第百九話 エルディオン引き渡し
翌朝。
西方封鎖遺跡群。
空を覆っていた黒い円環は。
完全に消えていた。
夜通し観測を続けた。
《古代異界門封印管理施設》にも。
大きな異常は発生していない。
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《古代異界門封印管理施設》
異界接続
完全遮断
封印機能
正常
地脈魔力循環
安定
外部侵食反応
なし
《神域相互封印壁》
正常稼働
《古代機装守護兵》
六十四体
異常なし
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「一晩、何も起きませんでした」
フィオナが。
野営道具を片付けながら言う。
「これなら、一度王都へ戻っても大丈夫そうですね」
「六号」
リリスが。
近くに立つ守護兵を見上げる。
「何かあったら連絡して」
『命令受諾』
『重大異常発生時』
『《六星封門監視晶》へ緊急情報を送信』
「調査隊が来たら?」
『登録済み王国識別情報を確認』
『非敵対者として受け入れる』
『施設中枢への無許可侵入は禁止』
「うん。それでいいよ」
封門守護六号が。
片膝をつく。
『管理者の帰還を待機』
「しばらく戻らないかもしれない」
『当機は待機可能』
「四千年も待っていたものね」
フィオナが。
少し寂しそうに呟く。
『経過時間は問題ではない』
『命令と役割が存在する限り』
『当機は稼働を継続する』
リリスは。
古代機装兵の脚部へ手を触れた。
「今度は、ずっと一人じゃないよ」
周囲には。
同じ青白い光を宿した。
六十三体の守護兵が立っている。
さらに。
数日後には。
王国の調査隊も到着する。
『情報更新』
『当機は単独ではない』
「うん」
『理解』
無機質な音声。
それでも。
その一言は。
どこか穏やかに聞こえた。
◇◇◇
リリスたちは。
《大規模転移》によって。
城塞都市グラウベルへ帰還した。
転移地点には。
ガイゼル将軍と。
辺境軍の兵士たちが待っていた。
「ご無事で何よりです」
将軍が。
深く頭を下げる。
「避難していた住民は?」
「全員、無事を確認しました。逃走していた魔物の群れも、徐々に森へ戻り始めています」
「よかった」
「村の被害も、畑や柵の一部に留まりました」
フィオナが。
安堵したように狐耳を緩める。
「人が戻る前に、安全を確認してください」
「承知しています」
ガイゼル将軍は。
リリスたちの背後を見る。
「守護兵は同行していないのですね」
「施設を守ってる」
「六十四体すべてが?」
「うん」
「それほどの戦力が、辺境近くに存在することになりますが……」
『侵攻目的ではない』
クロの念話に。
将軍が頷く。
「理解しております。ただ、周辺諸国が知れば、警戒する可能性があります」
「情報は制限した方がいいですね」
フィオナが言う。
「古代兵器が復活したことではなく、封印施設の防衛機構が正常化したと報告しましょう」
「王都とも協議します」
異界門。
《幻魔機》。
《逆星教団》。
六つの封印施設。
すべてを公表すれば。
無用な混乱を招く。
だが。
隠しすぎれば。
次の異常へ対応できない。
「必要な人には伝える」
リリスが答えた。
「でも、普通に暮らしている人まで怖がらせる必要はない」
「妥当な判断です」
ガイゼル将軍は。
再び頭を下げた。
「王都までの転移門を準備しています。お疲れでしょうから、今日は当都市で休まれますか?」
リリスとリゼットが。
同時に顔を見合わせる。
「帰ります」
「エルディオンが待ってる!」
『疲労より船を優先したな』
「昨日、ちゃんと寝たよ」
「師匠は途中で三度起きて、監視晶を確認していました」
フィオナが指摘する。
「三度しか起きてない」
『自慢することではない』
◇◇◇
王都へ戻ったのは。
正午を少し過ぎた頃だった。
転移塔を出ると。
王都の賑やかな音が。
一気に耳へ入ってくる。
行商人の声。
馬車の車輪。
鐘楼の鐘。
焼きたてのパンの匂い。
「帰ってきた」
リゼットが。
大きく息を吸う。
「まず管理港!」
「まず屋敷です」
フィオナが即答した。
「荷物を置いて、報告書を提出して、昼食を取ります」
「荷物はインベントリに入ってるよ」
「報告書も後でいいんじゃない?」
リリスとリゼットが。
同時に反論する。
「駄目です」
『二対一でも勝てぬようだな』
「クロもこっち側じゃないの?」
『私は昼食側だ』
「裏切った」
『食事を裏切りとは言わぬ』
シグレも。
静かに頷く。
「ご飯が先」
「三対二」
「分かった」
リリスとリゼットは。
揃って肩を落とした。
◇◇◇
屋敷へ戻ると。
セバスたちが。
玄関前で一行を迎えた。
「お帰りなさいませ」
「ただいま」
エレナを始めとした使用人たちも。
全員が。
安堵した表情を見せている。
今回の調査について。
詳しい内容は知らせていなかった。
それでも。
王国最高危険区域へ向かったことは。
屋敷の者たちも知っていた。
「全員、怪我はございませんか?」
エレナが尋ねる。
「大丈夫です」
フィオナが答える。
「危険なことはありましたが、全員無事です」
「クロ様も?」
『問題ない』
「それは何よりでございます」
クロは。
当然のように返答したエレナを見つめる。
『私の念話にも慣れたな』
「毎日お話ししておりますので」
『そうか』
「少し嬉しそう」
『リリス』
「何も言ってないよ」
『顔に出ている』
「仮面があるのに?」
『分かる』
◇◇◇
昼食は。
牛肉と玉葱を甘辛く煮た丼。
温泉卵。
茸と豆腐の味噌汁。
浅漬け。
疲れて帰ってきた時に。
ちょうどいい味だった。
「おいしい」
リリスは。
温泉卵を割り。
黄身を牛肉へ絡める。
「おかわり」
「早いです」
フィオナが驚く。
「まだ半分残っていますよ」
「先に頼んでおく」
「私も!」
リゼットが。
空になりかけた丼を上げる。
「二人とも、船を見る前に倒れないよう食べてください」
「食べすぎて動けなくなる方が問題」
シグレが言う。
「悪くない」
「今日はおいしいじゃないんだ」
「丼は悪くない」
「かなり気に入ってる時の言い方ですね」
食後。
王城と冒険者ギルドへ。
簡易報告書を送る。
詳細な調査記録は。
情報量が多いため。
後日改めて提出することになった。
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《西方封鎖遺跡群》緊急調査
結果
・異界侵攻門閉鎖
・召喚対象排除
・古代封印施設正常化
・民間人被害なし
・辺境軍死者なし
・《古代機装守護兵》六十四体復旧
・《逆星教団》関与の可能性を確認
・同系統封印施設五か所を追加確認
危険度
国家機密指定
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「終わり」
リリスが。
署名を終えて立ち上がる。
「今度こそ行ける?」
「はい」
フィオナが微笑む。
「エルディオンを受け取りに行きましょう」
◇◇◇
王立魔導艦船管理港。
午後三時。
前回と同じ浮遊桟橋に。
《王国第三魔導巡航艦エルディオン》が浮かんでいた。
武装は。
既に完全に撤去されている。
王国軍の旗も降ろされ。
艦体側面に刻まれていた部隊章は。
布で覆われていた。
「少し寂しい」
リゼットが呟く。
「軍艦としての役目を終えたから」
フィオナが答える。
浮遊桟橋には。
ベルナール元艦長。
クラリス大隊長。
軍務省の文官。
そして。
エルディオンの元乗員らしい人々が。
数十人集まっていた。
「お待ちしていました、ノクス侯爵」
ベルナールが。
正式な敬礼をする。
「本日をもって、《王国第三魔導巡航艦エルディオン》は王国軍籍を離れます」
文官が。
譲渡証明書を開いた。
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退役魔導巡航艦譲渡証明
旧所属
グランゼル王国軍
第三魔導巡航艦隊
旧艦名
《王国第三魔導巡航艦エルディオン》
新所有者
ノクス侯爵
共同管理者
リゼット・ヴァルカン
譲渡状態
武装撤去済み
機密設備封印済み
航行機能維持
登録変更
承認
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「署名をお願いします」
リリスが。
ノクスの名で署名する。
続いて。
リゼットも。
共同管理者として名を記した。
最後に。
ベルナールが。
旧艦長として署名する。
「これをもって、譲渡手続きを完了します」
文官が。
証明書を閉じる。
「エルディオンは、正式にノクス侯爵の所有艦となりました」
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所有権移転
完了
取得艦
《魔導巡航艦エルディオン》
所有者
ノクス
共同管理者
リゼット・ヴァルカン
現在の艦籍
民間特別探索艦
武装制限
あり
改修許可
承認済み
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「私たちの船……」
リゼットが。
巨大な艦体を見上げる。
「本当に買えた」
「まだ実感がないね」
リリスも。
灰青色の船を見つめた。
前回は。
見学するだけだった。
今は違う。
これから。
この船で。
知らない場所へ行く。
空を越え。
大陸を越え。
世界の果てを目指す。
「ノクス殿」
ベルナールが。
一枚の古い金属札を差し出した。
中央には。
エルディオンの艦章。
裏面には。
歴代艦長の名が刻まれている。
「艦長認証札です」
「私が持っていいの?」
「この艦の所有者へ引き継ぐものです」
リリスは。
両手で受け取った。
古い金属札には。
幾人もの魔力が染み込んでいる。
「大切にします」
「ありがとうございます」
ベルナールは。
少しだけ目を細めた。
「どうか、この船を再び空へ」
「うん」
「必ず」
リゼットも答えた。
◇◇◇
艦橋へ入る。
前回は停止していた。
ほとんどの航行設備が。
今日は最低出力で起動している。
魔導表示板。
航行計器。
通信装置。
艦長席。
中央の認証台へ。
リリスが艦長認証札を差し込む。
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艦長認証
旧登録
ベルナール・グレイス
新規登録候補
ノクス
所有権
確認
魔力波長
登録可能
認証を実行しますか?
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「実行」
認証台から。
淡い光が広がった。
艦橋。
主通路。
格納庫。
動力区画。
船全体を。
リリスの魔力が巡っていく。
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新規艦長認証
完了
艦内管理権限
移譲
航行権限
承認
動力炉管理権限
承認
艦内区画開放権限
承認
ようこそ
新艦長ノクス
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その瞬間。
艦体が。
僅かに震えた。
古い魔力導管へ。
青白い光が順番に灯る。
停止中だった。
艦橋正面の大型表示盤が。
ひとりでに起動した。
「何も操作してないよね?」
リゼットが尋ねる。
「うん」
表示盤へ。
短い文字が現れる。
━━━━━━━━━━
艦長登録
確認
航行任務
再開可能
乗員保護機能
待機
帰還経路
未設定
新規航路の入力を要求
━━━━━━━━━━
「反応してる」
フィオナが。
驚いたように画面を見る。
「疑似精神形成率が上がってる」
リリスが。
艦歴記録核を解析する。
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《魔導巡航艦エルディオン》
艦歴記録核
疑似精神形成率
二十三・八パーセント
↓
三十一・六パーセント
変化原因
新所有者認証
高密度魔力接続
航行継続可能性の上昇
感情相当反応
歓喜
━━━━━━━━━━
「喜んでる」
リリスが言った。
正面表示盤の光が。
一度。
強く明滅する。
「エルディオン」
ベルナールが。
艦長席の隣へ立つ。
「新しい艦長だ」
表示盤に。
新たな文字が現れた。
━━━━━━━━━━
旧艦長
ベルナール・グレイス
識別
確認
長期任務
終了
生存帰還
確認
━━━━━━━━━━
ベルナールは。
息を呑んだ。
「そうか……」
震える手で。
認証台へ触れる。
「私も、帰っていたのだな」
エルディオンにとって。
艦長が任務を終えることも。
一つの帰還だった。
ベルナールは。
静かに敬礼する。
「これまで、本当にありがとう」
表示盤の中央へ。
青白い光が集まる。
━━━━━━━━━━
旧艦長任務
完了
長期航行記録
保存
感謝
━━━━━━━━━━
艦橋にいた。
元乗員たちが。
一斉に敬礼した。
誰も声を上げない。
それでも。
何人かの目には。
涙が浮かんでいた。
◇◇◇
しばらくして。
ベルナールたちは。
艦橋を後にした。
残ったのは。
リリス。
フィオナ。
シグレ。
リゼット。
クロ。
「今日から、ここも私たちの場所」
リリスが。
艦長席へ腰掛ける。
まだ。
古い座席。
少し硬い。
表面には。
長い使用による擦れも残っている。
それでも。
不思議と落ち着いた。
「最初に何をする?」
リゼットが尋ねる。
「全部壊して作り直す?」
『今の流れでその言葉を出すな』
「壊すとは言ってないよ!」
「船の記憶は残します」
フィオナが言う。
「艦歴記録核も、艦橋も、可能な限り残しましょう」
「うん」
リリスは。
表示盤へ手を伸ばす。
「エルディオンだった部分を消さない」
新しい船へ変わっても。
この船が守ってきたもの。
帰してきた人々。
重ねてきた記録。
それらは。
《アストラル・ノア》の中へ残す。
「でも、まず名前はまだ変えない」
シグレが尋ねる。
「完成してから?」
「うん」
今はまだ。
《エルディオン》。
役目を終えた古い船ではなく。
これから。
新しい空へ向かう船。
「最初の航路を入力してください」
リゼットが。
航行盤の前へ座る。
「どこにする?」
「まだ飛ばないよ」
「試運転だけでも」
「初期整備が先です」
フィオナが。
すぐに止める。
『主炉も旧式のままだ』
「じゃあ、目的地だけ入れる」
リリスは。
世界地図を表示した。
広大な五つの大陸。
小大陸。
島国。
未踏地域。
名前のない土地。
そして。
六星封門機構が示した。
世界のどこかに眠る。
残り五つの封印施設。
リリスは。
特定の地点ではなく。
地図全体を選択した。
━━━━━━━━━━
新規航行目的
登録
目的地
リリンズ・ワールド全域
任務
世界探索
仲間の保護
未知領域調査
災害救援
帰還
━━━━━━━━━━
「目的地が広すぎる」
シグレが言う。
「世界全部だから」
『航路とは呼べぬな』
「でも、この船なら行けるよ」
正面表示盤が。
静かに明滅する。
━━━━━━━━━━
新規任務
受諾
航行準備
開始
━━━━━━━━━━
古き巡航艦エルディオンは。
新しい主人と。
新しい仲間を迎えた。
まだ。
艦体は古いまま。
動力炉も。
格納庫も。
居住区も。
何一つ完成していない。
それでも。
三十一年間。
人々を守り続けた船は。
再び。
空へ向かうため。
静かに目を覚まし始めていた。




