第七十九話 黒月の魔導技師
地下へ続く階段を。
リゼットは、ほとんど飛び降りるような勢いで駆けていた。
背中に担いだ巨大な戦槌が。
一段進むたび、青白い火花を散らす。
「第二炉の構造は分かるの?」
後ろを走るリリスが尋ねた。
「私が冷却回路を設計したの! でも、完成直前に担当から外された!」
「どうして?」
「安全装置を増やしたら、費用が高すぎるって!」
『嫌な予感しかしないな』
クロがリリスの影を走る。
地下へ進むほど。
空気が熱くなっていく。
壁の魔導灯は赤く点滅し。
警告音が通路中へ鳴り響いていた。
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地下第二魔導炉
内部温度:2,840度
魔力圧力:正常値の487%
炉心外殻損傷率:18%
第一冷却回路:停止
第二冷却回路:破裂
緊急排熱口:作動不能
爆発予測時間:141秒
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「百四十一秒」
「十分ある!」
『お前たち二人の時間感覚は、一般人と大きく異なるようだ』
リゼットは走りながら。
腰の工具袋から、六角形の青い魔導具を取り出した。
中央を叩くと。
半透明の設計図が空中へ展開される。
「第二炉は三層式。外殻を壊せば魔力は逃がせるけど、高熱と溶解金属が全部こっちに流れてくる」
「地下区画が埋まるね」
「だから壊すのは最後の手段!」
「炉心だけ取り出すのは?」
「正常ならできる。でも今は固定具が熱変形してる!」
階段の先。
分厚い耐熱扉が見えてきた。
だが。
扉の中央は赤熱し。
周囲の石壁まで溶け始めている。
「開かない……!」
リゼットが操作盤へ手を置く。
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耐熱隔壁
状態:熱変形
解錠機構:故障
内部圧力差:危険域
強制開放:禁止
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「開けた瞬間、熱風が来るよ」
「分かってる!」
リゼットは背中の戦槌を下ろした。
巨大な槌頭の側面へ。
青白い魔力回路が一斉に点灯する。
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《蒼炉戦槌》
品質:希少級
所有者:リゼット・ヴァルカン
機能
・鍛造打撃補助
・衝撃方向制御
・魔導回路接続
・熱耐性
・魔力放出
状態
長期酷使による損耗あり。
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「それで壊すの?」
「蝶番だけ外す!」
「それなら私が――」
「待って!」
リゼットが鋭く制した。
「この扉の裏には圧力制御管がある。適当に切ったら、炉より先に通路が吹き飛ぶ!」
リリスは。
扉へ伸ばしかけた手を止めた。
《万象解析》を使えば。
内部構造は一瞬で把握できる。
最適な切断位置も分かる。
だが。
リゼットは、設計図を見なくても。
扉のどこに何が通っているのか理解している。
自分が携わった炉を。
細部まで覚えているのだ。
「右上の蝶番を三十度下から。次に左下を水平。最後に中央固定具を正面から!」
「一人で間に合う?」
「間に合わせる!」
リゼットが戦槌を振り上げた。
「《回路衝撃制御》!」
振り下ろされた槌が。
赤熱した扉の右上へ突き刺さる。
凄まじい衝撃。
だが。
破壊されたのは、狙った蝶番だけだった。
周囲の壁や配管には傷一つ付いていない。
二撃目。
左下の固定具が外れる。
三撃目。
中央の封印金具が砕けた。
「ノクス!」
「分かった」
リリスが扉へ手を向ける。
「《空間固定》《損傷分散結界》」
耐熱扉を覆う空間そのものを固定。
さらに。
内部から噴き出そうとする圧力と熱を、通路全体へ薄く分散する。
「開けるよ」
「お願い!」
扉が。
ゆっくりと外側へ移動した。
瞬間。
白く輝く熱風が、通路へ襲い掛かる。
リリスの結界へ激突し。
轟音と共に左右へ分かれた。
壁の表面が赤く染まり。
空気中の水分が一瞬で蒸発する。
『この状況へ迷わず飛び込んだのか、あの娘は』
「自分の造った炉だからね」
リリスとクロは。
リゼットの後を追い、第二魔導炉へ入った。
◇◇◇
巨大な円形空間。
その中心に。
地下第二魔導炉が設置されていた。
高さは十五メートル以上。
黒い金属製の外殻には。
赤い亀裂が幾筋も走っている。
炉の周囲には。
溶けた魔鋼が川のように流れ。
破裂した冷却管から、白い蒸気が噴き出していた。
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地下第二魔導炉
用途
・高純度魔鋼精錬
・大型武具素材生成
・魔導機関部品製造
炉心素材
申告:《高純度魔鋼》
実測
・鉄:70.8%
・低純度魔鋼:19.6%
・鉛系充填材:6.1%
・不純魔石粉末:3.5%
品質偽装を確認。
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「やっぱり……!」
リゼットが歯を食いしばる。
「魔力を流したら、不純魔石粉末だけが先に反応する。鉛系充填材が溶けて回路を塞いで、逃げ場を失った魔力が炉心に溜まったんだ!」
『故意の偽装か』
「少なくとも、間違って混ざる割合じゃない」
リリスは炉全体を解析する。
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爆発予測時間:94秒
推定被害
・地下鍛冶区画:全壊
・王都鍛冶師ギルド:全壊
・周辺建築物:重大損傷
・推定死傷者:1,000人以上
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「九十四秒」
「冷却回路を繋ぎ直す!」
リゼットが炉の側面へ駆ける。
だが。
途中の金属床が。
熱で赤く染まり、溶解寸前になっていた。
「その靴だと危ないよ」
「止まってる時間はない!」
リゼットが踏み出すより早く。
リリスが指を動かす。
「《局所時間停止》」
溶けかけていた金属床の時間が止まり。
温度と形状が固定された。
「行って」
「……あとで、それの仕組みを教えて!」
「時間魔法は、魔導技術だけだと難しいかも」
「じゃあ難しい部分から調べる!」
リゼットは迷わず床を駆け抜けた。
炉の側面。
破裂した管の前へ膝をつき。
工具袋から、複数の接続器を取り出す。
「第一回路は完全に塞がってる。第二回路を逆流させて、補助槽から冷却水を引く!」
「逆流させたら、補助槽が壊れない?」
「普通なら壊れる! だから流量を手動で調整する!」
『無茶ではないのか』
「でも、仕組みは合ってる」
リリスには分かった。
この炉を壊さず。
中の精錬素材も可能な限り守り。
周囲への被害を抑えるなら。
リゼットの方法が最も合理的だった。
ただし。
流量を調整する弁は。
炉の真横にある。
炉心が爆発すれば。
最初に巻き込まれる位置だった。
「リゼット。その弁は私が動かす」
「駄目! 回路の反応を見ながら、一秒単位で調整しないと――」
「指示して」
「え?」
「あなたが数字を読んで。私が動かす」
仮面越しに。
リリスはリゼットを見る。
「その方が安全で、速い」
「……分かった」
リゼットは一瞬だけ迷ったが。
すぐに頷いた。
「右側の大弁を十二度! 左の補助弁を三度開いて!」
リリスは空間越しに二つの弁を動かす。
「流量三十七! まだ足りない! 補助弁をあと二度!」
「二度」
「そのまま固定! 次、上部排圧管を開ける!」
炉の上部。
緊急排熱口へ繋がる管は。
内部の金属が膨張し、完全に塞がっていた。
「そこは物理的に叩かないと開かない!」
「私がやる?」
「私の槌じゃないと、回路を壊す!」
リゼットは。
《蒼炉戦槌》を両手で握り。
炉の外殻へ取り付けられた足場を駆け上がる。
「リゼット!」
上部から。
溶けた金属塊が落下した。
リリスが転移させるより早く。
リゼットは戦槌を横へ振る。
「《鍛冶衝波》!」
金属塊が。
空中で砕け散る。
赤熱した破片が周囲へ飛び。
リリスの結界によって停止した。
『鍛冶師というより戦士だな』
「大きな槌を背負ってるからね」
リゼットは排圧管の前へ立った。
槌を構える。
「内部回路、第三線まで亀裂! 叩けるのは一点だけ!」
彼女の青い瞳が。
排圧管の表面を見つめる。
魔力の流れ。
金属の歪み。
亀裂の方向。
すべてを読み。
足を踏み込んだ。
「ここっ!」
戦槌が振り下ろされる。
青い衝撃が。
管の一点だけへ浸透した。
詰まっていた不純金属が内部で砕け。
次の瞬間。
上部排熱口から、黒赤色の魔力が噴き上がった。
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緊急排熱口:開放
魔力圧力
正常値の612%
↓
489%
↓
351%
爆発予測時間
52秒
↓
86秒
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「時間が増えた!」
「でも、まだ足りない!」
リゼットが足場から飛び降りる。
着地と同時に。
片膝をついた。
「大丈夫?」
「熱を少し吸っただけ!」
彼女の作業靴は焦げ。
両手の手袋も、一部が焼けている。
「手を見せて」
「後!」
「今」
リリスは有無を言わせず。
リゼットの両手へ治癒魔法を掛けた。
赤くなっていた皮膚が元へ戻る。
焼けた手袋も。
《過去痕跡再現》によって修復された。
「……装備まで直した?」
「うん」
「その魔法、鍛冶に使える?」
「使えるよ」
「あとで絶対教えて!」
「まず炉を止めよう」
「そうだった!」
『似た者同士だな』
◇◇◇
魔力圧力は下がっている。
だが。
冷却が追いついていない。
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炉心温度:3,120度
炉心外殻損傷率:41%
爆発予測時間:73秒
推奨処置
・炉心強制排出
危険性
・排出先の確保が必要
・高密度魔力漏出の可能性
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「強制排出しかない」
リゼットが歯を食いしばる。
「でも固定具が熱変形してる。解除信号を送っても動かない」
「固定具だけ直せばいい?」
「直せるの?」
「元の形が分かれば」
「設計図は私の頭にある!」
リゼットが。
空中へ設計図を展開する。
複雑な炉心固定具。
八本の大型拘束腕と。
三十二本の魔力接続線。
緊急時には。
すべてが同時に解除される構造になっていた。
「でも、今は四本が溶けてる。二本は歪んで、残り二本は魔力が逆流してる」
「全部直す」
「七十秒で?」
「十分」
『また始まったな』
リリスは両手を広げた。
「《同時工程千重》」
炉の内部へ。
無数の小型魔法陣が展開される。
一つ目。
溶けた金属を過去の形状へ復元。
二つ目。
歪んだ拘束腕を修復。
三つ目。
逆流した魔力を別の回路へ迂回。
四つ目。
破損した術式を書き直す。
「《過去痕跡再現》《存在情報修復》《魔導回路自動設計》」
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炉心固定具
正常率:23%
↓
49%
↓
78%
↓
100%
緊急排出機能:復旧
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「直った……」
リゼットが目を見開く。
「排出先は?」
「本来は地下の冷却槽。でも、今の炉心を入れたら冷却槽が蒸発する」
「じゃあ、別の場所に送る」
「どこへ?」
リリスは片手を上げた。
「《次元門生成》」
炉心の直下。
巨大な黒紫色の門が開く。
その向こうにあるのは。
先日造った《異界訓練領域》。
世界から隔離され。
どれほど大きな爆発が起きても。
王都へ影響しない空間。
「異空間……?」
「排出して」
「固定具解除! 炉心分離!」
リゼットが操作盤を叩く。
巨大な炉が。
地鳴りのような音を響かせた。
八本の拘束腕が開き。
中央から。
白く輝く球形炉心が落下する。
直径三メートル。
表面の金属が泡立ち。
内部には、限界を超えた魔力が渦巻いている。
「落ちろ!」
炉心が次元門を通過する。
完全に異空間へ移動した瞬間。
門が閉じた。
━━━━━━━━━━
炉心排出:完了
地下第二魔導炉
魔力圧力:正常化
爆発危険:解除
残留熱:危険域
冷却継続を推奨します。
━━━━━━━━━━
数秒後。
遥かに遠い別空間で。
巨大な爆発が起きた。
空間越しに。
低い振動だけが伝わってくる。
『訓練領域の方は大丈夫なのか』
「自動修復するから大丈夫」
「今の炉心……材料として回収できる?」
リゼットが尋ねる。
「爆発が終わったら回収できるよ」
「捨ててないの?」
「もったいないから」
リゼットは。
初めて見る生物を見るような目で、リリスを見た。
「……あなた、何者?」
「今は、ノクス」
「今は?」
『そこを突っ込むか』
リリスは答えず。
停止していた冷却回路へ手を向けた。
「まず、この場所を冷やそう」
◇◇◇
地下第二炉の温度が安全域まで下がった頃。
フィオナとシグレが。
鍛冶師ギルドの職員を連れて地下へ降りてきた。
「師匠、ご無事ですか?」
「うん。リゼットも無事」
「師匠?」
リゼットがフィオナを見る。
「ノクスの弟子?」
「はい」
「なら、あなたも今の魔法を使えるの?」
「まだ使えません」
「まだ、ってことは、いつか使うの?」
「頑張ります」
「いいなあ……」
リゼットの目が。
フィオナとリリスの間を行き来する。
その横で。
シグレは破損した炉を見上げていた。
「爆発は止まったのか」
「炉心を別空間へ移した」
「いつものことだな」
「いつも炉心を移してるわけじゃないよ」
『問題を異空間へ送るという意味では、いつものことだ』
鍛冶師ギルドの幹部たちは。
無事な第二炉を見て安堵し。
次に。
偽装された金属の解析結果を見て青ざめた。
━━━━━━━━━━
【納入素材鑑定結果】
申告品
《高純度魔鋼》×800本
実際の品質
《低品質混合鉄材》×800本
偽装方法
・表面のみ魔鋼被膜処理
・鑑定阻害粉末を混入
・品質証明印を偽造
危険性
高出力炉で使用した場合
爆発・融解・魔力暴走の可能性:極大
━━━━━━━━━━
「こんな物を、ギルドへ納品したのか……」
年配の鍛冶師が震える声で言う。
「私は何度も言った!」
リゼットが声を上げた。
「叩いた時の音が違う。削った時の粉も違う。魔力を流した時の反応も違うって!」
「だが、鑑定書には問題がないと――」
「紙と金属、どっちを信じるのよ!」
反論する者はいなかった。
リゼットが。
最初から正しかったからだ。
炉を爆発させた問題児。
規則を守らない危険な技師。
そう見られていた少女は。
不正な素材を誰より早く見抜き。
自分を責めた者たちがいる建物を守るために。
真っ先に危険な地下へ飛び込んだ。
「納入元は?」
リリスが尋ねる。
ギルド幹部が帳簿を開く。
「王都北部の金属卸業者です。半年前から、価格の安い魔鋼を納入しておりました」
「倉庫に残っている素材も調べた方がいい」
「直ちにすべての使用を停止させます」
「逃げられる前に、衛兵へ知らせるべきだな」
シグレが言う。
「証拠なら、これで十分」
リリスは。
解析した素材情報。
炉の記録。
納品書。
偽造された品質証明。
すべてを《契約絶対記録》へ保存した。
━━━━━━━━━━
不正取引記録を保存しました。
・納入品品質偽装
・証明印偽造
・鑑定阻害加工
・安全基準違反
・大規模爆発未遂
記録改竄:不可能
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「これを衛兵へ渡せば、証拠は消せないよ」
「ノクス殿……この恩を、鍛冶師ギルドは決して忘れません」
「私は少し手伝っただけ」
「少しではないでしょう!」
リゼットが即座に反論した。
「扉を支えて、冷却弁を動かして、固定具を直して、炉心を異空間へ放り込んだ! それを少しって言う人、初めて見た!」
『我々は慣れた』
「慣れたのですか?」
「慣れたくはなかったがな」
シグレが静かに答える。
◇◇◇
地上へ戻ると。
鍛冶師ギルドの職員と職人たちが。
一斉にリリスたちへ頭を下げた。
避難していた者たちも無事。
周辺建物への被害もない。
炉は損傷したが。
修理すれば再利用できる。
最悪の未来は。
完全に回避されていた。
だが。
リゼットだけは。
喜んでいなかった。
「どうしたの?」
「第二炉、私の設計だった」
煤だらけの顔で。
彼女は壊れた工房を見渡す。
「安全装置を減らされて、材料も偽物に替えられた。でも……爆発した炉を造ったのは私」
「あなたの設計通りなら、爆発しなかった」
「でも、止められなかった」
「今日は止めたよ」
「ノクスがいたから」
「あなたが構造を知らなかったら、私でも炉を壊してたかもしれない」
リゼットが顔を上げる。
「壊すだけなら簡単だった。でも、あなたは炉を残した。中にいた人も、ギルドも、周辺の建物も守った」
「……私だけじゃ無理だった」
「私だけでも無理だったよ」
リリスなら。
炉ごと異空間へ移すこともできた。
時間を止めることも。
全体を分解して再構築することもできた。
だが。
その方法では。
リゼットが積み重ねてきた技術を、正しく理解することはできなかった。
「二人で止めた。それでいいと思う」
リゼットは。
しばらく黙っていた。
やがて。
乱暴に袖で目元を拭う。
「……泣いてないから」
「うん」
「熱気で目が痛いだけ」
「そういうことにしておく」
『意外と気を遣えるのだな』
「クロ、余計なこと言わないで」
◇◇◇
その日の午後。
鍛冶師ギルドの会議室で。
今回の事故について正式な調査が行われた。
偽装素材はすべて押収。
納入業者と関係者については、王都衛兵隊が捜査を開始した。
リゼットに下されていた処分も。
全面的に撤回された。
━━━━━━━━━━
《リゼット・ヴァルカン》
過去の処分記録を再調査。
・魔導炉爆発事故
原因:偽装素材
・依頼品無断改造
理由:重大な安全欠陥の修正
・規格外部品の製作
理由:指定規格自体に設計不備
・上官命令違反
内容:危険な作業命令の拒否
再評価
技術力:最上級
安全意識:極めて高い
説明能力:改善の余地あり
協調性:状況による
爆発事故発生率:本人だけが原因ではない
━━━━━━━━━━
『最後だけ、妙に歯切れが悪いな』
「自分から実験して爆発させたこともあるから……」
リゼットが視線を逸らす。
「何回?」
「小さいのを入れたら、二十七回」
「それは多いですね」
「全部、周りに人がいない実験場でやった!」
『やはり似ている』
「私の方が安全確認してるよ」
「邪神」
フィオナが一言だけ言う。
「……これからは、もっと確認する」
リリスは素直に引き下がった。
調査が終わると。
鍛冶師ギルド長が、リゼットへ向き直る。
「これまでの扱いについて、ギルドを代表して謝罪する」
「別に」
「お前が望むなら、工房主任として――」
「辞める」
リゼットは即答した。
会議室が静まり返る。
「リゼット」
「処分を撤回してくれたことには感謝してる。でも、もうここじゃ作れない」
「何が不満だ」
「良い物を作るより、安く作ることを優先する。危険だって言っても、書類に問題がなければ使う。失敗したら、一番下の技師に責任を押しつける」
リゼットの声には。
怒りよりも、疲れが滲んでいた。
「私は、そんな場所で炉を造りたくない」
「では、どうするつもりだ」
「それは……」
答えを持っていなかったのだろう。
勢いよく辞めると言ったものの。
次に行く場所までは決まっていない。
リリスは。
持っていた《自動灌漑魔導核》を、テーブルへ置いた。
「これを小型化したい」
「え?」
「屋敷に水田と畑を造るから。古代の魔導核をそのまま使うんじゃなくて、普通の職人でも修理できる設備にしたい」
リゼットの青い瞳が。
魔導核へ吸い寄せられる。
「それから、屋敷の工房を大きくする。鍛冶設備、魔導具製作設備、素材研究室、試験場も必要」
「試験場……」
「爆発しても屋敷が壊れないように、隔離空間にする」
「好きなだけ爆発させていいの?」
「安全確認してからなら」
『そこで許可するな』
「実験には失敗も必要だから」
リゼットが。
椅子から立ち上がる。
「設備は?」
「今は地下工房がある。でも、あなたが使いやすいように増設する」
「素材は?」
「たくさんあるよ」
「魔鋼は?」
「大量に」
「ミスリルは?」
「大量に」
「アダマンタイト」
「大量に」
「オリハルコン」
「かなりある」
「神鋼」
「あるよ」
リゼットの動きが止まった。
「……今、神鋼って言った?」
「うん」
「古代文献に出てくる、神性を帯びた金属?」
「それ」
「見せて」
「屋敷に来たら」
「行く」
「まだ条件を説明してないよ」
「聞きながら行く!」
『完全に釣れたな』
◇◇◇
王都第一地区。
かつてヴァレンティナ侯爵家が所有していた広大な屋敷。
その門の前で。
リゼットは固まっていた。
「ここ?」
「ここ」
「ノクスの家?」
「正確には、別の姿で暮らしてる」
「別の姿?」
リリスは。
屋敷の敷地を覆う認識阻害結界を確認した。
周囲に部外者はいない。
セバス。
フィオナ。
シグレ。
クロ。
信用できる者だけがいる。
「中で話すね」
応接室へ移動すると。
リリスは《黒王仮面》へ手を掛けた。
黒い仮面を外し。
認識阻害を解除する。
黒いローブも光へ変わり。
普段の衣服姿へ戻った。
短い黒髪。
黒い瞳。
人間にしか見えない外見。
リゼットは。
目の前に現れた若い女性を見つめる。
「……誰?」
「リリス・ルクスヴィア」
「ノクスは?」
「私」
「え?」
「王都では、正体を隠す必要がある時にノクスを名乗ってる」
「声も身長も雰囲気も違った!」
「偽装してたから」
「仮面だけじゃないの?」
「種族と魔力と存在情報も偽装してるよ」
リゼットは。
何度もリリスと黒い仮面を見比べた。
「それ、魔導具?」
「うん」
「分解――」
「駄目」
「解析だけ!」
「あとでね」
つい数時間前にも。
同じ会話をした気がする。
「秘密を知った以上、外では話さないでくださいね」
フィオナが穏やかに釘を刺す。
「分かってる。職人が依頼主の秘密を漏らしたら終わりだから」
「まだ正式な依頼主ではないぞ」
シグレが言う。
「これからなる!」
リゼットの中では。
既に決定事項らしい。
リリスは。
地下工房へ彼女を案内した。
扉が開き。
広大な製作空間。
何列もの素材保管棚。
自動錬成炉。
神級素材隔離箱。
魔導回路製作台。
空間拡張された試験室。
そして。
中央に置かれた《災厄魔王装備》の専用保管台が姿を現す。
「……なに、ここ」
「私の工房」
「王都鍛冶師ギルドより広い」
「地下は空間拡張してるから」
リゼットは。
一歩。
工房へ踏み込む。
右を見る。
左を見る。
素材棚へ駆け寄る。
「これ、ミスリルじゃない。純度が高すぎる……こっちはアダマンタイト? この赤い金属、ヒヒイロカネ!?」
次の棚。
「《神鋼》」
リリスが一本の銀白色の金属塊を取り出す。
白金。
神金。
虹色。
複数の光を内側へ宿した神性金属。
リゼットは。
震える手で受け取った。
「重さが変……魔力を流してないのに、持ち手に合わせて重心が動いてる」
「適応性があるから」
「硬度は?」
「普通のアダマンタイトより上」
「融点は?」
「通常の炉では溶けない」
「どうやって加工するの?」
「神性素材融合か、専用の神炉を使う」
「神炉があるの?」
「今は簡易型だけ」
「簡易型で神鋼を加工できるの!?」
リゼットの声が。
工房中へ響いた。
『想像以上に騒がしい娘だな』
「素材を見た時だけだから」
「師匠も同じですよ」
フィオナが小さく笑う。
リリスは続いて。
《災厄魔王鋼》。
《異界邪神鋼》。
《黒星虚銀》。
《暗黒物質》。
新たに生み出した最上位素材を、少量ずつ取り出した。
「これが、魔王由来の金属」
「知らない」
「私が作ったから」
「こっちは?」
「邪神由来」
「邪神……?」
「安全化してあるよ」
「それを先に言って!」
『正常な反応だ』
リゼットは。
恐る恐る《異界邪神鋼》へ顔を近づける。
触れずに。
表面を観察する。
「光を吸ってる。でも、完全な暗黒属性じゃない。空間の表面がずれてるみたい……」
「見ただけで分かるんだ」
「分からないことの方が多い。でも、分からないから調べたい」
青い瞳が。
好奇心で輝いている。
工房で働くこと。
未知の素材を研究すること。
新しい技術を生み出すこと。
それが。
彼女にとって、何より大切なのだろう。
「条件を話すね」
リリスは。
工房中央の椅子へ座った。
リゼットも。
神鋼を抱えたまま向かい側へ座る。
「ここで働く人は奴隷じゃない。全員、自由な雇用契約」
「うん」
「危険な実験は、専用の隔離試験場で行う。始める前に、内容と危険性を記録する」
「分かった」
「依頼品を勝手に改造する時は、先に依頼者へ確認する」
「安全に関わる場合は?」
「危険性を説明して、それでも拒否されたら、依頼を断っていい」
リゼットが。
僅かに目を見開く。
「断ってもいいの?」
「危険な物を作らされる必要はないよ」
「でも、納期とか契約とか」
「人が死ぬかもしれない物を納品するより大事な契約はない」
リリスは当然のように言った。
「必要な費用は、理由を説明してくれれば出す。素材も、管理規則を守れば使っていい」
「給料は?」
「希望はある?」
「今までの二倍」
「安くない?」
「え?」
「危険素材と神級素材を扱える技師が、その金額でいいの?」
「まだ扱えないけど」
「これから扱えるようになるんでしょ?」
「なる!」
「なら、基本給は今までの五倍。危険作業手当、研究手当、成功報酬、住居、食事、衣服、医療、休暇付き」
「五倍……?」
「高すぎるか?」
シグレが尋ねる。
「リリスなら、さらに出そうとしていた顔だ」
「最初は十倍にしようと思った」
『金銭感覚を学べ』
リゼットは。
呆然としていた。
「私、爆発させるよ」
「安全な場所なら大丈夫」
「言うこと聞かない時もある」
「理由を聞く」
「口も悪い」
「気にしないよ」
「夜中まで工房にいるかもしれない」
「睡眠は取って」
「新しい素材を見たら、食事を忘れる」
「私も忘れることがある」
「似た者同士が増えましたね」
フィオナが苦笑する。
リゼットは。
抱えていた神鋼へ視線を落とした。
「……私が欲しいのは」
先ほどまでの勢いが。
少しだけ弱くなる。
「失敗しても、次を試せる場所。危険だって言った時に、ちゃんと聞いてくれる人。良い物を作るために、必要な素材を使わせてくれる工房」
「全部用意する」
「簡単に言わないで」
「もう半分くらいあるよ」
リリスは工房を見回した。
「足りない物は、一緒に作ればいい」
リゼットが。
ゆっくりと顔を上げる。
「一緒に?」
「私だけじゃ、これから全部の装備と魔導具を管理できない。フィオナとシグレの武器。屋敷の設備。水田の灌漑装置。将来造る街や人工ダンジョン」
「人工ダンジョンまで造るつもりなの?」
「うん」
「……面白そう」
「だから、力を貸してほしい」
リリスは右手を差し出した。
「リゼット・ヴァルカン。私たちの仲間にならない?」
リゼットは。
差し出された手を見つめた。
それから。
フィオナ。
シグレ。
クロ。
工房。
棚へ並ぶ未知の素材。
最後に。
リリスの顔を見る。
「私、冒険者じゃないけど」
「登録すればいいよ」
「戦う時は、この槌しか使えない」
「十分強かった」
「料理はできない」
「料理長がいる」
「掃除も苦手」
「それは少し覚えて」
「そこだけ厳しいの?」
「工房を汚したままだと危ないから」
「……分かった」
リゼットは。
小さく息を吐いた。
そして。
リリスの手を、力強く握る。
「なる」
「仲間に?」
「仲間にもなる。ここで働く。工房も造る。神鋼も研究する。灌漑魔導核も小型化する」
青い瞳へ。
再び強い光が宿った。
「世界で一番すごい工房を造る!」
「うん。一緒に造ろう」
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《リゼット・ヴァルカン》から、同行契約の申請が届きました。
契約内容
・自由意思による加入
・強制命令禁止
・適正報酬の保証
・安全な研究環境の提供
・研究成果の正当評価
・危険実験の事前審査
・退職、離脱の自由
承認しますか?
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「承認」
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同行契約を締結しました。
《リゼット・ヴァルカン》が正式な仲間になりました。
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「これで終わり?」
「次は、冒険者ギルドで登録しよう」
「今から?」
「まだ午後だから間に合うよ」
『行動が早いな』
◇◇◇
王都冒険者ギルド本部。
受付で事情を説明すると。
リゼットは、生産職兼戦闘補助員として冒険者登録を行うことになった。
基礎能力の確認。
魔力測定。
戦闘適性。
素材知識。
魔導具製作能力。
いくつかの検査を終え。
新しい冒険者カードが発行される。
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リゼット・ヴァルカン
種族:人族
年齢:18
冒険者ランク:E
職業
《鍛冶師》
《魔導技師》
戦闘役割
・重槌戦闘
・装備修復
・魔導具支援
・罠、機構解析
・戦場設備構築
所属パーティー
《黒月》
役割
鍛冶師・魔導技師
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カードの表面へ。
黒い月の紋章が刻まれる。
「これが《黒月》の印?」
「うん」
「悪くない」
「シグレと同じ反応です」
「私は、悪くない、とは言っていない」
「言ってたよ」
『言っていたな』
シグレは。
静かに視線を逸らした。
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パーティー《黒月》
代表
《ノクス》 Aランク
正式メンバー
フィオナ・ルーヴェル Dランク
シグレ・ヤルク
リゼット・ヴァルカン Eランク
従魔・管理補助獣
クロ
新規メンバーの加入を確認しました。
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「よろしく、リゼット」
フィオナが手を差し出す。
「よろしく。フィオナでいい?」
「はい。私もリゼットと呼びます」
続いて。
シグレが軽く頷く。
「戦場で装備を任せる以上、腕は信用する」
「今日会ったばかりなのに?」
「炉の中へ迷わず入った。その判断が正しいかは別として、逃げなかったことは見ていた」
「……そっちも、悪くない」
「その言い方は私の真似か?」
「違うけど?」
二人の視線が合う。
どちらも。
少しだけ笑っていた。
『私はクロだ』
「喋る狼」
『狼ではない。《冥獄神狼》だ』
「毛を少しもらっていい?」
『加入直後に何を言い出す』
「魔力伝導性を調べたい」
『断る』
「一本だけ」
『断る』
「抜け毛なら?」
『掃除の際に拾え』
「分かった!」
あっさり妥協したように見えるが。
リゼットは既に。
クロの毛を素材として使う方法を考え始めている顔だった。
「仲間が増えたね」
リリスが言う。
『危険人物も増えたな』
「私は危険じゃない」
「私も危険じゃない!」
リリスとリゼットが。
ほとんど同時に反論する。
フィオナ。
シグレ。
クロ。
三人の視線が。
静かに二人へ集まった。
「……安全確認はするよ」
「私もする」
『二人だけで実験をさせてはならんな』
「同感です」
「監視当番が必要だな」
新たな仲間を加えた《黒月》は。
その日の夕方。
五人で屋敷へ帰還した。
◇◇◇
夕食後。
リゼットは。
正式に与えられた屋敷の個室へ荷物を置くより先に。
地下工房へ戻っていた。
「この自動灌漑魔導核、構造の外側だけなら今夜中に写せる」
「今日は休んだ方がいいよ」
「あと少しだけ!」
「その言葉は信用できない」
「リリスに言われたくない!」
二人が工房中央で言い合っていると。
フィオナが扉を開けた。
「師匠。リゼット。夕食の後に用意された果物を持ってきました」
「星蜜葡萄?」
「はい」
リゼットが。
透明な皿へ盛られた葡萄を見る。
「光ってる」
「迷宮で採れた《星蜜葡萄》だよ」
「食べていいの?」
「もちろん」
一粒口へ入れた瞬間。
リゼットの目が大きく開いた。
「甘い!」
「種も持って帰ってきたから、屋敷で育てる」
「その灌漑装置を私が作る!」
「明日からね」
「今から設計だけ!」
「明日」
「……分かった」
不満そうではあるが。
リゼットは素直に工具を置いた。
その時。
工房の奥。
厳重な封印箱に保管されていた《異界邪神の神格片》が。
ほんの僅かに。
黒紫色の光を放った。
リリスだけが。
その変化に気づく。
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《異界邪神の神格片》
浄化率:72%
所有者神格との共鳴を確認。
対象神格
《魔王種ルクスヴィア》
《色欲》
《邪神喰らい》
《異界神格簒奪者》
進化候補
《夜天淫魔神》
進化核設計進行率:8%
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「リリス?」
リゼットが首を傾げる。
「何かあった?」
「ううん」
まだ。
進化する時ではない。
安全な神格進化核も完成していない。
だが。
創世神へ至るより前に。
自分が魔神へ進化する日は。
思っていたよりも、ずっと早く訪れるかもしれない。
リリスは表示を閉じた。
「まずは、水田と新しい工房から」
「うん!」
リゼットが元気よく答える。
「世界一の工房にするから!」
屋敷の地下へ。
新たな槌音が響き始める。
《黒月》に加わった問題児の魔導技師は。
早くも自分の居場所を見つけ始めていた。




