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第五十九話 迷宮の宝物庫



 翌朝。


 旧ヴァレンティア侯爵邸の大食堂には、焼きたてのパンと香草の匂いが満ちていた。


 長い食卓の上には、半熟卵を乗せた厚切りパン。


 香ばしく焼かれた腸詰め。


 茸と根菜を煮込んだ白いスープ。


 蜂蜜を添えた果実入りの乳菓子が並んでいる。


「迷宮へ行く日は、腹持ちの良い物を多めにしておいたよ」


 料理長マルタが、大皿を追加しながら言った。


「ありがとうございます」


 フィオナは素直に頭を下げた。


 昨日の迷宮探索で得た金貨二十枚は、自室の机に置いた小さな箱へ大切にしまってあるらしい。


 自分の意思で冒険者として得た、最初の報酬。


 そのことが嬉しいのか、今朝のフィオナはいつも以上に機嫌が良かった。


「今日は何階まで潜られるご予定でしょうか」


 執事長セバスが尋ねる。


「十階まで行ってみます」


 リリスはスープを口へ運びながら答えた。


「昨日は七階まで転移地点を登録したから、そこから始めるよ」


「帰宅予定は?」


「夕食までには戻ります」


「念のため、遅れる場合は通信腕輪でご連絡ください」


「分かりました」


 リリスは、数日前に完成させた黒銀色の腕輪へ視線を落とす。


 使用人全員へ渡した、屋敷専用の通信魔導具。


 通話。


 位置確認。


 緊急防御結界。


 体調異常通知。


 主人への救難信号。


 様々な機能が組み込まれている。


 普通の通信魔導具を作ったつもりだったのだが、セバスからは「国宝級の警護装備」と評価されていた。


「ノクス様」


 フィオナが小声で呼ぶ。


「今は屋敷だから、師匠でいいよ」


「では、師匠。今日は私も宝箱を探してみたいです」


「探せそう?」


「狐人族の嗅覚と、《月狐魔剣》の魔力感知を組み合わせれば、隠し部屋くらいなら見つけられるかもしれません」


「いいね」


『昨日から、宝箱へ興味を持ち始めたようだな』


 食堂の端で肉を食べていたクロが念話を送る。


「冒険者なら、宝箱に心が躍るのは普通です」


『リリスの影響ではないのか』


「少しはあるかもしれません」


「少しだけ?」


「……かなりあります」


 フィオナの尻尾が、恥ずかしそうに椅子の後ろへ隠れた。


◇◇◇


 朝食を終えた後。


 リリスは《黒王魔装ノクス・レガリア》へ着替えた。


 漆黒の魔衣。


 黒い魔王杖。


 紫黒色の魔晶石が埋め込まれた、表情のない黒い仮面。


 その隣では、フィオナが《月狐軽装ルナ・ガルド》を装備している。


 腰には神話級の《月狐魔剣ルナ・ヴァルペス》。


 クロは大型犬ほどの大きさに縮小し、翼と魂炎を隠していた。


「今日は宝物庫を見つけよう」


「存在することが前提なのですね」


「迷宮には、きっとあるよ」


『根拠はないのだろう』


「あると思った方が楽しいから」


 三人を乗せた馬車は、朝の王都を迷宮街へ向かって走り始めた。


◇◇◇


 《星喰いの大穴》迷宮出張所。


 入場手続きを終えた三人は、正規の転移魔法陣へ立った。


「地下七階へ」


 受付係が魔導盤を操作する。


 青白い光が三人を包み、足元の感覚が一瞬だけ消える。


 次に目を開けた時。


 周囲には、灰色の岩壁と青い光苔が広がっていた。


━━━━━━━━━━


《星喰いの大穴》


地下第七階層


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 昨日登録した転移地点。


 周囲に他の冒険者はいない。


「昨日の続きですね」


 フィオナが《月狐魔剣》の柄へ手を添える。


「うん。まずは八階を目指そう」


 リリスが《万象解析》を発動する。


━━━━━━━━━━


周辺魔物反応:46


採取可能素材:214


宝箱反応:2


隠し部屋:1


罠:18


救助信号:0


異常空間反応:1


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「異常空間反応がある」


「危険でしょうか」


「まだ分からない。地下九階の方角みたい」


『ならば、進めば分かる』


 三人は薄暗い通路を歩き始めた。


◇◇◇


 地下七階に出現する魔物は、これまでよりも一段階強くなっていた。


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石殻甲虫 Lv24


石殻甲虫 Lv26


個体数:8


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 人間の胴体ほどもある巨大な甲虫。


 全身を黒灰色の硬い殻が覆っている。


「物理攻撃が通りにくそうです」


「殻の継ぎ目は柔らかいよ」


 リリスが《万象解析》で弱点を共有する。


 フィオナの視界へ、甲虫の関節部分が淡い赤色で表示された。


「ここを狙えばいいのですね」


 《月狐魔剣》へ氷属性の魔力を流す。


「《氷纏剣》!」


 銀白色の刀身を、冷気が包んだ。


 甲虫が突進してくる。


 フィオナは正面から受け止めず、ぎりぎりで身体を横へ滑らせた。


 すれ違いざま。


 脚の関節へ一閃。


「ギギッ!」


 氷が内部へ広がり、甲虫の動きが止まる。


 続いて二体。


 三体。


 狐人族の聴覚で足音を拾いながら、死角へ回り込む個体まで正確に捉える。


「《月狐氷刃》!」


 三日月状の氷刃が走った。


 装甲の隙間だけを貫き、甲虫たちを凍結させる。


━━━━━━━━━━


石殻甲虫を8体討伐しました。


新戦技を習得しました。


《月狐氷刃》Lv1


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「属性ごとに技が増えていきます」


「《多属性循環》とも相性がいいみたい」


 リリスは凍った魔物へ《完全解体》を発動した。


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石殻甲虫の硬殻×80


石殻甲虫の大顎×160


石殻甲虫の魔石×80


石殻甲虫の強靭腱×240


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「防具素材に使えそう」


「護衛隊の装備でしょうか」


「それもいいね。軽くして、衝撃吸収を付ければ――」


『ここで設計を始めるな』


 クロに止められ、リリスは素材をインベントリへ収納した。


◇◇◇


 地下八階。


 階層全体が、巨大な植物園のようになっていた。


 天井から垂れ下がる蔓。


 青白く光る花。


 人間の背丈を超える茸。


 地面には柔らかな苔が広がり、歩くたびに小さな光の粒が舞い上がる。


━━━━━━━━━━


階層特性


《地下魔草園》


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「錬金素材がいっぱい……」


 フィオナの琥珀色の瞳が輝く。


「師匠、あれは《月影花》です!」


「向こうには《青眠茸》もあるよ」


「根元に《魔力蔓》まで……」


 二人は同時に足を止めた。


 クロが呆れたように二人を見比べる。


『似た者同士だな』


「全部は取らないよ」


「種や株を残しておけば、また育ちます」


 リリスとフィオナは頷き合った。


 《超広域自動収集》で根まで抜かず、成熟した部分だけを回収する。


━━━━━━━━━━


月影花×1200


青眠茸×870


魔力蔓×460


星雫苔×2100


地下霊草×980


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「これで新しい薬を試せます」


「帰ったら一緒に作ろう」


「はい!」


 二人が完全に錬金術師の顔になっている間、クロは周囲を警戒していた。


『来るぞ』


 地面の蔓が、一斉に持ち上がる。


━━━━━━━━━━


迷宮捕食花 Lv31


迷宮捕食花 Lv34


個体数:6


━━━━━━━━━━


 巨大な花弁が開き、鋭い牙が並ぶ。


「素材を燃やしたくない」


「では、私が水属性で動きを止めます」


 フィオナが剣を抜く。


「《水纏剣》!」


 放たれた水流が蔓を絡め取り、動きを鈍らせる。


 そこへ、リリスが杖を向けた。


「《魔力遮断》」


 捕食花の体内を流れていた魔力だけが停止する。


 巨大な花が、次々と地面へ崩れ落ちた。


━━━━━━━━━━


迷宮捕食花を6体討伐しました。


素材損傷率:0%


━━━━━━━━━━


「やはり師匠は、素材を壊さない時の方が真剣ですね」


「せっかくの希少植物だから」


『魔王と戦った時と同程度には集中しているように見える』


「そこまでじゃないよ」


 誰も同意しなかった。


◇◇◇


 地下九階へ降りる。


 そこは、それまでの自然洞窟とは全く異なる場所だった。


 床も壁も、黒い石板によって隙間なく覆われている。


 天井には、星座のような銀色の線。


 通路の左右には、人型を模した古代の石像が並んでいた。


━━━━━━━━━━


特殊区域


《古代星殿》


魔物反応:0


罠反応:32


異常空間反応:前方


━━━━━━━━━━


「静かですね」


 フィオナの狐耳が、周囲の音を探るように動く。


『生き物の匂いもない』


 正面には、巨大な扉。


 表面には七つの星と、一つの黒い円が刻まれていた。


 扉の前には古代文字。


 リリスが《万象解析》で読み解く。


━━━━━━━━━━


『七つの光を正しき座へ戻せ』


『黒き星を照らしてはならない』


『誤りし光は、すべてを始まりへ返す』


━━━━━━━━━━


 床には、七色の光球。


 その先には、星を模した八つの窪みがある。


 赤。


 青。


 緑。


 黄。


 白。


 紫。


 銀。


 そして、光を吸い込む黒い窪み。


「七つの光を、七つの星へ置く仕掛けですね」


「でも、同じ色へ置くだけじゃなさそう」


 リリスは天井を見上げる。


 銀色の線で描かれた星座。


 七つの星が順番に繋がり、最後の線だけが黒い円を避けている。


「順番があります」


 フィオナが気づいた。


「赤から始まって、黄、緑、青、紫、白、最後に銀です」


「黒い窪みには置かない」


「はい」


 リリスなら、扉そのものを解析して開けることもできる。


 だが、それでは迷宮の試練を攻略したことにはならない。


「フィオナ、やってみる?」


「二人で行いませんか?」


「二人で?」


「これは戦闘ではありません。パーティーの試練なら、二人で解きたいです」


 リリスは少しだけ目を見開いた。


 それから頷く。


「分かった」


 二人で光球を持ち上げる。


 赤。


 黄。


 緑。


 青。


 紫。


 白。


 銀。


 一つずつ、星座の順番に沿って窪みへ置いていく。


 最後の銀色の光球が収まった瞬間。


 天井の星座が強く輝いた。


━━━━━━━━━━


星位照合完了。


黒星への誤照射:なし


試練達成。


━━━━━━━━━━


 巨大な扉が、静かに左右へ開いていく。


 その先。


 三人は同時に足を止めた。


「これは……」


 広大な円形の部屋。


 壁一面に並ぶ、古代の保管棚。


 中央には、金、銀、白金、ミスリルの宝箱。


 天井近くには、幾つもの魔導具が浮かんでいる。


 武器。


 防具。


 魔導書。


 魔晶宝石。


 鉱石。


 保存瓶。


 数え切れないほどの品々が、淡い光の中で眠っていた。


━━━━━━━━━━


隠匿区域


《星喰いの宝物庫》


発見者


《黒月》


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「本当にありました……」


 フィオナが呆然と呟く。


「宝物庫」


 黒い仮面の奥で、リリスの瞳が輝いた。


『今日は戻るのが遅くなりそうだな』


 クロが静かに言う。


「大丈夫。夕食までには帰るよ」


『その言葉を、セバスへそのまま伝えてよいのか』


「全部調べるだけだから」


「師匠」


 フィオナが宝物庫の内部を見回す。


「この量を全部調べるのですか?」


「うん」


「夕食まで、あと四時間ほどです」


「十分だよ」


『普通なら数日掛かる量だぞ』


 リリスは、そっと右手を上げた。


「《万象解析》」


 透明な波紋が宝物庫全体へ広がる。


 同時に、数百を超える情報が視界へ表示された。


━━━━━━━━━━


宝物庫内収蔵物


武器:84


防具:76


魔導具:213


魔導書:48


錬金素材:1260


鉱石:3180


魔晶宝石:960


宝箱:24


封印指定物:3


危険物:7


所有者認証品:12


━━━━━━━━━━


「封印された物もある」


「危険物まで置かれているのですか?」


「勝手に触らない方がよさそうだね」


『お前がそれを言うとは珍しい』


「壊れたら困るから」


『やはり理由は素材なのだな』


 三人は入口から慎重に調査を始めた。


 最初の棚。


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《星銀鉱》


品質:伝説級レジェンド


星属性魔力との親和性が高い希少金属。


夜間に自己修復する性質を持つ。


数量:2400キログラム


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「新しい金属!」


 リリスとフィオナの声が重なった。


「これで武器を作ったら――」


「魔力を蓄える装飾品にも使えそうです!」


 二人は顔を見合わせる。


『完全に同類だな』


 クロの呟きは、二人の耳には届かなかった。


 次の棚には、透明な瓶。


━━━━━━━━━━


《古代星命薬》


品質:神話級ミソロジー


効果


・瀕死状態からの完全回復


・欠損部位再生


・魔力全回復


・一時的な生命力強化


数量:12


━━━━━━━━━━


「分析すれば、同じ物を作れそう」


「師匠なら、もっと強い物を作るのではありませんか?」


「改良したい」


 フィオナは予想どおりの答えに、小さく笑った。


 中央の宝箱へ近づく。


 金の宝箱。


 銀の宝箱。


 白金の宝箱。


 ミスリルの宝箱。


「どれから開けますか?」


「フィオナが選んでいいよ」


「では……銀から」


「どうして?」


「最初に迷宮で開けた特別な宝箱も、銀でしたから」


 フィオナが銀の宝箱へ手を掛ける。


 罠を確認。


 封印なし。


 所有者認証なし。


 ゆっくりと蓋を開いた。


 銀色の光が、宝物庫へ溢れる。


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《星纏いの外套》


品質:伝説級レジェンド


装備効果


・魔力防御上昇


・属性耐性上昇


・気配遮断


・夜間能力強化


・装備者自動認識


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「フィオナに似合いそう」


「私がいただいてよいのですか?」


「開けたのはフィオナだから」


「師匠が見つけた宝物庫です」


「一緒に解いたよ」


 リリスは外套を取り出し、フィオナの肩へ掛ける。


 白銀色の布地。


 内側には、淡い青色の星模様。


 《月狐軽装》とも自然に馴染んでいた。


「綺麗……」


「夜に使うと強くなるみたい。《月狐魔剣》とも合うね」


「ありがとうございます。大切に使います」


 フィオナの尻尾が外套の下で大きく揺れている。


 次に、リリスが金の宝箱を開く。


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《古代迷宮転写板》


品質:伝説級レジェンド


登録した迷宮階層の地形情報を自動記録する。


隠し部屋、罠、魔力異常を一定範囲で検知可能。


━━━━━━━━━━


「地図の魔導具」


「迷宮探索に便利ですね」


「屋敷で複製しよう」


『宝物を発見して、最初に考えるのが複製なのか』


「フィオナにも持たせたいから」


「私も手伝います!」


『止める者がいなくなったな』


◇◇◇


 最後に。


 ミスリルの宝箱を調べる。


 他の箱とは異なり、表面に複雑な古代術式が刻まれていた。


━━━━━━━━━━


ミスリルの宝箱


封印状態:完全


解除条件


・宝物庫内の封印指定物を三つ特定する


・危険物へ接触しない


・宝物庫の管理核を起動する


━━━━━━━━━━


「ただ開けるだけじゃ駄目みたい」


「まだ試練が続いているのですね」


「面白い」


 リリスが周囲を見回す。


 数千点の収蔵物。


 その中に、三つの封印指定物。


 七つの危険物。


 そして、どこかに隠された管理核。


 力ずくで宝箱を開けば、宝物庫そのものが閉鎖される可能性がある。


「今日は、これを解こう」


 リリスは楽しそうに杖を持ち直す。


「十階へ行かなくてよいのですか?」


「宝物庫の方が先」


「師匠なら、そう言うと思いました」


 フィオナも《月狐魔剣》の魔力感知を広げる。


 クロは二人の間へ座り、静かに周囲を見回した。


『夕食までに終わるのか』


「たぶん」


『セバスへ連絡しておくぞ』


「まだ大丈夫だよ」


『“たぶん”と言った時点で信用できぬ』


 クロは通信腕輪へ魔力を流した。


 その横で。


 リリスとフィオナは、すでに最初の封印指定物を探し始めていた。


 《星喰いの大穴》地下九階。


 誰にも発見されず眠り続けていた、古代の宝物庫。


 そこに収められた無数の遺物と。


 開かれていない最後のミスリル宝箱。


 宝探しに夢中になった二人が、予定どおり夕食へ戻れたのは。


 クロが屋敷へ連絡してから、さらに三時間が過ぎた後だった。

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