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第六十一話 白銀の刀剣士



 その日の夜。


 旧ヴァレンティア侯爵邸の大食堂では、予定より三時間遅れた夕食が始まっていた。


 料理長マルタが用意したのは、牛肉を赤葡萄の果汁と香草で柔らかく煮込んだ料理。


 焼きたての丸パン。


 魚介と野菜のスープ。


 表面を香ばしく焼いた芋料理。


 食後には、蒼蜜果を使った冷たい乳菓子まで並んでいる。


「美味しい」


 リリスは煮込み料理を口へ運び、満足そうに頷いた。


「冷めないように三度も温め直したんだ。美味しくなかったら困るよ」


 マルタは呆れながらも、どこか嬉しそうだった。


「申し訳ありません……」


 フィオナが狐耳を伏せる。


「宝物庫の調査に夢中になってしまいました」


「迷宮で何か見つけたなら仕方ないさ。ただ、次からはもう少し早く連絡するんだね」


「はい」


 フィオナは素直に返事をした。


 その隣。


 クロは自分専用の大皿へ盛られた骨付き肉を食べている。


『我はきちんと連絡したぞ』


「クロは偉いね」


『もっと褒めてもよい』


「明日はお肉を増やしてもらおうか」


『それがよい』


「これ以上増やすのかい?」


 マルタがクロの前に積まれた肉を見る。


「今でも十人分以上あるんだけどね」


『我にとっては軽食だ』


「料理人泣かせの狼だよ」


 大食堂に笑い声が広がる。


 食事を終えると、リリス、フィオナ、クロの三人は主館二階の書斎へ移動した。


◇◇◇


 書斎の中央。


 重厚な机の上へ、《迷宮記憶球》が置かれている。


━━━━━━━━━━


《迷宮記憶球》


品質:古代級エンシェント


記録件数:3128


最終記録:500年前


━━━━━━━━━━


 透明な球体の内部では、銀色の光が星のように瞬いていた。


「記録が三千件以上あるんですよね」


 フィオナが椅子へ座り、《迷宮記憶球》を覗き込む。


「全部見ると時間が掛かるから、重要そうなものだけ選ぶよ」


「五百年前の最終記録から確認するのですか?」


「うん」


 リリスが球体へ指先を触れる。


「《記憶情報投影》」


 球体から銀色の光が溢れ、書斎の中央へ立体映像が映し出された。


 そこに現れたのは、現在の《星喰いの大穴》とは異なる光景だった。


 白銀色の壁。


 天井を走る無数の魔力回路。


 古代文字が浮かぶ半透明の操作盤。


 鎧を着た人々が、慌ただしく施設内を走り回っている。


『記録番号三千百二十八』


 無機質な声が響く。


『迷宮中枢における星脈炉の暴走を確認』


『地下百階への接続を完全封鎖』


『管理者および研究員は、星門を使用して退避せよ』


 映像が切り替わる。


 巨大な円形の門。


 門の中央には、夜空のような黒い空間が広がっていた。


 その前に立つ古代人が、黒銀色の鍵を掲げる。


 リリスたちが宝箱から入手した《深層星門鍵》と同じ形だった。


『第一退避星門は地下十階』


『第二退避星門は地下三十五階』


『第三退避星門は地下六十九階』


『深層星門鍵を持つ管理者のみ、封鎖領域への接続を許可する』


 フィオナが息を呑む。


「地下十階にも、星門があるのですね」


「明日、見に行こう」


『早速か』


 クロが書斎の絨毯へ伏せる。


『危険な場所へ繋がっている可能性もあるぞ』


「開ける前に調べるよ」


『開けないとは言わぬのだな』


「鍵があるから」


 リリスは《深層星門鍵》をインベントリから取り出した。


 黒銀色の表面へ、小さな星の紋様が浮かんでいる。


「五百年前に封鎖された場所……」


 フィオナは少し不安そうに鍵を見る。


「危険なら戻ろう」


「師匠がそう判断してくださるなら安心です」


『その安心は早いと思うがな』


◇◇◇


 翌朝。


 パーティー《黒月》は、再び《星喰いの大穴》を訪れていた。


 正規の転移魔法陣を使用し、地下九階へ移動する。


 《古代星殿》を抜け、まだ進んでいなかった通路を探索すると、地下十階へ続く階段が見つかった。


━━━━━━━━━━


《星喰いの大穴》


地下第十階層


階層特性


《星門回廊》


━━━━━━━━━━


 地下十階は、一本の長い回廊になっていた。


 床には銀色の星座。


 壁には、剣や杖を持った古代人の姿が彫られている。


 魔物の反応はない。


 罠も存在しない。


 しかし、回廊の奥から強い空間魔力が伝わってきた。


「静かすぎますね」


 フィオナが《月狐魔剣》を抜く。


『血の匂いがする』


 クロが低く告げた。


「古い匂い?」


『いや。新しい』


 リリスが《超広域索敵》を発動する。


━━━━━━━━━━


生命反応:4


正常:0


軽傷:1


重傷:2


危篤:1


位置:星門封鎖領域内


━━━━━━━━━━


「誰かいる」


「五百年前の人ではありませんよね?」


「今の冒険者みたい」


 生命反応の一つは、今にも消えそうなほど弱い。


 三人は回廊の奥へ急いだ。


 そこには、立体映像で見たものと同じ巨大な円形門があった。


 門の中央は石壁で閉ざされている。


 その手前。


 黒銀色の鍵穴だけが、淡い光を放っていた。


━━━━━━━━━━


第一退避星門


状態:封鎖


接続先:緊急退避区画


内部生命反応:4


封鎖解除には《深層星門鍵》が必要です。


━━━━━━━━━━


「開けるよ」


 リリスが鍵を差し込む。


「《深層星門鍵》、起動」


 鍵から銀色の魔力が広がった。


 円形門を覆っていた石壁が光の粒子へ変わり、その奥に星空のような空間が現れる。


 同時に。


 鋭い金属音が、門の向こうから響いた。


「やあああああっ!」


 少女の声。


 続いて、何か巨大なものが壁へ激突する轟音。


「行こう!」


 三人は星門を通り抜けた。


◇◇◇


 星門の先には、崩れかけた白銀色の広間が広がっていた。


 天井の一部が崩落し、床には壊れた古代魔導具が散乱している。


 壁際には、三人の冒険者が倒れていた。


 そして。


 その前に、一人の少女が立っている。


 腰近くまで伸びた白銀色の髪。


 鮮やかな赤い瞳。


 額には黒い鉢巻き状の装飾。


 中央には、小さな赤い角を思わせる飾りが付いている。


 白と黒を基調とした、異国風の軽装戦闘衣。


 手には、黒い柄を持つ刀。


 年齢は、フィオナと同じくらいに見えた。


 左肩から血を流しながらも、倒れた三人を守るように立っている。


 その正面。


 六本の腕を持つ、巨大な古代兵器が迫っていた。


━━━━━━━━━━


星殿破戒兵アストラル・ブレイカー


Lv96


分類:古代魔導兵器


状態:制御異常


━━━━━━━━━━


「この程度……!」


 白髪の少女が刀を構える。


 全身には無数の傷。


 魔力もほとんど残っていない。


 それでも、退こうとはしない。


「《白雨一閃》!」


 白銀色の斬撃が放たれる。


 古代兵器の腕を一本切断するが、残る五本が少女へ振り下ろされた。


「《黒天障壁ノクス・シールド》」


 漆黒の障壁が、少女の前へ展開される。


 五本の腕が激突する。


 広間全体が揺れるほどの衝撃。


 だが、障壁には細かな傷すら付かなかった。


「なっ……」


 少女が赤い瞳を見開く。


「フィオナは怪我人をお願い」


「はい!」


 フィオナが倒れている冒険者たちへ駆け寄る。


「クロは逃げ道を塞いで」


『承知した』


 クロの影が広がり、古代兵器の周囲を取り囲む。


 リリスは《黒天魔王杖アビス・レガリア》を向けた。


「制御核だけ止める」


━━━━━━━━━━


解析完了


制御核:胸部中央


補助核:頭部・腰部


適正停止手順


・補助核二基を同時遮断


・主制御核の魔力回路を分離


・機体本体への強い衝撃は禁止


━━━━━━━━━━


「《三重魔力針》」


 三本の黒紫色の光が放たれた。


 一本目が頭部。


 二本目が腰部。


 最後の一本が胸部へ突き刺さる。


 機体を破壊することなく、内部の制御回路だけを正確に貫いた。


 六本の腕が停止する。


「《術式分離》」


 黒い魔力線が機体表面を走り、暴走していた命令術式だけを切り離した。


━━━━━━━━━━


《星殿破戒兵》を機能停止させました。


機体損傷率:3%


素材保存率:97%


━━━━━━━━━━


「終わったよ」


 リリスが杖を下ろす。


 白髪の少女は、刀を構えたまま動かなかった。


 目の前の光景を理解できていないらしい。


「……今の怪物を、一撃で?」


「壊してないよ。止めただけ」


「その方が難しいだろう」


 少女は鋭く言い返した。


 まだ警戒を解いていない。


 だが。


 怪我と疲労は限界だった。


 刀を杖代わりにして、片膝をつく。


「無理しないで」


「触るな。これくらいの傷――」


「かなり深いよ」


「まだ戦える」


「もう敵はいないよ」


 リリスが近づこうとすると、少女は刀の切っ先を向けた。


「正体不明の仮面に、簡単に近づかせると思うか」


「正論ですね」


 怪我人を治療していたフィオナが、思わず頷く。


「フィオナまで」


「師匠の格好は、どう見ても怪しいです」


「低い声で師匠と呼んでいる方も十分怪しいぞ」


 白髪の少女がフィオナを見る。


 フィオナは少し気まずそうに狐耳を伏せた。


「この方は、悪い人ではありません」


「それを証明できるのか」


「私も、元奴隷でした」


 フィオナは倒れた冒険者へ回復薬を飲ませながら答えた。


「この方に助けられ、今は仲間として一緒に冒険しています」


 少女の刀が、わずかに下がる。


「それに、あなたが守っていた人たちも治療しています」


 壁際に倒れていた三人の傷は、フィオナの回復薬と治癒魔法によって少しずつ塞がっていた。


 最も重傷だった男性の呼吸も安定している。


 少女は三人を確認し、ようやく刀を鞘へ戻した。


「……好きにしろ」


「では、治すね」


 リリスが手を向ける。


「《生命連環ライフ・リンク》」


 金色の光が少女と三人の冒険者を包み込む。


 傷。


 骨折。


 失血。


 魔力枯渇。


 蓄積した疲労。


 すべてが瞬く間に回復していった。


 少女は自分の左肩を見つめる。


 深く裂けていた傷は完全に消えている。


「最上位の治癒術……」


「動けそう?」


「……問題ない」


 少女は立ち上がり、白銀色の髪を背中へ払った。


 赤い瞳が、黒い仮面のリリスを真っすぐ見つめる。


「名を聞いておこう」


「《ノクス》」


「本名ではないな」


「王都で使っている名前だよ」


 変化した低い声にもかかわらず、リリスの口調はいつもと変わらない。


 少女は僅かに眉を寄せた。


「私は、シグレ」


━━━━━━━━━━


シグレ・ヤルク


年齢:17


種族:ヤルク族


職業ジョブ:剣士


武器:刀


状態:回復済み


━━━━━━━━━━


「シグレ・ヤルク」


「そうだ」


「この人たちは仲間?」


 リリスが倒れていた三人を示す。


「違う。迷宮で魔物に追われているところを見つけただけだ」


「それで、自分が怪我をしても守ってたんだ」


「放置すれば死んでいた」


「優しいね」


「違う」


 シグレは即座に否定した。


「目の前で死なれると、寝覚めが悪いだけだ」


『素直ではないな』


 クロが口を開く。


 シグレの手が、再び刀の柄へ伸びた。


「狼が喋った……?」


「クロは私の相棒」


「我はクロだ」


「……そうか」


 驚きはしたものの、取り乱しはしない。


 シグレはクロを観察した後、警戒対象から外した。


「どうして、この場所にいたの?」


 フィオナが尋ねる。


「地下二十八階で転移罠を踏んだ」


「二十八階?」


「飛ばされた先が、ここだった。あの三人は別の場所から転移させられたらしい」


 リリスが周囲を解析する。


━━━━━━━━━━


緊急退避区画


空間接続異常を確認。


複数階層の転移罠が誤接続されています。


主な接続元


地下12階


地下28階


地下41階


━━━━━━━━━━


「本来は避難するための部屋なのに、今は転移罠の行き先になってるみたい」


「出口を探したが、見つからなかった」


「星門が外から封鎖されてたからね」


 リリスは開いたままの星門を示す。


「もう帰れるよ」


「……助かった」


 シグレは小さく頭を下げた。


 それだけで、彼女にとってはかなり素直な礼なのだろう。


◇◇◇


 三人の冒険者が目を覚ますまで、少し時間が掛かった。


 全員、王都を拠点にするD級冒険者。


 地下十二階で転移罠へ巻き込まれ、この区画へ飛ばされたらしい。


 彼らはシグレへ何度も礼を述べた。


「本当に助かった。あんたがいなければ、俺たちは……」


「礼は不要だ」


「でも――」


「足手まといを守るのは、二度と御免だ。次からは実力に合った階層へ行け」


「……はい」


 言い方は厳しい。


 しかし、三人が生きているのはシグレが最後まで守ったからだ。


 フィオナは、その横顔を見つめていた。


「シグレさん」


「呼び捨てでいい」


「では、シグレ。王都へ戻った後、泊まる場所はありますか?」


「ない」


「え?」


「今朝、宿を引き払った。迷宮から戻ったら、別の街へ向かうつもりだった」


「怪我は治っていても、今日は休んだ方がいいです」


「野宿で構わない」


「駄目だよ」


 リリスが即座に告げた。


「私の屋敷に泊まればいい」


「屋敷?」


「部屋はたくさん余ってるから」


「見ず知らずの者を、簡単に住まわせるのか」


「フィオナも少し前まで、見ず知らずだったよ」


「私は奴隷商館で面談をしました!」


 フィオナが慌てて訂正する。


「でも、会った日に連れて帰ったよ」


「そうですが……」


 シグレはリリスとフィオナを交互に見る。


 その後ろでは、巨大な古代兵器を簡単に停止させた黒い仮面の魔法使い。


 神話級と思われる魔法剣を持つ狐人族。


 言葉を話す黒狼。


 怪しい。


 どう考えても怪しい。


「断る」


 シグレは、はっきり答えた。


「そう?」


「だが」


 赤い瞳が、治療された肩へ向けられる。


「一晩だけなら、世話になる」


 フィオナの狐耳が嬉しそうに立ち上がった。


「屋敷の料理は、とても美味しいですよ」


「料理で決めたわけではない」


『肉も良いぞ』


「お前まで勧めるな」


 シグレは小さく息を吐いた。


 その表情から、僅かに緊張が薄れる。


 白銀の長髪。


 赤い瞳。


 異国の刀を携えた、十七歳のヤルク族。


 この日。


 パーティー《黒月》は、封鎖されていた古代の星門の先で。


 後に大切な仲間となる一人の刀剣士――シグレ・ヤルクと出会った。

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