表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
83/114

第八十一話 天穀米の水田



 翌朝。


 リリスが屋敷の南庭へ向かうと。


 昨日まで何もなかった場所に。


 小さな建物が一つ増えていた。


 石造りの壁。


 青銅色の屋根。


 側面から伸びる五本の水路。


 中央では、青白い魔導核が規則正しく明滅している。


━━━━━━━━━━


《星流灌漑小屋》


設計


リゼット・ヴァルカン


リリス・ルクスヴィア


主機関


《星流灌漑核》試作一号


管理区域


・天穀米試験水田


・星月大豆試験畑


・薬草栽培区画


・果樹育成区画


稼働状態:待機中


━━━━━━━━━━


「……完成してる」


「おはよう、リリス!」


 小屋の屋根から。


 リゼットが顔を出した。


 頭には作業帽。


 ゴーグルは額まで上げられ。


 頬へ薄く油汚れが付いている。


「いつから作ってたの?」


「日の出前!」


「寝た?」


「四時間くらい!」


「少ないよ」


「昨日は魔神化の騒ぎで、設計が途中だったから」


『騒ぎで済ませるには、随分と危険だったがな』


 クロがリリスの後ろから姿を現す。


 昨夜まで僅かに残っていた疲れは。


 既に完全に消えているようだった。


「クロ、体調は?」


『問題ない。だが魔神化はするな』


「しないよ」


「本当に?」


 灌漑小屋の横から。


 フィオナが顔を覗かせる。


 その後ろには。


 腕を組んだシグレも立っていた。


「封印されてるから、したくてもできないよ」


「解除方法を研究していないだろうな」


「してない」


『一瞬、間があったぞ』


「制御方法は少し考えたけど、解除方法は考えてない」


「同じようなものではありませんか?」


「違うよ。領域を制御できるようになれば、安全になるから」


 フィオナたちの視線が集まる。


「今はやらない」


 リリスはすぐに付け加えた。


「まずはお米」


『それがよい』


◇◇◇


 水田として整備されるのは。


 屋敷南部の八百平方メートル。


 ただし。


 初めから全区画へ《天穀米》を植えるわけではない。


 発芽率。


 成長速度。


 土壌との相性。


 必要な魔力量。


 病気や害虫への耐性。


 古代種である以上。


 現在の王都周辺環境へ、どのような影響を与えるのか分からない。


 そのため。


 最初に使うのは、全体の八分の一。


 百平方メートルだけだった。


「一度に全部植えないんだね」


 リゼットが少し意外そうに言う。


「失敗して、種籾を全部失ったら困るから」


『珍しく慎重だな』


「種子保管庫から借りてる命だから」


 持ち出した種子から増やした場合。


 一割を保管庫へ返納する。


 その契約もある。


 何より。


 《天穀米》は料理素材である前に。


 古代から未来へ残された植物だった。


「今回は百二十粒だけ使うよ」


「百二十?」


「一粒ずつ発芽させて、状態を確認する」


「手作業ですか?」


「うん」


 リリスの背後へ。


 百二十個の小さな水球が浮かび上がる。


『手作業とは』


「一粒ずつ見てるから手作業」


「一般的な意味とは違う気がします」


 フィオナが苦笑する。


 リリスは《天穀米の種籾》を水球へ一粒ずつ入れた。


 使っているのは。


 《精霊湧水》。


 《迷宮温室土》から抽出した微量の生命魔力。


 《古代生命樹の樹液》を数滴。


 そこへ。


 地属性と水属性の魔力を、ごく僅かに加える。


━━━━━━━━━━


《天穀米の種籾》


発芽準備処理を開始。


処理対象:120粒


生命力:正常


休眠状態:解除可能


現在環境との適合率


62%


━━━━━━━━━━


「適合率が低い」


 リゼットが表示を覗き込む。


「古代の環境と、今の土や空気が違うんだと思う」


「水田全体を古代環境に変えるのですか?」


「それだと、この設備がない場所で育てられなくなる」


 屋敷の中だけで育てるなら。


 《領域環境自在化》で。


 古代と同じ気温。


 湿度。


 魔力濃度。


 地脈状態を再現できる。


 だが。


 将来。


 普通の農家へ種を分けることを考えるなら。


 特殊な環境でしか育たない作物にしてはいけない。


「種の方を、少しずつ今の環境へ慣らす」


「品種改良ですか?」


「生命情報は変えないよ。眠っている適応性を引き出すだけ」


「それなら、元の性質も失われないな」


 シグレが頷く。


「《生命魔法》《素材特性抽出》《装備進化誘導》」


『最後のものは装備用ではないのか』


「生物にも応用できる」


『万能すぎるだろう』


 百二十粒の種籾を包む水球が。


 淡い金色へ変化する。


 種の中に眠る。


 乾燥への耐性。


 温度変化への適応。


 土壌中の魔力を効率よく吸収する性質。


 それらを。


 無理のない範囲で表へ引き出していく。


━━━━━━━━━━


現在環境との適合率


62%



71%



83%



94%


処理完了。


遺伝情報の異常変化:なし


固有性質の損失:なし


発芽可能率:99.8%


━━━━━━━━━━


「百パーセントじゃない」


「自然の種だからね」


 リリスなら。


 発芽率を完全な百パーセントへ固定することもできる。


 だが。


 すべてを同じ状態へ揃えすぎれば。


 将来。


 一つの病気や環境変化で全滅する可能性がある。


 僅かな個体差。


 性質の違い。


 それもまた。


 種を未来へ残すために必要なものだった。


「少しだけ違う方が、強いんだよ」


「機械と逆なんだね」


 リゼットが感心したように言う。


「部品なら全部同じ方が交換しやすいのに」


「植物は生き物だから」


「じゃあ、灌漑核も一つの流量に固定しない方がいいかも」


 リゼットがすぐに設計図を開く。


「水田の場所ごとに、土壌の水分と魔力濃度を測って、五段階で給水量を変える」


「いいと思う」


「今から直す!」


「植えてからにしよう」


「五分で終わる!」


「朝食は?」


「もう食べた!」


『そこは学習したようだな』


◇◇◇


 試験水田へ。


 清らかな水が流れ始めた。


 《星流灌漑核》が地脈と接続し。


 地下水を汲み上げ。


 細かな不純物を取り除く。


 さらに。


 作物へ悪影響を与えない濃度まで。


 水属性と生命属性の魔力を加える。


━━━━━━━━━━


《星流灌漑核》試作一号


給水開始。


水質:最良


魔力濃度:適正


水温:18.4度


土壌水分:調整中


異常物質:なし


━━━━━━━━━━


 水路から流れ込んだ透明な水が。


 平らに整えられた土壌を満たしていく。


 土の香り。


 水の音。


 朝日を反射する、浅い水面。


 都心の広大な屋敷の一角へ。


 小さな水田が生まれた。


「懐かしい感じがする」


 リリスは水面を見つめた。


 前世で。


 自分が田植えをした経験はない。


 けれど。


 電車や車の窓から眺めた水田。


 テレビで見た田植え。


 炊飯器を開けた時に立ち上る、白い湯気。


 そうした記憶が。


 次々と蘇ってくる。


「師匠の故郷にも、このような畑があったのですか?」


「うん。お米をたくさん食べる国だった」


「いつか行けるのか?」


「前の世界だから、難しいかも」


 シグレは。


 それ以上、何も聞かなかった。


 ただ。


 水田の水面へ視線を落とす。


「ならば、ここで作ればよい」


「うん」


 帰れない世界の味。


 それでも。


 この世界で。


 新しい仲間と一緒に作ることはできる。


◇◇◇


「それでは、植えましょう」


 エレナが用意した作業着へ着替えたフィオナが。


 水田の前へ立った。


 普段の魔法剣士装備ではない。


 薄茶色のシャツ。


 膝下まで捲った丈夫な作業用ズボン。


 狐耳を通せる広いつばの帽子。


 大きな尻尾が濡れないよう。


 尻尾用の防水布まで用意されている。


「フィオナも入るの?」


「皆で植えた方が楽しいと思いまして」


「私もやる」


 シグレも。


 白銀の髪を高い位置で纏め。


 簡素な作業着へ着替えていた。


「刀は?」


「岸へ置いておく」


「私は機械を見る!」


 リゼットは水田の外。


 灌漑核の操作盤の前へ座る。


『私は見ている』


「クロも入ろうよ」


『断る』


「足だけなら」


『泥だらけになるだろう』


「自動洗浄できるのに」


『それと、わざわざ汚れることは別だ』


 リリスは裸足になり。


 水田へ一歩入った。


「冷たい」


 足の指の間へ。


 柔らかな泥が入り込む。


 少し不思議な感覚だった。


 続いて。


 フィオナとシグレも水田へ入る。


「思ったより深いですね」


「足を取られるな」


 シグレが一歩進み。


 泥へ足首まで沈んだ。


「……歩きにくい」


「シグレでも?」


「力ではなく、慣れの問題だ」


 フィオナは。


 大きな尻尾で均衡を取りながら進んでいる。


「師匠。こうでしょうか?」


「たぶん」


『誰も経験者がいないのではないか』


「知識はあるよ」


『実践経験は』


「ない」


『やはりか』


 リリスは《超解析図作成》で。


 苗を植える間隔を水面へ表示した。


 縦。


 横。


 一定間隔で並ぶ、淡い光点。


「ここに植えればいい」


「急に田植えが魔導工房の作業みたいになった」


 リゼットが操作盤の前から笑う。


「真っ直ぐ植えられる方が管理しやすいから」


「それは助かる」


 シグレは小さな苗を手に取り。


 光点へ慎重に植えた。


「こうか」


「うん」


 一本。


 また一本。


 百二十粒のうち。


 既に発芽した苗は百十九本。


 発芽しなかった一粒も死んでいるわけではなく。


 少し遅れているだけだった。


 リリス。


 フィオナ。


 シグレ。


 三人で並び。


 少しずつ苗を植えていく。


「《同時工程千重》を使えば、一瞬なのではありませんか?」


「今日は使わない」


 フィオナが驚いたようにリリスを見る。


「自分で植えてみたいから」


「それがよい」


 シグレが短く答える。


 泥に足を取られ。


 一度だけフィオナが体勢を崩す。


「わっ」


「大丈夫?」


 リリスが腕を掴む。


 だが。


 自分も足元を滑らせた。


 二人揃って。


 水田へ尻餅をつく。


 ばしゃん。


 大きな水音。


「……濡れた」


 白いシャツの背中と。


 作業用のズボンが、すっかり泥だらけになっていた。


 フィオナの尻尾にも。


 防水布の外側へ泥が跳ねている。


「師匠……」


「ごめん」


「ふふっ」


 フィオナが笑い始めた。


 それにつられ。


 リリスも小さく笑う。


「何をしている」


 シグレが呆れたように手を差し出す。


 しかし。


 二人を引き起こそうとした瞬間。


 足元が沈み。


 シグレまで水田へ座り込んだ。


「……」


「シグレも濡れたね」


「何も言うな」


『三人とも何をしているのだ』


 岸から見ていたクロが溜息を吐く。


 その直後。


 リゼットが操作盤から手を滑らせた。


━━━━━━━━━━


洗浄用補助水路


試験放水を開始します。


━━━━━━━━━━


「え?」


 水田の横に設置された小型噴出口から。


 勢いよく水が噴き出した。


 狙ったように。


 クロの身体へ直撃する。


『――何をする!』


「ご、ごめん! 操作を間違えた!」


 全身を濡らしたクロが。


 ゆっくりとリゼットへ顔を向ける。


「自動洗浄できるから大丈夫!」


『そういう問題ではないと、先ほど言ったはずだ!』


 水田の中で。


 リリスたち三人が同時に笑った。


◇◇◇


 昼前。


 百十九本の苗を植え終えた。


 遅れていた最後の一粒も。


 水田の端へ設置した育苗箱の中で、小さな芽を出している。


━━━━━━━━━━


《天穀米試験水田》


植付数:119本


育苗中:1本


枯死:0本


土壌適合率:96%


水質適合率:100%


地脈適合率:91%


予測収穫日


通常育成:約120日後


魔力育成:約60日後


時間促進育成:最短1日


━━━━━━━━━━


「一日で収穫できる」


 リゼットが表示を見て言う。


「時間加速を使えばね」


「使わないの?」


「最初は普通に育てる」


『殊勝な判断だ』


「六十日くらいには短縮するけど」


『完全に普通ではないな』


「魔力を含んだ古代米だから、魔力環境で育てるのが本来の方法だよ」


「一日ではなく、六十日ならよいのではないか」


 シグレも。


 収穫を楽しみにしているらしい。


「毎日、成長記録を取ろう」


「灌漑核の方も記録する!」


 リゼットが操作盤へ新しい機能を書き加える。


━━━━━━━━━━


《星流灌漑核》追加機能


・作物成長記録


・葉色測定


・病害検知


・害虫接近警告


・魔力吸収量測定


・収穫適期予測


━━━━━━━━━━


「これで完成?」


「試作一号だから、まだ」


「何を追加するの?」


「雨が降った時の自動停止。水路が詰まった時の逆洗浄。小動物が落ちた時の救助網。あと――」


「増えてるね」


「必要だから!」


 リリスは。


 水面で風に揺れる、小さな苗を見つめた。


 まだ。


 米粒どころか。


 細い葉が数本伸びただけ。


 それでも。


 確かに。


 五百年以上前から守られてきた命が。


 新しい時代の土へ根を下ろしている。


━━━━━━━━━━


《星温室種子保管庫》との生命情報接続を確認。


《天穀米》の現代環境発芽記録を送信しますか?


━━━━━━━━━━


「送信する」


━━━━━━━━━━


発芽記録を送信しました。


現代環境適応個体:120


星温室種子保管計画へ新たな記録が追加されました。


管理評価が上昇しました。


━━━━━━━━━━


「保管庫にも伝わった」


「増えた種籾を返すのは収穫後ですね」


「うん。最初に採れた種籾の一割は、必ず戻す」


『食べる分を先に確保するなよ』


「返す分を先に分けるよ」


『本当だな』


「お米に関しては信用ないの?」


『食に関してだけ、お前は判断が少々怪しくなる』


「少しだけだよ」


「自覚はあるのですね」


 フィオナが笑う。


◇◇◇


 昼食は。


 水田の近くへ敷いた大きな布の上で取ることになった。


 籠の中には。


 焼きたての丸パン。


 燻製肉と葉野菜を挟んだサンドイッチ。


 根菜の冷たいスープ。


 星蜜葡萄。


 甘い焼き菓子。


 田植えで泥だらけになった服は。


 《自動清浄》ですぐに綺麗になっている。


「外で食べるのも美味しいね」


「働いた後だから、余計にそう感じます」


 フィオナがサンドイッチを両手で持つ。


 シグレも。


 星蜜葡萄を一粒食べ。


 僅かに目を細めた。


「悪くない」


「また言った」


「今のは食事の評価だ」


「前も同じでしたよ」


 リゼットが笑う。


 クロの前にも。


 大きく切った焼肉と、骨付き肉が置かれていた。


『なぜ全員、私を見る』


「さっき水を掛けられたから、機嫌直ったかなって」


『肉に罪はない』


 クロはそう答え。


 大きな肉を一口で食べた。


 その時。


 リリスの視界へ。


 新たな通知が浮かび上がる。


━━━━━━━━━━


《王都地下迷宮《星喰いの大穴》》


管理者通知。


第十一階層《古代迷宮の星温室》に異常を検出。


異常地点


《星温室種子保管庫》


異常対象


未登録種子


《無形世界樹の種》


状態変化


存在反応:なし



微弱反応を確認。


推定原因


《天穀米》の現代環境発芽記録受信。


新たな未来の成立を感知した可能性があります。


━━━━━━━━━━


「《無形世界樹の種》が反応した」


 三人と一匹の視線が。


 一斉にリリスへ向けられる。


「今から行く、と言うなよ」


 シグレが先に釘を刺す。


「定期確認は一週間後です」


 フィオナも続けた。


「今日は灌漑核の調整がある!」


 リゼットも逃げ道を塞ぐ。


『昼食を食べ終えていない』


「……今日は行かないよ」


『本当か』


「通知を記録して、遠隔監視だけにする」


━━━━━━━━━━


《無形世界樹の種》


遠隔観測を開始。


持ち出し:禁止


直接干渉:禁止


発芽促進:禁止


観察のみ:許可


━━━━━━━━━━


「何もしない」


『珍しく学習したな』


「魔神化も封印されたし」


「それとこれとは別です」


「でも、みんなに止められる前に自分で止まったよ」


「少し成長しましたね」


「少し?」


「かなり成長した」


 フィオナが言い直す。


 リリスは満足そうに頷き。


 残っていたサンドイッチを一口食べた。


 目の前には。


 水を湛えた小さな水田。


 そこへ並ぶ。


 百十九本の《天穀米》。


 まだ収穫までは遠い。


 だが。


 未来の白米へ繋がる最初の一歩は。


 確かに始まっていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ