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第百五話 黒き召喚円環



 城塞都市グラウベル。


 西門に隣接する。


 辺境軍司令部。


 リリスたちは。


 到着してすぐ。


 作戦会議室へ案内された。


 大机の上には。


 西方一帯の立体地図が展開されている。


「現在確認されている異常は、三つです」


 説明を行うのは。


 西方辺境軍司令官。


 ガイゼル・ローデン将軍。


 五十歳ほどの大柄な男性だった。


 短く刈り込まれた灰色の髪。


 左頬には。


 古い爪痕が残されている。


「第一に、封鎖遺跡群上空へ出現した黒い円環」


 地図の西側。


 山岳森林地帯の一角が。


 赤く点滅する。


「第二に、遺跡周辺から逃げ出した魔物の群れ」


 森から東へ。


 複数の赤い線が伸びていた。


「第三に、周辺空間の急激な不安定化です」


「転移は使えない?」


 リリスが尋ねる。


「遺跡から百キロメートル以内では、転移座標が固定できません」


 宮廷魔導師らしい。


 青い外套の女性が答えた。


「空間そのものが、一定間隔で歪められています」


「一定間隔?」


「はい。約四十七秒ごとです」


 リリスは。


 地図へ表示された魔力波形を見る。


 大きく膨らみ。


 急激に縮む。


 その直後。


 周囲から魔力を吸収する。


 まるで。


 巨大な心臓が。


 鼓動しているようだった。


「召喚術式が、周囲の魔力を集めてる」


「止められますか?」


 ガイゼル将軍が尋ねる。


「現地で見ないと分からない」


 十五年前の記録だけでは。


 足りない。


 術式を動かしている。


 制御装置。


 魔力供給源。


 召喚対象。


 そのすべてが。


 まだ不明だった。


「魔物の群れは?」


 フィオナが尋ねる。


「辺境軍が迎撃線を構築しています」


 地図の東側へ。


 三本の青い防衛線が表示される。


「しかし、魔物は我々を襲うために進んでいるのではありません」


「逃げているだけ」


 シグレが言った。


「その通りです」


 ガイゼル将軍は。


 険しい顔で頷く。


「無理に刺激すれば、群れが暴走します。討伐ではなく、進路誘導を優先しています」


『妥当な判断だ』


 クロが。


 地図へ顔を向ける。


『異常の原因を止めぬ限り、後続が増え続ける』


「私たちは遺跡へ向かいます」


 リリスが言う。


「途中の魔物は、できるだけ傷つけずに避ける」


「お願いします」


 ガイゼル将軍が。


 深く頭を下げる。


「この都市の西側には、開拓村が七つあります。既に避難命令を出していますが、全員が城塞都市へ到着したわけではありません」


「救助が必要なら、そっちを優先します」


 フィオナが。


 迷わず答えた。


「遺跡の調査よりもですか?」


「人命が先です」


 ガイゼル将軍は。


 一瞬だけ目を見開き。


 静かに頷いた。


「感謝します」


━━━━━━━━━━


緊急調査方針


第一目標


開拓村住民の避難確認


第二目標


逃走魔物群の進路確認


第三目標


《西方封鎖遺跡群》への到達


第四目標


召喚術式の停止または封印


最優先事項


民間人および味方戦力の安全確保


━━━━━━━━━━


◇◇◇


 城塞都市西門。


 巨大な鉄門が。


 低い音を響かせながら開かれる。


 門の外には。


 辺境軍の騎兵隊が待機していた。


 その後方。


 草原の彼方には。


 砂煙が上がっている。


「魔物の群れ?」


 リゼットが。


 目を細める。


「まだ遠いです」


 フィオナの狐耳が。


 僅かに動く。


「でも、地面の振動が聞こえます」


 大型魔物。


 数百。


 あるいは。


 数千。


 大地を踏み鳴らす音が。


 地平線の向こうから近づいてくる。


「飛んで行こう」


 リリスが。


 仲間たちへ魔力を伸ばす。


「《自在飛翔》」


 全員の身体が。


 ゆっくりと浮かび上がった。


 フィオナ。


 シグレ。


 リゼット。


 そして。


 クロ。


『私まで浮かせる必要はない』


「空の方が速いよ」


『自分で走れる』


「森まで四百キロあるよ」


『……任せる』


 巨大な神狼が。


 四本の脚を折り畳むようにして。


 空中へ浮かんでいる。


 少し不思議な光景だった。


「クロが飛んでる」


 リゼットが笑う。


『見るな』


「格好いいですよ」


 フィオナが。


 真面目な顔で言った。


『そうか』


「少し嬉しそう」


『余計なことを言うな』


 リリスは。


 全員を包む飛行結界を形成する。


「出発するよ」


 次の瞬間。


 五つの影が。


 西の空へ飛び出した。


◇◇◇


 地上には。


 乾いた草原が広がっている。


 所々に。


 低い丘。


 小さな林。


 開拓村へ続く街道。


 その街道を。


 大勢の人々が東へ向かっていた。


「避難民です!」


 フィオナが。


 下方を指差す。


 荷車。


 馬車。


 徒歩の人々。


 辺境兵に守られながら。


 城塞都市を目指している。


 だが。


 隊列の後方で。


 一台の荷車が倒れていた。


 車輪が。


 地面の穴へ嵌まっている。


 その周囲には。


 五人ほどの住民。


 さらに。


 西側の丘を越えて。


 魔物の群れが近づいていた。


━━━━━━━━━━


接近魔物


《岩角草原牛》


個体数


百二十七


平均レベル


24


行動状態


恐慌


敵意


なし


到達予測


三分十二秒後


━━━━━━━━━━


「降ります!」


 フィオナが言う。


「うん」


 リリスたちは。


 街道へ急降下した。


「ひっ――」


 突然現れた。


 黒衣の人物。


 狐人族の少女。


 刀を持つ少女。


 小柄な技師。


 巨大な神狼。


 住民たちが。


 驚いて身を固くする。


「大丈夫です!」


 フィオナが。


 両手を上げて敵意がないことを示した。


「城塞都市から来ました。荷車を直します!」


「魔物が来る!」


 若い男性が。


 丘の向こうを指差す。


「こちらで止める」


 シグレが。


 静かに刀へ手を添える。


「倒すの?」


「進路を変えるだけ」


 リリスは。


 荷車の横へしゃがみ込む。


 車軸は折れていない。


 右の車輪が。


 深い穴へ落ちただけだった。


「持ち上げるよ」


「人を集めます!」


「大丈夫」


 リリスが。


 荷車の側面へ片手を添える。


 食料。


 衣類。


 農具。


 家財道具。


 大量の荷物を積んだ車体が。


 軽々と持ち上がった。


「え?」


 住民たちが。


 揃って目を見開く。


 その間に。


 リゼットが。


 穴の中へ砕石を入れる。


「固めるよ!」


「お願い」


 大地魔法で。


 砕石が圧縮される。


 街道の窪みが。


 平らな地面へ変わった。


 リリスは。


 荷車を静かに下ろす。


「車輪、動かしてみて」


 男性が。


 恐る恐る荷車を押す。


 問題なく動いた。


「直った……」


「早く隊列へ戻ってください」


 フィオナが。


 街道の東を示す。


「魔物はこちらで誘導します」


「ですが、あなた方は……」


『行け』


 クロの念話が。


 住民全員へ届く。


『ここに留まる方が危険だ』


「しゃ、喋った……」


「クロです」


『紹介は不要だ』


 住民たちは。


 何度も頭を下げ。


 荷車を押して東へ向かった。


◇◇◇


 地鳴りが。


 大きくなる。


 丘の向こうから。


 岩のような角を持つ。


 巨大な草食魔物が現れた。


 《岩角草原牛》。


 一頭だけでも。


 馬車を簡単に弾き飛ばせる体格。


 それが。


 百頭以上。


 恐怖に目を見開き。


 一直線に走ってくる。


「倒さずに曲げる」


 リリスが。


 両手を前へ向けた。


「《大地誘導壁》」


 街道の西側。


 大地が。


 緩やかに盛り上がる。


 高さは。


 二メートルほど。


 魔物を傷つけない。


 長い土の壁が。


 群れの進路に沿って形成された。


 その先は。


 南側の無人草原へ続いている。


「フィオナ」


「はい!」


 フィオナが。


 杖を掲げる。


「《星月安息結界》」


 淡い月色の光が。


 群れの進行方向へ広がった。


 恐慌状態の魔物たちへ。


 穏やかな精神干渉が届く。


 完全に恐怖を消すことはできない。


 それでも。


 無秩序に走っていた先頭の個体が。


 少しずつ速度を落とした。


「左へ誘導する」


 シグレが。


 刀を抜く。


 斬るためではない。


 刃へ纏わせた風を。


 群れの右側へ放つ。


「《白雨風路》」


 柔らかな横風が。


 魔物たちの進路を押した。


 大地の壁。


 月色の結界。


 横から吹く風。


 群れは。


 街道を外れ。


 南の草原へ流れていく。


━━━━━━━━━━


《岩角草原牛》群


進路変更


成功


負傷個体


なし


民間人被害


なし


━━━━━━━━━━


「行った……」


 リゼットが。


 遠ざかる群れを見る。


「討伐しなくても、止められるんだね」


「敵じゃなかったから」


 リリスが答える。


『問題は、あれほどの群れを逃がした原因だ』


 クロが。


 西へ顔を向ける。


 遠くの空。


 黒い雲のようなものが。


 山々の上へ広がっていた。


 雲ではない。


 巨大な円環から溢れる。


 濃密な空間魔力だった。


◇◇◇


 さらに西へ進む。


 開拓村を三つ確認した。


 最初の村は。


 全員避難済み。


 二つ目の村では。


 足を負傷した老人と。


 家畜を残せずにいた家族を救助した。


 三つ目の村では。


 逃げ遅れた子供が。


 穀物倉庫へ隠れていた。


 フィオナが見つけ。


 リリスが。


 転移許可地点まで連れていった。


「これで七つの村、全部避難済み」


 フィオナが。


 辺境軍の記録用魔道具を確認する。


「住民の取り残し反応もありません」


「よかった」


 リリスが。


 小さく息を吐く。


 遺跡へ向かうだけなら。


 すぐに通り過ぎることもできた。


 だが。


 それでは。


 後から気になってしまう。


『これで調査へ集中できるな』


 クロが言った。


「うん」


 リリスたちは。


 再び高度を上げた。


◇◇◇


 草原が終わり。


 黒緑色の森林が始まる。


 樹齢数百年と思われる。


 巨大な樹木。


 その向こうには。


 険しい岩山。


 普通なら。


 移動するだけでも。


 何日も掛かる地形だった。


 しかし。


 今の森には。


 鳥の声がない。


 魔物の気配も。


 ほとんど存在しなかった。


「静かすぎます」


 フィオナの狐耳が。


 周囲の音を探る。


「小さな虫まで、遺跡から離れています」


 シグレが。


 刀へ手を添えた。


「嫌な静けさ」


 森の奥から。


 低い音が届く。


 四十七秒ごと。


 大気が震える。


 空間が。


 僅かに歪む。


 そのたび。


 リゼットの持つ魔導計測器が。


 赤く点滅した。


━━━━━━━━━━


空間歪曲周期


四十七・一秒


魔力吸収量


前回比一・八パーセント増加


召喚術式完成予測


不明


周辺安全度


低下中


━━━━━━━━━━


「魔力が増えてる」


 リゼットが。


 計測器を見つめる。


「このままなら、術式はどんどん強くなる」


「急ごう」


 リリスが。


 飛行速度を上げる。


 木々が。


 眼下を高速で流れていく。


 やがて。


 森の向こうに。


 黒い円環が見えた。


「……大きい」


 フィオナが呟く。


 遺跡上空。


 直径。


 およそ三キロメートル。


 幾重もの黒い魔法陣が。


 空中へ重なっている。


 外周には。


 見たことのない文字。


 中心部には。


 星形術式。


 そして。


 円環の中央。


 本来なら空が見えるはずの場所が。


 真っ暗な闇に覆われていた。


━━━━━━━━━━


《超大型異界召喚円環》


分類


古代空間召喚術式


稼働状態


起動中


完成度


七十三・二パーセント


対象座標


解析不能


対象存在


未確定


供給魔力


周辺地脈


空間外部供給


遺跡地下動力源


強制停止難度


極高


━━━━━━━━━━


「三つの場所から魔力を取ってる」


 リリスが。


 術式を解析する。


「周辺の地脈。異界側。それと、遺跡の地下」


『一つ止めただけでは足りぬか』


「たぶん」


「また言った」


 リゼットが。


 小さく笑う。


「今は本当に不明だから」


 円環の下。


 森を切り開いたような。


 広大な盆地。


 そこに。


 《西方封鎖遺跡群》が存在していた。


 崩れた石塔。


 半ば地中へ埋まった神殿。


 巨大な金属柱。


 山肌へ穿たれた門。


 そして。


 盆地中央には。


 直径五百メートルを超える。


 円形の人工構造物。


 その表面で。


 無数の黒い魔力線が脈動している。


「あれが召喚装置」


 リゼットが言う。


「でも」


 フィオナが。


 遺跡の周囲へ目を向けた。


「何かいます」


 崩れた建物の間。


 動く影。


 一つ。


 二つ。


 十。


 五十。


 土や苔に覆われていた。


 石像のような物体が。


 次々と立ち上がる。


━━━━━━━━━━


《古代機装守護兵》


種別


遺跡防衛用魔導兵器


全高


十二・四メートル


個体数


六十四


推定レベル


78〜92


稼働目的


召喚装置防衛


敵意


極大


━━━━━━━━━━


「幻想機……?」


 リゼットの目が。


 驚きに見開かれる。


「違う」


 リリスが答えた。


「人が乗る場所がない。全部、自動で動いてる」


 古代の無人機装兵。


 石と金属で作られた。


 人型の守護兵たち。


 その頭部に。


 一斉に赤い光が灯る。


 六十四体。


 すべてが。


 空を飛ぶリリスたちへ顔を向けた。


━━━━━━━━━━


警告


多数の攻撃術式を検知


対象


《黒月》


推定発射まで


三秒


━━━━━━━━━━


「防ぐ!」


 フィオナが。


 杖を掲げる。


「《星月神域結界》!」


 巨大な月色の障壁が。


 全員の前へ展開された。


 直後。


 地上の守護兵から。


 六十四本の赤い魔力光線が放たれる。


 轟音。


 衝撃。


 空が。


 真紅の光に染まった。


 フィオナの結界が。


 僅かに揺れる。


「大丈夫です!」


 狐耳を伏せながら。


 フィオナが叫ぶ。


「結界損傷、ほとんどありません!」


「壊して進む?」


 シグレが。


 刀を抜く。


「できるだけ壊さない」


 リリスは。


 地上の守護兵を見下ろした。


「古代の資料になるから」


『理由が実にお前らしい』


 リゼットも。


 すぐに頷く。


「一体も壊したくない!」


「じゃあ、止める」


 リリスは。


 右手を遺跡へ向けた。


「《絶対機装停止》」


 無色の魔力波が。


 盆地全体へ広がる。


 守護兵たちの身体を走っていた。


 赤い魔力線が。


 一斉に消えた。


 腕が止まり。


 頭部の光が失われる。


 六十四体すべてが。


 立った姿勢のまま。


 完全に沈黙した。


━━━━━━━━━━


《古代機装守護兵》


稼働個体


0/64


停止方式


制御術式強制休眠


損傷


なし


再起動可能性


あり


━━━━━━━━━━


「全部止まった……」


 リゼットが。


 呆然と地上を見る。


「あとで調べよう」


「先に召喚装置です」


 フィオナが。


 空の黒い円環を見上げる。


 完成度。


 七十三・二パーセント。


 七十四。


 七十五。


 少しずつ。


 数字が上昇している。


「地下へ行く」


 リリスが言った。


「動力源を止める」


「入口は?」


 シグレが。


 山肌の巨大門を指差す。


「あれ」


 門の高さは。


 五十メートル以上。


 表面には。


 黒い星形紋章が刻まれていた。


 リリスたちは。


 円形施設の縁へ降りる。


 足をつけた瞬間。


 地面の奥から。


 強い振動が伝わった。


 四十七秒。


 再び。


 召喚術式が鼓動する。


 黒い円環の中心。


 闇の向こうで。


 何かが動いた。


「見えた」


 シグレが。


 上空を見つめる。


 巨大な影。


 まだ。


 輪郭だけ。


 全体像は分からない。


 しかし。


 闇の中から現れた一部は。


 生物の皮膚ではなかった。


 黒紫色の装甲。


 鋭い爪を持つ。


 巨大な金属の指。


━━━━━━━━━━


召喚対象


部分観測成功


種別推定


機装兵器


全長


測定不能


魔力属性


魔力/瘴気/死霊反応


所属


不明


召喚完了率


七十六・八パーセント


━━━━━━━━━━


「幻想機?」


 リゼットが。


 黒い円環を見上げる。


『人の物とは思えぬな』


 クロが。


 低く唸る。


 巨大な金属の指が。


 円環の縁を掴む。


 まるで。


 異界の向こう側から。


 こちらの世界へ。


 自ら這い出そうとしているように。


 黒い装甲の腕が。


 少しずつ姿を現した。


 そして。


 召喚装置の奥から。


 低く。


 歪んだ声が響いた。


『接続――確認』


 リリスたちは。


 一斉に地下入口へ目を向ける。


『侵攻座標――固定』


 古代遺跡は。


 ただ異界の存在を。


 呼び出していたのではない。


 向こう側の何者かが。


 この世界へ侵入するために。


 召喚装置を利用していた。

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