼットが操作盤へ魔力を流すと。
水田の四隅へ設置された細長い測定柱が、青白く光り始める。
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《星流灌漑核》試作一号
連続稼働試験を開始。
試験時間:六時間
確認項目
・水位維持
・水質浄化
・魔力濃度調整
・地脈接続安定性
・異物除去
・作物生命反応
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「水位は?」
「設定値から二ミリ高い」
水田の端へ屈み込んだリゼットが答える。
「二ミリなら問題ないんじゃない?」
「今はね。でも、一時間に二ミリずつ増えたら、半日で溢れる」
「それもそうだね」
『お前より細かい部分へ気づく者が現れたな』
「私も気づいてたよ」
『今、問題ないのではないかと言ったばかりだろう』
「確認しただけ」
リリスが視線を逸らす。
リゼットは操作盤を開き。
内部に並ぶ五枚の制御板のうち、一枚を取り外した。
「地脈から流れ込む魔力が予想より強い。給水弁が設定値より僅かに開いてる」
「回路の方を調整する?」
「ううん。地脈は日によって強さが変わるから、弁を固定するより自動補正を加える」
「じゃあ、魔力圧力を測る小さな回路を――」
「ここに入れる!」
二人が同時に、同じ場所を指差した。
「やっぱり同じことを考えた!」
「うん」
「また始まりましたね」
フィオナが笑う。
「放っておけば、日が暮れるまで操作盤を囲んでいそうだ」
シグレは。
水田の岸へ置かれた長椅子へ座り。
植えたばかりの苗を眺めていた。
細い葉。
水面を滑る風。
土と水の匂い。
迷宮探索や戦闘とは違う。
静かな時間だった。
『ところで、種子保管庫の反応はどうなった』
クロが尋ねる。
「まだ続いてる」
リリスは遠隔観測画面を開いた。
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《無形世界樹の種》
存在反応:微弱
生命反応:検出不能
魔力反応:検出不能
空間反応:微弱
因果反応:上昇中
外部記録との接続
《天穀米》現代環境発芽記録
接続率:12%
危険性:変化なし
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「因果反応?」
リゼットが手を止める。
「普通の種なら、生命力とか魔力が増えるんじゃないの?」
「《無形世界樹》は、普通の植物じゃないみたい」
「名前からして普通ではないだろう」
「物質として存在してるかも分からないからね」
『今から確認しに行くと言うなよ』
「今日は行かない」
リリスは即答した。
三人と一匹が。
しばらく黙ってリリスを見る。
「本当に行かないよ」
「師匠が二度も言うと、少し不安になります」
「遠隔観測だけにする」
「魔神化もしない?」
リゼットが確認する。
「しない。関係ないよね?」
「一応」
魔神へ進化してから。
リリスの行動確認項目が一つ増えていた。
◇◇◇
夕方。
六時間の連続稼働試験が終了した。
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《星流灌漑核》試作一号
連続稼働試験:完了
水位誤差
初期:二ミリ
調整後:〇・一ミリ未満
水質:最良を維持
魔力濃度:適正を維持
地脈接続:安定
異物混入:なし
作物への悪影響:なし
総合評価:優良
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「成功!」
リゼットが両手を上げる。
「試作一号としては、十分使えるね」
「まだ完成じゃないよ」
「何を加えるの?」
「夜間警報と、凍結防止と、落雷対策。それから、誰かが勝手に設定を変えないための管理者認証」
「誰かって?」
「リリス」
「私は勝手に変えないよ」
『収穫を早めるため、魔力濃度を上げる可能性はあるな』
「少しだけなら」
「禁止!」
リゼットが操作盤を抱えるように守った。
「作物の状態を見ないで設定を変えたら駄目。水も魔力も、多ければいいってものじゃないんだから」
「分かった」
「本当に?」
「管理者認証を付けてもいいよ」
「リリスの権限は?」
「閲覧と緊急停止」
「設定変更は?」
「リゼットと庭師長の承認が必要」
『自分の屋敷で権限を制限される主人とは珍しいな』
「専門家に任せるのも大事だから」
リリスは少しだけ不満そうだったが。
設定には同意した。
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《星流灌漑核》管理権限
第一管理者
リゼット・ヴァルカン
共同管理者
屋敷庭師長
所有者
リリス・ルクスヴィア
所有者権限
・状態閲覧
・緊急停止
・安全機能作動
通常設定変更
共同管理者の承認が必要です。
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「これで安心」
「私が信用されてないみたい」
「魔神化した日に封印された人が何を言ってるの?」
「それは別の話」
『似た話だ』
◇◇◇
夜。
夕食を終えたリリスは。
自室の机で《天穀米》の成長記録を整理していた。
発芽時刻。
植え付け位置。
土壌魔力。
地脈との適合率。
苗ごとの僅かな違い。
それらを一つずつ。
《星温室種子保管庫》へ送信できる形に纏めていく。
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《天穀米》現代栽培記録
記録個体:120
現在状態
・水田植付:119
・育苗箱:1
異常個体:0
記録完成率:100%
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「送信」
記録が。
迷宮第十一階層へ向けて転送される。
その直後。
机の上へ表示されていた遠隔観測画面が大きく揺れた。
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緊急管理者通知。
《無形世界樹の種》に新たな変化を確認。
存在反応
微弱
↓
明確
因果反応
上昇中
↓
発芽準備状態
保管庫への危険
なし
周辺種子への影響
なし
管理者の現地確認を推奨します。
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「発芽準備……」
『まさか、今から行くつもりではないだろうな』
ベッドの横で休んでいたクロが。
すぐに顔を上げる。
「今日は行かないって約束したから」
『現在時刻は』
「夜の九時」
『ならば、まだ今日だ』
「分かってる」
リリスは画面を閉じた。
「明日の朝にする」
『よろしい』
「みんなにも連絡しておくね」
《遠隔物質転送》ではなく。
屋敷内の連絡用魔導具を使って。
フィオナ。
シグレ。
リゼットへ通知を送る。
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【明日の予定】
目的地
《王都地下迷宮《星喰いの大穴》》
第十一階層
《星温室種子保管庫》
目的
《無形世界樹の種》の状態確認
出発時刻
朝食後
禁止事項
・無断発芽促進
・無断持ち出し
・種子への直接錬成
・魔神化
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『最後の項目は誰が入れた』
「リゼットから追加された」
『正しい判断だ』
「迷宮で魔神化する予定はないよ」
『予定がなくとも書いておくべきだ』
◇◇◇
翌朝。
朝食を終えた《黒月》は。
王都地下迷宮へ向かった。
リリスは《ノクス》の姿。
黒いローブ。
黒い仮面。
腰には《災厄魔王剣》を偽装した黒い魔法剣。
フィオナ。
シグレ。
リゼット。
クロも同行している。
「リゼットも迷宮へ入るのは初めて?」
「王都の地下迷宮は初めて。鉱山型の小迷宮なら、素材採取で入ったことがある」
「戦えるのか?」
シグレが尋ねる。
「近づいてくるなら、槌で叩く」
「単純だな」
「複雑な機械を直すより簡単でしょ」
『戦闘を機械修理と比較する者も珍しい』
迷宮入口で。
リゼットの冒険者カードが確認される。
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パーティー《黒月》
入場者
《ノクス》
フィオナ・ルーヴェル
シグレ・ヤルク
リゼット・ヴァルカン
従魔:クロ
目的階層
第十一階層
管理者権限を確認。
転移を許可します。
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白金色の光が。
五人を包み込んだ。
◇◇◇
第十一階層。
《古代迷宮の星温室》。
転移地点へ到着すると。
朝とも夜とも分からない柔らかな光が、温室全体を満たしていた。
巨大な古代星樹。
銀色の水路。
虹色の花。
葉の間を飛び交う小さな精霊光。
「すごい……」
リゼットが言葉を失う。
「この温室を、古代人が造ったの?」
「うん。でも、設備の多くは止まってた」
「これを修理したの?」
「みんなで」
「中央管理核を見たい」
「帰る前なら」
『目的を忘れるな』
リリスは白金色の鍵を取り出し。
古代星樹の根元へ向かった。
鍵穴へ差し込み。
静かに回す。
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《星温室種子保管庫》
管理者一行を確認。
封印解除。
注意
未登録種子の存在変化を確認しています。
直接接触は推奨されません。
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「触らないよ」
「師匠。声に出して確認するようになったのですね」
「成長したから」
『同じことを毎回言っているな』
古代星樹の根が左右へ分かれ。
地下へ続く白い階段が現れる。
リリスたちは。
ゆっくりと階段を下りた。
◇◇◇
円形の種子保管庫。
白金色の中央柱。
枝の先へ浮かぶ、四万八千個の透明な保管容器。
前回と変わらず。
空間は静かだった。
だが。
中央柱の根元。
三つの未登録種子が収められた場所だけ。
淡い光が揺れている。
「どれ?」
リゼットが声を潜める。
「一番右」
《無形世界樹の種》。
以前は。
容器の中に何も入っていないように見えた。
中心部分の光が。
僅かに歪んでいるだけだった。
今は違う。
透明な容器の中央。
そこへ。
髪の毛よりも細い、無色の根が伸びている。
根は容器の底へ向かっていない。
土も。
水も。
魔力媒体もない。
それなのに。
虚空へ向かって枝分かれし。
無数の小さな光点へ繋がっていた。
「根が、空中に……」
「物質の根ではない」
シグレが目を細める。
『何かと繋がっているな』
「調べるね。直接干渉はしない」
リリスが《万象解析》を発動する。
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《無形世界樹の種》
分類:解析不能
状態
休眠
↓
概念発芽
物質的発芽:なし
生命的発芽:なし
因果的発芽:開始
現在形成中の部位
《未来根》
接続対象
・現代環境へ適応した《天穀米》
・星温室種子保全契約
・管理者による生命保護記録
・まだ存在しない収穫の可能性
危険性:なし
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「未来へ根を伸ばしてる……」
フィオナが透明な容器を見つめる。
「天穀米を植えたことが、発芽条件だったのですか?」
「それだけじゃないみたい」
リリスは解析を続ける。
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推定発芽条件
・過去から保存された生命が、未来の環境で根づくこと
・保管された種子が独占されないこと
・管理者が生命を素材としてだけ扱わないこと
・増えた命を保管庫へ返す意思があること
・まだ存在しない未来が、現実へ近づくこと
条件達成率:0.01%未満
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「これで〇・〇一パーセント未満?」
「完全に発芽するまで、どれほど掛かるのだ」
「百年か、千年か。それ以上かもしれない」
『お前向きの研究対象だな』
「私は不老不死だから、ずっと見ていられる」
リリスは。
容器の中で広がる《未来根》を見つめた。
一粒の種。
一枚の葉。
一つの水田。
今は小さな変化でも。
そこから生まれる未来は。
誰にも測れない。
天穀米が増え。
誰かの食卓へ並び。
新たな土地へ広がり。
さらに種が未来へ受け継がれる。
《無形世界樹》は。
そのまだ存在しない可能性へ、根を伸ばしている。
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《星温室種子保管庫》
新たな管理機能を解放します。
《未来生命記録》
機能
保管種子が外部環境へ根づいた記録を保存します。
記録内容
・発芽
・成長
・開花
・結実
・種子増殖
・生態系への影響
・利用地域
・次世代への継承
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「外へ持ち出した後の記録も、ここへ残せる」
「ただ保管するだけの場所ではなくなるのですね」
「うん。過去を守るだけじゃなくて、未来へ繋げられる」
中央柱へ。
新たな文字が浮かび上がった。
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種子は、まだ存在しない未来の命である。
未来へ植えられた命は。
再び、新たな未来の種子となる。
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リリスは。
その言葉を静かに読んだ。
『気に入ったか』
「うん」
透明な容器の中。
《未来根》の先端へ。
一つの小さな光が灯る。
それは。
屋敷の南庭に生まれた。
百平方メートルの小さな水田。
そこで風に揺れる《天穀米》の苗を映していた。
「帰ったら、また成長記録を送ろう」
「毎日来るつもりか?」
「遠隔で送れるよ」
『安心した』
「一週間後には、直接確認に来るけど」
「それは元々の予定ですね」
フィオナが微笑む。
リリスは。
《無形世界樹の種》へ触れることなく。
新たな保護術式だけを、保管容器の外側へ追加した。
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《無形世界樹の種》
概念発芽状態を保存。
直接干渉:禁止
発芽促進:禁止
未来記録の受信:許可
外部持ち出し:禁止
次回現地確認:七日後
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「今日は、何も持って帰らないの?」
リゼットが尋ねる。
「持ち出し申請をしてないから」
『本当に成長したな』
「毎回驚かないで」
「ですが師匠」
フィオナが中央柱の横を指差す。
そこには。
保管庫からの正式な管理報酬として。
一つの小さな白金色の板が現れていた。
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《未来生命観測板》
品質:古代級
所有者
パーティー《黒月》
機能
・外部栽培種の生命記録
・保管庫への遠隔報告
・栽培異常の早期発見
・生態系影響の記録
・種子返納数の自動計算
注意
植物の成長を強制する機能はありません。
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「持って帰れるものがあった」
『最後の注意を読め』
「読んだよ。成長促進には使えない」
「改造も禁止」
リゼットが言う。
「まだ何も言ってない」
「顔に出てた」
「観測機能だけで使うよ」
リリスは《未来生命観測板》を受け取り。
大切にインベントリへ収納した。
新しい素材はなかった。
宝箱もない。
戦闘も起きていない。
それでも。
この日《黒月》が見つけたものは。
どんな希少素材よりも不思議な。
まだ存在していない未来へ伸びる、最初の根だった。




